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~紲雷 thunder of bonds12~

 町の至る所で打ち鳴らされている鋼の調べ。その音は、オルドレンが町として産声を上げたその日から二百年もの間、心の拍動のように休まず鳴り響いている。

 広大な砂漠の奥深くに位置しているだけあり、長い歴史の中でもオルドレンが外敵の侵攻に遭ったことはない。それが今や、町はおろかアクラムの存続までもが危ぶまれる逼迫(ひっぱく)した状況。通りを往来する者たちの表情は揃って浮かなかった。


 最後の戦いを間近に控え、工房では仕事の大量発注を受けた職人たちが昼夜を問わず働いていた。高台から町の上空を見れば、何本もの排煙が夜空を灰色に曇らせている。体の変調を訴えているかのように、いつにも増して鳴り響いている荒々しい吃音には、追い詰められながらも抗おうとする職人たちの意地が込められているようでもあった。

 額に鉢巻を巻きつけた男たちは汗を拭いながら熱気に身を晒し、言葉少なに金属の加工に打ち込んでいる。工房に外接された熔鉱炉には国から支給された大量の銅鉱石が投げ込まれ、高温で熔かされた不定形の金属が半筒状の台を滑っていく。そして、手作業で入れ替えられている鋳型へと流し込まれていく。そんな中、蒸気沸き立つ工房の入口の暖簾を潜る男の姿があった。


 前方からのどっしりとした足音に、金属板を叩いている鍛冶師が顔をそちらに向けることなく口を開く。

「悪いが後三日くらいは仕事で詰まってる、依頼なら来週以降にしてくんな。もっとも、それまでこの町が無事であればの――」

「――すまない親方、私だ」

 へ、と険のある年輩の男が、叩いていた金属板から目を放した。作業員が右往左往する中を邪魔にならぬよう、革鎧を身につけたヴィレンが壁に張り付くようにしながら笑いかけた。

「こりゃ将軍! わざわざこんな汗臭い仕事場にまでお越しくださるとは」

 恐れいりやす、と頭を下げた筋肉質な男に、ヴィレンは微笑を浮かべながら首を振った。

「ジヴーの民にとって汗をかくことは誇りそのもの。太陽の恩恵を身に受け、懸命に働いた証だ」

「当たり前のことを褒めそやされても反応に困りますぜ」

「そうか? 特別なことをせねば褒めぬというのも、何か違う気がするのだが」

 真剣に悩んでいるように見えるヴィレンに、工房の鍛冶師たちが手を休めることなく視線だけを交わし合い、含み笑いを漏らす。


 ――親方、この人将軍なんですか? なんだかお偉いさんっぽくないですけど。

 ――それはまあ、否定しねえが。

「ん、なんだ? 何か言ったか?」

 金槌の音で聴き取れなかったのか、ヴィレンが耳に手を当てて訊き返した。

「――あぁいえ、気にしないでくだせえ! 今座るスペースと飲み物を用意しますんで」

「ありがたい申し出だが、気持ちだけ受け取っておく。これから他の工房も回って作業の進行具合を確認しなければならない」

「左様ですか、そりゃ疲れ様ですな。――あぁそうそう、この間修理依頼をいただいた武器ですが、何とか仕上がりやした」

 ヴィレンの眉が大きく上がった。

「うむ、流石に仕事が速いな」

「へっへー、うちの強みは速さだけじゃないですぜ? ――おいっ」

「へいっ」


 弟子と思しき若い男が人足たちの作業の妨げにならぬよう、大回りで勝手口に向かう。ほどなくして、弟子がいそいそと大きな布包みを抱えて戻ってくる。

「これが、例の?」

「今開けますんでちょいとお待ちを。――うっし、そのまま引っ張ってくれ」


 鍛冶師が作業台に置かれた布包みに両手を差し込み、中の物を抑えつける。それと同時に、弟子が作業台の上に置かれた布の端の方をすっと後ろに引いた。

 ヴィレンが目を見開いた。はたして布包みから出てきたのは、シュイの得物によく似た大鎌だった。鎌の先っぽではシュイの物と瓜二つの黒い三日月がぼんやりと光を放っている。

