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~紲雷 thunder of bonds7~

 ――なぁなぁリーズナーさん、どうやってあいつを説得したんだ?

 ――べ、べべべ、別に。特別なことは何もしていないぞ。

 ――何でそんなに動揺してるんだ? うーん、それにしても短時間でこうも心変わりするなんてなぁ、一体何があったんだろ。

 ――知らぬと言っておるだろう、少ししつこいぞ。シュイには吹っ切るだけの時間が必要だった、ただそれだけのことだと思うが。

 ――そっかー、まぁいいけど。そうそう、念のため忠告しておくけどさ、あいつには惚れない方が賢明だぜ。何てったって既に惚れてる女がいるから。しかもだ、ある消息筋ではその方はさる国の――


 何が『消息筋』か。傍らでひそひそ話を展開するピエールと変装済みのアミナに、シュイはフードの奥で頬をひくつかせていた。



 ヴィレン将軍との再会の日。シュイは昼頃から段々とそわそわしてきた。座っている今でもどうにも落ち着かず、右膝が小刻みにリズムを刻んでいる。腹案の詳細を知らせる決心はついていたが、開き直ったという境地にまでは至っていない。論破されたからといって完全に吹っ切れる類の悩みではないからだ。

 それでも、差し迫っているのが不可避の選択ならば、アミナが諭したように思いが傾く道を進んだ方が後悔せずに済むだろう。今自分たちにできる最善は、少しでも戦争による犠牲が減ると信じる方へ舵取りし、天命を待つ他にない。

 あるいは、それも建前なのかも知れなかった。誰だって心寄せている異性にみっともない姿を晒したくはないものだ。見栄と断じられればそれまでだが、想いを寄せている相手の前で張り切らずしていつ張り切る、とも思う。

 混濁した感情を何とかひとつに取り纏め、明確な方向を打ち出したシュイは、決意が鈍らぬ内にとヴィレンの到着を今か今かと待っていた。


「そろそろ、日付が変わるな」

 覆面を外しているイヴァンが植木鉢の時計花に目を遣った。花弁の色は群青から漆黒へと変わりつつある。 窓の外はシンと静まり返っており、外気が冷えてきたのか硝子には霜が貼りついている。本来ならば宿の玄関もとうに閉まっている頃合いであるが、来客があることは宿の主人に知らせてあった。

 今この場にいるのは五名。ラードックは割れてしまった酒瓶を補充すべく夜の街に出掛けている。ついでに仕事仲間と飲み明かすとのことなので戻ってくるのは明け方になるだろう。


 カランカランと、呼び鈴の乾いた音が二度鳴った。部屋の入口に近かったヴィオレーヌがやや緊張した面持ちで立ち上がり、ドアに向かった。

 半開いたドアの隙間、青い絨毯の敷かれた廊下に立っていたのはヴィレン将軍。そして、足元には木製の小さな杖とローブの端が見えた。その持ち主は、眩いばかりの頭皮に三本の白髪、<賢律院(ルーツ)>に属するスザク・シハラだった。


「遅くなって済まなかった、尾行がないかを確認しながら来たものでね」

「それはいいが……ここに来る時は一人という約定のはずだったな?」

 招かざる客を連れてきたヴィレンに、イヴァンは冷やかな表情で応じた。

「スザク殿は信用に値する方だ、私が保証する」

「ならば、話し合う前に彼が内通者でないという証拠を示してもらおうか。それが無理なら(おきな)殿にはご退席願いたい」

「そうだな、そういうオチだけは勘弁だ」

 イヴァンの要求にピエールまでもが同意すると、ヴィレンの眉間にしわが寄った。

「つまり、私の言だけでは不服ということか? <賢律院ルーツ>で戦場に出ているのは彼だけなのだぞ」

 殺される危険もあるのを承知で戦場に出てきているならば、内通者の可能性は低いということを言いたいのだろう。ところが、イヴァンは僅かに眉を動かしただけだった。そして、その真向かいからも否定的な意見が述べられた。

「それだけでは少し弱いな、むしろ怪しむ者がいても不思議ではない。戦場の現状を逐一報告できる立場ということだからな」

「そこまで疑うのか、少し礼を失するのではないか」

 ヴィレンが尚も疑いを捨てぬアミナに噛みついた。高圧的に、というよりは親しい人間を貶された者が見せる義憤という風合い。ヴィオレーヌがドアノブを握ったまま、不安げな瞳を揺らした。

