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~紲雷 thunder of bonds21~

 北の方で白い雷が天と地を結んだのを横目に、アミナは気を失ってしまったセーニア兵の胸倉を突き放した。巌のような男が階段を勢いよく転がり落ちていき、下段にいた数人の兵士たちをさながら落石のように巻き込んでいく。次々と壁に体を打ちつけて折り重なり、痛みにうめき声を上げる兵士たちに指揮官と思しき男がわなわなと拳を震わせた。


「このバカ者共が、もう少し気張らんかぁ! 相手が女だからといって気を緩めるな! 騎士長クラスと思ってかかれぃ!」


 そう叱咤した白髪混じりの指揮官が、アミナの次なる獲物となった。真横から飛来してきた二本の矢を受け止めざまにへし折ると、八段もの階段を一足飛びで降り立った。紐で結わえられた髪が風圧でふわりと浮き上がる。着地の瞬間を狙って剣が薙ぎ払われたが空振りに終わる。すんでのところで両足を振り上げて避けていたためだ。

 脇から違う兵士たちが斬りかかろうとした途端、二つの紅い(まなこ)が宵闇に鋭角の軌跡を引いた。兵士たちが一つ目の線を目で追った時には、彼女の姿は既に敵の背後にあった。両手からそれぞれ違う方角へ、衝撃波を時間差で打ち出す独特の高速移動術だ。

 気配に気づき、後ろを振り返りかけた兵たちの顎を目がけ、アミナが固めていた掌底を真上に打ち抜いた。


「ぐふっ!」

「このっ……おごっ!」


 冗談だろう。立て続けに響いたくぐもった悲鳴に、誰かが唖然と呟いた。実際、彼らにとっては悪夢のような光景に違いなかった。何年もの間厳しい鍛錬を続けてきた男たちが、町で編み物でもしている方が似合いそうな少女に子供扱いされている。それこそパーティのシャンパンコルクのようにポンポンと宙へ打ち上げられ、甲板に打ちつけられていくのだ。

 力なく転がっている兵士たちの顔も無残なものだった。打撃や墜落によって顎や鼻を砕かれ、開いた口を見れば前歯が所々欠けている。意識が辛うじて残っていた兵士たちの目には強い毒性を持つ生き物に噛まれたかのような怯えが浮かんでいた。

 防ぐ暇すら与えぬ速度と大の大人を屋根よりも高く浮かせる怪力。撃退しようにも剣を構えた時には視界から姿を消している。夜の闇の中では野犬さえ手強い敵となるが、この少女を相手にするのは百の狼を相手にするより厄介かも知れなかった。ほんの数分前、兵士たちの心に芽生えていた劣情は、とっくに失われていた。



 アミナは誰の意識に悟られることもなく、いつの間にか砂船の甲板に立っていた。今にして思えば、名も知らぬこの少女が走行中の船、地上から10メード近くもある船の上にいたという事実に、もっと疑いを持ってかかるべきだった。

 思考が警戒に舵を切れなかった最たる原因は、彼女の容姿が類稀なる美を備えていたことに尽きるだろう。厚めの布地をぐっと押し出す張りのある乳房が歩く度に揺れる。引き締まった腰と臀部の滑らかな線。気高さと魔性を併せ持った紅の瞳が兵士たちを睨みつけていた。

 そんな少女に彼らが取った行動は、騎士というよりも山賊のそれに近かった。万が一にも逃げられぬよう隙間なく周りを取り囲み――とは言ってもアミナにとっては紙でできた囲いに過ぎなかったが――薄ら笑いを浮かべながら輪を少しずつ狭めていった。勝ち戦は揺るがない。そんな心の緩みがあったせいで低迷していた警戒心を、欲情が上回っていたのだ。

 軍法に則れば、戦闘の最中にそのような行為に耽ったことが知れれば重い処罰が下される。長きに亘る禁欲生活で欲望を抑えきれなかったと言えばそれまでだが、正常な判断力をなくしていたことを鑑みるに、あるいは最初からアミナの持つ雰囲気に呑まれていたのかも知れなかった。


