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~紲雷 thunder of bonds4~

「では、また三日後にお会いしよう」

 火葬場を出たところで、ヴィレンは鞍つきのふたこぶラクダに跨り、手綱を握っていない方の手を振りながら商業地区の方へと消えていった。ほどなく蹄の音が往来の雑踏に呑まれると、ヴィオレーヌとラードックがどちらからということもなく視線を交わし合った。

「では、私たちも戻りましょうか」

「そうですね、のんびりしていたらミイラになってしまいそうです」


 強い陽光から目を庇うようにしながら、ヴィオレーヌとラードックが並んで歩き出した。四人が一斉に彼女らに追従した。が、そう間もない内に一人分の足音が欠けた。

 リーズナーがいち早くそれに気づき、爪先立たせながら後ろを振り向いた。通りの真ん中でシュイが一人立ち止まり、足元に目をやっていた。

「どうかしたのか」

 単刀直入なリーズナーに遅れて、他の者たちも次々に後ろを振り返った。シュイが顔を起こし、五人全員と視線を合わせるように首をゆっくりと動かした。

「悪いけど、みんなは先に帰っていてくれるかな」

「……それは構わぬが、何か用事でもあるのか?」

「考えようによってはヴィレン将軍に失礼なことをしてしまったわけだし、少し一人になって頭を冷やしたいんだ。夜までには宿に戻るから」

 言い終えた時には、シュイの視点は覆面をつけたイヴァンに定まっていた。

「……わかった、敵の勢力下でないとはいえ戦時中だ。無用な心配だろうが、警戒だけは怠るなよ」

「ああ、じゃあまた後で」


 一人通りを外れ、狭い路地裏に消えていくシュイを目にして、ピエールが眉をひそめた。

「なんだかあいつ、元気ないな。さっきのことにしてもさ、ただ思い付いたことを訊ねられただけであんなに及び腰になるなんて」

「……うむ、明らかに普段とは様子が違ったな」

 同意するリーズナーに、ピエールがはて、と首を捻った。普段と言えるほどには、リーズナーと知り合ってからそんなに日が経っていないからだ。そんな些細な違和感に気づいた様子もなく、ラードックが口を開いた。

「自分で一旦見直してみたかったのではないですか。斬新なアイディアのように思えても一晩考え直したら赤面モノだった、なんてことは人生でいくらでもありますから」

「……確かに、それはありますよねー」

 ヴィオレーヌが苦笑しながら頷いた。年を重ねた男の言葉だけに、妙な含蓄があった。

「いや――」

 違いますか、とヴィオレーヌがイヴァンに問い返した。

「あれでいて、昔から頭の回転は悪くない方だ。少なからず、思い付いたことに実現の可能性があるのをわかっていたからこそ、おいそれと口に出せなかったのだろう」


 イヴァンは懐かしき故郷に思いを馳せた。シュイが、まだイェルドだった頃のことを。イェルドはエスニールの子供たちと一緒になって様々な遊びを作り出していた。暗号じみた文章の作成。ちょっとした道具、Y字の木の枝と弾力性のある蔦などを加工し、パチンコを作って的当て遊びをしていたこともあった。腕が上達すると今度は遊びの延長で高木の果実を狙い、籠一杯に果物を詰め込んで近所の家々に配って回っていたこともあった。

「でも、それって逆じゃないか? あんたの言い分だとある程度頭の中ではまとまっているように聞こえるぜ」

「そうだな、確信までは持てていないが、セーニアに打撃を与えるような策は考え付いていると見ている」

「だったら、ヴィレン将軍がいたその場で伝えても良いじゃないか。大軍を蹴散らす作戦なら大がかりな準備だって必要だろうし、時間もあまり残っちゃいないんだ。セーニアだっていつ動き出すかわからないんだぜ?」

「――あいつは軍師じゃない。俺たちも、だが」

「……あん?」


 ピエールが言葉の意味を咀嚼する間、イヴァンは白亜の街並みに目を移し、道行く人々を眺めた。敗戦続きで気落ちしているのか、全体的に活気がかけているような気がした。熱気渦巻く砂漠の町にいるのに、どんよりとした梅雨の季節を彷彿とさせる。

