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~紲雷 thunder of bonds8~

 ――そろそろ、この景色も見納めだな。

 上座に座っていたビシャ・リーヴルモアはグラスに浮かぶ氷を揺らしながら窓の外に広がる夜景を目にし、感慨深げに呟いた。


 セーニアの将校たちは豪華客船のように改装した砂船で晩餐に興じていた。夜の静寂に溶けていくのは戦勝祈願の竪琴の音だ。待ちに待った援助物資が届いたことで、オルドレンに侵攻する日が三日後と正式に決められたのがつい四、五時間前のことだった。最後の決戦とあって敵の激しい抵抗が見込まれるが、それを頭に置いても負ける要素は見当たらない。

 およそ三週間ぶりに届けられた支援物資の中には、貴族が好む嗜好品も含まれていた。深海に住まう亀、ギャラスの卵を瓶詰めにしたものやセーニア名産の林檎酒など。久方振りに食卓に並んだ高級食材に将校たちは満足そうな表情を浮かべていた。酒に関しては大量に届いているので、余すことなく今夜中に消化するそうだ。今頃は末端の兵士たちまで振舞われているだろう。

「……くうぅー、この味が堪らん。やはり故郷の味とは掛け替えのないものよ、早く戦を片付けて家に帰りたいものだわい」

 齢五十に届かぬくらいの男がグラスの中の氷を揺らしながら何度となくうなずいていた。名をネルガー・シラブスといい、ビシャとは同門、つまりは同じ師を仰いだ間柄だ。軍人としては平均的な身長で180前後というところだが、木の幹を思わせるがっしりとした体付き。体重は100kgを悠に超えている。

 ネルガーは剣よりも盾の扱いに長けるという異色の人材だ。そのせいもあって出世街道ではビシャに一歩譲っていたが、将ともなると上には騎士総隊長くらいしかない。その地位とナイトマスター称号を与えられることを心待ちにしている内に、気がつけばネルガーが隣の席にいた、というわけである。


 先ほどから彼が口にしているリンゴ酒はセーニア北方の一般家庭でも作られている習慣がある。何か飲みやすい酒をということで要請はしたものの、林檎酒を、と指名したわけではなかった。にも拘わらずこれが中に入っていたところをみると、送り主も戦地にいる兵たちをそれなりに気づかったのだろう。

「かぁー! 五臓六腑に滲み渡るとはまさにこのこと。今宵の酒は本当に美味いわい」

「東西南北どこも砂、砂、砂、ですから、喉も乾きますよねぇ。わたくしなどは、ここに到着して三日も経たぬうちに国に帰りたくなりましたよ。土人(どじん)たちも、よくもまぁ畑もろくろく耕せぬような土地で生活できるものです」

 三十後半くらいの七三分けの男が、そこにいる者たちの顔色を窺いながらそう言った。土人(どじん)とは主に辺境に住む者を卑下した言葉であるが、それが頻繁に使われていたのは領土を広げる侵略戦争を繰り返していた百年ほど前までで、今ではあまり使われていない。

 さり気なく敵を貶めつつ自分の持つ雑学を垣間見せるという高度な言葉遊びを、ビシャはその巨躯の通りに物言わぬ壁となって聞き流した。彼にはひとつ、些細ながらも気になる事柄があった。


「勝利後の土地の割譲は、少しでも北の方を選ばねばならぬな」

「各国の世論がうるさいからな、全てを植民地化するわけにもいかぬし。戦後処理というのも面倒なものだ」

「ジヴーで目ぼしいものとしては鉱山資源、特に宝石類ですか。それを管理するのも一苦労ですね」

「ここには内地から派遣されるであろう、治安維持部隊を除いては軍の管轄ではない。――ん、リーヴルモア卿、いかがいた?」

 先ほどから一切文言を口にしないビシャに、老将校がさり気なく訊ねた。

「――いや、あの小生意気な小娘の有無が我が軍の士気に影響を及ぼすとは思わなくてな」

 将校たちはお互いの顔を見合わせた。少しして、ビシャが誰を言い表しているかがわかったのだろう。ある者は肩を竦めてみせ、またある者は卑屈な笑みを浮かべた。

「あぁ、あのお嬢様。一週間ほど前に本国に発ったと聞いていますが」

「そうだ、今朝も散歩の折に愚痴っている者を何人か見かけてな。どこの部隊の者かまではわからぬがいくらなんでも緊張感が足りな過ぎる、後で徹底的にしごいてやらねばならん」

