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~躍動 throb with death4~

 エメイルの大河に架かるイルクオール大橋ではバータン軍とナルゼリ軍が激戦を繰り広げていた。幅がおよそ10メードある橋の上では剣や槍を掲げた両軍の兵が互いに克ち合い、押し引きを繰り返している。夥しい数の矢が橋の欄干に突き刺さり、飛び交う炎の魔法が敷石を幾度となく焦がしていた。



 剣撃の音が立て続けに奏でられていた。アーチの最高部にあたる要石付近から始まった両軍の衝突はナルゼリ軍がバータン軍を終始押し気味に戦っていた。

 勝ち戦続きで勢いがあるナルゼリ軍を止めるのは容易なことではなく、既に先鋒は橋の西側、おおよそ九割に至るところまで攻め入っている。対岸に居並ぶバータン兵の射撃や攻撃魔法による援護で辛うじてそれ以上の進攻を防いではいたが、縦列に組まれた敵の陣形は途切れることを知らない。一人を倒してもその後ろにはナルゼリ兵の頭の上に剣や槍が奥の方までひしめいているのだ。それを見ただけでも心が折れそうになる。積み重なっていくばかりの疲労にバータン側の前衛は崩壊寸前だった。



 時間経過と共に、橋からエメイル川に転落する者も多くいた。落ちているのは押されているバータン兵の方が多かったが、溺死する者はナルゼリ兵の方が多かった。

 橋の上での死闘を見越して、バータン軍は橋の周辺にある全ての船をナルゼリ軍に利用されぬよう西側の岸に移動させていた。その上で、予めエメイル川に救助用の屋根付き船を何隻か浮かんべていた。というのも、重い鎧を着たまま川に落ちれば死に直結するからだ。服を着たまま泳ぐことは体力自慢の者であっても辛いものがある。鉄の塊を体の各箇所に付けていれば尚更で、放っておけばあっという間に水の底だ。

 味方の兵たちが落ちてくるたびに、救助にあたっているバータン兵が鉤付きの丈夫な縄を投げ付け、鎧の連結部分に引っかけては船の上に引き上げていた。

 勿論全ての兵を救助できるわけではなく、船から離れていたり手が回らなくて間に合わなかったりといったこともあり、救助の兵たちは何度となく悔しい思いを味わっていた。それでもナルゼリ兵たちに比べればずっとましだった。相手側に救助船が用意されていない以上、川に落ちればまず助からないのだ。

 侵攻されているバータン側にナルゼリ兵を救助する義理はない。だがそれでも、目の前で助けを求め、もがき苦しみながら沈んでいくナルゼリ兵を見る度に、救助活動しているバータン兵は辛そうな表情を垣間見せていた。



 壁がぶつかってくるような歩兵集団の圧力に押し負け、尻餅を付いたバータン兵にナルゼリ兵が猛然と襲いかかる。と、後ろから部下を庇うように現れたゴールが飛び掛かってきたナルゼリ兵の腕を掴み、捻り上げて横に引き倒した。倒れたナルゼリ兵の胸元に素早く足を乗せ、渾身の力で喉元に剣を突き立てる。顔に飛び散る鮮血を無視し、尚も押し寄せるナルゼリ兵を見据えてゴールが吠える。

「武器持つ手に力を、想いを込めよ! この国の安寧は諸君らの手に掛かっているぞ!」

 ゴールの左右に居並ぶ兵たちが気合いの籠もった斉唱で応じ、鞘走りの音を連ねた。

 橋を制圧されればバータン軍は遠からぬうちにナルゼリの大軍に包囲攻撃を仕掛けられる。そうなったら一巻の終わりである。ゴールは自ら前線に立って勇敢に戦い、戦列交代を繰り返しては疲労を最小限に抑えていた。そう遠くないうちに抜かれる。その弱気な心をひた隠して。



 装備で劣るはずのバータン軍はナルゼリ軍に対し驚異的な粘りを見せていたが、それでも後退を余儀なくされていた。背には陸地が少しずつ迫ってきている。騎兵を用いられていればもっと早く押し込められていたかも知れないが、幾重にも張り巡らせた拒馬柵を見て、ナルゼリ軍側は騎兵の運用を早々に諦めていた。

 陸地に立ち並ぶ木や建物を目前にして勝機と見たのか、今まで先陣を張っていたナルゼリ兵たちが橋の両端から後方に回った。と、後ろに控えていたナルゼリ兵が斜め下に向けていた槍を正面に掲げ、一斉に突撃を開始する。ゴールたちの部下が迎え撃たんと盾を掲げて防御体勢を取った。耳障りな金属音が鳴り響き、目の前に火花が散らされる。

