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~紲雷 thunder of bonds23~

 後ろから衝突してきた砂船を垣間見て、シュイが焦燥に駆られたように素早く正面に向き直る。フードの中から送られた視線に度し難い敵意を感じ、セーニア兵たちの首筋の産毛が逆立った。


「もはや退路は断たれた! 覚悟を決めよッ!」

『応ッ!!』


 鎌を振りかざしたシュイを目にし、まさかという驚きとやはりという確信が、ビシャの頭を駆け巡った。

 全兵による一斉突撃。二人の将を抑えていたイヴァンとピエールが先頭を走り、やや遅れてシュイとジヴー兵が一丸となってこちらへ向かってくる。彼らの表情に浮かんでいるのは決死の形相。目をぎろりと見開き、口は大きく開け放たれている。両軍を駆り立てるように、敵方から発せられた雄叫びが鼓膜をつんざいた。

 所詮はこの程度だったか。そんな落胆がビシャの胸中に生じた。結局、相手の背後から近づいてきた砂船はセーニア方のものであり、逃げ場を失ったことを察したシュイが自暴自棄な特攻を下したのだと。


 否応もなくセーニア兵たちが戦闘態勢に入る最中、最前列を走るジヴーの兵たちが、何かを宙に投じるような動きを見せた。

 攻撃用魔石かと疑った兵士たちが、急ぎ魔法障壁を張った。やや遅れて、高々と投げられた石が間断なく光を放った。照明魔石の光が空から降り注ぎ、戦場を白一色で埋め尽くしていく。直ぐ隣にいる者の顔すらも見分けがつかないほどの眩さの中にあって、ビシャとガレットは冷静に迎撃を指示した。

 兵士たちは指揮官らに言われるままに、こちらに襲いかかってくるだろうジヴー兵の方角に向けて魔法と射撃とを開始した。およその見当をつけただけの適当な攻撃だったが、数撃てば当たるの原理に則って、光の中に攻撃を打ち続ける。これだけの密度の攻撃であれば蟻一匹とて助かるまい。障壁を張ったところで紙のように破られるだろう。

 誰もがそう信じて疑わなかった。


 異変に気づいたのは、攻撃開始から十秒も経たぬ頃合い。これほどの多段攻撃が成されているにも拘わらず、聞こえてくるのは爆音や雷の音、あるいは矢が風を切る音ばかりだった。怒号や悲鳴といったものが一切聞こえてこないのだ。まさか、相手方が強力な障壁を展開しているのだろうか。いや、それだったら先ほどの他船からの挟み撃ちで絶対に使用したはずだ。

 次第に攻撃が収まってきた。照明魔石の光が薄れ、灰煙漂う視界が少しずつ戻り始める。そして――

 開けてきた視界に、セーニア兵たちは慄然とした。目の前には自らの攻撃によって修復不可能なほどにズタズタに破壊された甲板の残骸だけが横たわっていた。


「誰もいない? ……だが、確かにやつらは……」


 予想外の出来事に兵士たちの動きが止まる。この時、頭の回転を速めたビシャは『念話を用いたプラフの可能性』にまで思い至っていたが、それよりも優先して気にすべきことがあった。何故、このタイミングを選び、一体どこに逃げたのか。

 この数瞬の戸惑いが、彼らの命運を決定づけた。勘のいい者であれば、今際の際に身の毛もよだつ悪寒を感じることが出来たかも知れない。彼らが思い描いた疑念は、永久とこしえに頭の中に封じられることになった。


 後ろにいた誰かが「おいっ」と叫んだ途端、船首の側に光が走った。そう思った時には視界が白く染まっていた。否、染まっているのは頭の中だ。瞬きするほどの時間に受けた刺激に対して、兵士たちは自分の身に一体何が起きているのか、理解しきれていなかった。

 立っている者たちの体が一度だけ大きく仰け反った。痛みの伝達信号が全身から脳へ放たれたものの、到達する前に脳と神経のほとんどを焼き切られていた。白い世界を認知した後で、永久に居座るだろう闇を感じ取ることもできなかった。兵士たちの意識は光の洪水に呆気なく呑み込まれていた。