 兵士たちもまさか通りがかりに将軍と居合わせるとは思わなかったのだろう。戦いの女神に見放されたなどと嘆いていた兵士たちはビシャから鉄拳制裁を見舞われる羽目になった。

「やるにしてもほどほどにな、リーヴルモア卿。大事な一戦の前に貴重な兵士たちが使い物にならなくなっては困る……っと、これは問題発言か」

 いささか迂闊とも取れる発言に、ネルガーは詫びの言葉を発しながらも悪びれた様子を見せなかった。そのことを必要以上に窘めようとする者もいなかった。ネルガーが叩き上げの将校であると同時に、兵の損害を最小限に留められるよう心砕く運用をしていることから、これは単に言葉選びを間違ったと考えるべきだ。誠意を以って接している者は多少の失言くらいは見逃されるという好例だろう。

 それを窘める将校が現れなかったのも、必ずしも将校らの生来的な気性が問題だというわけではなく、幾度も戦を重ねた結果として、兵士たちの生死に少しばかり鈍感になってきていることが起因していた。


「アデライード・ディアーダ、か。才気は認めるが、やつも皇族には違いない。教皇派の監視を受けていると思うと色々とやり辛いことも出てくるからな」

 ふとっちょ異端審問官のディビ・ミョールが難しい顔で呟いた。

「いや、しかしですな、配下の者にも彼女のファンはかなり多いですぞ。精鋭か否かに関係なく、所詮男は男。花に群がる蜂のように、常闇のかがり火に集う魚のように、美しい女子には抗いようがなく引き寄せられるもの」

「ですな」

 本能には勝てぬというネルガーの意見に何人かがしたり顔で同調する。この持ち上げ方からすると、将校たちの中にもファンは少なからずいるのかも知れない。

「ファンなどと、上役からしてそのような物言いをすることが、回り回って下々の者たちの気の緩みに直結するのではないか。軍隊にファンだのアイドルだのは必要ない、そういう戯れは王宮内のみに留めていればいいのだ」

 ディビの言に、ビシャはどうかな、と首を捻った。士気高揚の効果が見込めるならば、利用することもやぶさかではない。もちろん、軍律至上主義者とも揶揄される彼の頭が固いのは今に始まったことでもないし、愛妻家という顔を持つ彼からすれば別段彼女を特別視する理由もないのだろう。

 けれども、今後の定まらぬ政局を考えると、彼女の求心力は支持率への起爆剤としてなかなか侮れぬものがある。国の中央に座する大臣たちの現場への理解が足りぬように、軍人たる自分たちもある程度(まつりごと)に理解を示さねば、美味しいところだけを政治家たちに持っていかれる現状は一行に改善されないのだ。

「そうは言ってもミョール殿。王宮でも巷でも、ディアーダ家のご令嬢のことは教皇様より余程話題に上っている。我々が権力を握った暁には、彼女を懐に抱きこんだ方が民たちに対しての心象が良いと思うぞ」

 狐目が印象深いのっぽの軍師、ロッグ・ケトゥレフが控えめに異論を唱えた。

 セーニア教皇アダマンティスは側近たちに有能な者が多かった故に低く見られがちであったが、決して凡夫ではなかった。若かりし頃に彼の綴った政治評論などは各国で高い評価を得ているし、容姿も十人並みよりは余程よく、威厳ある文学者といった落ち着きある佇まいだ。人格的にも欠点らしい欠点はないので、ビシャから見ても上の下くらいの人物ではある。