 けれども、明らかに異なる点も見受けられた。シュイの鎌の柄は黒色だったが、こちらの大鎌は青みがかった銀色だ。先端部には槍の穂先のようなものまでついており、どちらかといえば槍矛(ハルバート)に似た形状と言える。それもそのはず。鍛冶師が今差し出している修復済みの鎌は、レイヴとの戦いで破壊されたシュイの鎌を修理に出していたものだ。

 ルクセンの地下遺跡でのレイヴ・グラガンとの死闘により、シュイの大鎌<砂時計(アワー・グラス)>は再利用が出来ぬほどに損傷していた。特に柄の部分の破損が深刻で、修繕するにも長さと太さの両立が困難なほどに削られ、折れ曲がっていた。それだけに、生まれ変わった鎌を見せつけられた驚きも大きい。


「これは、見違えたな。あのみすぼらしい鉄くずがよくぞここまで」

「前にも軽く説明させてもらいやしたが、鎌の柄の部分をそのまま使うってのはどうしても無理があったもんで。変に寸法をいじくって使い勝手が悪くなるのもまずいですし、遠慮なく提出していただいた槍を使わせてもらいやした。使われている金属の比率が違うので重量はちっとばかし増えてますが、重心が狂うよりはいいでしょう」

 柄の応急処置が不可能と知り、一時はシュイも諦めかけていた鎌の修理だったが、ピエールがアルマンドの槍を使って欲しいと願い出たことで解決された。彼の愛用していた槍もまた並の工匠の作品ではなく、転用が十分可能だったからだ。当初シュイは形身同然の槍を修復材料にしてしまうことに反対していたのだが、アルマンドならどちらを選ぶか、と他ならぬピエールに問われ、観念したようだ。

「ふむ、よもや戦闘中に刃と柄がズレてしまうといったことはないな?」

 鍛冶師はだみ声で笑いながら太鼓判を押した。

「穴を数か所開けてボルトを通して固定し、その上から溶接を施してあるんで、耐久性は保証しますぜ。つっても、あの丈夫な金属柄がズタズタになるような無茶をされたらどんな武器だってもちませんけどね」

「武具としての性能が損なわれていないなら充分だ、これで彼も憂いなく戦線に立つことができるだろう」

「そりゃ良かった。――えっとですね」

「うん?」

「つかぬことをお伺いしやすが、これの持ち主さんって傭兵ですかい?」

 ヴィレンは顔色を変えずに応じた。

「もちろんだ、大鎌を標準装備に据えた騎士団の噂など聞いたことがあるか?」

「――あー、はは、そらそうですな。それはそれで興味を惹かれますがね。するってえことは、もしかしてあれですか。エミドなんとかをぶちのめしたっていう――」

 さっと口に指を立てたヴィレンを見て、鍛冶師が慌てて口を閉じた。

「悪い、まだ漏らされては困るんだ。最後に少しでも勢いをつけたいからな」

「な、なるほど、サプライズってやつですか」

「……そんなところかな。小細工と馬鹿にする者もいようが、此度の決戦ばかりはどんな手段を用いてでも勝たねばならないからな。――――ところで、もう一方の作業はどうだ。順調に進んでいるのか?」

「そりゃもう、急ピッチってなもんですよ。明日の朝には余裕で仕上がるんじゃないですかね。町の皆はおろか、避難民の皆さん方にも、これが戦う皆さんの助けになるのならってんで率先して協力してもらっています。こういうのを一体化って言うんでしょうな。連合国に住んでいる連中とはいえ、見も知らぬ人たちと自然に協力できるってのは、なんだか不思議な感じがしますな」

「不安に苛まれているよりは、体を動かしていた方が落ち着くからな。気を紛らわすにはいいのかも知れん」

「同感ですな、例の物にしても半端じゃない発注量でしたが鋳型でやれる分作業は楽でした。あぁ、接続部だけは手を加えさせてもらってますがね。それにしても、あんなものを戦でねぇ……、一体どうやって使うんですかい?」

