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~紲雷 thunder of bonds11~

 まだ夜の明けきらぬ紺碧の空。ルトラバーグの港は、積荷を搭載し終えて出港準備が整えられた砂船で隙間なく埋め尽くされていた。

 壮観なる船団を一望できる埠頭(ふとう)を前にして、黒い革鎧を、あるいは紺色のローブを身につけた大勢の男たちが列を成している。戦士、神官、弓騎士、魔法使い。その兵種は多種多様であるが、観察力に優れた者ならば船着き場に近い者たちほど身なりが整っていることに気づいただろう。砂船に乗れる者はそのほとんどが群を抜く実力者か、そこそこ腕の立つ貴族階級かのどちらかであった。


「――注意事項は以上である! では最後に、リーヴルモア将軍より激励のお言葉がある! 心して聞くように!」

 魔石によって拡張された副官の声が広場に行き渡ると、兵士たちの微かなざわめきがぴたりと止んだ。

 深紅の軍服を身に纏ったビシャ・リーヴルモアが軍師ロッグ・ケトゥレフを従え、兵士たちが槍剣で織り成すアーチ門を通り過ぎていく。幅広の無骨な剣を肩に担ぎ、巨体をそびやかせ、眼光鋭く前方を見据えるその様はまさに威風堂々。

 武者震いを喚起された兵士たちがぐっと拳を握り締める。その自信に満ちた姿を見るだけで勇気付けられる。ビシャは着々と、隊長クラスから末端の兵に至るまで信望を集めつつあった。


 壇上の階段を上っていく姿は重厚さに満ちている。高さの違う踏み台が歩を進める毎に軋んだ。

 最上段にてビシャがゆっくりと面を上げ、振り返った。すっと敬礼した眼下の将校たちにやや遅れて、居並ぶ兵士たちがざっと、手と足とを鳴らす。


「――諸君、時は来た」

 たっぷりと間を取って、ビシャの視線が兵士たちをひと舐めにする。それだけで、兵士たちは背中に棒を入れられたようになった。

「開戦日より我々は、ジヴー連合の実効的支配者であり、立法府でもある<賢律院(ルーツ)>に向けて、再三に亘り降伏を勧告してきた。そちらの兵力で精強なる我が軍に相対することは不可能、潔く軍門に下れば不要な血が流れることはない、と。

 にも拘わらず、彼らは我々の申し出をないがしろにし、今日(こんにち)を迎えるまで頑なな態度を改めようとする気配を見せなかった。まことに遺憾ながら、ジヴーの者たちは我々とは違い、兵や民の命をさほど重い物とは考えておらぬようだ。国が違わば考え方も違うものだが、命に対する価値観の相違ばかりは、痛恨の極みという他ないだろう」


 一息入れて、ビシャは苦しそうに溜息を吐き出した。兵士たちは真っ直ぐにビシャを見据え、辛そうな表情で演説するビシャの憂鬱がいかばかりかを推し量ろうとした。自分たちを指揮する将軍の悲痛に寄り添うべく。

「率直に言って、侵攻を宣言するのは悩ましいものだ。今ここに明かすが、このことについては連戦連勝を重ね、この局面を迎えるに至るまで、私が何度も思い悩んできたことである。眠れぬ夜も幾度あったか覚えておらぬ。いかに敵方の者たちとはいえ、人命を奪うのは戦うことを定められた誇り高き騎士として以前に、良識ある人として忍びなきもの。天に座するセーニアの祖も、此度の戦における惨状を目の当たりにして心を痛めておいでであろう」