 とはいえ、コンラッドの名声や人望と比べるとどうしても見劣りしてしまう、というのが彼存命時の共通認識だ。落ち目になりつつあった教皇の権限を再び回復するための懐刀として見出された男が、よもや教皇以上の求心力を集めるという皮肉な結果に終わるなどとは誰が予想しただろうか。

 妹を妻に与えるなどの表向きの体裁がどうあれ、密かに教皇がナイト・マスターを疎んじているという噂はあった。それを聞き齧っている者は軍内部にも少なからずいる。

 アデライードと教皇は姪と叔父の間柄であるが、アデライードが軍属になったこともあってあまり接近する機会はない。お互いの領域には干渉しないという姿勢を崩さぬところからすると、不仲ではないようだが、肉親の情がそれほど濃いというわけでもなさそうだ。


 ディビは太い首を一周させてから鳥の腿にかぶりついた。

「そう簡単に仰られましても、……モグモグ……あれは乗りこなせるようなじゃじゃ馬ではありませんよ。今ここにいる者たちでも、……ゴクン……彼女に確実に勝てそうなのはリーヴルモア殿とリブライ殿くらいのものでは?」

「剣では上手であっても、床上手とは限らんぞ。こう、腰を振ってだな」

「またまた、ご老公はそのようなことを……」

 しゃかしゃかと、傍らで横方向へのスクワットを始めた老将軍に、また始まったか、と将校たちが苦笑を交わし合った。

 だが、何人かの将校がビシャの目が笑っていないことに気づくと、談笑の雰囲気は波に攫われていった。ざわめきが落ち着いたのを見計らい、ビシャが再び口火を切った。

「<魔遺物ヴァイーラ>探索の方は、はかどっておらぬと聞いているが」

 その言に、末席に座っていた若い将校が立ち上がった。

「……そればかりは仕方ない部分もあるかと。諸勢力に動きを悟られぬよう先遣は小規模なものに留めましたし、敵も予想以上の戦力を抱えていたようですから」

「そうか、貴公が今回の探索の責任者だったな」

「……ええ、はいそうです」

 ビシャはグラスをテーブルに置き、目を閉じる。

「言い訳が達者なだけの兵ならば我が軍にはいらぬ。家族共々路頭に迷う様なことになりたくなければ、とにかく結果を出せと探索兵たちに伝えろ。手段は一切問わぬ」

「……御意」

 恐れ入ったというように、若い将校は手を胸に当て、深々と頭を下げてから着座した。

「忌まわしきは異教徒共よ、セーニアに断りもなく古き世の技術を占有するなどとは神をも恐れぬ行為だ。そういった危険極まりない物は理念と正義を有する国が管理するべきだ」

「つまりは、我々のような、というわけですか」

「なんだ、随分と棘のある言い方だな」

 テーブルの向かいから投げ込まれた言葉の毒の香に、自然とディビの鼻息が荒くなった。気障キザ)という言葉を体現したような金髪の若年将校が、ナプキンで口元を拭っていた。

 双方共に軍人然とした角刈りだが、ふとましいディビと比べて若い男の方は貴族特有の上品さが損なわれていない。ガレット・リブライといえば王宮の婦女子の間でも何かと噂に上っている美男子だ。これで青臭い理想主義者でなければ、次世代のセーニア軍を背負う人物足り得るとの評価を戴いている。

「リブライ卿、少し口を慎め」

「そうですね、リーヴルモア卿がそう仰るのであれば」

「それは、儂には敬意を払えんと言っているのと同じではないか!」

「年長者を立てるのは王城で嫌というほどやっていますから、せめて軍にいる時くらいは素の自分でいさせてくださると助かります。私は自分以上の強者にしか敬意を払いたくありません。階級も同じ大佐ですしね。もちろん、あなたが私以上の強者であればそれ相応の対応を取らせていただきますが」

「……ぐ、ぬぬ」


 これでは暗に『おまえは俺より格下だ』と言われたも同然だ。ディビも審問官としての立場があるだけに上から目線で接されることには慣れていないだろう。口惜しそうに歯軋りするのを横目に、ビシャは大きく溜息をついた。ガレットがもう少し慎重な性格になってくれれば一軍を任せられるし、自分ももう少し楽ができるのに、と。発した言動に対して相手の心の動きを洞察することが出来ねば、まだまだ将の器ではない。