 ヴィレンは布に包み直した鎌を弟子から受け取った。

「……そうだな、我らのえにしを結ぶのに、といったところか」

「縁……ねぇ」


 意味深な言葉にすっかり考え込んでしまった鍛冶師に、ヴィレンは少々申し訳ない気持ちに囚われた。本当ならいの一番に教えてやりたかった。基礎的な知識さえ補完されていれば、決戦で使われる戦術が希望を見出すに足るものだとわかっただろう。

 それでも、セーニアの工作員が一人と確定しているわけではない。まだ町の者にまで具体的な戦術を明かせる状態ではない。

 ――敵を欺くには仕方あるまいな。ヒントなしに予想がつくとも思えないが。

 誰しも考えが及ばぬだろう。町の者らが手掛けている何の変哲もない金属具こそが、ジヴーを救うための切り札であることを。



――――



 直ぐ近くで感知魔法が展開されるのを感じ、三角屋根の上に座っていたシュイが視線を落とす。ほどなくして、ガラガラと引き戸が開く音が聞こえ、艶のある玉がひょっこりと現れた。

 その玉が見知った老人の頭であるということに気づくまでに、シュイは数秒を要した。

「ほっ、部屋におらぬと思うたらそんなところにおったか」

 シュイの位置を把握したスザクが手すりに手を突き、部屋から身を乗り出した。

「もう来ていたんだ、早かったな。今そちらに降りるから――」

「――よいよい、涼むにはそっちの方がよさそうじゃし――とっとと」

 手すりの部分に危なっかしく立ち上がると、スザクは足場になりそうな取っ掛かりに慎重に足を伸ばした。

「おいおい、上がってくるのはいいけど落ちないでくれよ?」

「なんのなんの」

 スザクは手を伸ばし、風を受けて回転している風見鶏の支柱に掴まると、一息に屋根の上へと駆け上がる。難なく隣に腰を下ろした老人にシュイは舌を巻いた。

「……意外と身軽なんだな、杖なんて必要ないんじゃ……」

「ほっほっほ、昔取った杵柄じゃ。それに、足の悪さを装っておると皆が率先して席を譲ってくれるでの」

 悪びれた様子のないスザクに、シュイは食えない爺さんだ、と肩をすくめた。

「自覚しておるから安心せぃ。――どうやら鍛冶場はどこもかしこも徹夜のようじゃな、ほれ、あそこを見ぃ」


 高炉の煙突からは未だたくさんの火の粉が散っていた。一番間近な工房からはギシギシと、(ふいご)を踏みしめる音が聞こえてくる。鞴は空気を適度に送って火の勢いを調整するための道具。火が落ちていないということは、まだ当分の間は作業が続くということだ。

「……町の人たちも、頑張ってくれているみたいだな」

「うむ、詳細を明かせぬ我らの指示に、それでも気丈に従ってくれておるよ。ヴィレン将軍が嵌められていたことが明るみになったおかげで、逆にあやつがいれば勝てるかも、と少しはそんな気持ちになってくれたのやも知れん」


 シュイは、まるで吐息のように定期的に火花吹き出す煙突に目を細める。次の戦いで、全てが決着する。兵士たちを家族の元に返してやれるかどうか。この無数の光が、この先もこの町を照らし続けるのるかどうか。

「……エルクンド殿、後悔しておいでか?」

 シュイは顔を動かさずに視線だけをスザクに向ける。

「後悔?」

「い、いや、勘違いならそれにこしたことはないのだが、嫌われ役を進んで引き受けたと聞いて、もしやと思うてな」

 シュイは嫌われ役、と呟き、ややあって敵間諜の拷問を引き受けた件だと理解した。思い当たった様子のシュイに、スザクが言葉を続ける。

「そなた、つい数日前までこの作戦の立案を渋っていたであろう? あれは、町の者たちを共犯者にしてしまうことを恐れていたのではないかと、そのような考えが過ぎっての」

 シュイはゆっくりと空を見上げた。煌々と輝く火花が夜空に吸い込まれていくのをその目で追っていた。

「確かに、最初はそれに近しい考えも持っていた。皆を殺人者にする手伝いをしてしまっているんじゃないかって」

「……それについては、儂らもすまないと思うておる。開戦から今日までを省みて、どこか見込みが甘かったのではないか、もう少し上手いこと立ち回れたのではないか。ここまでジヴーが追い詰められてしまったのは、全て儂らの責任ではないか。そう、自問自答を繰り返す毎日じゃ」