 ビシャが紺碧の空を見上げ、人ごみの中から誰かを探すように目を細めた。兵士たちは頻りにうなずきながら、彼の言葉をもっとよく聞こうとばかりに身を乗り出している。

「私は彼らが心変わりしてくれるその時を待ち続けた。しかしながら――三カ月が経過した今も尚、相手方からの歩み寄りはない、そう判断せざるを得ない状況にある。<賢律院ルーツ>は我々の誠意ある説得に耳を傾けようとせず、セーニアの仇敵であるルクスプテロンに協力する姿勢を崩してはおらぬのだ。ジヴー連合のしていることが直接的に我々を苦しめているとまでは言わぬ。しかれども、彼らがせっせと送り届けている鉱物で作られた武器が、我らが竹馬の同輩を大勢殺めていることもまた事実である。……同胞の犠牲を、誰が見過ごすことができようか。共に戦ってきた仲間たちが傷付いて倒れていく光景を平然と素通りできる者など、結束強き我が軍にはいない――いるはずがないのだ!」

 拳が振りかざされる度に、重く低い声が山を成し谷を象る。感情を存分に込められた、起伏妙なる演説に、兵士たちは高揚感を搔き立てられていた。ビシャの発する一言一句に、陶酔していた。

 ビシャ・リーヴルモアこそが、彼だけが自分たちを率いるに足る将であり、また自分たちが上に立つことを望む将であると。


 ビシャが一息つき、そそくさと近づいてきた小間使いに水を受け取る傍ら、今度は控えていたロッグ・ケトゥレフがビシャの真横に歩を進めた。

「――ごほん! 我々は遠い過去よりザーケイン帝国によって、その流れを汲むルクスプテロンによって、何度となく苦渋を舐めされられてきた。愛すべき祖国にとって忌むべき敵国を、光に影を差そうと企む者たちを応援し、あまつさえ権益を貪ろうとする者たちがジヴーにいる。……恥知らずとは、まさにこのことである! 古来より弱者を利用し、貶め、己の利益のみを追求してきた者は、正義の力によって追い落とされるのが常である。――自覚せよ諸君、この戦はただの戦にあらず、我らが正義を示し、許されざる悪を滅ぼす戦いなのだ!」

『おおっ!』

 正義という免罪符を戴き、兵士たちの目に危うい光が宿る。

「慣れぬ気候でここまでの働きを示してみせる兵など、他のどの国にもおるまい! 敗戦に次ぐ敗戦で、最早敵に抗う力は残されてはおらぬだろう! だがそれでもっ! 万が一にも諸君らの命が奪われては意味がない! 私にとっても、もちろんリーヴルモア将軍閣下にとっても! 諸君ら一人一人の命は家族のそれにも等しい価値がある! だからこそ、我々は心を鬼にして命じよう! 敵が剣を捨て、許しを請おうとも手を緩めるな! 戦いに赴いた以上は相手を殺める覚悟を持っているのと同様、自らが打ち取られる覚悟を以ってしかるべき! 将軍も仰っていたように、我々は今日までジヴー連合側から前向きな返事がもらえるように寝食の時間をも惜しんで折衝を続けてきた。争いを回避する道を模索し、最善を尽くしてきた! それでも我らの差し伸べた手は、無碍(むげ)なく突っ()ねられた。我らの慈悲が、無頼共の心に響くことはついぞなかった! ……ジヴー連合の者たちは積年の悪行に味を占め、人の心をも失ってしまったのであろう。――ならば、最早遠慮はいらぬ! セーニアの、否、世界の平和を守るために! 諸君らが弛まぬ修練によって培ってきたその力を存分に振るうがよい! 敵をより多く打ち取った者には、対価を以って(ぐう)そうぞ!」


 兵士たちからどよめきと歓声とが同時に湧き上がる。ロッグがその様子を見てしたり顔でうなずいた。一礼して下がる軍師に、束の間ビシャが鋭い視線を送る。


 ――煽り過ぎだ、敵を悪者にし過ぎるな。

 ――も、……申し訳ありません。

 擦れ違いざまに交わされた(ささや)きは、兵士たちに届く前にざわめきに呑み込まれていく。舞台の最前に立ったビシャは巨大な剣を手首のみの力でくるりと回転させ、石の壇上を貫いた。ドスン、と落石のような響きがあった。兵士たちが一瞬にして沈黙し、固唾を飲んだ。興奮を一挙動で冷ましたビシャは、再び兵士たちを見据えた。