 誰がどこにいたかもわからぬまま、誰かに助けを求める暇も与えられぬまま、彼らは等しく死を与えられた。人だったものが力なくその場に崩れ落ちていく。抜け殻が倒れた拍子には存外軽い音が返ってきた。全身に行き渡った電撃の熱で、体内の水分のほとんどが失われ、ミイラ化していたのだ。


 船上に横たわる屍の中でただ一人だけが、船の現状を認めていた。幸か不幸か、<誓約の盾(プレッジ・シールド)>に込められた魔法障壁が、使用者の危機を察知して自律的に展開され、ビシャを脅威から守っていた。けれども、至宝と呼ばれた魔法道具を用いて尚、死の訪れを多少遅らせるのが精一杯だった。


「……ぐぬ……ぅ。……して、やられた。こういう、ことだったのかッ!」


 仲間たちの変わり果てた姿を見、ビシャの表情が憤怒と苦痛に歪んだ。爪が手の平に深く食い込み、血が滴り落ちていく。その血も床につくとすぐさま、サビの匂いを生じさせながら蒸発する。甲板には命をも絡め取る苛烈な電撃の網が張り巡らされていた。

 前後左右にいた仲間たちは、瞬きするほどの時間で息絶えてしまったようだ。傍にいたガレット・リブライも、後方で感知魔法を展開していたロッグ・ケトゥレフも例外ではなかった。頭髪と皮膚が収縮し、何十年も年を取った様になっていた。誰の顔を確認しても、以前の面影はほとんど見出せない。身につけている物に目を走らせれば、軍服の繊維はぼろぼろになり、糸が焦げたりあちらこちらに跳ねたりしていた。


「……なんという、有様だ。無敵のセーニア軍が……よもや。誰か、生きている者はいないのか! 返事をしろぉッ!」


 喉の痛みを押し殺して発した叫びが、虫の羽音を何倍にも大きくしたような音に掻き消された。手足に激しい痺れを感じ、苦悶の溜息が漏れる。何が起きたかは、起きているのかは、およそ理解出来ていた。敵方の攻撃魔法と思しき青白い雷が船全体を蹂躙し、今もって半球状の結界を駆逐せんと、ビシャの周囲を暴れ回っていたからだ。

 砂船の外層や骨格はほとんどが金属部品で作られている。この分では船の中にいた者たちも無事ではないだろう。非戦闘員の世話役を連れてきてしまったことに、ビシャは一抹の後悔を抱いた。次いで自分自身、この戦いをどこかで舐めていたのだと実感せざるを得なかった。ヌレイフの戦いではそんな余裕など持ち合わせていなかったはずだ。

 面を上げれば、雷は周りにいる船にも次々に伝播し、中枢の船団のほとんどが旗艦と同様の状況に陥っているようだった。旗艦に乗り込んできたシュイたちを排除しようと中央に密集したために、返って被害が拡大してしまったのだ。一体何人の兵士が殺されてしまったのか。残された彼らの家族の悲哀を憂い、ビシャは心の中で詫びの言葉を紡ぐ。


「ぐっ……くく、これはどうやら、俺も助からん……な。一瞬で逝けそうなのが……せめてもの救いか」


 段々と体の自由が利かなくなっていくのを明敏に悟り、自然と苦笑いが浮かぶ。上腕にはめていた<誓約の盾(プレッジ・シールド)>の魔石には細かい亀裂が入りつつあった。上級魔法のひとつやふたつなら耐えられるはずだったが、今船を襲っている魔法は明らかにその上を行く威力だ。少なくとも個人の成せる業ではなかった。どれほどの術者であろうと、人の水分が一瞬で蒸発してしまうほどの熱量を秘めた雷を、これほど広範囲に行き渡らせることなど不可能だ。それこそ、何百人という数の魔法使いを動員しなければ。

 そう、複数の魔法使いによる雷撃なのはまず疑いない。だとしても、ひとつだけ納得がいかないことがあった。これほどの魔法を形成するには相当な時間を要したはずなのだ。なのに何故、感知魔法の使い手から警戒を促す声が届かなかったのか。