「イヴァン、皆さんまで、いくらなんでも……」

「一人で来るという約を違えたのはヴィレン将軍だ。こちら側とて命を賭ける立場、慎重を期することについて一線を譲る筋合いはない」

「警戒するのはわかるが……いや待て、今イヴァンと言ったか。その顔、まさかあの賞金首の――だからあの日も覆面を」

 はっとヴィオレーヌが両手で口を押さえた。イヴァンは別段咎めるでもなく、ヴィレンに流し目を送った。

「言われてみれば、名乗る機会がなかったかも知れないな。どちらにせよ、犯罪者だから協調できぬなどと綺麗事を口にできる立場ではないだろう? セーニアにとってはジヴーの民もルクスプテロンを支援する犯罪者扱いだ。どうにも気に食わぬというならば、協調関係を白紙に戻しても構わんが」


 涼しげなイヴァンとむっとしたヴィレンの視線が激しく衝突する。スザクは火花を散らす二人を見比べながら、禿げ上がった頭を労わるように撫でた。

「いや、いやいや、各々方、ヴィレン殿に無理に同席を願い出たのは儂の方でな。その、あまり責めないでやってくれるかの、儂としても、その、ちと肩身が狭いわい」

「言いだしっぺがどうだろうと関係ない、面識のない者をいきなり引き合わされ、あまつさえ信用しろと言われ、おまえたちは言いなりになるのか。アルマンド・ゼフレルの仲間でなかったら、果たしてヴィレン将軍閣下は我々を信用したのかな。もしそうならば、逆にそんな間抜けと組むのはこちらから願い下げだが」

「なんと、先ほどから下手に出ていれば! いくらなんでも無礼に過ぎる――」

「――ヴィレン殿、構わぬ」

 語気を強めたヴィレンを、スザクがはっきりした口調で制した。

「いや、ですがしかし――」

 ヴィレンの抗弁を無視し、スザクがイヴァンに目を細めた。

「――お若いの、言い分はごもっともじゃ。そうさな……証とは少し違うやも知れぬが、儂の娘婿が先の戦いで戦死しておる」

 淡々としたスザクの物言いに、イヴァンとアミナが束の間顔を見合わせた。

 スザクが己可愛さに国を売った内通者だとするならば、何を置いてもまずはその身や家族の保全を図るはずだ。事実上最高機関である<賢律院ルーツ>に所属しているのであれば、ジヴーにおいては相当な影響力を持っている。敵と通じていれば作戦もある程度知らされているはずだから、身内を危険から遠ざけるくらいのことは出来ただろう。

 折りが合わずに見殺しにした可能性も残されているが、そこまでひねた見方をしていては協力関係が組めるはずもない。イヴァンはようやく入室を許可し、腕を組んで深めに椅子に腰掛けた。



 カーテンの締め切られた部屋の中、照明の明るさが窄んでいった。室内は蒸すように暑かったため、

「イヴァン、結界を張り終えました。これを解かぬ限り、この部屋で発される音が外に漏れ出る心配はありません」

「よし、異変を感じたら直ぐに伝えてくれ」

「はい、わかっております」

 ヴィオレーヌは結界を維持するべく手を組みながらイヴァンに応じた。


「話し合いの前に、まずはゼフレル殿のお悔やみを申し上げる、レオーネ、殿」

 レオーネの部分を殊更強調し、頭を下げたスザクにピエールが頭を掻いた。モーレという偽名を使っていたことに思い至ったようだ。

「あーっと、あん時は、そのさ」

 しどろもどろのピエールに、スザクがにたりと笑った。

「責める気はない、組織人たる立場を考えれば当然のことと受け止めておるでな」


 そんな二人のやり取りを視界の端に捉えながら、シュイが斜め前方に座ったヴィレンに話しかけた。

「ヴィレン将軍、本題に入る前に内通者の調査についてどうなっているかを確認してもいいか」

 ヴィレンは厳しい表情を崩さずにシュイの正面の椅子に座った。未だイヴァンの不遜な態度への憤りを払拭し切れていないようだった。

「そちらについては、スザク殿の力も借りて軍や<賢律院ルーツ>で目ぼしい者をピックアップしつつある。ただ、候補を絞りきるまでには今少し時間がかかるだろう。更迭までに間に合うかは、微妙なところだ」

