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~紲雷 thunder of bonds3~

 背の低い鉄製キャスターの上に、白木で作られた大きな棺が置かれていた。最後のお別れが出来るように、と顔の部分が開閉できる様に作られた棺には、アルマンドの冷たくなった体が納められていた。


 ピエールの話では彼は特定の宗教を信仰しているということはなかったようだ。納骨は頼まれたものの埋葬方法についてまでは言及されていなかったため、ルクセン式で弔うことにした。ヴィオレーヌに牧師の知り合いがいたためだ。

 死化粧が施された顔の周りには五枚のクリーム色の花弁を持つジヴーの国花、エルメアが敷き詰められている。頭側にはヴィオレーヌが口利きしてくれた小柄な牧師と供の男二人が。そこから右周りにシュイ、ピエール、イヴァン、ヴィオレーヌ、リーズナー。それにラードック、ヴィレンと棺を囲うように並んでいた。


「――――大いなる存在エスペランよ。今ここにひとつの霊魂が回帰し、その流れに加わります。名はアルマンド・ゼフレル。彼の在りし日を偲び、その思いに寄り添うべく、浮世の兄弟たちと共に祈りを捧げます」

 牧師と供の者が手の平と拳を胸の前で合わせると共に、周りにいる者たちが揃って黙祷を捧げる。同じようにルクセン式で手を合わせているのはヴィオレーヌとラードック。後は各々が自然体で目を瞑っている。

 沈黙は何よりも雄弁に悲しみと過去を語る。シュイが初めてアルマンドと会った時、彼から受けた強い印象は、活力そのものだった。豪放で、頼り甲斐がありそうで、身に不幸を秘めているといった印象はこれっぽっちもなかった。ピエールと異なり、自分にはそこまで直接的な親交があったわけではなかったが、彼が語った不幸な境遇には自分と似通ったものを感じていた。ただ一点、真逆の選択をしたという違いはあるけれど。

 アルマンドは最期に、自分がアルマンドの心を救ったと言ったが、それはお互い様だった。苦難の道を歩んできた彼の言葉は、どんな慰めよりも強い説得力があった。背負う荷が軽くなったわけではない。それでも、背負う力は湧いてきたし、その意志もより固いものとなった。今この瞬間、シュイはアルマンドに感謝の念を抱いていた。


 牧師の祈祷の言葉が終わると、参列者の視線は自然と傍にあるクリーム色の火葬炉に向けられた。日干し煉瓦を使って作り上げた簡素なものだ。炉の入り口からは人二人くらい寝れそうな大きさの鉄板。腰くらいの高さにある穴には油をかけた草と泥炭がふんだんに詰め込まれているのが見えた。

 そういった即席の火葬炉はここだけでなく、四方に三十メード置きに並んでいる。戦争が始まってからというもの、聞くところによれば、人死にが多過ぎて火葬場が回らなくなったため、鉱山にほど近いこの高台のスペースに火急的に用意されたのだという。

 耳を澄ませば遠くから地響きのような、他の炉の燃えている音が微かに聞こえてきた。周りを見渡せば、青空に立ち昇る灰色の煙が何本もあった。今にも消えそうな儚い帯の数だけ、命を失った者がいる。そしてそれ以上に、辛い別れを強いられる遺族たちが多くいる。戦争の罪深さは、今も昔も変わらなかった。


「それでは皆さま、そろそろ火葬に移らせていただいてもよろしいでしょうか」

 ややあって、牧師が申し訳なさそうな声で言った。自然と、周囲の視線がシュイとピエールの方に集中した。シュイはちらりと隣に立っているピエールを見た。

「大丈夫だ」

 小さいが、はっきりとした声だった。アルマンドの火葬の後にも、まだ大勢の遺体が焼かれるのを待っている。世知辛い話ではあるが、遅れればそれだけ遺体の傷みが進んでしまうのだ。

 承諾の言葉を得た牧師はピエールに小さく頭を下げ、それから神妙な様子で小さな扉をゆっくりと閉じた。音もなく、アルマンドの顔が、体が闇に閉ざされた。

 神父に指示された供の者たちが、棺の乗せられたキャスターを慎重に炉の近くまで引いていった。とはいうものの、キャスターの車輪は石床の轍に嵌めこまれているため転倒の心配はほとんどない。

 炉に棺を半分まで突っ込んだところで、片方の男がキャスターを引きつつ、足側に回ったもう片方の男が棺を円板のついた鉄の棒で押し込み始めた。


 アルマンドの遺体が火葬炉に入れられるのを黙然と見送り、ピエールはすらりと剣を抜き放った。

「シュイ、頼んでいいか」

「……ああ」

 シュイは黒衣の袖を引き、左手を少し余分に露出させた。そしてピエールが掲げる白い剣に手をかざした。ピエールの手が微かに震えていたが、気づかぬ振りをする。親しい者の死を、二日や三日で割り切れるはずがない。

