表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/93

~紲雷 thunder of bonds5~

 階段を上り、黄昏に染まる地上へと出た黒衣の男を見止め、通りを猛然と走っていた女が踵で急停止をかけた。

「え、……もしかして、リーズナーさん?」

「……その声は、当たりか。……ようやく、見つけた」


 かなりの勢いで走っていたのか、靴底が摩擦で焼け焦げ、白煙が流れた。垂れ下がった髪に隠れていて顔はお互い確認できなかったが、髪の色は間違いなくリーズナーのそれだ。彼女は膝に手を当て、絶え絶えの息を整えようとしていた。ぽつぽつと、地面に汗が雨のように滴った。

「当たり……って、まさか、今の今までずーっと、俺を探していたんですか? こんなに大きな町の中で?」

 オルドレンは数十万の人口を抱える大都市。加えて砂漠の地方では黒衣を身につける者もそれなりにいる。葬儀が頻発している今ではなおさら、喪服として身につけている者が多い。そんな中から連絡もつけずにたった一人の人間を見つけ出すなどどれだけ困難なことか。

 正気の沙汰じゃないと言いたげなシュイに、リーズナーは屈んだ姿勢のままで顔だけを起こした。鼻の頭が真っ赤に日焼けしてかなり痛そうだった。

「別に、大したことでもあるまい。言えば、マラソンがてら、人探しをしていただけだ」

 全く呑めぬ言い分だった。この炎天下の中でのマラソンが自殺行為だろうことくらい子供でもわかる。

「……夕方になってもこんなに暑いのに、いくらなんでも体に毒ですよ、夜には戻るってちゃんと言いましたよね……。体調の方は大丈夫なんですか」

「うむ、問題ない。少しばかり頭が、くらくら、するが――」

 全然問題なくない。滑舌の良いリーズナーのたどたどしい言葉遣いに、シュイの顔色が変わった。呂律が回っていないのは典型的な日射病の症状のひとつだ。

「ちょっと、どこかの喫茶店、いや、病院にいきましょう。水分を補給して頭を冷やさないと」

「……それなら、喫茶店を所望する。喉がひりひりしてしょうがないのでな」

 辛いのか笑っているのか判別し難いぎりぎりの表情で、リーズナーはそう言った。



「……うーむ、極楽極楽」

 リーズナーに肩を貸し、最寄りの喫茶店に連れ込んだシュイは連れの様子に慌てふためく店主にタオルケットを借りてボックス席のソファーに敷いた。生地の薄い部分が汗で肌に密着し、透けて妙に艶めかしかった。特に、女性らしい部分がくっきりと主張されているのは目の毒だ。シュイは努めて気にせぬよう、なるべく体に視線を合わさぬように彼女の頭を膝枕に置いた。腿に熱が一気に伝わり、足の裏が汗ばんできたが、気取られぬように手当てに集中した。

 小さな額には氷結付与を利用して作った氷を革袋にいれた即席の氷嚢を乗せた。顔も火照っていたので目の部分も濡れタオルで覆っている。タオルを置いた直後にはじゅうじゅうと、薄白い水蒸気が立ち上ったのであるからして、どれほど体温が高くなっていたかは想像に難くなかった。明日には熱傷で苦しむこと請け合いだ。辰力で体を保護していなければ、冗談ではなく命にかかわっただろう。

「それだけ異常なことをしていたってことですよ、反省してください」

 強い口調で応じるシュイに、リーズナーの口元が笑みを作った。

「まぁ、そういうな。こうして会えたのだし」

「そんなこと言って、もう日も暮れかけてますよ。こんな酷い無茶をしなくても、宿で普通に会えたのに……」

「無粋なことを申すな。人の心情は足し算引き算で推し量れるものではない。たとえ辿り着く結果が同じであろうと、探し求めて会えた、その事実こそが大切なのだ。少なくとも、私にとってはな」

「……とりあえず、水飲みますか」

「んむ、有難い。しかしこの格好では少し……」

「店員さんが気を利かせて水差しを用意してくれましたんで、大丈夫です」

 そう言いつつも、シュイはテーブルに置いてある水差しに手を伸ばした。

「……いや、そういうことではなくて、だな」

「はい、どうぞ」

「……そなたは、人の話を聞けと、むぅ、……全く」

 諦めたように、リーズナーはシュイに膝枕されたまま、差し出された硝子の水差しの口を唇で挟んだ。シュイは慎重に手を傾け、彼女の口によく冷やした水を流し込む。

「……ん、……ん、んく」

「美味しいですか」

 リーズナーの口は塞がっていたが、それを肯定するように飲むペースが段々と速くなっていった。水差しの中身が空になるその都度、シュイは自分のコップから水を継ぎ足した。


「……ぷぅ、人心地ついた」

 四回ほども継ぎ足しただろうか。リーズナーがタオルを片手で払い、ゆっくりと横たえていた体を起こした。

「ちょっと、まだ無理しない方がいいですよ」

「心配いらぬ、先ほどよりは随分と楽になったし、その……」

「何ですか」

「……そ、そなたには羞恥心がないのか。……流石に恥ずかしいのだ、周りの目もあるし」

 シュイは店内をゆらりと見回し、納得した。顔を合わせる度にあちらこちらの視線が遠のいた。黒ずくめの男が日射病の美女を連れ込むという光景は、客や店員にとって中々に物見高いものだったようだ。