 当然ながら、単身乗り込んできた少女兵を慰み物にせんとする彼らのよこしまな願望は、短時間にして木端微塵に打ち砕かれた。

 真っ先にアミナの両肩に手を置き、服を引き裂こうとした中年の兵士は、手首を掴まれた一秒後には両腕を二回転分ほど捻られていた。ツイストドーナツのように捩られ、内出血でじわりと黒ずんでいく腕を見せられれば、誰だって固まってしまうだろう。

 思考停止に陥った兵士たちを尻目に、アミナは嫌悪感を隠さぬまま、迅速且つ効率的に動いた。一瞬にして人垣の外側に跳躍し、身を低くして的を小さくすると、辰力で鋭利な刃物と化した両腕を振るい、兵士たちの足の腱を続けざまに切り裂いた。脹脛ふくらはぎを切り裂かれた兵士たちの膝が揺れ、尻がどすんと地面に付いた。

 時間にして数十秒で兵士たちの約三割が戦闘不能というのっぴきならぬ事態に陥り、船の中は恐慌状態になった。床に転がった味方が邪魔になり、陣形を組むこともままならない兵士たちは、倒れた兵士たちを足蹴にするのを躊躇わぬアミナにことごとく薙ぎ倒されていった。体格と重力を無視した武力の凄まじさは、本陣に加われなかった兵士たちに到底太刀打ちできるものではなかった。


「だ、駄目だ、我々だけでは手に負えんぞ! 早く救援を要請しろ!」

「馬鹿を言うな! 女一人にやられましたなどと言えば後でどのようなお咎めを受けるか!」


 ――ふむ、割に脆いものだな。しがらみや体面に囚われて最善の行動に移れぬとは。

 命より体裁を気にしている若い騎士たちの罵り合いに、アミナは付け髪を掻き上げながら顎をしゃくった。あれほどの大暴れをしたにも拘わらず、済ました顔からは疲労など窺い知れない。焦れて汗だくになっているセーニア兵たちとは対照的だ。


「き、貴様、ジヴーの手の者か! 一体何者だ!」

「私か、私は……そうだな、何者なのだろう」

「なに……?」


 怪訝そうに眉をひそめる兵士を意に介した様子もなく、アミナは頬を照らした遠くの魔法光に目を細めた。

 単純なようで存外深い質問だった。その問いに対する答え方は幾通りも考えられるし、明確な解答がないようにも思える。今ここにいる自分は一国の王女でも、ランカーでもない。普段背負っている肩書きを除いた少女に、一体何が残るのか。自分は果たしてどのような人間なのか。それは生きとし生ける者が背負っていき、探求し続けるテーマだ。

 ほどなくして、アミナの頬がふっと緩んだ。


「そなたらの敵、うむ、それで十分だな。どうしたところで私はセーニアの側にはつけぬのだし。この国の者やあやつを苛む元凶たるそなたたちを、快く思えるはずもないからな」

「あやつ、だと? 一体何を……誰のことを言っている!」

 アミナが視線を兵士たちに戻し、自分の胸の中央に両手を重ねる。

「いつも悩んでばかりで、一人では持ち得ぬ責をそうとわかって背負おうとするしょうのない大バカ者だ。そのくせ人一倍傷つきやすいし、少し目を放せば無茶ばかりしているしで、まったく手を焼かされる」


 アミナは呆れたように手の平を裏返して見せた。だが、その表情には不快さは微塵も感じられなかった。それだけ深くシュイのことを知っていることに、彼の素顔を知る数少ない人物であることに、独占欲にも似た想いを抱いている節さえあった。

 ただ傍にいることだけでも、陽だまりのような温かさを感じる。触れ合うだけで、ともすれば持て余してしまいそうなほどの高揚感が引き出されていく。お互いに命の恩人という妙な関係は、恋情を芽生えさせるのにさほどの時間を必要としなかった。ことに絶望的な状況から救い出してくれたシュイへの思慕は、アミナの中で日増しに大きくなっていった。不覚らしい不覚を取った試しがなかったがために、狩りの獲物のようにいたぶられた経験はアミナの心に耐え難い恐怖を招き入れ、自身が女性であることを強く意識させた。更にはシュイに守られたことで思いが反転し、抱いた情に拍車がかかったのだ。