 <この身に炎を宿せ(ファイア・リロード>。囁くような詠唱と共に、ピエールが携える神木剣、ダンメルシアが夕焼けのような鮮やかな茜色に煌めいた。

 ピエールは炉に向き直り、三歩ほど前に進み出た。ひとつ大きく息を吸い、炎に包まれた剣を振りかざし、煉瓦作りの火葬炉に紅蓮の炎を投じた。アルマンドを黄泉路へと(いざな)う送り火だ。

 炉に詰め込まれていた油塗れの枯れ草がパチパチと音を立てて勢い良く燃え上がり、ほどなく上の通気口部分から細い煙が噴き出してきた。それを確認すると、牧師の供の者たちが炉の脇に積まれている煉瓦をいくつか手にし、入口を塞ぐように積み重ねていった。火力を強めるために穴を狭くしているようだ。棺は、蓋の部分に火が取りついたところで完全に見えなくなった。

 じゃあな、アルマンドのおっさん。そんな呟きが、燃焼音に混じってシュイの耳に届いた。


 しばしの時が過ぎ、ピエールが俯き気味だった顔をすっと上げ、パンパンと、自分の両の頬を挟むように叩いた。

「――さて、と。切り変えなきゃな」

 決別の言と共に一行に向き直ったピエールに、シュイは目を細めた。

「もう、いいのか?」

「死者は何も語らないってアルマンドさんも言っていたろ。別れは二日前に済ませたつもりだ。今の俺にできるのは、忌憚なくアルマンドさんの志を継ぐことだけさ」

 ピエールは笑ってそう言った。どこか空元気のようにも感じられたが、ないよりはずっといい。少なくとも眼差しには力が戻っていた。

「骨になるまでには二時間ほどかかりますが、それまで休憩所でお待ちになりますか? それとも――」

「――さっき骨壺を買ったから、焼き出されたらそれに保管しておいてくれないか。戦争が終わったら取りに来るからよ」

「そうですか、了解いたしました。では、取り急ぎで申し訳ないのですが――」

「ええ、十分融通していただきました。お忙しい中、ご無理を言って申し訳ありません」

 深々と、地に付かんばかりに黒髪を垂れ下げたヴィオレーヌに、牧師が慌てて首を振った。

「頭を上げてくださいませ。ヴィオレーヌ様たっての願いにお力添え出来ただけでも、私は光栄にございますので」

「ありがとうございます。――全てはエスペランの意志のままに」

「はい、エスペランの意志のままに」


 足早に去りたいのを堪えるように、一歩一歩去っていく牧師たちを見送り、ピエールが「あっ」と思い出したように声を上げた。

「……いっけね、すっかり忘れてたぜ、ギルドへ死亡届を出さなきゃいけないんだっけ」

「それは気にしなくていい、俺が昨日送っておいた。魔石は使えないから伝書鳩で、だけど」

 アルマンドの亡くなった次の日、つまり昨日には、シュイはオルドレンの伝書鳩を借りてギルド本部へ訃報を送っていた。本来ならば魔石で通達するところだが、生憎とセーニアによって封鎖されている状態だ。アルマンドの話では彼の死と共にヴァニラも遠からず亡くなるということだったので、デニスがヴァニラの死を看取った時点で魔石での連絡を代わりにやってくれている可能性も高い。とはいえ、連絡をしないわけにもいかないのでやむなく鳩を使ったというわけだ。

「そっか、すまねえな。そこまで気が回らなかった」

「水臭いことを言うな、どうせ正式な書き方はおまえじゃわからないだろ」

 ピエールの笑顔がぴきっと引きつった。

「……おまえってやつは、どうしていつもそうやって」

「昔話をする間もなく逝ってしまうとは、……最後までせっかちな男だ」

 低い呟きがピエールの文句を遮った。後ろを振り返ると、寂しそうに肩を落とすヴィレンの姿があった。魔族である彼は普通より若く見えるはずだが、落ち込んでいるのと髭を生やしているので今だけは年相応にも見える。

 シュイたちがアルマンドを担いで砂船を降りた直後、意識を失った彼を見て一番驚いていたのがヴィレンだった。亡くなった当日は敗戦処理にごたついて仕事場から抜け出せなかったようで、今日、彼は顔を合わせるなり死に目に立ち会えなかったことを二人に詫びた。