「――諸君らもよくよく承知のことだと思うが、我々にはどうしても負けられぬ理由がある。なぜなら、世界で最も平穏で豊かな国、セーニア教国の尊い教えを広めるという使命を課せられているからだ。

 ジュアナ戦役の末日、すなわち我々が束縛から解放され、安住の地を得た日から数えて既に三百年余りが経過している。残念なことだが、世界には未だ数多くの不幸が溢れている。親愛なる教皇アダマンティス様は、セーニアがこの世界により多くの幸福をもたらすことが出来る日を心待ちにしていらっしゃる。所詮、私などは戦う以外に能のない男であるし、己の手が払える不幸などたかが知れているという自覚もある。だが――周りを見渡してみよ!」

 ビシャが地面に刺さった剣を手放し、空をも抱くように両腕を広げた。

「セーニアには勇猛果敢な兵たちが、素晴らしき仲間たちがこんなにもたくさんいる! 将から一兵卒に至るまで、諸君ら一人一人の力が結集すれば、私はいかな困難も打ち砕けると確信している!」


「……将軍っ!」

「勿体なきお言葉にございます!」

 感極まり、仁王立ちするビシャに向かって叫ぶ者が次々に現れる。その一方で壇上の直ぐ下、兵士たちと向かい合っている将校の表情には冷やかなものが混じっていた。

 ――はん、いつもながら大した弁舌だな、一体どの口が言っているのだか。

 ――しっ、聞こえてしまいますよ。しかし、油断すると事情を知っているはずの私たちまで、その気になってしまいそうですな。

 セーニアがジヴーを攻めた真の理由。それを知らされている者たちは、ビシャの演説が詭弁に過ぎぬことを重々承知している。だからこそ、後ろめたさの一切読み取れぬ演説に感心し、呆れもする。

「今ここに集う勇者の中には、三年前のヌレイフの戦いに参じた者もいよう。大勢の仲間たちが命を落としたあの戦いを、尊い犠牲を無駄にしないためにもっ! 我々はこれからも勝ち続けなければならぬっ!」

 煽動すれすれの鼓舞に兵士たちが力強く応じ、轟々たる歓声が港の広場を埋め尽くしていく。ビシャが再び剣柄を握り締め、血管が浮き出るほどに力を込める。

「――我らがセーニアに、栄光あれ!」

 巨大な剣が石を剥がし、朝日に向かって牙を剥く。柱のような刀身が陽光を反射したその瞬間、兵士たちの声がビシャの木霊となった。

『セーニアに、栄光あれ!』

 その力強き言霊に、ビシャがにぃと凄みのある笑みを浮かべた。

「者共っ! ――――出陣ぞぉっ!」

『おおおオオオオオォォォォォ――――――!』

 腹の底から響く声が連なっていき、重なっていき、一陣の風となって港を駆け抜ける。兵たちが腕を突き上げたその先には、地平から姿を現した太陽が、燦然と輝いていた。


――――


「――ぉぉぉォォっ……ぬぐっ――――がぁッ!?」

 二人の兵に腕をがっちり固定されたまま、褐色肌の男が顔を机に強かに叩きつけられた。

 突っ伏した男の頭から手が放されると、黒衣の男の指から数本の髪がはらはらと滑り落ちた。

 外の光が一切届かぬ地下の一室では、取り調べとは名ばかりの苛烈な尋問が行われていた。ヴィレンらが張った網、最新鋭の砂船を建造中との偽情報をオルドレン内に流すことにより敵軍本部への連絡を誘発。予め絞り込んでいた密偵候補の者たちを数人体制で監視し、不審な行動に出た者を軒並取り押さえていた。

 今この部屋にいる男もその中の一人。人々が寝静まった夜に魔石らしきものを取り出し、夜空に掲げようとしていたという。

 連絡用の魔石に関してはセーニアによって封じられているのが現状。しかし、イヴァンから伝え聞いた話によると、セーニアは予め自分たちだけは連絡できるよう強化魔石なる物を用意しており、実際にルクセンの地下遺跡でセーニア兵たちが使おうとしていたようだ。

