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~躍動 throb with death6~

 ドーム状に膨れ上がった爆炎の中から炎に包まれた無数の岩が青空に高々と舞い上がった。ある程度の高さに達したところで拡散し、灰色の煙で曲線を引きながら地に落ちていく。幾重にも生じた煙の柱はまるで鳥籠のようだった。



 崖上からその惨状を見ていたナルゼリ兵たちが茫然自失と立ち尽くしている。その隣では、おのれの魔法が標的に着弾したことを確信したネデルが歪んだ笑みを浮かべていた。

「……くっ、くっくく……はっはっは! やった、やったぞ! 見たかおまえら! この手で、あのシュイ・エルクンドを!」

 狂気を帯びた勝鬨を上げるネデルを、傍にいた兵たちは怒りの籠もった目で睨み、唇を震わせた。 

「ネ、ネデル……殿。な、何てことをしてくれたのです! 我が軍の兵まで巻き込むとは!」

「やるならやるで、彼らに退避命令を出すべきではなかったのですか!」

 味方が傍にいるとわかっていたにも拘わらず、突如として広範囲魔法を放ったネデルに、場にいた兵たちから口々に罵声が飛んだ。

「馬鹿か、きさまらは。幾多の修羅場を潜り抜けている上級傭兵の勘を舐めるな。あの場で下がるように命じていれば確実に気付かれたはずだ」

 水を差すなと言いたげな態度に、年若い兵士が詰め寄った。

「味方を巻き添えにして手にする勝利など――ひっ!」



 先ほど火球を放ったネデルの手の平が苦言を呈そうとした兵に向けられた。燃え盛る松明を顔に突き付けたかのような迫力に、周りの兵たちも言葉を失う。

「シュイ・エルクンドが健在であればルクスプテロンからバータンに援軍が送られてくるまで粘られてしまう可能性は大。少ない犠牲と引き換えに難敵を始末できたのだ。結果はこれが最良だろう。これ以上ごちゃごちゃ抜かすと、きさまらもやつと同じ運命を辿ることになるぞ?」

 ネデルの脅し文句に兵たちが呻いた。それに構わずネデルは再び崖下を見、小さく舌打ちをする。

「……どうやら小娘の方には避けられたようだな。まぁいい、そいつの始末は好きにしろ。殺すなり捕らえて嬲り者にするなり、な。俺はリガス将軍に報告に行く」

 颯爽と踵を返したネデルに、ナルゼリ兵たちは悔しげに拳を握りしめていたが、諦めたように力を抜き、崖の下に視線を移した。



 もうもうと立ち込めていた噴煙の一部が風に払われた。小さなざわめきが驚嘆に変化し、それに気付いたネデルが足を止めた。

「……ば、馬鹿な。……人間じゃない」

 続いてか細い呟きが耳に入り、ネデルが眼下に視線を送ったまま動かなくなってしまった兵を肩越しに見た。

 ――――まさか。

「……ど、どけっ!」

 脳裏を過ぎった不吉な予感に、早足で戻ってきたネデルが兵たちを両腕で押しのけるようにして崖の下を見、戦慄した。





 風に流されている噴煙の隙間から、靡く黒衣が覗いていた。シュイが先ほどと同じ場所に立っていた。巨大火球を受け止めたであろう掲げていた手を、蝿でも追い払うかのように、左右にぷらぷらと振るっている。その仕草からすると魔法を避けたというわけではなさそうだ。

 一方で、シュイの立っている辺りに生えていた雑草は広範囲に亘る熱風によって一つも残らず燃え尽き、白煙が幾重にも立ち上っている。彼の立つ僅かな足場を除いて、地肌の表面が焼け焦げ、ドーナツ状に浅く抉れていた。

 哀れにも、シュイの近くにいたナルゼリ兵たちは、着弾点を軸として輪を描いたように吹き飛ばされていた。着ている鎧兜の金属部分が融解し、橙色の液体となって地面に流れ出ている。その部分には真っ赤に焼け爛れた、或いは真っ黒に炭化した皮膚が剥き出しになっていた。形が残っているならまだましな方で、中心近くにいた者たちは跡形もなく燃え尽きていた。



「先輩! ……よ、よかったぁ」

 退避していたアマリスが安堵の息を吐き出し、シュイに向かって軽快に走り出した。駆け寄ってくる彼女を尻目にシュイは掲げていた手を降ろし、死屍累々となった地面を眺めてこれ見よがしに首を振る。