「落ち込んでばかりもいられないぜ、ヴィレン将軍。まだセーニアとの決戦の準備だって整っているわけじゃないだろ? もし良かったら俺も――」

「――このタイミングでこんなことを言うのは非常に申し訳ない気持ちなのだが、私は近々更迭されることになったんだ」

 予想外の言動にピエールが目を丸くした。

「……え? それ、ホントか?」

「更迭とはな、何かヘマでもしたのか」

 イヴァンが興味深げに訊ねた。ヴィレンは疲労感たっぷりに溜息を吐いた。

「ヘマといわれれば、ヘマだな。――ルトラバーグの敗戦の責を負わねばならない。敵の戦術を早くに見破れなかったのは事実だから、異論を挟むつもりはない」

 覇気のないその声に、リーズナーが眉をしかめた。

「撤退は兵士や住民たちの被害を極力減らすためであろう。あの場においては最善策だったと思うが」

「私としてもそうあって欲しいと願っている。――それでも、魔物の奇襲で数百もの兵を失っているのは事実だ。死んだ者たちの中にはオルドレン出身の者も多い。この町の世論も誰かが責任を取ることを望んでいるはずだ」

「――なるほど、逃げるための口実ができたというわけか」

「……なんだと? ……それは、聞き捨てならないぞ」

 その台詞には流石にカチンときたのか。ヴィレンがリーズナーに怒りを含む視線を送った。リーズナーは笑みを消し、その視線を真っ向から受け止めた。

「ちょ、リーズナーさん、それは言い過ぎ……」

「そなたは、黙っていろ」

「……はい」

 目の前に爪の伸びた指を突き付けられ、取りなそうとしたシュイの動きが一瞬で制された。リーズナーはばっとヴィレンに向き直り、紅い目を煌かせながら口を開いた。

「仮に――そなたが戦線離脱したとして、果たして他の者たちでセーニアに勝ち目があるのか? ルトラバーグという守りの要地を任されていたそなたよりジヴー軍には有能な将がいると?」

「い……いや、……そこまでは」

「よもや、自分より経験の浅い将に全ての責任を押し付けられるのを黙って見過ごすつもりではあるまいな」

「そんなっ、……そんなつもりは、ない」

 強い口調のリーズナーに、ヴィレンが苦しそうに抗弁した。察するに、彼の頭にもセーニアに対抗できる人物は思い浮かばないのだ。

 シュイもヴィレンとは少ししか話していなかったが、それでも常識人だろうことは随所から窺えた。断る口実くらいいくらでも思い付いただろうに、しかも自分がどうこうされるという時に、律義に火葬に参列したくらいだ。周りの者たちの実力を自分より低く見積もるようなタイプではないだろう。もし有能な将の名に思い当たればひとつやふたつ、名前が出ているはずだ。

 そこから導き出される解としては、ジヴー軍を率いるべき将は彼をおいて他にいない。兵たちに信頼されているのは、ルトラバーグからの脱出劇の最中からでも感じ取れた。即席の将に従うよりは、顔が知れている彼の方がいいはずだ。


 リーズナーは口を噤んだヴィレンに対し、わずかに相好を崩した。

「別に責めるつもりはない。しかし、戦う前からそのようなことではセーニアの思うつぼだ。敵の策におめおめと嵌るのは賢くない」

「……敵の、策? ――――まさか」

「どういうことです?」

 首を傾げたヴィオレーヌに、リーズナーは指先を真上に立てて説明する。

「先ほども言ったが、部外者の私の目から見てもルトラバーグでの撤退はまともな判断に思えた。決戦に向けて兵をひとつに纏め上げねばならぬ時に、士気を落としそうな話が仲間内から出てくることの方がおかしかろう。――責任論の出所を探った方がよいのではないか。内通者か工作員が紛れ込んでいる可能性も否定できないからな」

「それは――いくらなんでも考え過ぎではないでしょうか。セーニアの力ならそのようなことをせずとも……」

「戦は駒取りとは違う、向こうとて自国民の顔は窺っているはずだ。前回にしても、人的被害を抑えたいがために魔物を利用する策を取ったのだろうし。まぁもっとも、あれに関してはかなり危うい策にも思えたが。更には、連中はそう遠くないうちにルクスプテロンとの戦を視野に入れているはず」


 シュイとピエールは顔を見合わせた。

 ――どう思う、シュイ。

 ――筋は、通っているな。

 戦力の要となりそうな<魔遺物ヴァイーラ>の獲得に失敗した以上、セーニアとしては速やかに戦いを終わらせたいはずだ。それに、今回限りでルクセンの地下遺跡の探索を諦めたとも考え難い。兵士たちの損耗を極力避けたいという思いが調略に結びついても不自然ではない。