 男はその場で取り押さえられ、男が使おうとしていた魔石はシハラの手に寄って解析された。その結果、彼の正体がオルドレンの警備兵に扮していた密偵であることがほぼ確実視されていた。


「今一度訊く、現在おまえが把握している情報、セーニア軍本隊の人数、兵種の構成比率、指揮官の名を十秒以内に答え――」

「――――ぶっ。――なっ」

 突然唾を吐きかけた男の方が愕然とした。血が入り混じった唾液は黒ずくめの男を通り抜け、後ろにある壁に粘着質な音を立ててへばりついた。

 黒衣を身に纏った男は手を差し伸べ、男の頬を撫でながら笑った。手の冷やかな感触がはっきりと伝わり、男が身を震わせた。

「どうやら躾が行き届いていないようだな。子供の頃に大人たちからやってはいけないことをちゃんと教わらなかったのか? んん?」

「……な、なんなんだ、てめえ――ギッ」

 シュイは、男の頬を撫でざまに爪を立て、思いきり横に引いた。男の顔が横を向いた時には、頬に四本の赤い線が出来上がっていた。上の二本の裂傷は傷が深かったのか、直ぐに二筋の血が垂れ落ちてきた。顎から赤い雫が滴り、床に斑模様を施す。シュイは、皮と肉片がこびりついた爪を、白いハンカチで丁寧に拭い取った。わずか数秒で、ハンカチが裏まで赤く染まる。


「ぐっ……き、貴様、わかっているのか。俺にこんな真似をして、セーニア軍が黙っているとでも――」

「――連中が下っ端の生死なんかでいちいち心を揺らすものかよ。ましてや、敵に捕まる間抜けな間諜さんなんて、助けたところで二度と使い道がないだろう」

「い、言わせておけばっ!」

「――あんたの方こそ、その程度で済んでいるうちに現状をよく把握した方が、いいんじゃないか」

 ドスを効かせた脅しが、男の文句を遮った。そんなやり取りをしている間にも一秒刻みに、シュイの手の平の指が折り曲げられていく。

「そうやって意地を張ったところで、果たしてどれほどの意味があるのかな。少々の情報を漏らしたところでこの戦況が覆ると、セーニアが負けると本気で思っているわけでもあるまい? ……とっとと話しちまえよ、楽になるぜ?」

「ぬ……ぐぅ」

「3……2……侵略者に優しくしてやる理由は、どこにもないんだよ?」

 言い放つと同時に、シュイは机の上に抑え付けられた間諜の手の甲目掛け、肘を振り下ろした。



 ――ぁぁぁぁぁぁァァァァァ!

 分厚い壁を貫き、廊下の奥まで響き渡った苦悶の声に、ヴィオレーヌがぶるりと体を震わせた。皮膚から浸透してくるかのような悲鳴だった。壁に寄りかかっていたピエールはポケットに両の手を突っ込んだまま下を向く。

「ヴィオレーヌさん、ここは俺たちだけでいいから部屋に戻ってなよ。終わったら呼びに行くからさ。あんま気分のいいもんじゃないだろ、拷問なんて」

「……い、いえ、大丈夫です。与えた傷を直ぐに癒せれば、みなさんも存分に――っ」

 再び、今度は引きつけ時の呼気をぶつ切りにするような声が鼓膜を震わせた。耳を塞いだまま、体を駆け巡る悪寒に身を縮め、それでもヴィオレーヌはこの場から立ち去ろうとしなかった。イヴァンは溜息交じりに頭を掻きむしった。

「まったく強情なやつだ、シュイも負けず劣らずだがな――む」

「……あいつ、ちっと無茶してねえかって、おい……おいおーい」


 ――ギッ……ぎゃあアアぁぁァァ……やっ、やめろぉォォ! 頼む、やめてく――がっ……あがあァっ!