「味方を巻き込んだ一撃がこの体たらく、か。死んでいった者が不憫に過ぎるな」

 普通に動いているシュイを視野に収め、ネデルが思わず額に手をやった。

「あれを食らって無傷、だと。……馬鹿な……有り得ぬ!」

 完全に意表を突いた、しかも上位魔法による渾身の一撃。実際、シュイが空を見上げてから炎が着弾するまで時間はないに等しかった。にもかかわらず、息絶えているのはナルゼリ兵だけであり、肝心のシュイは何事もなかったかのように平然としている。



 シュイは崖の上でうろたえているネデルに流し目を送った。

「いや、もしかして兵に(たか)られた俺を助けようとしてくれたのか。そうか、わかったぞ。――その格好といい、さてはおまえ、俺の隠れファンだな? あろうことか裏ギルドの者まで心酔させてしまっていたとは、我ながら罪作りなことだ」

 ネデルが口の中に羽虫が飛び込んできたような顔をした。その手は憤怒から小刻みに震えていたが、感情に任せるがままに仕掛けることはしなかった。渾身の魔法を片手で凌がれたショックはそう簡単に拭い切れるものではないようだった。

 その一方で、字面をそのまま受け取ったアマリスは曖昧に笑いながら、それは流石にないんじゃないかなー、と否定的な見解を示している。



 巻き添えを免れた兵たちもシュイに剣や槍を向けているものの、その切先は細かく震えていてきちんと定まっていない。なにより先ほどのように巻き込まれては堪らないと思っているのだろう、かなり及び腰になっている。その様子を見て、シュイは白々しく笑声を上げた。

「どうしたおまえたち。掛かってこないのか? 俺の動きを少しでも止めることができれば、また見事な大道芸を見せてもらえるかも知れないぞ?」

 ネデルはその言葉にポカンとし、シュイの言わんとしていることを理解した途端に怒声を張り上げた。

「……き、きさまっ! 我が魔法を何たる言い草! その軽口、断じて許さぬぞ!」

「謙遜することはないだろう。俺を一切傷付けることなく、周りの兵たちだけを狙い澄まして殺すなんて真似、相当な実力が備わっていなければできるものじゃあない。胸を張っていいぞ」

 嘲りの含みがある褒め言葉に、ついにネデルが片手を掲げかけた。だが、腕が伸び切るのに先んじてシュイが火球を防いだその手をネデルに向けた。隙のないその動きにネデルの身体が硬直した。



 シュイが広げた手の平を少しずつ横に動かし、指の隙間から視線を通す。

 フードの影から覗く眼差しが自分に向けられているのを見て、ネデルが体を強張らせた。シュイの目から、炎を受け止めた手から視線を外すことができず、先ほどの光景が嫌が応にも思い出された。

 万が一、再び投じた一撃で同じことをされたらどうなるだろうか。自分の傭兵としての力量に対し、周りから信用を無くすのは避けられないだろう。ましてや、先ほどの一撃は不意打ちと言ってよいものだったが今は正面から向かい合っているのだ。防がれる可能性が高くこそなれ、低くなるとは考えられない。長年修練に修練を重ねてきた自慢の魔法が、衆目の前であっさりと防がれてしまう。それは途轍もない恐怖だった。

 アマリスはシュイが別段怪我をしていなさそうなことに安堵し、続いては戦場の空気が一変していることを悟った。最早周りの兵たちに攻撃を仕掛けてこようという気概は感じられなかった。味方の命を一瞬にして消し飛ばした強力な魔法が、目の前の男には全く通用しなかったという事実は、戦意を失わせるのに足る悪夢に違いなかった。



 間が空いて、不気味に静まり返った戦場に、先陣から戻ってきたと思われる馬蹄の音が段々と近づいてきた。傷だらけの伝令兵がシュイとアマリスに気付き、辺りの空気を読んだのか、接近し過ぎぬよう遠巻くように通り過ぎていく。

 ややあって、伝令兵はネデルの隣にいた士官と思しき男に崖の下から歩み寄り、戦況報告を始めた。声が小さかったのと離れていたのとであまり聴き取れなかったが、微動だにしなくなった士官とネデルを見て話の内容はそれとなく理解できた。