「ただでさえ勝算がろくに見込めぬこの状況、いかな奇策を用いたところで乾いた雑巾を無理矢理絞ったようなものだ。本人に確認せずとも博打になるだろうことはわかる。そんな提案を根掘り葉掘り聞かれる状況を、己の身に置き換えて想像してみたらどうだ」

「……案が採用された時に避けられぬ犠牲を、怖れているわけか」

「だろうな、失敗すれば自兵が大勢死ぬ、成功すれば敵兵が大勢死ぬ、至極明解な論理だが、俺たちには縁遠い話じゃないか」

 リーズナーが納得したように腰に手を当てた。万が一、といえるほどセーニアに負ける確率は低くない。否、かなり高い。作戦が破綻し、ジヴーがこのまま殲滅戦に追い込まれたとして、力のある自分たちなら一丸となれば戦線離脱できる芽も残されている。しかしながら、他の一般兵たちや非戦闘員たちはどうなるのか。失敗してしまった時の責任は誰が取るのか。

 一同は複雑な面持ちを見合わせた。死を免れぬ博打にジヴーの者たちを引きずり込む。コインを投げて表裏を外せば全てが終わる。当てたとして勝てるかどうかはわからない。そうとなれば案を提示するのに躊躇いがあるのは致し方ないと感じられた。たとえ、勝てる可能性があったとしてもだ。

「……でもよ、あいつだって今まで数々の戦場を渡り歩いてきたんだぜ?」

「傭兵仲間が亡くなった直後だろう。人の生き死にをより意識していてもおかしくはあるまい」

 はっとピエールが半開きの口に手を当てた。心的外傷(トラウマ。イヴァンは暗にそれが豹変した理由だと仄めかしていた。ごく最近、シュイが子供の時分に大勢の同郷の者を殺されたことを打ち明けられていただけに、その推測は真実味を帯びていた。


「ふふん、それで期限を設けたわけか。いやはや朴念仁かと思えば、意外と気がつく男だったというわけか」

 肩をすくめたリーズナーに、イヴァンはそうでもない、と首を振った。

「あいつに負担をかけたくないと感じているなら、誰もけちのつけられない良案を編み出すか、戦わずに済む方法を模索すべきだ。俺とて、それが出来ていないのに偉そうなことを言いたくはなかったさ。――これでは昔と何も変わらないからな」

 最後の方は、ごく小さな声だった。自嘲の込められたイヴァンの呟きは一同の耳を撫で、砂漠の熱風に溶かされていった。



――――



 ――やっぱり、鉄は駄目って文献が多いな。真鍮……、無理。錫なら……いまいちか。

 オルドレンの地下図書館に足を運んだシュイは、鉱物学の本を立ち読みしていた。

 黒衣に隠れた手が何度となく本棚と胸元とを往復していた。お世辞にも本を保管するのに適している環境ではなさそうで、棚に並んでいる本も所々虫に食われていたりカビが生えていたりした。酷い物になると誰かが飲み物をぶちまけたままになっているものもあった。ここの閲覧室は飲み物の持ち込みが許可されている。暑いから命に関わるということだろう。

 とはいうものの、地下の建物では外の熱も幾分緩和されていて――温度計を見れば30度前後はあっただろうが――そこそこ過ごしやすかった。加えて、施設内は半ば貸し切りの状態だった。直ぐ近くまで敵軍が攻めてきている時に本を読み耽るような者などほとんどいないということだ。学校の教室五つを繋げたくらいの広さだが、施設内にいるのは外の暑さから逃れてきただろう老夫婦と数人の学生だけだ。少し離れた受付のカウンターでは、女性の図書館員が筆を走らせる音までも聞き取れた。

 シュイは本を開いたままどっと棚に寄りかかった。とはいえ、反動で本が飛び出ない程度には勢いを殺していた。ここ二ヶ月半ほどで、ジヴー側の死者行方不明は万にも届きそうなのだという。町も最終決戦を控えて、といった様相ではない。連日、棺桶と遺族を伴った葬儀の列が通りを行き来している有様だ。文字通りのお通夜モードに充てられ過ぎているのか、自分の気までも滅入ってくる。