 強国の軍を任される将校たちは敵軍以上に部下の造反、心変わりを怖れる。軍を統括する立場にある者にはそれなりの信望が必要になるが、敵国と相対する場合には高慢だと思われるくらいの威圧的な態度を取らねばならぬ時もある。その使い分けが上手く出来ぬ者は、遅かれ早かれ内部淘汰される。

 かといって、そういった心根は口で説明してもそうそう上手くは伝わらぬものだ。現場で目を皿のようにして観察し続け、ことによっては痛い目を見ねばわからぬ場合ある。不用意に鍋に触れて火傷を負った子供が自然と同じ過ちを繰り返さなくなるように、人は痛みに対する教訓を忘れないものだ。如何に堪えられるぎりぎりの痛みを負わせて人を育てるか。ビシャは、人材育成とはそれに尽きるとも思うのだった。


「先ほどの話ですけれど、そもそも<魔遺物ヴァイーラ>とはなんなのですか?」

 そう考えていた矢先のガレットのこの発言に、ビシャの顔が苦虫を噛み潰したようになった。以前の会議で説明したはずだったからだ。空席も居眠りしている者もいなかったように見受けられたが、背筋は伸ばしていても心は上の空であったらしい。

 ガレットだけでなく、ちらちらと自分と視線を合わせぬ者が出ているところを見ると、会議をまともに聞いていなかったのは一人だけ、というわけでもないようだ。

「今一度しか、言わぬぞ」

「そ、そうだぞ、リブライ殿」

 次なる台詞を言った者の、しかし自信なさげな表情にビシャは眉をひそめた。十中八九、知ったかぶりだろう。とはいえ、酒も程よく回っている頃合い。あまりのんびりと議事を進行していては皆がテーブルに突っ伏し始めるかも知れない。ビシャは先ほどよりも早口で説明した。

「これといった特定のものがあるわけではない、あの男の話では古代人の使っていた不可思議な道具をひっくるめてそう呼んでいるそうだ。万病を治す霊薬、はたまた如何なる攻撃魔法をも上回る破壊力を持つ魔石とかな」

「ほぅ! それは素晴らしいですね、魔石には一定量を超える魔力供給は困難だと聞いておりましたが」

 全て前回に説明した内容だがな、とビシャは心の中で言い返した。

「興味はそそられないでもないですが、それ以前に情報提供者を信用してよいのですかな。元々あの男もルクセン教徒のようですし、何のために我々にそのようなことを伝えてきたのかも謎のままですぞ」

 将校の一人が不安げに眉根を寄せた。

「完全に信用できるはずもないが、一応それらしい物は持ち出してきたじゃないか」

 ビシャは男が持ち出してきたという彼方を映し出す千里眼を思い浮かべながらそう言った。筒型のそれは、これまでとは比較にならぬ倍率で遠くを望むことが出来た。遠くに望む山の木々が枝葉の輪郭まではっきりと窺えたのだ。あれほどの道具を今の時代の技術で作るのはどだい無理だろう。此度の戦に持ってきたかったのはやまやまだが、壊されたら困るということで申し出はにべもなく却下された。


「先方は我々を利用しているつもりだろうが、それはこちらとて同じことだ。その道具とやらを使う一定の目途がついたところで始末してしまえば良い。異教徒を殺めることについては神も咎めはすまいよ」

「待たれよ、彼はその、セーニア教に帰順したと聞いていたのだが」

 若い将校の戸惑いの声に歯抜けの中年将校が眉を上げた。その目には無知を笑う類の嘲りが多分に含まれていた。

「帰順? くくっ、久し振りに聞いた言葉だな。異教徒は死ぬまで異教徒と決まっておる。思惑に改善の兆しがあれ、邪悪な教えにどっぷりと浸かった魂の穢れはどうあろうと拭えぬのだよ」