「ま、女と見ただけで襲ってくるそなたらのようなけだものでないのは確かだな。何せあやつはこの私が身に触れることを許すと決めた唯一人の男だ。もしこの戦いに敗れてしまったら、あやつは今度こそ取り返しのつかぬ傷を心に負うだろう。そのようなことになっては困るのだ」

「た、単なる男女間の劣情で我々の仲間を殺めたというのか!」

 劣情という生々しい言葉に、アミナの頬と耳がほんのりと赤くなった。次には生じた雑念を捨て去り、ゆっくりと腰を落として拳を構えた。

「家族や友人や、お、想い人を救いたいという思いは、戦において唯一正統な大義名分だと思うがな。それともなんだ? そなたらは自分の家族が傷つけられるか殺されでもしない限り過誤に気づくことも出来ぬ低能だ、とそう申すのか?」

「無用な心配だ、神の加護を賜るセーニアが他国に攻め入られることなど、絶対にない!」

 そう言い捨てて剣を突き出した男に、アミナが無造作に手の平をかざした。空間に波紋が生じ、兵士の剣が領域に侵入した途端、刀身が粉々に砕け散った。金属片が床に散る音を聞きながら尻餅をついた兵士は、柄だけになった剣を手放すことも忘れ、驚愕に喉を震わせて後ずさった。


「そなたらは知らぬ、あやつが敵たるそなたらを殺めることにも躊躇いを生じさせていたことを。わかるまい、心の底から戦いを拒んでいたジヴーの者たちが、どれほどの覚悟をもってこの戦いに加わったのかを。自らの行いになんら疑いを持たず、操り人形になることを喜び享受するそなたらとは雲泥の差だ」

「……貴様ぁ! 祖国のため、ひいては民の幸せのために日夜戦う我々を、操り人形だと!」

 アミナが前に踏み出しかけた男をキッと睨みつける。男の足がその場で止まった。

「今の言動だけでも程度が知れるというものだ。とことん、自分たちの都合や権益のことしか考えていない。剣の切先を向けた人間の視界に、己の顔がどれほど醜く映っているかを知ろうともしない。

 そなたらが、そなたらの家族が日々を過ごしているように、ジヴーの者たちも変わらぬ日々を過ごしていたのだ。家族のために汗水流して働き、学び舎に通って勉学に励み、恋人と愛を育み、子を慈しむ。たまには奮発して身を着飾り、いつもより美味い物を食い、他愛もない話をして幸せそうに笑う

 ……そんな平凡にして何物にも代えがたい日常を、そなたらはことごとく踏み躙ったのだ。その非道を民の幸せのためだと申すのか」

「く、国を豊かにし、よりよき世界に作り替えるためには犠牲はつきものだ! 教国の教えが世界に広まればより幸福な社会を――」

「――ふっ、滑稽だな。現れた女を即刻手籠めにしようとした者たちが、あろうことかそのような大言壮語をほざくとは。人としての倫理すら順守できぬ者が何を説くと? 教えてくれ」

「ぬ……ぐっ……」

「よしんばそのような理想があったとして、統一国家が腐敗することは何百年も前に証明されている。その教訓に目を瞑り、権力に胡坐をかいた者らが肥え太る社会を幸福とうそぶくか」


 舌鋒鋭く切り込むアミナに、セーニア兵たちが揃って怯む。

「ザ、ザーケイン帝国のことを言っているのか。あれは魔族の連中が――」

「ほれみろ、種族が違うというだけで色眼鏡をかけ、一緒くたに軽蔑する。そなたのような者がいる限り、どれほどに御大層な教示も妄言の域を出ることはない。何故それがわからぬ」