「そう、なんだよな」

「……ん?」

 スザクが不思議そうな顔で訊き返した。

「誰もが無理して、そのくせ平気そうに振舞ってる。シハラさんも、ヴィレン将軍も、俺の仲間たちも、内心は不安で一杯なはずなのにな」

 いつも、苦しんでいるのは自分だけのような気がしていた。自分だけが窮地に追い込まれているような気がして、寝ても覚めても不安でしょうがなかった。ふと気がつけば一人で戦っているような気になっていた。変わり映えしない表情の裏に、何があるかを知ろうともしないで。


「でも、そんなのは単なる思い上がりだってリーズナーさんにはっぱかけられて。……幸せなことだよな、過ちを正してくれる人が傍にいるってことは」

「リーズナーとは、あの気が強そうな娘っ子じゃな」

 スザクが夜空を仰ぎながら呟いた。続いては小指を立て――

「おぬしの、コレか?」そう訊ねた。

「いや、まだだ」

 シュイの即答に、スザクは笑顔を崩さずにゆっくりとうなずいた。

「そうか、『まだ』か」

 言葉に含むものを一瞬で察したスザクに、シュイは照れ臭そうに横を向いた。

「今は戦を終わらせることだけに集中しなきゃな。恋い慕う言葉を囁いておいて、幻に終わらせるなんてことはしたくないし、色恋にうつつを抜かして負けてしまったら、他ならぬ彼女に折檻されそうだ」

「ほほ、確かにそれは、男として面目が立たぬな」

 スザクが顔を綻ばせながら顎髭を撫でた。



『おまえが身を切って培ってきたのは、今を生きるやつらのために振われるべき力だ』

 ふと、アルマンドの言葉が脳裏に過ぎる。

『無抵抗で殺されることもまた、殺人なのだからな』

 続いてはアミナの言葉が。別のことを主張しているようにも思える彼らの言質は、表裏一体のもの。か弱き存在を守るためならば、戦うこともまた已む無し。それこそが、彼らが傭兵としての道を歩んできた末に辿り着いた境地。力を行使するために己に課した制約なのだろう。

 大人しい草食獣とて肉食獣に喰らいつかれたら必死に抵抗する。群れの子供たちが狙われたら一生懸命庇おうとする。勢い余って返り討ちにしたとて責める者はいない。

 シュイは子供の時分に学んだはずのことをどこかに置き忘れていたことに思い至った。人もまた、自然の一部であるということを。仲間の死を悼む動物たちはいても、復讐に走る動物たちはほとんどいない。いるとしたら人か、それ以上の知能を持つ高次生物くらいのものだろう。

 今だからこそ思う。恨みと憎しみに囚われて復讐に走り、徒に屍を積み上げたあの時の自分は、きっと間違っていたのだと。


 自省しながら、シュイはゆっくりと目を開いた。暗闇を照らす無数の灯があった。この灯を囲う人々の姿を思い浮かべ、拳に力を込めた。

 ――そうだ、不意打ちで滅ぼされたあの時の状況とは、似ているようで何もかも違う。

 ジヴーは未だ滅んでいない。今度こそはどうしても守り切りたい。その思いは日増しに強くなっていった。エスニールの悲劇を経て力を付けてきたのは、今まさに繰り返されようとしている悲劇を食い止めるためだったのだと、そう信じたかった。シュイはセーニアを相手にそれを成し遂げることで初めて、亡くなったエスニールの者たちに顔向けが出来るような気がしていた。

「皆がそれぞれに与えられた役割を果たそうとしているのを目の当たりにして、俺も俺にしか出来ないことをしようという気にさせられた。――賭けてみたくなったんだ。この地に住まう人々の(きずなは、セーニア軍如きに屈したりしないと」