「な、なんと申されるか」

「そういった連中にとっては選ばれた者に対する一生の奉仕と死こそが唯一の救いであり、安寧だ。異教徒の人権なんぞを忖度して――」

「――その辺にしておけ、初心(うぶ)な者には刺激が強過ぎる話だ」

 ビシャが口を挟むと、中年将校は途中で止められたことが腹立たしかったのか、ぶっきらぼうに椅子に踏ん反り返った。

「その物言いからすると、リーヴルモア殿は彼と同意見なのですか」

 落胆が多分に含まれる若い騎士の呟きに、ビシャは少しも態度を崩さなかった。

「何を以って同意見と言っているのかわからんな。貴公が俺を含めた他人をどう評価するかは勝手だが、人という個が群、すなわち軍になって動くには価値感の共有が必要だ、そうは思わないか」

「それはそうですが……しかし……」


 少なくとも、そう思い込んでいた方が敵を御しやすいのは事実だ。仲間が躊躇いを振り棄てて人殺しをしている姿を自分だけ善人面で見ているのが果たして正しいことなのか。

 ビシャは自分の良心に苛まれて身を滅ぼしてきた同輩たちを数多くみてきた。彼らの中には無茶な作戦を敢行して帰らぬ者になったり、気が触れて戦場から遠ざけられた者たちがいた。いささか皮肉なことであるが、彼らは誰より正常であったからこそ、余計にその心を痛めていた。もっとも、軍を離れたくて気が触れたフリをしていただけの者も中には混じっていただろうが。

「平気な顔をしているように見えても、我々とて心を擦り減らして国のために、民のために戦っている。国は以前に比べて豊かになったかも知れないが、まだ飢えが完全に根絶されたわけでもない」

 そうならぬために、ビシャは己の言葉に酔う術を身につけた。それが、たとえ上辺のものであったとしても。酒を呑み過ぎて前後不覚になる様に、己が言葉を認識させて善悪不覚になる、一種の自己暗示である。

 自分が悪いことをしているなどと葛藤しながら敵を倒すのは自分自身を追い詰め、ストレスを溜める行為に他ならない。自らが手を血に染めているのは事実だが、それを公然と非難できる者は、少なくともセーニアにはいないという確信がビシャにはあった。

「時には道を外れることもあろうが、騎士を志した時の思いはしかとここに在る。信念と信仰こそが我らが騎士たる証であると同時に、セーニアの民に繁栄をもたらす力なのだ」

 親指で胸を指し示したビシャに、力の籠もった拍手が散乱した。

「まさに、リーヴルモア殿は論客家としてもやっていけそうですな」

「うむ、我らが国が更に広がれば、それだけ恩恵を受けられる者も多くなる。侵略されるとて悪いことばかりでもあるまいよ」


 ナイトマスターが斃れて以来、セーニアの多くの軍人たちは新たな将を求めていた。自分が指針を定めるよりは、ひとつの指針に迎合する方が疲れないし傷も浅くて済むからだ。それは、いつか流れが逆巻くその瞬間を心の奥底で怖れていることの照明でもあった。潮の変わり目が来ても己の身の保全を図れるよう、彼らはおこぼれを預かる狡猾な獣となることを選んだのだ。消耗の少なさを考えれば一歩引いた形も決して悪いものではない、そうやって自分を納得させていた。そして――

「……そう、ですね」

 拍手に促されるようにして、若い将校が諦めたように呟いた。大多数が少数を呑み込む瞬間。ビシャは目の前にいる将校の姿に、若かりし自分の項垂れた姿を重ね合わせていた。昔の自分と同じように、今の彼はとても納得している表情とは言い難い。が、認める発言をしたことが始まりだ。遠からぬ内に、自覚も持てないまま歯車として動き出すことになる。それでいいと思ってしまう自分が現れるのだ。これを不憫と思ってしまっては自分を憐れむことになる。ビシャは生じた負の感情を彼方へと追いやった。