 疑問が頭を掠める最中も、結界が少しずつ圧力に押し潰され、ひしゃげ、領域を狭めていく。生じたヒビから電気の尾がぴりぴりと肌を突き刺してくる。


「知らぬうちに勝つ機会を、逸していたか。無念……だ、もしあの時、やつが撤退を叫んで……くれてさえいれば……」


 先ほどのシュイの姿が脳裏に過る。後方からの挟撃に焦りを滲ませ、やむなく一斉突撃を命じた。兵士たちは指揮官の言葉に殉じた。シュイの言葉と連動して、兵士たちが覚悟を決めた表情で向かってくるのを見れば、突撃を疑った者はほとんどいなかっただろう。

 結果論ではあるが、敵方にとってはあの演技こそがこの戦いにおける最大の肝だった。仮にあの台詞が撤退を意味するものであれば、自分も兵たちを避難させることを考えたかも知れない。それを防ぐために、シュイは用意していた台詞を口にする一方で念話を使い、撤退のタイミングを兵士たちに指示したのだ。

 向かってくるジヴー兵たちの演技は、憎らしいほどに真に迫ったものだった。玉砕と錯覚してしまったのは、ジヴー兵たちが見せたただならぬ気迫に尽きる。実際、少しでも逃げ遅れれば彼らもこうしてミイラになっていたのだから、必死の形相になっていてもなんら不思議ではなかった。

 突き詰めれば、高い戦意を見せつけた上で投じられた照明魔石にもさまざまな思惑が込められていた。魔石で視界を遮ったのは、ジヴー側が途中で反転し、離脱していることを悟られぬようにするため。はたまた、セーニア側に光への対処という新たな課題を突きつけ、迎撃への対応に意識を集中させることにもなった。こちらが船の上から移動するのを封じる役目も果たしたのだ。

 視界を奪われている中で選べる選択肢は極々限られていた。あの場で逃げを打つような指揮官がいたとしたら、うつけ者呼ばわりされるはずだ。旗艦に座す自分たちが逃げれば軍全体の士気にも波及する。一度も負けを挟んでいなかっただけに、敵方は余程のことがない限りこちらが逃げを打たないだろうことを見越していた。事実として、ビシャは光の中での同士討ちを避けるべく、自分たちの方に向かってきているはずのジヴー兵を攻撃するよう指示した。足止めを誘導することが真の狙いだとは露知らずに。


 単なる目暗ましに対しては迎撃の指示は真っ当な策だった。だがそれが、あろうことか敵の撤退に気づくチャンスを逸してしまうことになった。ぎりぎりまで待機命令を指示し、遠ざかっていく足音に気づければ、危機が差し迫っていることにも気づくことが出来ただろう。が、視界を奪われることは人の本能そのものが拒絶する。加えて、戦闘で高まっていた緊張も拙速を促してしまった。

 そして、何より相手方が隠したかったのは、この雷が放たれた瞬間だったのではないか。ビシャは何重もの用意周到な策にきりきりと奥歯を噛み締めた。砂船を攻撃するには雷撃か炎撃が効果的であるが、夜であれば魔法の雷や炎を視認するのは容易い。その欠点を、ジヴー軍は大量の照明魔石を発動させたことで克服した。発生する稲光に気づかれぬよう、予め大量の光を被せたのだ。

 ジヴーの兵士たちは照明魔石を合図に船から飛び降り、襲ってくるだろう雷撃から逃れる手筈だった。そうと仮定すれば、彼らが今まで取っていた不可解な行動とも符合する。後方から奇襲を仕掛けた部隊を囮にして中枢にまで至り、今度は遊撃隊の身を囮にすることで、周囲に展開している砂船を少しでも誘き寄せようとしたのだ。万端整えたこの一撃によってセーニア軍の中枢を一網打尽にするべく。

 そして、味方の感知魔法が敵の魔力向上を察知できなかった理由。最後まで残った疑問は、永久に解決されぬままになりそうだった。


「ふん……。やはり俺が将軍など……柄ではなかったのだな……」


 自嘲の言葉を口にしながらも、口元は笑みを作っていた。自分が憧れ、憎んでいた男の背中が視界に過る。束の間、ビシャの目が大きく見開かれ、すぐに閉じられた。かつての上官、コンラッド・ディアーダ。自分が目標とし、越えようと強く望んだ唯一の騎士。