 ――幕引きだな。

 デニスたちが上手くやったことを確信したシュイは掲げていた手を再び降ろし、つまらない芝居を見せられたかのように首をゆっくりと振り、更には鼻息混じりにネデルから視線を逸らした。ネデルの唇が堪え難い屈辱に震えた。アマリスは、これ以上はないというくらいに悔しそうなネデルの顔を見て、熱くさせるのが本当に上手いなぁ、と独りごちる。



「今回は挨拶に留めるつもりだったが予想以上の歓迎振り、真に嬉しく思う。再び相見える際には――」

 決して期待を裏切らぬことを約束しよう。シュイは顎を下げ、その声を意図的に低くした。研ぎ澄まされた殺気が、仄かな怒りが、声に乗せられてナルゼリ兵たちの耳を撫でていった。

 シュイは蒼白な顔をしたネデルに背を向け、エメイル川の方へ、そちらへの道を塞いでいたナルゼリ兵たちの方へと一歩を踏み出す。シュイが静々と兵たちに近づいていくのに従って、ナルゼリ兵たちが磁石に反発した砂鉄の如く退いていった。

「アマリス! ぼさっとしてないでいくぞ」

 強く促されて我に返ったアマリスが、慌ててシュイの背後に付き従った。



 悠々と歩を進める二人を見て、ナルゼリ兵が互いの顔を付き合わせている。

「お、おい、このまま見逃していいのか。おまえいってこいよ。前に死神なんぞぶっ倒してやるって息巻いていたじゃないか」

「ば、馬鹿いえ。あそこまでの化け物だなんて聞いてないぜ。大体よ、あのバカでかい火の玉と何の変哲もない鉄の剣、一体どっちが強いと思ってんの?」

 そんな囁き声が交わされる中、シュイとアマリスはあたかも大勝利を収めて自領に凱旋した将軍の如く、敵兵で作られた花道を進んでいく。その背を見送った者たちの心に、底知れぬ恐怖を刻みながら。





 背後のナルゼリ兵の姿が豆粒ほどになったところで、アマリスはずっと呼吸を我慢していたかのように息を吐き出した。どうやら人の焼けた臭いを嗅ぐのが我慢ならなかったようだ。

「し、しんど。うぅ、しばらくお肉食べれないかも」

「そうか、なら夕食は川魚を頼むかな」

 気遣うでもなく、サラリと流されたことにアマリスが不満げに口を尖らす。

「……せんぱーい、何で敵陣のど真ん中であんなに堂々としていられるの? 神経が太いにも程があると思うんだけど」

「連中の心理を察せば仕掛けてくるか否か容易に想像が付く。誰だって無駄死には避けたいものだ。ごく稀に空気の読めぬ馬鹿が混じっていることは否定しないがな」

 再び取り囲んだところで、先ほどの兵たちと同じようにネデルの火球に焼き尽くされては堪ったものではないだろう。火球を軽くいなした時点であの場での決着はついていたと言える。



「ふーん、そんなものなのかな。あっ、そうだ。忘れる前に聞いておきたかったんだけど、さっきの鎖みたいなのって?」

 アマリスのこの言葉にはシュイも驚きを隠さなかった。

「よくもあの混乱の中で、大した観察眼だな。ま、見られていたのなら隠す意味もないか。<魔を打ち払いし縛鎖ディスペル・リロード>だ」

 アマリスが両の手を合わせつつ顔を綻ばせた。

「うわー、やっぱそうだったんだ! 上級付与の即時詠唱なんて初めて見た! 一瞬のことだったし、相手には自分の火球が邪魔して何も見えなかっただろうね」

 褒められたことに喜びを隠さぬアマリスに、シュイはフード越しに頭を掻いた。

「他言は無用だぞ。使えることが知られるだけでも色々と不都合が生じるからな」



 以前、フォルストロームの王都に滞在していた折、王立図書館の閲覧制限区域で覚えた術式の一つ、<ディスペル・リロード>。術者の魔力を中和物質にして解放(リリース)、相手が創造(クリエイト)した魔力に強制的に結合ユニットさせ、削除(デリート)してしまう効果を持つ上級付与魔法だ。実際には魔力を完全に消失させるわけではなく、元の無害な微粒子に分解する。シュイは詠唱破棄して作り上げた魔力の鎖を鎌に巻き付け、炎を薙ぎ払った後で鎌を下ろし、手を掲げていた。