「紲、世を紡ぐ糸、か。確かに、あれには万感の思いが込められていような。暴力に縁なき者たちが一丸となって強大な敵に抵抗する。まさしく、住民たちの心を推し量ってくれたからこそ生まれた戦術じゃ」

「本当にそうだったら胸を張れたけれど、正直そこまで深くは考えていなかった。なけなしの知恵を絞って、戦力差を覆すための方法を必死に脳裏に思い描いただけ、色々重なったのは単なる偶然さ」

「その意見には賛同しかねるのう」

 シュイが音なくスザクの方を向いた。

「必死に足掻いた末に起こった偶然は、必然とも呼ぶのじゃよ。汚泥の中で身を縮めるばかりでは何も起きぬが、呼吸を止めねば(あぶく)が生じる、もがいてみせれば波も立つ。勝利の女神とてそれをむざと見逃すことはあるまいよ。そうそう、これは女子(おなご)に対しても当て嵌まるからの、そなたも努々気を付けることじゃ」

「……ふぅん、妙に説得力があるな」

 意味深に笑うスザクに、シュイも含み笑いを漏らす。

「この戦いが終わったら終わったで、やること山積みだな。今度はセーニアがこちらに兵を向ける余裕をなくす方法を早急に考えなきゃいけないし、むしろそっちの方が大変かも」

 溜息交じりのシュイの発言に、スザクの糸のような目が大きく見開かれた。身の安全すら定かではない今、勝利の後のことを考える余裕が出来ていることに。

 まじまじと見つめてくるスザクに、シュイはわざとらしく肩肘を張ってみせた。

「もう勝つ以外に道がないんだったら、勝利を信じることから始めるさ。突貫作業にも拘わらず、これだけ準備が整ったんだ。大丈夫、きっと上手くいく」

「……うむ。策が早くに実れば、双方の被害は想定よりも少なくなるやも知れん。敵軍の動揺を誘発し、我が軍の被害を極力抑えるためにもまずは先手を取らねば――」

「――シハラ様! こんなところにおいででしたか!」


 屋根裏部屋から褐色肌の兵士が顔を出し、二人が揃って下を向いた。

「……野暮やぼじゃのう、こんな遅くにいたいけな老人を呼び出すとは。―――ん、その顔は、もしや動いたか」

 小柄な男が慌しくメモを取り出す。

「はっ、狼煙(のろし)によって今しがた連絡が入りました。――いたいけなシハラ様に申し上げます」

 スザクがむっとするのを見て、シュイが苦笑を噛み殺す。

「ルトラバーグを張っていた草より通達。セーニア軍が今朝方、西進を始めたとのことです。戦列艦、砂船の数は五十一隻、歩兵と足並みを揃えてゆっくりと進軍している模様。感知魔法にかからぬよう距離を取っていたので陣形までは不明ですが、士気もかなり高いようです。港から発せられた鼓舞によって川辺に集まっていた水鳥が一斉に飛び立ったとか」


 報告を聞き終えると、スザクは腰をトントンと叩きながらよっこらと膝を伸ばす。

「思ったよりも早かったのぅ。エルクンド殿、今後の展開に差し障りはあるか?」

「問題ない、緊張感を維持し続けるのも楽じゃないからな。歩兵に足並みを合わせているとなると陣形もより堅実なものを選んでいるだろう。そうとなれば、C地点での接触が望ましい」

 フードから覗く口元に笑みが浮かんでいるのを見届け、スザクの目尻がわずかに下がる。

「そうか、ならば明後日の朝までには動かねばの。なにやら武者震いがしてきたわい。――よし、出陣式の準備を急がせい。前倒しして明日の夕刻に取り行う」

「夕刻……、ですか? 朝方でも何とか間に合うかと存じますが」

 スザクは伝令兵に(かぶり)を振った。清々しい夜明けの陽光は出陣に映える背景であるが、今は何を置いても兵たち一人ひとりに危機感と自信を持たせることを優先するべき。おそらくはそのように考えているのだろう。寝起きの直後は力のある声が出にくいものだし、聴き取る者たちの頭が目覚めていなければどんなにありがたい説法も右から左。いかにもスザクらしい老獪な発想だ。


