表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/93

~紲雷 thunder of bonds19~

 遠目にも押され始めてきたジヴー軍を見据え、アミナが悔しげに歯を噛み合わせる。戦線が後退を余儀なくされているということは、決して少なくない死傷者が出ていることを意味している。もし自分があの場にいれば、被害を極力抑えられるよう援護することもできたはずだった。

 それでも自分に与えられた役割がある以上、この場を放り出して離れるような真似はできない。周りにいる兵士たちとて同じ気持ちなのだろう。時折生じる照明魔石の光と魔法による炎がちらつく度に、心臓の鼓動がやたらと大きく聞こえてきた。

 普段は認識し得ぬこの音が聞こえてくる時、音を発する者たちの顔は激情に満ちていることが多い。たとえ顔には現れずとも、様々な激情を飲み干しているのが、重く早い鼓動から伝わってくる。勝利が結ばれた細い糸を、切れぬよう慎重に繰り寄せるために、私情を殺して任務に従事しているのだ。



「どうしても前線に出るなと? 私が力不足だと、そう言いたいのか」

 先立って、アミナはシュイに船室で諭されたことを思い出していた。

「あの、誤解しないでいただきたいんですが、あなたの力がどれほど助けになるかは誰より俺がわかっています。一番近くで見てきたんですから」

 シュイの言葉に、ベージュの髪からひょこっと出た三角耳が嬉しそうに揺れる。

「そ、そうか。そんなに見てくれていたのだな」

 若干の齟齬(そご)が生じていることに気づいた様子もなく、シュイはもじもじと体を揺するアミナに二の句を継ぐ。

「ただ、この役目に関してはあなた以上の適任者がいないのも確かです。魔法の威力を一時的に底上げするには強制力のある言葉が効果的なんですよ」

 強制力というと、なんとなく自分が高慢なように思えてしまうのだが考え過ぎだろうか。アミナは不満げにすんと鼻を鳴らした。


 魔法を使う際には並々ならぬ集中力を要する。身に内在する力を方向づけるのは大きな目的であったり言葉だったりする。高い意識で目標に臨めば生半可なことでは挫けぬ心が培われるし、言葉の一つひとつを省みても、人に貶されて落ち込むように、人に褒められて元気が出るように、何かしらの力が込められている。

 言葉を意に沿うよう扱い切れる者はそういるわけではない。語り手と受け手の感情や体調、背景や環境次第では、必ずしも巧妙な語り口が信頼を生むとは限らない。たどたどしくも相手に好意を伝えようとする言葉が、流暢な告白にも勝る力があるように。

 シュイの目から見ても――そこには多少の身贔屓(みびいき)も含まれていたかも知れないが――アミナほど言葉で人を勇気づけることに長けている人物はいなかった。先日の演説にしても、もし正体を明かしても構わない状況であればアミナにご登場願っただろう。深い思慮とブレぬ心が紡ぎ出す言葉は、半端な弁舌家や批評家など歯牙にもかけぬほど、心に強く響く。

 それは何も自分に対してだけでの話ではない。実際、ポリー支部では第一にアミナ、第二にシュイという序列によって支部員たちが行動しているという有様だ。アドバイザーなどという肩書はとうに消え失せていると言っていい。

 そんな経験則もあり、アミナには魔道部隊を率いてもらうようヴィレンに手筈を整えさせていた。もちろん、彼女を危険からなるだけ遠ざけたいという思惑もないではなかったが。


「何も私でなくとも、シハラ殿がいるだろう。彼なら魔法も扱えるし私より適任ではないのか」

 食い下がるアミナに、シュイは頭を掻きながら応じる。

「そう仰ると思って一応お伺いを立てましたが、あっさりと拒否されました。より危険な任務を若い女子にやらせるわけにはいかないからと」

「それはっ、……私の本当の力を知らないから」

 拗ねたように頬を膨らませるアミナに、シュイは苦笑を返した。

「その可能性については否定できませんが、仮に知っていたとしてもシハラさんは絶対に突っ撥ねたと思いますよ。先のアルマンドの例もありますし、敵の数が多ければ不覚を取らないとも限らないでしょう。シハラさんは低姿勢に見えますが、行動の端々からは激情が感じられます。娘婿を殺されたことで戦場に赴くような人物ですしね。一度決めたことを覆すような自尊心はもっていないはずです」


 よく分析している、とアミナは――表向きは不満を露わにしながらも――内心でシュイを褒めた。次いで、素直になれぬ自分に苛立ち、床を踏みつける。シュイも心得たもので、顔色を一切変えずに話を進めていく。