 その隣の空き椅子を引きながらスザクが言葉を続けた。

「儂らもセーニアへの対抗策は昼夜を問わず議論したのだが、如何せん今の兵数で実行するには無理があってのう。情けない話ではあるが、どうも我が軍には儂も含めて戦術の才に欠けた者が多かったようじゃ。良い考えをお持ちであれば是非お聞かせ願いたく、こうして参った次第。そなたらの目にはただの爺に映ろうが、これでもこの国ではそこそこ顔が利くでな、少しは手伝えることもあるだろうて」


 シュイはちらりとアミナと視線を交わし、彼女がうなずくのを見て、佇まいを正した。自然と、他の者たちの表情も引き締まった。

「――予め断っておくが、俺の案とて綱渡りになるのは確実だ。無策で挑むよりは幾許か可能性が上がる、その程度に考えて欲しい」

 無論、とヴィレンが短く答えた。彼らとて(わら)にも縋る思いで、言えばシュイの策など藁程度にしか考えていない可能性もあるのだ。


 今現在セーニア軍の兵数は四万弱。対するジヴー軍は補充兵を合わせて一万三千弱。開戦当初は二万以上いたはずのジヴー軍も、敗戦と制圧とでここまで勢力を縮小してしまっている。

 これだけ兵力差が圧倒的だと二千や三千の数の違いなど大した問題ではない。既に正攻法では太刀打ちできぬと結論が出ているのだ。しかも敵の総司令は武名高きビシャ・リーヴルモア。彼を消せれば――否、彼一人くらいでは足りない。彼の側近にも将軍クラスの者たちがいるはずだ。指揮を執り得る人物の乗る砂船を、一網打尽にするような方策を取らねば容易には崩れない。そして、肝心なことであるが、指揮系統を潰したとて、周りの兵たちが戦意を失わなければ敗北は必至。大規模な衝突を避けるためには何かしらはったりを利かせて心理戦に持ち込む必要がある。

 考えた末にシュイは、少なくとも大勢の兵士たちに敗北を予感させるようなデモンストレーションを行う必要があると確信した。それには、視覚的に訴える超長距離からの派手な攻撃魔法か召喚魔法。あるいはそれに比肩し得る何かしらの攻撃方法が望ましい。

 ただ、セーニア軍は大所帯にして精鋭揃い。敵側にもヴィオレーヌのような対魔法防御の使い手が複数名いると考えて動くべきだ。レイヴの言葉を信じるならば宮廷魔術師たちは国に残っているということだが、たとえ彼らに並ぶ使い手がいなくともある程度の実力を持った数十人の魔法使いがいれば、強固な合成結界を張ることは可能。ニルファナやエミドとて、単発でそれを撃ち破るのは困難窮まるだろう。もっとも、それほどの攻撃魔法の使い手はジヴー軍にも、仲間の中にもいないのだが。

 どちらにしても、中途半端な距離で膨大な魔力を駆使すれば感知魔法で気取られる恐れがある。初撃を防がれるなり、警戒されるなりすれば、今度は危険を察知した指揮官たちに船を降りられてしまう可能性が出てくる。つまり、仕掛けられる機会は初撃のみ。八方塞がりのようにも思われる。


 だがもしも、結界を張る間もなく、迅速に指揮官たちが乗っているだろう砂船の群れを全滅に追い込む方法があれば――


 ――そうだ、誰かしら負わねばならない責ならば。

 自分にとっては、名も知らぬ万人の侮蔑よりもアミナ一人の侮蔑の方が堪える。シュイは意を決したように俯き気味の顔を上げた。

「では、ヴィレン将軍。今現在ジヴー軍に所属している魔法使いの総数を大体でいい、教えて頂きたい」

 戦術を駆使するに当たっては、まず敵味方の戦力を把握することが肝要。ヴィレンは腕を組み、天井を仰いだ。

「――魔法使い、か。およその数はわかるが……スザク殿は魔法師団を率いておいででしたね。詳しい人数をご存じでしょうか」

「ふむ、新兵も合わせてよいかの?」

「構わない」

「――それなら、一週間前に撤退を完了した時の点呼で三百前後だったと認識しておる。誤差五人以内なのは保証するぞい」

「三百か、……そこから更に、攻撃、付与魔法の使い手に絞ると?」

「んーむぅ、正確な数字までは戻らないと何とも言えぬが、200強といったところじゃないかの。内訳に触れると、付与に関しては二桁にも届かぬはずじゃ。一般的な傾向としても<結合(ユニット)>は不得手としている者が多いからの」