 ページを捲る度にシュイの口から小さな溜息が洩れた。セーニア軍への巻き返しを図るべく一月近くに亘って頭を悩ませてきたものの、一戦限りならば、という限定的な策を思い付くのがやっとだったのだ。しかも、実行するには相当量の金属が必要だった。

 今現在わかっているところでは、一番適していると思われるものは銀だ。銀はそれほどの強度はないものの古くから退魔の力が宿るとされており、魔力との親和性も非常に高い。加えて、魔法の触媒としても融通が効く。唯一にして絶対的な欠点は希少な鉱物故に値段が高いこと。これを使えればベストであるが、必要量にはどうやっても満たないだろう。

 ジヴーが鉱石類の産出量が多いのは広く知られていることだが、その用途や金属の性質に関してはあまり気にしたことがなかった。そういったことを気にするのは武器の手入れをする時くらいのものだ。もし鍛冶師のシャンが今ここにいれば、自分の求めている答えを即答してくれるだろうが、生憎と彼は遠くエレグスにいる。魔石での連絡が出来ない以上、迅速な連絡は取り様がない。

 策にしても即座に扱えるようなものとはとても言えず、素人考えに毛が生えたようなものだ。問題点は山積しているし穴もまだまだ残っている。それは、今の今まで盤石の言葉そのままに戦を進めてきた大国にそのような手が通用するかという根本的な問題から、この作戦を成り立たせるための大がかりな準備を整えられるかという疑念。それをやるに当たってのリスクと、敗戦続きで地に落ちたジヴー兵たちの士気。そんな彼らが、自分の編み出した作戦が反撃の手段に足るものだったとして、果たして素直に受け入れてくれるだろうかという不安。

 万一セーニア軍に一度限りの奇跡的勝利を収められたとして、圧倒的物量を背景に第二次の遠征がなされたらアウトだ。奇策というものはトランプのジョーカーに等しい。出すタイミングを誤れば敗北は必至、上手くその場を凌いだとして手札に戻ることはない。ルクスプテロンがいる以上動けないだろうと読んではいるものの、今にして思うと絶対にそうとも言い切れなかった。地中を移動する街を作ってしまうほどに発達した文明が生み出した利器。そんなものがあると聞けば、セーニアだけではなく、どの国も喉から手が出るほどに欲するだろうことが容易に推察できるからだ。


 考えが脱線しているのに気づいたシュイは、一度腰を落ち着けて取りかかろうと一冊の本を小脇に抱えて閲覧室に戻った。部屋の最奥で椅子に座っていた学生たちが一瞬だけ顔を起こし、怪訝そうな顔で黒ずくめの男を見、直ぐに視線を両手の間に落とした。こういっては失礼かも知れないが、覇気のない、そのくせやたら見覚えのある表情だった。エスニールで、多くの犠牲の上に生き残った仲間たちも似たような表情をしていた。眉はハの字に下がり、口を半開きにし、前を見ているようで瞳には何も映っていない。それでもここにいて、曲がりなりにも読書しているのは、何かをしていなければ落ち着かないからだろう。そんな様はいじらしくもあったし哀れでもあった。


 シュイは音が出ないよう留意して椅子を引き、ゆっくりと腰を下ろした。頁の上から下へと目を走らせながらも、思考の奥では倫理的葛藤に苛まれていた。

 理不尽に奪われた命や財産が戻ってくることはない。勝とうと負けようと、この戦争が決着して終わりというような単純な話には落ち着かない。両者に、特にこの場合はジヴーにであるが、相当な遺恨が残るだろう。いいがかりで攻撃された(と思っているだろう)側としては、勝ちに転じたとして素直に喜べる状況ではない。大切な家族の命を奪われたならば、当人の命を以って償わせねば気が収まるまい。降伏してきた者たちを滅多切りにするようなことが起きぬとも限らないのだ。自分とてセーニアに良い感情は持っていない。だからセーニアの兵士がどのような暴挙を受けようと止める義理はない。