「いいですか、運よく深手を負わなかったとしても、混戦に身を投じてしまえば何かの拍子で正体がバレないとも限りません。ジヴーのためだけではなく、フォルストロームのためにも、前線にいくのだけは差し控えていただきます」

 アミナはシュイに因縁をつけるような目を向けた。フォルストロームという言葉を使えば絶対に自分が応じるとわかっていて、その上で口にしたのだ。

「しかし、わざわざここまできたのに……」


 シュイは一息継ぎ、項垂れているアミナの耳元にそっと口を近づけた。吐息がかかってくすぐったそうだったが、次の言葉がアミナの感覚を聴覚のみに集約した。

「その気持ちだけで十分です。俺にとってはジヴーの命運と同じくらい、あなたのことが大切なんです」


 ――大切なんです。大切なんです。大切なんです。



「はわっ!」

 顔全体を紅潮させていたアミナはぷんぶんと、髪が踊るほどに首を揺り動かしてエンドレスエコーを断ち切った。

 ――は、は、恥を知らぬか! このような不埒(ふらち)な空想に耽るなどっ!

 たるみ過ぎだ。自分に侮蔑の言葉を叩きつけ、次いで頬に手を当てながら熱い吐息を吐き出す。気を引き締め直さねば、と自らを戒めつつ。

 戦闘中だというのに浮ついた想像をしているとあっては命のやり取りをしている兵たちに申し訳が立たない。この戦いに参加している者たちの誰もが重責を背負っている。直接的に敵を屠ることは叶わずとも、ある意味では中核を担っていると言って過言ではないのだ。


 ようやく気を取り直し、リーズナーは再び戦場を見遣った。櫛の歯のような火線が飛び交う中、ヴィレンの船団が勢いを盛り返し、再びネルガーの船団と激しくぶつかりあっていた。遠くこちらまで、遠雷のような衝突音が聞こえてきた。船と船が接触したのだろう。果敢な行動と取れぬこともないが、慎重なヴィレンのやることとは乖離しているように感じる。もはや、多少の無茶をせねば持ち堪えられぬ状態なのだ。

 そのやや南西側、シハラの軍はなんとか戦線を維持していたが、左翼の敵歩兵が少しずつ南東に流れ始めている。もしヴィレンの砂船と分断されてしまったら一巻の終わりだ。包囲戦を仕掛けられてそう遠くない時期に全滅する。


 重々しい沈黙が満ちる中、ラクダの四足が砂蹴る音が、段々と近づいてきた。アミナが急ぎ西の方角を睨む。果たして姿を現したのは、伝令兵の一人だった。


「……リーズナー殿! エルクンド殿の船が高速船団と共に左翼の攻略に取り掛かった模様です!」

 高揚を抑えきれぬ伝令兵の報告に、リーズナーが急ぎ左翼の南側を睨む。

「よし、急ぎ連結を開始せよ! 焦らずにやれと言いたいところだが本軍もあまり持ちそうにない! 見落としはもっての他だが、チェックは可能な限り迅速に行え! 魔道兵たちは全員既定の位置について魔力を練り始めよ、有りっ丈の力を降り注ぐのだぞ」

「はいっ!」


 リーズナーのよく通る声に、身を屈めていた軍と町の魔法使いたちが深くうなずき、一斉に立ち上がった。そして、先ほどセーニアの斥候たちが発見した巨大な蜘蛛の巣の紋章を囲むように移動し始めた。

 それに続こうと歩みかけた途端、アミナの三角耳がぴくりと動いた。自分たちの方に近づきつつある駆動音を聞きつけていた。


 ――何かが、近づいて来る。駆動音、敵の巡回船か! まずいな、流石に遠距離攻撃はないと判断するものと思っていたが。


 九分九厘勝利が決まったような戦況で、それでも一つの綻びも許さんと言わんばかりの戦運びには舌打ちを誘われる。敵は決して数と力だけを頼りにする愚か者の集まりではない。

 現在ではこちらの策が先行しているが、万が一これからやることを邪魔されれば、その瞬間に敗北が、ひいてはジヴーの滅亡が決まる。


 ――ここでの判断ミスは、許されぬな。

 アミナの細い首筋を汗が伝った。その冷たさを感じつつも己の小さな握り拳を見つめた。短時間、それも単独で一隻を沈められるだろうか。そう自らに問いかけながら。



――――



「くそっ、何たる失態か!」

 ガレット・リブライが手すりに身を乗り出し、もう今にも見失いそうな距離にいる黒船を睨んだ。自船と先を行く船との速度差はせいぜい時速に換算して20キロメードといったところ。その差がこうも影響するとは考えてもみなかった。普段の流麗な印象とは裏腹にその目は血走り、美しい金髪が怒りに呼応するかのように逆立っていた。