 シュイは口元を押さえたまま視線を落とした。予想よりも少ない数だったが、そういった状況も有り得るだろうと心の準備はしていた。


 ――やはり、非戦闘員の協力は不可欠か。ならば――いや、ここは鉱山の町、必ずあるはず。

 シュイはぶつぶつと呟きつつも、懸案を微修正していく。

「じゃあもうひとつ、この町に銅鉱石の蓄えはあるか。直ぐに加工出来るような銅塊や銅板が大量にあるならそれに越したことはないんだけど」

「……銅鉱石?」

 魔法使いの人数確認の後に鉱石の有無。果たして、ヴィレンとスザクは戸惑いを隠せぬ様子でお互いの顔を見合わせた。シュイの意図したいことが読めぬようだった。

「それはまぁ、腐るほどあるはずだ、ここのところ北との交易が頓挫してしまっているし」


 ここでいう北とはルクスプテロンのことだろう。シュイも戦時中に輸出する余裕はないだろうと当たりをつけていた。一段階目はクリアといったところだ。ここまではおおよそ予定通り。

 もしかすれば、次の言葉を口にすることで千を超える兵士たちを殺めることになるかも知れない。だが、このまま敗戦ということになればそれに倍する者たちが犠牲になるだろう。

 シュイはゆっくりと間を置き、続いては勢いよく口火を切った。

「なら、保管されているそれを全て使わせて欲しいんだが。もちろん、諸々の費用負担はそちら持ちで」

 ヴィレンとスザク、二人の呼吸が止まった。周りからもちらほらと息を呑む音が聞こえた。

「……ぜ、全部だって?」

 声を裏返すヴィレンに、シュイは申し訳なさそうにしながらもしっかりと二度うなずいてみせた。ここで弱気を見せれば突っ撥ねられる可能性が高くなることを知っていた。

「実は、それでも足りるかどうか怪しいくらいなんだけど、国の存亡すら危ぶまれている時にそれくらいの出費はどうってことないよな。最悪、民家にある家財や軍で武器に使われているものも溶かしてしまえば何とか必要量には届くんじゃないかと――」

「――い、いや、ちょっと! ちょっと、待ってくれ」

 会話をずいずいと進めようとするシュイに、ヴィレンが慌てて手で差し止めた。シュイがようやく息を継いだのを見て、ヴィレンは安堵したように息を吐き出した。

「それは私の一存だけではなんとも――民の資産を勝手に持ち出すわけにはいかないし、法で対応しきれるかどうかも。……そもそも、そんなにたくさん何に使うというんだ、武器でも作るつもりかい」


 訊ねる言を口にしながらも、ヴィレンはそんなはずがないことを薄々ではあるがわかっていた。銅が鉄に比べて強度に劣り、しかも質量があることは、武技に覚えのある者ならば周知の事実だ。名のある傭兵がそれくらいのことを知らないとは思えない。

 銅が鉄に比べて優れている点としては低温で加工できることと劣化しにくく錆びにくいことだが、短期決戦でそんなことを気にする必要はない。強力な武器を作るのならば、初めから鉄鉱石や玉鋼、もしくは希少鉱石を所望するのが普通だ。

 だが、驚くべきことにシュイはヴィレンの言葉を肯定した。

「武器か、そうだな。用途で評すならその表現も正しいかも」

「……大量に必要ということは、もしや新しく砂船でも作るのか? 銅は重量があるから乗り物の材料には適さぬと思うが」

「少し惜しい、銅で砂船を作るわけじゃなくて作った物を砂船に載せたいんだ」

「搭載するということかい? いや、しかしだね、そんな大がかりな物を載せれば船足が遅くなるはずだし……」

 突拍子もない申し出にすっかり恐縮してしまったヴィレンを尻目に、スザクがシュイに問いかけた。

「それがまこと勝利に結びつく助けとなるならば検討もやぶさかではないがのう、……一体、何を作る気なんじゃ?」


 胡散臭さを感じ始めたのか、ヴィレンとスザクの視線は疑わしげなものに変わりつつあった。戦にそれほど縁のない国からすれば、傭兵に良いイメージを持っているとは考えにくい。そして、シュイもそれくらいの反応は覚悟していたのだろう。別段気にした様子は見受けられなかった。