 連中は今の今まで力に物を言わせてジヴー人の命をことごとく奪ってきた。魔物をけしかけるような真似もした。虐げられてきた者たちに報復する権利がないと誰が言えようか。目には目を歯には歯を、という言葉が戦場以上に当て嵌まる場はないだろう。

 ジヴー側についている以上負けは論外。故郷のためにと奮起するピエールを何とか援助してやりたいと考えているし、志半ばで斃れたアルマンドの人生に触れ、勝利への決意はより強いものとなっている。レイヴやエグセイユを見逃した以上、既に身元は割れていてもおかしくないし、そうなれば必然、シルフィールの名を背負うことにもなる。

 慎重に、臆病にならざるを得なかった。傭兵という立場にあったシュイは、これまで目の前の相手を制圧するための戦いは経験してきたものの、戦争の戦術というものに関して深く考察したことはそれほどなかった。たとえば軍師と呼ばれる者に対する印象などをとってみても、賢い、狡い、腹黒い、その程度のものだ。

 けれども、それはとんでもない勘違いだった。大勢の人間を動かすことになればそれだけ、犠牲者が出る可能性が大きくなる。世の名軍師と言われる者たちは、その神策鬼謀によって敵も味方も大勢殺してきた。戦場で一番敵味方の恨みを買ってきた立場なのだ。彼らは一体どうやって自分の感情と折り合いをつけてきたのか、シュイはそれを知りたいと思っていた。


 仮にジヴーが危機的状況を脱せたとして、力関係の天秤がぐらつくようなことがあれば、ルクスプテロンも三年前の戦いで奪われた領土を奪還すべく、軍を派遣してくるだろう。それはジヴーにとっては喜ばしいことだが、今度は自分がしたことが引き金となり、ルクスプテロンとセーニアの者たちが大勢死ぬ。

 ――はぁ、本当に今日はどうかしてるな、俺。

 シュイは頭痛を紛らわすようにフードの中の額を手で鷲掴んだ。戦争は自分たちの損害を少なくし、相手により多くの損害を与えた方が勝ちだ。倒すべき敵のことを心配している節のある自分に苛立ちを覚えた。

 昔と同じように、エスニールで滅祈歌を用いた時と同じように、何も考えずに目の前にいる敵を排除すればいいのだ。ジヴーを守るためにはそれ以外に選択肢などない。自分が大変な時に周りを気にかける馬鹿など――


 と、そこまで考えたところで、シュイはフードに覆われた自分の頭を平手でぴしゃりと叩いた。尊敬している人を馬鹿呼ばわりしてしまったことに罪悪感が湧いた。

 ――――でも、俺はアミナ様じゃない。彼女のように真っ直ぐには、なれない。

 思考の中でのこととはいえ、言葉にするとふつふつと劣等感が湧いた。彼女ならどういう風に割り切るのだろうか。どうやって周りの人たちを納得させてしまうのだろうか。

 ――って、納得させることを前提にしてどうするんだ。まぁでも、そう思わせちゃうのがもうきっと、カリスマってやつなんだろうな。

 シュイは頭を左右に振り、雑念を振り捨てて読書を再開した。


 ――これも使えない、いい加減無理な気がしてきた。うーん、一旦戻ろうかなぁ……次、銅の性質は、――――っ!

 本の後半部までぱらぱらと頁を捲ったところで、無意識に紙面すれすれにまで顔を近づけていた。これこそ求めていた記述だった。紙に穴があきそうなほどに目を凝らし、口元が緩んだのも一瞬のこと。直ぐに、シュイの顔から笑みが隠れた。強度的には不安が残るが、理論上は可能だ。しかし、これを成し得るまでに、成し得たとして、果たしてどれほどの人命が失われるのか。この場で深く掘り下げる気にはならなかった。


 ほどなく、銅に関連する項目を隈なく読み終えると、シュイは本を手に重い腰を上げた。だが、そうして抱いていた気鬱な感情も、図書館の外に出た途端に手放すこととなった。

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