 眼球内の水分が泡立ち始め、視界が段々と濁ってくる。口から喉に至るまでカラカラになり、水蒸気が体の至る所から噴出している。結界を突き破った電気の尾は、体の各所に纏わりついている。熱病に侵されたかのように、体が熱を帯びていた。最早、声を出すことも叶わなかった。

 ビシャは心の中で言葉を紡ぐ。


 ――意識の中ですら……俺の前に居座るか。相変わらず気に食わぬ……いや、この世との別れを前にしては詮無きことか。……前々からひとつ訊ねたかったのだが……貴様は死する時に何を考えていた。懺悔か、安堵か、飽くなき願望か。


 教えてくれ。

 唇が声なき声を発した瞬間、圧縮されて丸められた紙くずのようになった結界が、陶磁器が割れたように弾け飛んだ。金属の継ぎ目に電気が走り、<誓約の盾(プレッジ・シールド)>がバラバラに分解される。ビシャの体が雷撃の端に触れ、風船が割れるような音と共に、ひきつけのような呼気が発された。

 それで終わりだった。

 白く塗り潰された精神世界を微かに認知したところで、ありとあらゆる感覚が手放された。



――――



「……ええい、もっと急がんかっ! 限界まで飛ばせぃッ!」


 軍の中央で明滅した光に不吉な予感を抱き、ネルガー・シラプスは急遽砂船を反転させ、本隊と合流を図っていた。遠くを見れば、周囲に点在していた砂船も、一斉に中央を目指しているのがわかる。本陣に一体何かが起こったのか。魔石さえあればすぐにでも連絡を取れたが、今はそれも使えない。逸る心を抑え、祈るような気持ちで本陣へと向かう。

 暗くてよくはわからないが、行き先で停止している砂船の一団からは灰色の煙が立ち上っているようにも見える。船体の横腹に度々静電気が発生し、ミミズのようにのたくっている様子も。

 黒く焦げているのはやはり魔法によるものだろうか。ネルガーはやたらと騒ぐ己の胸を揺さぶって落ち着かせる。ビシャとロッグのコンビが不覚を取るなど考え難かったが、あれほどの光量を伴う雷撃をまともに受ければ、砂船とて無事で済むはずがない。


 ほどなくして、ネルガーは砂船を船団から少し離れた場所で停止させた。敵の攻撃の正体が今だはっきりしていない以上、近づきすぎては自分たちの乗る船が雷撃を受けないとも限らないと考えたのだ。こうも慎重に行動しているということは、本陣が壊滅している可能性すらあると予見していることに他ならない。

 砂に降り立ったネルガーは近衛たちを伴い、徒歩で旗艦を目指した。



 不安と焦りが歩調を速めていたせいだろうか。現場には予想以上に早く到着した。ネルガーは焼かれた船団の前に並んでいるジヴー兵たちを見止め、剣に手をかけた。それから直ぐに、目をぱちぱちと瞬いた。

 砂塗れのジヴー兵たちと睨み合っているのは本陣以外から駆けつけたと思われるセーニア兵だった。一見して人数差は圧倒しているようだが、どういうわけか戦闘には発展していないようだ。


 ――何だ。何が起こっている。


 兵士たちの人垣を掻き分けるようにして、ネルガーが最前列へと進み出ると、護衛に囲まれたディビ・ミョールが、相手方を口汚く罵っていた。


「馬鹿も休み休み言え! 我々が貴様らのような蛮族共に屈することなど有り得ぬ!」


 ――イヴァン・カストラ! やはり、本陣へ来ていたのか。

 敵兵の最前列にイヴァン、傭兵と思しき褐色の男、シュイと思しき黒ずくめの男を見止め、ネルガーがディビ・ミョールの隣にずいと並ぶ。


「シ、シラプス、将軍……」

「ミョール殿、一体何がどうなっている。リーヴルモア卿は……」

「シュイ、少しは話の通じそうなやつがきたようだぞ」


 イヴァンの言葉に傲然と鼻を鳴らしたシュイは、まるで商品を値踏みするかのようにネルガーを見つめた。

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