 ――強引に戦いを進めてきた以上、セーニアに対する世論は決して芳しくなかろう。この一戦をなんとか凌ぐことができれば、あるいはジヴーが息を吹き返すチャンスも巡ってこよう。

 ジヴー軍一万二千に対し、セーニアの間諜から(無理矢理)聞き出した情報によると敵軍は三万六千余り。その数およそ三倍。個々の力量においてもセーニアは圧倒的な力を彼我に示してきた。負けることなど考えてもいないだろう。

 セーニア軍には己の悪行を善行と信じ込める厚顔さがある。故に手強く、しかし脆さも併せ持つ。目を覚まさせるには虚をつき、敵兵を正気に戻すことが肝要。

 ――敵軍に大混乱を誘発し、彼奴らの仮初めの結束を打ち崩す! 仕上げは――

 スザクがちらりとシュイに視線を移した。多数に順応することを日々求められているセーニア兵たちの心を逆手に取る。その策略の成否は、シュイやイヴァンらを中心に据えた遊撃隊の手腕にかかっている。


「革鎧の複製は進んでいるのか?」

 シュイの平坦な言葉が思考の海に割り込んでくる。スザクは思い出すように無数の星が瞬く夜空を見上げた。

「昼頃に軍営に見積もり書が届いておった。現時点で百二十弱できているそうじゃ。職人も総出で頑張っておるし資材もまだ十分にある。明日までにはもう少し増えるじゃろ」

「元が十ちょい、合わせて百五十といったところか」

「うむ、しっかしよくあんな物が手に入ったのぅ」

「その件に関しては、俺が一番驚いてるよ」

「なに? シルフィール絡みの伝手ではなかったのか」

 ――あれを持ってきたのは、イヴァンだ。

 即座に念話に切り替えたシュイに、スザクがほぅと感嘆した。

「一体どこから手に入れたんだかな、敵軍から盗み出す暇なんかなかっただろうし。物が物だけにどーせろくでもない使い道を考えていたんだろうけど」

「ふむ……彼の御仁にも隠し事は多いようじゃの」

「まぁ、やつの秘密主義は今に始まったことじゃないけどな。後は――――あぁ、肝心なことを聞くのを忘れてた。魔法使いの方はなんとかなりそうか?」

「選別は滞りなく終えておる。人事部に調査資料があったのが幸いしたな。正規兵と合わせて八百三名、才能というものは結構埋もれているもんじゃの。実力にはバラつきがあるし制御が心許ない者も少なくないが、おぬしの要求した通りに魔法の体をなしている者を見出しておる」

 スザクが大きく息を吐き出した。やるだけのことはやったというように。

「達成感に浸るのはまだちょっと早い、明日の出陣式を乗り切らないとな」

「わかっておる、あの二人の演説にこうご期待だの。さてと、老骨に鞭打ってくるとするか。エルクンド殿は――」

「気が高ぶってまだ眠れそうにない、もう少ししてから寝る」

「そうか、夜更かしは程々にな」

 シュイが立ち去るスザクにひらひらと手を振った。

 スザクが部屋に戻ったのを見届けると、シュイは両の手を組み、立て膝の上に置いた。ゆらりと、青い煙のような魔力が体全体から漏れ出してくる。


 抜き身の剣を鼻梁に突き付けられたかのような闘気に、部屋の中にいた伝令兵とスザクが揃って身じろいだ。

「……上から、ですね」

「……そのようじゃ」

 天井を見上げた伝令兵を尻目に、スザクがベッドの横に置いておいた杖を手に取った。

 ――いやはや、これは心臓によくないのう。肌がやたらとささくれたっておる。こんなのが敵として目の前に現れたら、並の兵では逃げるしかあるまいな。


 頼りなさを覚えていたかと思えば、呼気をも遮る圧迫感を与えてくる。これもまた、シュイ・エルクンドのもうひとつの顔ということか。スザクは独りごち、高鳴る左胸を落ち着けとばかりに撫で回しながら部屋を後にするのだった。

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