 幾分しゃんとしたリーズナーの様子を確認し、シュイは隣の席に移動した。

「……偶々会えたからまだ良かったものの、もう少し遅れてたら」

「終わったことを何度も蒸し返すものではない、しかめ面ばかりしていたら難しい顔になってしまうぞ」

「別に、してませんよ。フードつけてるのにわかるわけないでしょう」

 少しどきりとしたが、シュイは平静を装って言葉を返す。少なくとも、しかめ面をさせる側が口にして良い台詞ではないはずだ。

「それで、何か緊急の用事だったんですか」

「いや、先ほど少し元気がないように感じていたのでな」

「……そ、そうですか?」

「うむ、ピ……レオーネ殿も心配していた。私としても、その、セーニアへの善後策について無理矢理聞き出してしまった感があるから、少し後ろめたさも手伝ってな」


 図星を指され、シュイの呼気が止まった。長い付き合いがあると、フードも全てを隠し切れるわけではないようだ。

「あの話ですか。……あれは、贔屓目に見ても成功率の低い策ですし、仮に全てが上手くいったとして、不利な状況下ですから犠牲者も相当出るのは避けられないはずです。そんな博打に皆を付き合わせるのは、正直……」


 支部長であることを曝露(ばくろ)したくらいだ。シルフィールを辞めさせられる覚悟はできている。もし今後も傭兵を続けたければ他のギルドに移ったって、リーズナーのようにフリーで傭兵を続けたっていい。昔ならいざ知らず、今はどこでだってやっていける自信もあるし、相応の実力もつけたつもりだ。蓄えの方も、黒衣や鎌のメンテナンス費用と旅費や宿代以外にはほとんど使っていないからかなり貯まっている。腹は括れている。そう、自分の腹は。

 とはいえ、その覚悟を他の者たちにも負わせるのは卑劣な行為なのではないか。自分だけが犠牲になるなら踏ん切りもつきやすいが、己の迂闊な考えが発端となって大勢の人を死に追いやったとしたらどうするのか。自分が経験した地獄を、またも見せつけられたとしたら。

 シュイはそういった事態になることを怖れていた。エスニールで大勢の仲間が殺された光景は、未だ脳裏に焼き付いている。その再現のきっかけが自分になるなんて、どうにも堪えられることではなかった。


 そうしたシュイの心情を汲み取ったのだろう。リーズナーはしばしの黙考を経て、口を開いた。

「なけなしの策であろうと無策で戦いに臨むよりはましであろう。戦う兵たちとてその作戦を成功させるという明確な目標ができる。だだっ広い場所を闇雲に掘り返すのか、一箇所に目星を付けて集中して掘り進むのか、という単純な問題だな。闇雲に圧倒的質量にぶつかるよりはずっと気が楽だ」

「ですが、俺は一介の傭兵に過ぎませんし」

「正規兵でないからこそ浮かぶアイディアもあるはずだ。否定されることを怖れているわけでもなさそうだし、ちゃんと思案した上での企みであろう? アルマンドはそなたたちに後を託したのだ。あの男は託せぬ者に全てを押し付けるような者ではないように見受けられたが? 少しは自分を信じたらどうなのだ」

「ですが……しかし……」

「煮え切らぬな、ではなにか。他の者に適当な策を思い付かせて戦った方がいいと言うのか。失敗した時の責任はそいつに全て押し付けてしまえと?」

「なんっ、そこまで言っていないでしょう!」

「ふふん、ヴィレン将軍と同じ反応か。しかしな、腹に一物あるにも拘わらず無言を貫く者はそう示唆すると同じことだ。……違うか?」

 爛々と輝く赤い瞳がシュイを見据えた。シュイから返答はなかった。沈黙が是を示していた。

「そうであろう? 文句だけ言う卑怯な輩よりは、自分を傷つけてでも茨の道を進む者の方が格好良いぞ。私はそなたの歩む道を疑わぬ、と以前そのようなことを伝えたつもりだが」

「……以前? いつの話ですか」


 首を傾げたシュイの前で、リーズナーがふっと表情を崩した。

「ここまで言ってもわからぬか、まぁよい」

 おもむろにリーズナーが立ち上がり、ぐっと自分の髪を引っ張った。ベージュ色の髪がピンと這った。

「…………ん、……あれ」

「ど、どうしたんですいきなり、虫でもついてたんですか?」

「い、いや、しばし待て」

「あ、はい」

 今一度、訝るリーズナーがぐっと自分の髪を掴み、引っ張り上げた。シュイは何をしているのだろうという不思議そうな面持ちでそれを見守った。

「む、ぐぐぐ…………いっ!」

「な、何やってるんですか、髪が抜けてしまいますよ」

 歯を食い縛り、目尻に涙を浮かべるリーズナーの手に、立ち上がって制止しようとしたシュイの手が重なった。触れた手が一瞬びくりと戦慄いたが、思い直したようにシュイの顔に視線を動かした。

「す、すまぬが髪が絡んでしまっているようだ。……解いてもらってもいいか」

「髪が、絡んでいる? 何にですか?」

 疑問に疑問が返された。きまり悪そうに頭を下げたリーズナーのつむじを見てみると、なるほど、確かにベージュと銀色の髪が渾然一体と混ざり合っていた。


 ――って、銀髪? 白髪……じゃないよな。リーズナーさん若いし。

「よいか、そーっと引っ張ってくれ。慎重に、慎重にだぞ」

「……えっと、ええ、わかりました」


 重ねていうところから察するに、先ほど引っ張った時は相当に痛かったのだろう。シュイは言いつけ通り、慎重にリーズナーの髪の毛に指を差し入れた。

 端からやっていけば大丈夫か、などと思いつつ髪を解く作業を開始したシュイは、数分間の悪戦苦闘の末に、今度は自分が両手で頭を抱えることになった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