 度重なる悲鳴に鈍い音が重なり、一瞬にして途切れた。しんとしたかと思うと、今度は啜り泣く声が聞こえてきた。

「ふっ、今の鈍い音からすると確実にどこかの骨を折られたな」

「ふっ、じゃねえよ……、どうしてこんな状況で笑えるんだか」

 イカれてる、とばかりにピエールはさめざめと首を振った。

「ったく、あいつもあいつだ。汚れ仕事なんざ俺かイヴァンに任せとけっつうのに聞きやしねえ。拷問なんて柄じゃねえだろ」

 故郷を滅茶苦茶に蹂躙され、師であるアルマンドを殺された自分ならば、敵に対する罪悪感よりも恨みが勝る。イヴァン・カストラにしても人生の裏街道のど真ん中を通ってきたような男だ。暴力や脅しはお手のものだろう。適材適所という観点からすると、シュイが率先してやるべきことは他にいくらでもあるように思えた。


「そういった行為を嫌っているからこそ、仲間の手だけが汚れていくのを見過ごせない。……あやつはそういう男だ」

 例によってベージュ色のヴィッグをつけたアミナが、椅子に座ったまま表情を変えずに言葉を返した。その落ち着きぶりに、ピエールが思わずほくそ笑む。

「ん、何だ、面白いことを言ったつもりはないが?」

「あぁいや、すんません。口にしていいものか迷うもんで」

「……思わせ振りなやつは女に嫌われるぞ」

 顔をしかめてみせたアミナにピエールが苦笑する。

「こりゃ手厳しいな。んじゃ遠慮なく言いますけど、あいつがああいった行為に及ぶ責任の一端は、ア……リーズナーさんにもあるんじゃないですか?」

 言い直したピエールを気に留めた様子もなく、アミナはただその内容に小首を傾げた。一昨日の昼食時、リーズナーという別人に扮していたことを告白していた。とはいえ、流石にジヴーの者たちに正体をバラすわけにはいかず、呼称はリーズナーで、ということで話が落ち着いていた。

「……私に、責任? 一体なんのことだ?」

 ピエールは鎧を吊り下げている肩ベルトを少しだけ持ち上げた。

「……まいったなぁ、本当にご自覚ないんですか? 貴女がここからてこでも動かないってことは、あいつに絶対に負けられない理由ができちまったのと同意ですよ。自分が好いている女にもしものことがあったら――って。そりゃあ少しでも勝率上げるために必死にもなるでしょ」