「切り札は使わないからこそ有効、だよね。わかってるよ。でも、なんで鎌で受け止めたものをわざわざ手で受け止めたように見せたの? 格好付けてみたかったとか?」

 悪戯っぽく笑うアマリスに、シュイは下唇を突き出して見せた。

「格好……って、そんなわけないだろう。まぁ、敢えて説明するようなことでもないんだが。あんなものはその場の流れからの閃き、敵の動揺を大きくするためにやったパフォーマンスに過ぎない。鎌を掲げていれば付与魔法で防いだと思われるのは予想が付くからな。それよりは、いとも簡単に防がれたと思わせたかった。あれだけ大量の煙が発生していたから難しくはないだろうと考えたんだ」



 シュイは、自分がナルゼリ兵に囲まれている状態にも拘わらず何者かが魔力を練っているのに気付き、或いは近くにいるナルゼリ兵に構わず放つことをも考慮していた。ナルゼリ兵たちを相手にしながら祈歌を紡ぎ、次に発動する魔法の高速詠唱化を可能にし、いつかくるであろう不意打ちに備えていた。

 ネデルには魔力を練り上げる時間が十二分にあったため、完全に相殺しきれたわけではなかったのだが、長きに亘る戦いを経て習得した自律型魔法障壁、かつ黒衣の魔法軽減効果も相俟って手の一部に軽い火傷を負う程度で済んでいた。

 後は全く効いていないフリをすることによってネデルの、それ以上に周りにいたナルゼリ兵たちの動揺を誘った。味方の兵を犠牲にして魔法を放ったにも拘わらず、こちらに全く傷を負わせられなかったと知れれば、ネデルに対するナルゼリ兵たちの不信感は多分に増すだろうと考えてのことだ。これが、軽くなりとも手傷を負わされたと知れれば印象も大分異なったはずだ。



 シュイはネデルの魔法を間近に見て、その実力が決して侮れないものだと判断した。あれほどの破壊力を秘めた魔法の使い手が大勢の兵に守られながら戦列に加わる意味は大きい。完全な連携を取られれば後々の戦いで被害が拡大するのは避けられないと踏み、ここは多少演技をしてでもネデルに対してナルゼリ兵の心証を悪くし、あわよくば連携を取り辛くしてしまおう、と企んだ。

 後ろからいつ自分に死をもたらす攻撃魔法が飛んでくるかわからない。そうと知れれば今後前線に出るナルゼリ兵が戦闘に集中できなくなるのは道理。そこまで直接的な効果が出なくとも、ネデルがシュイ・エルクンドに対して無力である、という意識は芽生えたに違いなかった。



「時間に猶予がなかったせいで略式で使わざるを得なかったがな。おかげで余分に魔力を使わされてへとへとだ。報酬を値切られてるっていうのに真面目に働き過ぎた」

「うーん。その言葉をどこまで信じていいものやら」

 鎌を携えて戦場を悠々と闊歩するシュイからは、それほどの疲れは感じ取れなかった。アマリスはシュイがあれだけの戦いを繰り広げながら未だ余力を残していることに半ば呆れていた。

「……ボク、足手纏いじゃなかった?」

 心配そうに見上げてくるアマリスに、シュイは小さく笑う。

「いや、手伝ってもらって正解だった。おまえの援護がなければ少なからず犠牲者が出ていたはずだ。お世辞抜きに感謝しているよ」

「……てへへ、面と向かっていわれると面映ゆいのですがー」

 アマリスははにかみながらもどこか得意気に鼻梁を擦った。シュイはアマリスの小さな肩を、お疲れさんとばかりに優しく叩いた。



 この後、ナルゼリ軍の本隊はイルクオール大橋から敗走してきた先遣隊と合流し、再びエメイル川の東岸近くまで兵を進めた。その後はバータン軍と睨み合いを続けていたが、橋を渡ろうとする動きは終ぞ見られなかった。その六日後、ルクスプテロンの援軍五千が南下してきたことを受け、ナルゼリ軍は自領への撤退を余儀なくされる。

 国家存亡の危機を乗り切ったバータンは二週間後、正式にルクスプテロン連邦の加盟国となる。シュイの名がエレグス領ポリー支部の長として候補に挙げられる一月ほど前の出来事であった。

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