「……しかし、それが真実とするならば軍内部の者に探りを入れなければならないわけか。信頼出来る者を秘密裏に集めねばならないが」

「――俺も協力する。あんたと直接的な繋がりのない俺なら、兵士たちの動向を探るのに勘ぐられることもないはずだ」

 ピエールが自分を親指で指し示した。

「……君は、アルマンドの関係者か?」

「おっさんの弟子みたいなもんだ。そんでもってジヴー出身でもある。シルフィールの準ランカー、名はピエール・レオーネ」

「君も準ランカーなのか! それは非常に頼もしいが――」

「おい、『たち』が抜けてるだろ」

 シュイが不服そうに腕を組んだ。ピエールがシュイに振り返った。

「――まだ付き合ってもらっていいのか?」

「毒を食らわば皿まで、だ。それに、もうジヴーだけの問題でもなくなった」

 へ、とピエールが間抜けな声を出した。

「目の前でシルフィールの準ランカーが殺されたんだ、一支部長としても黙って見過ごすわけにはいかないだろ。ギルドとしてもこれ以上有力な傭兵を失うのは大きな痛手だからな」

 ヴィレンが狐に抓まれたような表情でシュイを見た。

「……支部長? 君は一体……」

「あっ、馬鹿、おまえ――」

 いいんだ、とシュイが頭を振る。

「黙っていて悪かった、ヴィレン将軍。俺もピエールやアルマンドと同じく、シルフィールの準ランカーだ。エレグスの一支部を任されているシュイ・エルクンドという」

 ヴィレンの細い目が驚きで見開かれた。

「エルクンド! ……あのエミド・マスキュラスを葬ったという」

「それについては少し尾ひれもついているけどね。俺たちの正体を明るみにしないという約束を守ってくれるなら、協力させてもらう」

「シュイ、それでいいのかよ」

「今更つべこべいうな。傭兵仲間からの死に際の依頼だ、果たせなければ支部長の沽券にかかわるだろ」

「……こいつ、沽券なんて気にする柄じゃないくせによ」

 ピエールは憎まれ口を叩きつつも笑みを噛み殺した。

「……アルマンドの依頼とは?」

 ヴィレンに問われたピエールは、そのやり取りを掻い摘んで説明した。今際の際に交わした言葉。ヴィレン将軍に助力を願ったこと。そうでなければ大人しく帰るようにと言われたこと。アルマンドが、以前ヴィレンに仕事の紹介してもらったことについていたく感謝していたこと。

 一通り説明を聞き終えたヴィレンは、それでも深刻そうな表情を崩さなかった。

「――確かにそんなこともあったが、君らには関係のない話だ。重々承知のこととは思うが、今度こそ負ければ命に関わる。私とてアルマンドとは気の置けない仲だったつもりだが、君らにまで昔のことを気にしてもらう必要はない。大体彼は、勝ち目があれば、と言ったのだろう。無謀な戦いに君らを巻き込んでもしものことがあったら、それこそ彼に申し訳が立たない」

「んー、まぁ、そこなんだけどな。こんだけ負けが込んでるとやってみなきゃわからねえ、と言える状況でもねえし」

 腕を組んで考え込むピエールを横目に、シュイはぼんやりと、突き刺すような日差しが照りつける白亜の町を眺めた。


 セーニア軍にも付け入る隙は、ある。長期の遠征に加え、この気候は兵士たちの心身にかなり堪えているはずだ。それに、これだけの楽勝ムードであれば指揮官はともかくとして下っ端の兵士たちの気が緩んでいてもおかしくはない。

 構成されている軍が必ずしも一枚岩ではないということも、イヴァンの説明とレイヴから聞き出した話とで照合できている。そして、敵戦力の中心たる指揮官たちが高確率で砂船に乗っているだろうことも。まさか身分の高い指揮官が砂船も使わずにうだるような暑さの砂漠を行軍するとは考えにくい。そこで裏をかかれたら、もう手の打ちようがないのだが。


 状況を整理すると、ジヴーは兵力を掻き集めても一万強。しかもセーニアのように軍兵ではなく民兵だ。精鋭混じる三万五千余という大軍と真っ向からぶつかったら勝ち目などない。

 けれども、敵の中枢を潰すことができれば退却まで追い込める可能性は大いにある。注意点としては、町の傍で戦うわけにはいかないということ。退却場所のルトラバーグか、陥落すべき目標オルドレン。それが間近あれば、指揮官が斃れたとて兵士たちの意志は容易にはぶれないだろう。戦力差のある状況で退却に持ち込ませるには、砂漠のど真ん中で戦うことが不可欠だ。土地勘がなく、方向感覚を失いやすく、スタミナを一気に失う熱砂の上であればこそ、敵兵の弱気を喚起できるはずだ。命の危機を連想させることができるはずだ。この地の利を利用せずに勝つ手段を編み出すのは困難だ。