「魔石の話に戻るが――恐らく概念からして違う武器なのだろう。両手で持てるくらいのそれを発動させるだけで町が消し飛んだとかいう与太話もあるそうだ」

「それは凄い、話半分にしても高威力なのは想像が付きますね。それが我が軍にも常備されるとなれば、ルクスプテロンなどおそるるに足りないのですが」


 ――さて、そこが一番の問題だな。

 我が軍が、と一口に言ってもそこは大国の軍。部署や部隊は無数にある。ざっと挙げ連ねるだけでも本部、審問部、諜報部、輸送隊など。手に入れた道具の危機管理が難しいものであれば押し付け合いになるだろうし、安易に一所にそれを纏めるとすると、その管理者が心変わりをした時が恐ろしい。一般的な傾向として、軍人の気が触れる割合は一般人よりも大きい。血生臭い空気に充てられればストレスが常人よりも余計にかかるからだ。

 扱えぬ代物を懐に収めれば、結果として疑心暗鬼を招くだけに終わる可能性もある。そういう観点からすると、<魔遺物ヴァイーラ>は敵には渡したくないが、自分が持っていたとしてあまり有り難くないものでもあった。少なくとも、野心を秘めぬ者にとっては。


「私としては、どちらかというと万病を治す霊薬とやらに心惹かれますな」

 ネルガーが赤ら顔でそう言った。大分酔いが回っているらしかった。右へ左へと危なっかしく、四角い顔を揺らしている。

「おやおや、教皇殿にでも使って差し上げる気か?」

「冗談にしては笑えぬぞぅ、自分の首を絞める趣味はない。この齢ともなると一番恐ろしいのは何か、病だ。大病を患った時のために、自分や家族用にひとつかふたつ、ストックしておきたい。……悪いかぁ!」

「はは、相当出来あがっているようですな。いや、悪くはありませんが、教皇派にはとても聞かせられぬ談義ですなあ」

 心底可笑しそうな笑い声が、室内を満たしていく。ややあってそれが収まると、ビシャは指を擦り合わせながら隣に座っている議長に目礼を送り、話を進めさせた。


 そうして数件の瑣末な案件を迅速に片付けたところで、召使いが果実酒を運んできた。あくまで喉を潤し、弁舌を滑らかにするためのものなので酒度は薄いが、それでも議場には束の間、弛緩した空気が漂った。

 ビシャはそれを一気に煽ってから、空になったグラスを召使いが差し出したトレイに乗せる。

「――では、残りの議題に取りかかるとしよう。次が今日の本題と言っても良いのだが……リブライ卿、オルドレンを内偵している者からの連絡が途絶えたことについて、詳しく説明してくれ」

「ああ、やっぱりその懸案、今日やるんですね」

「出兵が三日後に決まった以上、やるタイミングがもうないのだ。重要事項だけでも把握しておかねばな」

「では、先んじて<賢律院ルーツを切り崩すために放った密偵についてですが……。三日置きに連絡を入れるよう命じていたのですが、一週間ほど前から音沙汰がない状態です」

 この戦争始まって以来初ともいえる悪い知らせに、束の間一同が沈黙する。

「……さては連中、勘付いたか?」

「どうでしょうな、監視がきつくて魔石を使えぬ状況に追い込まれているのやも」

「最悪の場合、敵に拘束、もしくは殺害された可能性も否定できません。拷問にも屈せぬよう一通りの訓練は受けさせておりますが、向こうも向こうで必死でしょうからね。戻ってくることは期待しない方がよいと考えます」

「まぁ、今更どうこうするには手遅れな感も否めぬな。ルトラバーグを除けば我々も正攻法で攻め入っているし、だからこそ対策も限られよう」

「油断は禁物だぞ諸君、窮鼠猫を噛むという言葉もあるし、最後くらいは他勢力の介入があってもおかしくないからな」

「それは、噛まれるくらいのことはあるかも知れぬが。痛みに堪えたその後で食べてしまえばいいだけの話では」

「現実的な話をするならば、ネズミの保持する病気は怖いですよ?」

「なんにせよ、この戦力差で負けるようなことがあれば国には戻れぬわ」


 ビシャの苦言にも、多くの将校は余裕を崩さなかった。噛まれるとしてせいぜい前線の兵士たちだろう。そんな風に考えているように思われた。ただ、その余裕はネルガーら叩き上げの将校たちにはない。一兵卒でしかなかった自分たちがそういう風に見られている時期があったかと思うと不快さも増大するというものだ。