 シュイは黙って立ち上がり、部屋の隅に立てかけられていた大きなロール紙を手に戻ってきた。

「それは? ……っと」

「ちょっと失礼」

 シュイはヴィレンとスザクの目の前、長机を繋ぎ合せた大テーブルに紙を一気に押し広げた。巻かれていた紙の先端がイヴァンの手にぶつかる寸前で止まり、少し戻りかけたところでイヴァンが手早く端を押さえた。

「……この近辺の地図のようだが」

 十秒ほどして、ヴィレンがそう呟いた。オルドレンとルトラバーグの名が記されているのに気づいたのだ。

「むむぅ、随分と精巧な作りだのう。我が軍でも採用したいくらいじゃ」

「ルクセンの測量士が作成した地図だ」

 イヴァンがぽつりと呟いた。

「ほぅ、それは凄い、大した技術を持っているのだな」

 素直に賞賛したヴィレンに一瞬イヴァンの目が見開かれたが、直ぐに動揺を吹き消した。とはいえ、心なしか表情が柔らかくなっていることから、ヴィレンの器が決して小さくはないことを認めたようだ。

 一方で、シュイは広げた地図に長めの定規を乗せ、ルトラバーグとオルドレンの間を線で結び、その中間点にバツ印を二つつけた。

「――これから銅鉱石の用途と、セーニア軍の動向予測、この策の肝となるジヴー軍の連携を説明する。あくまで素人考えの域を出ないから、修正すべき点があったら是非とも指摘して欲しい。盲点は自分では存外気づき難いものだからね」



 説明が始まってから二時間。未だ空は闇に覆われ、光の片鱗も見られなかった。外で鳥の囀りが少しずつ聞こえ始める一方で、消音結界を施された大部屋内では沈黙が鎮座していた。

 周りからの質問を交えながらシュイの説明が一通り終わると、一同は貶すでもなく、褒め称えるでもなく、真一文字に口を結んでいた。既に朝と言って良い時間帯だが、眠そうな顔をしている者は見受けられなかった。果たしてそのような無茶を本当にやり通すことが出来るのか、頭の中で真剣にシュミレートしているようだ。

 ややあって、イヴァンがテーブルに向いていた眼差しをシュイに移した。

「――ジヴーが鉱物資源の豊富な国だということを念頭に置けば、そういった突飛な発想もまかり通るか。内的葛藤だけでなく、気の進まぬ理由がわかった。切羽詰まった状況でなければ、到底受け入れられるものではないな」

 イヴァンの言は実に的を射ていた。かかる費用からしてとても個人レベルの蓄財で負担できるものではなく、財政に干渉できるくらいの有力者の協力を取り付けねば妄想で終わる、そんな思い付き。優勢な側でこんなことをやろうと言い出したら確実に戦犯扱いされるだろう。

「戦続きで出費もかさんでいるはずだし今更これくらいの拠出はどうってことないだろうって読んだんだけれど、それでも将軍と面識がなければ諦めざるを得なかったね」

 初めにイヴァンが指摘したように、アルマンドとの接点がなければヴィレンらが協力者とは成り得なかっただろう。ヴィレンの鋭い視線が地図に加えられた線を今一度ひと舐めし、それからゆっくりシュイへと向いた。

「私の目から判断しても理論上であれば、策略として成立しているように思われる。いかにして敵の懐に潜り込むのかが一番の難問だが。それから、一般的にもそれは銅で作るものではないはずだ。その点は解決できそうなのか?」

「ご指摘通り、鉄より脆いから強度面では不安がある。文献にもそう記載されていたしね。ただ、形を整えること自体に問題はない。鉄火場にも一昨日足を運んで何人かの職人に確認してある。砂漠でやる分には問題ないだろうってさ。もちろん、敵船に接触されようものなら一巻の終わり、そうはいっても船ほどの質量にぶつけられたら鉄でももたないだろうけど。とにかく、この作戦では実行部隊はもとより、支援部隊の方にも一糸乱れぬ動きが要求される。さっき説明した銅の特性がこの作戦の要だから、ここは譲れない。同量の金か銀を用意できるっていうなら、話は別だけど」