「な、なん、だと!」


 兵士たちの声が次第に怒りを帯び始める。アミナは突き刺さるような敵意を意に介した様子もなく肩をすくめる。

「果ては、耳に心地よい言葉のみを勝手に選り選ってわかった気になってくれる。上の者たちもさぞ酌み易いと思っていような」

「てめえ、黙っていればいい気になりやがって!」

「いいだろう! 女に生まれてきたことを後悔――」

「――お喋りが過ぎたか。私も思いの外、鬱屈が溜まっていたようだ」


 アミナが一方的に会話を打ち切った。大きく翼を広げるように両の腕をしならせ、頭上で交差させてから目を伏せる。


<――鬼魂(きこん)を奉ず神々の器よ 空より高き理想の寄り辺となれ 其の息吹に乗せし物を彼方へと運べ>


「ぐっ、全員でかかれぃ!」


 指揮官の声が響き渡り、それに幾つもの雄叫びが続いた。詠唱を終わらせまいと矢と攻撃魔法がアミナに向けて放たれ、それに引っ張られるように兵士たちが駆け出した。

 アミナは踊りを思わせる軽やかなステップで体を左右に揺らし、飛来してくる電撃と矢の雨をやり過ごすと交差させていた腕を腰の下にまで下ろす。


<我 生と死の狭間にて 絢爛なる舞楽ぶらくを体現す>


 <舞踏祕華(バロニカ)>。韻が結ばれると同時に、アミナのほっそりとした足首に変化が生じた。青い炎にも似た魔力が迸り、吹く風にゆらゆらとたゆたい始める。弱々しかった炎は次第に大きさを増していき、白く輝く小さな翼を形作っていった。

 目にしたことのない異様に、突撃を敢行していた兵士たちが踏み止まった。胸の鼓動が一段と大きくなり、間近に突きつけられた威容にざわめいていた。美しい少女が背負っているのは、淡青(パステルブルー)の燐光で象られた巨大な化け猫。絶対的な力量の差を察して心の底から湧き出る死の予感に、兵士たちの口から茫然とした声が漏れる。


「……あ……あぁ」

「斃れゆくそなたらへのせめてもの慰めだ、全身全霊を込めた舞いを目に焼き付けて、逝くがいい」


 その儚げな言葉は、兵士たちの耳道にはいささか皮肉めいたものに聞こえたかも知れない。アミナの姿が残像を残して消失し、以降彼らは意識を断ち切られるまで、一瞬たりとも彼女の姿を見止めることができなかった。

 忽然と姿を消した敵に立ちつくした兵士たちが、ほとんど同時に、しかしそれぞれ違う方向に弾き飛ばされた。血飛沫が闇を汚し、彼らの背が地面につく前に、後方では数人の兵士たちの体が毬のように弾んでいる。箱庭にいる人形たちが、無邪気な子供の手で払い除けられていくかのように蹴散らされる。

 何が起きていたかを真に理解できていた兵士たちは、ことのほか少なかっただろう。地を蹴る音と風を切る音を頼りに後ろを振り返った瞬間、あらゆる角度から鈍器で殴られたような衝撃が襲ってきた。

 辰術の中でも最も扱いが難しいとされ、多種多様な魔法や辰術を差し置いて最速の名を冠した奥義は、感知魔法にすら反応を示さず、魔法の詠唱を結ぶ暇すら与えない。見えぬ敵に剣をがむしゃらに振り回す者も、恐れをなし、背を向けて駆け出そうとした者も、戦意を失い、武器を取り落とした者も、分け隔てなくその場に崩れ落ちていく。船の上は連なる足音と兵士たちの悲鳴で満たされていった。



「……はっ、……はっ……はぁっ!」

 ほどなくして、熱を帯びた吐息の音が聞こえ始めた。戦いの場は船室内に移行していた。闇の中から姿を現したアミナの体には、無数の浅い裂傷が刻まれ、服がぼろぼろに裂けていた。敵から受けた攻撃によるものではない。神がかり的な速度で戦ったことにより風圧で裂かれたのだ。

 穿いていた白いタイツは無残に伝線し、露になった太ももには薄らと紅い線が引かれている。髪の先からは汗がぽつぽつと滴り落ち、小さな水たまりをつくっていた。


「……はぁ、これは、思った以上に……はぁ、きつい、な。……はぁ、知らずと焦り過ぎて、いたようだ」

 体全体を蝕む痛みに顔をしかめながら、アミナが両膝に手をついた。その体勢のまま、倒れ伏した兵士たちを見回した。船室内はしんと静まり返っており、吐息の音すら聞き取れなかった。嵌め殺しの窓ガラスは全て割られ、もぎ取られた操舵輪と一緒に散らばっている。


「……ふぅ。……早く皆の下に、戻らねばな」

 ようやく息が整ってくると、アミナは筋肉痛にもつれる足を何とか前に踏み出し、操舵室を後にした。己に課せられた最後の仕事を、終わらせるために。

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