 きな臭い雰囲気に気づいたのか、何人かの貴族将校が咳払いをした。一瞬の間隙を突いて、軍師たるロッグが苦言を滑り込ませた。


「戦術を預かる者は戦場にいる誰より臆病でなければいかん。ポーカーと同じだ、相手が役なしの顔をしていようと最高の手札の可能性を考えねばならん。一度負けるとその流れは容易には止まらぬのだから、ですな、リーヴルモア卿」

「……うむ」

 ビシャは相槌を打ちながらも、戦をテーブルゲームに例えた軍師に釈然としないもの、もっというと温度差を感じた。だが、その違和感が何ゆえに感じられたのかまではわからなかった。


「そういえば、兵糧と共に送られてくるはずだった後詰めは見送られたのですか?」

「そのようだな、不要と判断されても無理なき状況だ。実は、文ではヌレイフの地でフラムハートの傭兵共が不穏な動きを見せている、ともあったのでな。これ以上の兵力を国元から離すのは危険だと判断したのだろう」

「……ヌレイフ、湿原に」

 軍師たるロッグの顔から血色が失われる。彼の輝かしい経歴において唯一の汚点ともいえる憎々しい地名。真っ白であるが故についた滲みはより目立つ。

 ルクスプテロンの手痛い反撃に遭ったヌレイフ湿原で敵寄りの傭兵たちが動いているとなれば、セーニアとしては警戒せざるを得ない。三年前につけられた傷は未だ癒えたわけではない。国に残っている者たちも同じ心境だろう。

「ふむ、援軍が見送られた理由はわかったが、わからんのはフラムハートだな。何の目的で、どうして今頃になって動き始めたのか」

「確かに、国境付近で動かれれば嫌でも警戒せざるを得ませんけれど」

「こちらに援軍を出されたくなかったという理由ならば、一応の筋は通らないか」

「いや、部外者が今の現状を分析した場合、ジヴーの陥落は規定事項のようなものだ。今更そのような浅い考えで動くとは思えん」

 ビシャが否定的な見解を示すと、何人かの将校が確かに、と追従するように頷いた。

「……背後にルクスプテロンがいるかどうかだけでも、裏は取れなかったのか?」

「今現在はな、少なくとも軍の方は動いていないようだ。残念ながら、俺にも文に書いてある以上のことはわからんのだよ、ネルガー」

 ビシャが真顔のネルガーに肩をすくめつつ言葉を返した。今にも寝そうだった男がヌレイフという単語だけで完全な素面しらふになるとは思えない。酔いには演技も多分に入っていたのだろう。食えぬ男だ、と下顎を撫でる。

「ふむ……いかな四大ギルドとはいえ、単独で仕掛けてくるとは考えにくいと思うが。他のギルドとの駆け引きもあるからな」

「ですが逆に、バイルワールド潰しの時と同じように他ギルドと連携を図られると……決して軽視できませんね」



 ――シルフィール、か。いつぞやのように日和見していてくれるならば、こちらも楽に事を運べるのだが。

 ヌレイフの戦いでは、セーニア軍は楽観論に寄った途端に大損害を出した。それだけにショックは大きく、抗戦論が反戦論に裏返るのを止めることができなかった。今回の戦いも大詰めだ。同じ過ちを繰り返すことは決して許されない。将校たちもヌレイフというキーワードを聞いて酒気が薄れたようだ。良くも悪くも、あの戦いでの教訓は活きている。

「まぁよい、今は目前にある懸案を片付けねばならぬ。三日後のオルドレンへの出陣に備え、各々準備に取り掛かるがよろしかろう。本日はこれにて閉会とする、――解散!」

 足並みの揃った起立。どうやら少しは気を引き締めてくれたようだ。ビシャは退室していく将校たちの表情を満足げに見送っていた。

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