「無理無理」

「無理だな」

「無理だろ」

「無理じゃ」

 一同の心の声が重なった。シュイは微かに肩を落とした。

「と、なれば……他の船を犠牲にしてでもその一隻ないし数隻を辿りつかせるしかないわけか。場合によっては全部が全部スクラップになるかもな」

「やめてくれ、縁起でもない」

 アミナの軽い物言いにヴィレンが唇を尖らせた。砂船が高価なのは容易に想像がつくことだし、交易に使う船をも失ったら上手くセーニアを退けたとして国が直ぐに立ち行かなくなるだろう。こと金銭感覚に関しては、大国とそうでない国とでは少なくとも一桁は違うはずだ。

 とはいえ、先のない未来を案じている余裕はジヴーには残されていない。場合によってはアミナの言うように、スクラップ覚悟の体当たりでも道を抉じ開けねばならないのだ。

「流石に、全船が潰れるとまずいんだ。次があるぞ、と思わせなくちゃ相手を脅せないからさ」

「ラードックに足の速い船を提供できればあるいは、といったところか」

「あれ、ルクセンの船は使えないのか?」

 シュイの落とした疑問に、イヴァンは頭を掻きながら応じた。

「馬鹿を言うな、先の撤退戦ですら針鼠にされたんだぞ、あの船でそのまま立ち向かうのは誰が考えたって自殺行為だ。大体、上手くいったとして船が使い物にならなくなるのは確定事項、船員たちやラードックが首を縦に振るわけがないだろう」

「あー、それもそうだな」

「ま、船は捨てる方向だよな、補修とか激しく無理だろ。タイミングもかなりシビアになりそうだから下手すると自分たちも巻き添えになっちまう、撤退の合図もちゃんと決めておく必要があるぜ」

 存外乗り気なイヴァンとピエールに、シュイは逆に不安を覚えた。

「あ、あのさ、立案者がこんな弱気なことを口にするのもなんだけれど、本当にこんなことをやれるのかは半信半疑なんだ。無理だと思うのなら、遠慮なくそう言って欲しいんだけど」

 シュイは期待とも不安とも付かぬ視線をヴィレンたちに投げかけた。ヴィレンがスザク老を見下ろすと、スザクは小さくうなずいてみせた。


「――反論はなし、だな。一見すると馬鹿にしか考えつかぬ作戦だ。それだけに、敵も狙いには気づきにくかろう。私がセーニア軍側についていたとして、愚かな玉砕としか捉えぬやも知れぬ」

「……それは、褒め言葉と受け取っていいのかな」

 シュイは複雑そうな表情を、両手で頬杖をついたアミナに向けた。

「間違っても良策とは呼びたくないが、劣悪な戦力で戦況を引っくり返すにはこれくらいぶっ飛んだ策を採用するしかなかろう」

「劣悪とは、中々に手厳しいお言葉だな」

 歯に衣着せぬアミナに、ヴィレンが苦笑いした。

「でもよ、敵が先に膨れ上がった魔力を察知したらどうすんだ? あ、違うか。だからそれだけの量が必要になるってことだな」

 勝手に自己解決したピエールに、シュイが地図に引かれた線を囲む、複数の丸印を示した。

「どれほどの実力者でも、感知魔法の索敵範囲が1kmを超えることはまずない。敵がどういう陣形を組むかで多少の変動はするけれど、超長距離での魔力の揺らぎとなれば看破される恐れはほとんどないはずだ」

「方向性はこれでいいとして、念には念を入れて一度試験的に短い距離で試した方がよさそうだ。熱で溶け落ちないかを確認するのと、地面に拡散してしまわないかが気になる」

「そこは、メッキを施すなりして減衰せぬよう工夫するしかあるまいの」

「安全面を考慮しないなら純銅を使うのが一番なんだけど、そこは柔軟に対応する必要がありそうだ」


 各々が持ち寄った意見を、アミナが白紙に手早く羅列していく。そのくせ、字は非常に流麗だ。感心したように眺めるシュイにアミナは顔を起こし、今度は肘で覆い隠すようにしながら書き始めた。

「な、なんで隠すんですか」

「やかましい、そうやってまじまじと見られれば誰だって恥ずかしくもなろう」

「いいじゃないですか、減るもんじゃないし。綺麗な字なんですから見惚れたって」

 肘で小突き合う二人を視界に収め、ピエールが『んん』と咳払いをした。

「おいおい二人共、じゃれ合うのはいつだって出来るだろ? 折角の緊張感が台無しだぜ」

「ああ、すまない」

 ――おまえだけには、言われたくない。

 シュイのそんな心の声が聞こえるはずもなく、ピエールはシュイの素早い謝罪に満足そうだった。

「この敗色濃厚な状況もカモフラージュとしては十分だな。内部工作を仕掛けてきたということは、セーニアも直ぐ攻めてくることはしないだろう。支援物資を待っているのか援軍を待っているのかはわからないが、ぎりぎり準備する時間は残されている」