 先刻、先陣からの敵船発見の報とタイミングを合わせたように、突如として南から四隻の砂船が突撃してきた。ガレットは素早く戦列を組むよう命じ、迎撃体勢を整えた。

 互いの船につけられた照明魔石が、闇から敵の姿を浮かび上がらせた。数的不利を悟ったのか、ジヴー側の船が二手に分かれようとしたが、ガレットの船団も遅れずに二手に分かれた。可能な限りの進路妨害がなされたはずだった。

 ガレットたちの砂船が空けたそのスペースを狙うように巨大な影が向かってきた。そして、そのことに直ぐに気づいた者はいなかった。聞こえていた船の駆動音に別の音が混じったところで、ガレットは初めて後ろを振り返り、取り返しのつかぬ状況を悟った。

 空けられたスペースを抉るかのようにして、黒船が恐るべき速度で直進してきていた。慌てて軌道修正を命じるも船の舳先は左右に向かっており、舵が戻るまで元には戻しようがない。

 戦いでは脆い部分を攻めるのが定石だ。個々の船の速度差、旋回能力の差が大きいガレットの船団は、突破口として目を付けられていた。

 夜の闇が目を曇らせたという理由以上に、船すらも闇に溶け込ませるという戦術は完全に意識の外だった。武器が黒く塗られているとの報を聞きながら、なぜ黒く塗られた船の存在を思いつかなかったのか。ガレットは己の不明を強く恥じた。


 内的葛藤を抱きながらも、なんとか転進させた砂船を敵船にぶつけて進路を遮ろうとした。出足が遅れた船と船の隙間を狙うように、必死に止めようとしたガレットらを嘲笑うかのように。黒船は二隻の船によるブロックを巧みに擦り抜け、左翼の防衛線を難なく突破した。その後ろで、両側から黒船を挟もうとしていた二隻の船が方向転換をする間もなくぶつかり合い、航行が不可能な状況に陥った。

 そんな混沌とした状況で、目の前を通過していく船の舳先に人影を確認した部下が遠眼鏡を向けた。


「あれはまさか、イヴァン・カストラ!?」

「な、なんだと!?」


 船の上に立つ騎士たちの間を戦慄が走った。東の方で姿を消していたはずのセーニアの天敵は、今まさに本陣へと向かう敵船の上にいた。

「こ、攻撃しろ! なんとしても船足を止めるのだっ!」

 唾飛ばすガレットの指示に従い、魔法使いたちが船尾へと走り、息を荒げつつ魔力を練り上げて雷魔法を発射する。宵闇に青白い光が明滅し、ツタのように絡み合って黒船に襲いかかった。

 けれども、黒船には防御魔法の使い手が乗っていたのだろう。船尾に展開された複数の魔法障壁によって、数多の電撃はことごとく弾かれた。

 船を一隻通したところでそれほど憂慮すべき事態になるとは思えなかったが、自分たちに手落ちがあった事実は曲げられない。加えて、全てが計算ずくであるかのような相手の行動が、一抹の不安を消し飛ばすことを妨げた。あれを放置していてはまずいと、心のどこかが叫んでいた。

 一方で、残った四隻の高速船は南へと引き返していく。黒船の道を開けただけで役割を果たしたということだろう。念のため敵兵がいないかどうかを確認するべく、照明魔石で周囲を照らし出した。

「……敵は、いないな。逃げた船団は捨て置け! 黒船を追い、本陣の船と挟み討ちにする!」

 ガレットは面目を躍如すべく、黒船への追撃命令を下した。



 この時、ガレットたちがよくよく注意していれば、景観の微細な違和感にも気づくことが出来たかも知れない。けれどもイヴァンの出現によって芽生えた焦燥感は、彼らの観察力を根こそぎ奪い去っていた。

 だから、闇を照らしていたはずの光が完全には周囲を照らしていないことに気付かなかった。ましてや、魔法障壁によって光が屈折させられていたなどとは。


 黒船は二隻存在していた。シュイとピエールが乗る黒船は、航跡とは別に、歪な線を地面に描きながら、ガレットの船団に先導されるようにして敵本陣へと加速していった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