 もちろん、それくらいのことはヴィレンらジヴーの将も理解しているはずだ。問題は、頭を潰すその方法。考えに考えた末に、シュイの頭に浮かんだ策はひとつだけあった。だが、それを軽々しく言葉にするのも躊躇われた。第一に期限と人手の問題。第二に、仮にその作戦を通したとして、失敗したらその被害は全滅に近いものになること。

 改良、検討の余地はまだまだあるが、煮詰めたとして成功する確率が決して高いものではないこともわかっている。全ての条件が整ったとして五分五分か四分六分がいいところだろう。ましてや、自分はジヴーの軍師でも参謀でもない。単なる一傭兵で、ジヴーの者らにとっては赤の他人。戦略を提案するという一点で、デニスたちとバータンに手を貸した時とは明らかに事情が異なる。


 と、視界に誰かの顔が飛び込んできた。

 ――なっ、うわっ!

 ベージュ色の柔らかな髪に頬を撫でられ、シュイは背中を反らすようにしながら後ずさった。

「リ、リーズナーさん、いきなりなんなんですか。びっくりしたじゃないですか」

 三歩ほど後ろに下がったシュイにリーズナーは疑わしげな視線を送った。

「――ふむ、私の見立て違いかも知れぬが……そなた、何か言いたいことがあるのではないか」

 考えていたことをそのままに指摘され、ぞぐん、と背筋が震えた。

「い、いや、まだとても形には……、実現可能かどうかもわからないし……」

「――何か対応策があるのか?」

「おい、本当かよ、シュイ!」

「ちょっと、待てっ! 待ってくれっ」

 詰め寄りかけたピエールに、シュイは落ち着けとばかりに両手を前後に往復させた。

「……その、戦略とかに関しては門外漢なんだ。……あんまり下手なことは言えないだろ」

「――しかし、戦場を渡り歩いている傭兵ならそれがやれそうなものなのかどうか、見当くらいはつくはずだろう?」

「い、いや、でもさ……」

 シュイの煮え切らぬ態度にピエールは眉をハの字にした。

「おいおいシュイ、いつになく弱気じゃないか。何ていうか、らしくないぜ?」

 そう言いながらも心配そうにシュイの肩に触れた。たったそれだけのことだったが、ことのほかシュイは大きく身を震わせた。誰の目から見ても、明らかに過剰な反応だった。

「あ、……す、すまん」

「お、おまえ、本当にどうしたんだ? どこか具合が悪いんじゃないか?」

「少しお疲れなのかも知れませんね。無理もありません、ここのところ気を張っていましたし」

 ピエールとラードックの病人に接するような気遣いに、シュイは力なく首を振った。

「違う、違うんだ。……そういうんじゃない」

 突如として弱々しくなったシュイの態度に、周りの者たちは戸惑いを隠せぬ様子だった。たった一人、イヴァンを除いては。


 イヴァンはシュイに探るような目付きを送っていたが、態度が一向に変わらないのを見届け、珈琲色の前髪を掻き上げた。

「いつまでこうしていても仕方あるまい」

 一同の視線がシュイからイヴァンへと移った。助け舟を出されたシュイは長々と息をついた。視線だけで呼気を止められていたようだ。イヴァンはそんなシュイを一瞥してからヴィレンに向き直る。

「何をするにしても、まずは内通者の炙り出しが先決だ。それまでに彼も考えを改めるかも知れない。その策が本当に検討可能なものかどうか、自分でも確かめたいはずだからな」

「――そう、だな。確かに、少し性急過ぎたか。煮詰まっていない考えを他人に披露したくないのは当然のことだし」

 そう言いながらも、語気から落胆の色は隠し切れていなかった。

「……すまない、決して出し惜しみしてるわけじゃあないんだ。ただ――」

「いや、気にしないでくれ。明日明後日は予定があって無理だが、三日後にまた君らの船にお邪魔する。何か話せることがあれば、その時に頼む」

「だ、そうだ。――シュイ」

「な、なんだよ」

「三日以内に、おまえの思い付いた策が試す価値のあるものかどうか結論を出せ。自信がなければ取り下げてもらって構わん、はっきり『出来ない』と答えろ。実体のない希望を持たせることがいかに残酷なことかくらい、おまえもわかっているはずだ」

 鋭い視線を投げかけるイヴァンに、シュイはおずおずと頷いた。

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