「どうやら、話は纏まったようだな。……まだまだ詰めは必要になるだろうが、成功時の絶大な効果を考えるとその提案に乗らせてもらう他なさそうだ。後に残る問題は、内通者か工作員か、こちら側の動きが筒抜けのままではどうしようもない」

「その両方の可能性もあるぜ」

 ヴィレンの言にピエールが口を挟む。

「うむ、この話がセーニア側に漏れたら妨害する方法など腐るほどあるからな。いかにして鼠を見つけ出すか、最悪の場合どうやって隠し通すか。複数名潜伏している可能性も視野に入れ、ここからはより慎重に行動せねばなるまい。それから、我が軍の戦意の問題もある。敗戦続きで地に落ちている状態だし――」


 ヴィレンがそこまで言ったところで、ふとシュイはイヴァンに流し目を送った。イヴァンは一瞬きょとんとしたが、少しするとそういうことかと肩をすくめてみせた。

「――最終決戦ならば、士気高揚のための演説くらいはするだろうな」

「ん? あぁ、もちろんそういった場は用意するつもりだ。もし私の更迭を回避できたらの話、だが」

「――だ、そうだ。シュイ、わかっているとは思うが、彼が軍を指揮出来ねばこの作戦も成り立たないぞ」

「わかってるさ、まずは鼠探しだな。最低限、責任論を広めたやつだけでも捕らえられればヴィレン将軍の問題は解決できる」

「ふむ、早速で済まぬが一点、修正案を提示する」

 立ち上がり、手を挙げたアミナに一同が注視する。彼女は視線を意識した様子もなく形の良い胸を張った。その揺れ具合に、スザクとピエールの鼻の下が心なしか伸びた気がした。自分の鼻の方は、鏡がないので確認しようがなかった。

「大規模な物を作っていることが知れたら流石に見破られないとも限らぬ。物が物であるし、大きな工場でやるよりは町の各所にある鉄工所で分担してやった方が良いと思うのだが」


 シュイたちがお互いの顔を見比べた。確認するまでもない、異論なしの表情だ。

「決戦までに組み立てられれば問題ないし周りの者たちに勘繰られる可能性も減りそうだ。それでいこう」

「ほっほっほっ、何やら開戦以来初めて、胸が躍っている気がするのう」

「くれぐれも、ご老体で無理はなさらぬように頼みますよ。戦後の復興にはスザク殿の助力が不可欠です」

 なけなしの力こぶを作って見せるスザクにヴィレンが溜息交じりに応じた。

「ふむ、これまた開戦以来初めて、そなたの口から戦後という言葉を耳にした気がするの」

「そ、そうでしたか?」

 ヴィレンが少し照れ臭そうに耳を掻いた。弱さを見せずとも敗北の意識は彼らの心の深層にも巣くっていたのだろう。それだけに、シュイは皆が自分の施策を前向きに捉えてくれたことを嬉しく思っていたし心強くも感じた。

「かつてない国難、若人が命を懸けるならば儂らとて安穏としてはおれぬな。全身全霊を以って事に当たたろうぞ。……おぉ、そうじゃそうじゃ、魔法の心得のある者らを集めるタイミングは如何する?」

「ヴィレン将軍の更迭が見送られた時点からで宜しいかと存じます。それでしたら軍の方針が変わったとしてもさほど不自然には感じないでしょうし」

 結界の維持に終始していたヴィオレーヌが、控えめな声で答えた。


「三人寄らば文殊の知恵、か」

 無駄が削ぎ落とされ、新たな発想が付加されていく己の策に、シュイが感慨深げに息を継いだ。

「それをいうならば、案ずるより産むが易し、であろう?」

 そうと言葉を返したアミナの微笑を見止め、シュイは微笑を返した。



 新年を間近に控えた1570年12月28日。この日、反攻への道筋は示された。斜面を転がり始めたそれは雪玉のごとく大きさを増し、少しずつ加速していった。向かう先にいるのがセーニア軍か、はたまたジヴー軍なのか、わからぬままに。

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