「わ、私はっ! そのようなつもりでここに来たわけではないし、守ってもらわねばならぬほど弱くもない。……べ、別に守ってもらうのが、嫌だというわけでは、ないが」

 途切れ途切れのアミナの言葉に、強張っていたヴィオレーヌの顔がようやく緩んだ。

「……私のしていることが、あやつを追い詰めているだけだと、つまりはそういうことか?」

 不安げにズボンを握り締めるアミナに、ピエールが慌てて首を振った。

「いやいやいや、そこまでは言ってないですけど。むしろ吹っ切れるきっかけになったかも知れないし」

「……ほ、本当か? 本当にあやつの迷惑になっていないか?」

 予想外の過剰反応。縋りつくようなアミナの上目遣いに、ピエールは安易に不安を煽るような台詞を口にしたことを後悔した。

「も、もちろんですよ、なっ、イヴァン」

「……意味がわからん、何故俺に振る」

 イヴァンが毛虫でも見るような目付きで、会話に巻き込んだピエールを睨む。

「そりゃあだって、シュイとあんたは昔からの馴染みなんだろ? あいつの性格とか、考え方の傾向なんかはある程度把握してるんじゃないか?」

「やつと再会したのはつい先日だ。イェルドのことならまだしも、シュイについてはおまえたちの方が詳しいだろう」

「あー、まぁ言われてみれば。んじゃあ、似たような経験っつうか、シチュエーションに心当たりとかは」

 イヴァンは訝しげにピエールを見た。

「いやさ、あんた見てくれは悪くないから、女をとっかえひっかえしててもおかしくなさそうな――」

「――人聞きの悪いことを言うな。それほど節操のない生活を送ってきた覚えはない」

 二人のやり取りにヴィオレーヌの尖った耳がぴくりと動く。

「今はそうなんだろうけど、ぶっちゃけ数人くらいなら経験あんだろ? 行き付けの港にベッド仲間がいるとか――」

 一瞬、イヴァンの目が泳いだのをピエールは見逃さなかった。が、その後ろで聖母の微笑みを浮かべるヴィオレーヌのプレッシャーに気づき、出しかけた言葉を呑み込んだ。

 一体どこから取り出したのか、後ろ手を組んでいるにこにこ顔のヴィオレーヌの背中から、神々しくも刺々しい純白の鉄球が顔を覗かせていた。確かモーニングスターとかいう、金属鎧を破壊するための鈍器だ。後ろを一切見ぬイヴァンにしても凛々しい眉がぴくぴくと震えている。我が身に及びかねぬ危険を存分に感じているようだ。


 ――あんなんでまともに殴られちゃあ、いくらイヴァンでもたまんねえな。ヴィオレーヌさん、意外と肉弾戦もいけるのか? そう、意外っちゃあ、アミナ様の方だよな。

 ピエールは内心で、ここ最近のアミナの変貌振りに驚いていた。以前は決して威厳を持ち崩す事のなかった少女が、普通に女の子をしていることに。そのくせ、シュイの前で背伸びするのは相変わらずなのだが。

 二人に起こった変化は、二人の距離がより縮まったことを意味するのだろうか。どんなことがあったかを想像するにつれ、不思議と頭に浮かぶのは茶髪の獣族。自分の妻であるミルカの顔だった。かと思えば、急に彼女のお産の事が、子供のことが心配になってくるのだった。


 ――あぁ、いかんいかん、前向きに考えなきゃな。よぅし、俺だって無事に帰れたらミルカにあんなことやこんなことを――

「妄想は、ほどほどにしておけ」

 アミナの何気ない呟きに、ピエールの全身が戦慄いた。

「あ、あれ、……えっと、顔に出ていたとか? それとも――」

「――顔は見ておらぬし、口にも出しておらぬ。強い好色の気が感じられただけだ」

 さらりとそう言ってのけるアミナに、ピエールのこめかみがぴくぴくと痙攣した。


 ――な、なんだぁ? コウショクノケって。よくわかんねえけど、心が読めるってことか? ……可哀想に、シュイのやつ、くっついたらくっついたで一生頭が上がらねえかもな。……あれ、でもそれって今と何ら変わらねえし、特に問題ないのか。


 不意を突くように、尋問の行われている部屋の鉄扉がガタンと鳴った。ピエールは驚きに両肩を跳ね上げたまま、恐る恐る後ろを振り返った。と、顔と黒衣に返り血を浴びたシュイがきまり悪そうに立っていた。その姿はホラー的な意味で迫力十分。幼い子供が一目見れば、夢にまで出しゃばってくること請け合いだ。


「終わった、どうやら観念して喋っている――」

「お、やるじゃねえか」

「よし、早速ヴィレン将軍に報告を――」

 朗らかに応じるピエールとアミナに、シュイが困ったように両手を掲げた。

「その、悪い、最後まで聞いてくれ。――喋っているよう、なんだが……しゃくり上げているせいで全然聴き取れないんだ。……先に傷を治してくれないかな」

「……えーっと、はい、では早速」

 ヴィオレーヌがいそいそと部屋の中に侵入し、続いて『ひっ!』と息を呑む音が聞こえた。並の惨状ではないようだった。


「…………変なところで不器用な奴だ」

「これは……庇う言葉が見当たらぬな」

「……あー、そう、あれだ、きっと時間がなくて焦っちまったんだよ。……だよな、シュイ?」

 部屋に入ったイヴァンとアミナの率直な感想に。ピエールからの空々しい慰めの言葉に。シュイはしょんぼりと項垂れるばかりだった。

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