 勢いを乗せた槍をまともに受け、バータン兵たちがたたらを踏んだ。一撃にして盾の半数近くはその一撃によって突かれた箇所から広がるようにひび割れていた。使い物にならなくなった盾をそれでも手放さぬバータン兵たちを見て、ナルゼリ兵たちが薄ら笑いを浮かべた。横に並ぶ敵兵の隙間を割り入るように後列に控えていた兵が現れた。流れるような戦列交代は。陣形の崩れた箇所を攻めんと第二波が押し寄せてくる。受け切れないと察したバータン兵たちからついに悲鳴が上がった。



 悲鳴に悲鳴が上書きされた。後方から飛来してきた雷の束に襲われ、殺到してきたナルゼリ兵たちがばたばたと倒れていく。雷が飛んできた後方を振り向き、ゴールは目を見開いた。そこにあるのは護衛を引き連れ、少数の魔道兵たちと共に手を前に突き出しているスフィリアの姿だった。


「女王様! 危ないところを……、いえ、何故こられたのですか!」


 スフィリアは自らの手で敵兵を殺めた動揺に息を切らしながらも、胸を張って姿勢を正した。


「皆が傷付きながらも必死に戦っているのにわたくし一人家に閉じ籠って震えていろというのですか! 魔法ならば多少の心得があります! 戦える力がある以上、わたくしもあなたたちと共に戦います!」


 最前線にまで赴き、高らかに宣言したスフィリアに、兵たちが奮起しかけた。だが、その間隙を縫うようにして敵兵も動いていた。

 敵がやや引き気味になったところで、敵前衛にいた歩兵たちが屈む。その後ろに並んでいたのは後方の部隊、今まさにスフィリアが立っている場所に狙いを定めていた弓兵の大部隊だった。


「――いかん! 皆、姫様を守れ!」


 ゴールがいち早くそれに気づき、警戒を促す声を発した。数瞬遅れて敵兵が空に向かって一斉に矢を放った。上空の風切る矢の音の大きさに、昨日の惨劇がゴールの脳裏を過ぎる。

 押し寄せる死の予感に、しかし体が動くことを拒否した。数人の護衛が盾を掲げつつスフィリアの前に出るが、空の隙間を隈なく埋める矢を全て防ぎ切れるものではない。


 ――ごめんね、クイン。やっぱり駄目みたい。

 兵たちと共に無数の矢に晒されたスフィリアが目を強く瞑った。



「――<星の守護壁(リーヴァル・ランパード)>!」


 やや離れたところから声が生じ、突如として橋の敷石に光が走った。描かれた線から淡い光が漏れ出し、矢がスフィリアたちに到達する直前、空へ向かって一挙に伸びていく。発された光が連なっていき、家屋の屋根にも届かんばかりの光のカーテンが形成された。無数の矢を全て遮り、地に落とすと同時に光が消失する。

 矢だらけになることを覚悟していたスフィリアが膝を折り、へなへなと地べたに座り込んだ。


「だ、大丈夫ですか姫様! お怪我の方は……」


 背後を警戒しつつも慌てて駆け寄ってきたゴールを、スフィリアがぼんやりと見た。


「……い、今のは一体?」

「ぎりぎり、間に合ったようですね」


 後ろからの落ち着いた声にゴールたちが振り返ると、そこには黒い聖衣を纏った神父がいた。そして、その隣にいる男を見て、スフィリアが擦れた声を漏らした。


「さて、これだけあれば十分ですかね」


 目の前に折り重なった矢を見据えながらデニスが呟いた。


「ありがとうございます、先生」


 クインが小さく頷き、座り込んだスフィリアの前、ゴールの隣に颯爽と立ち並ぶ。



 矢を全て防がれたことに驚愕し、硬直していたナルゼリ兵たちが、一人弓を構えているクインを見て口元に笑みを零した。身に付けている防具によほどの自信があるようだった。


「はんっ、何者かと思えば弓兵かよ。そんなチンケなものでどうにかなると思ってるのか」


 嘲笑に構わず、クインは矢を強く引き絞る。と、矢羽を挟む指先にわずかな痺れを感じた。雷光を纏う弓から鏃へと雷が迅速に伝わったのがわかった。


「我が弓術がチンケなものかどうか、しかとその身で確かめろ!」


 眼前にて傲然と胸を張る敵兵に向けて、クインは引き絞っていた矢を放った。弦が前後に小さく振れ、青白く輝く燕が指先から飛び立った。そう思った次には、挑発したナルゼリ兵の胸元に矢羽だけが生えていた。電気の尾が矢の軌道をじぐざぐになぞり、パチンと余韻を残して消失する。厚い胸当てごと心の臓を貫かれたナルゼリ兵は声を発する間もなく、背中から大の字になって倒れた。



 一瞬にして仲間を殺されたことにナルゼリ兵たちが唖然とした。間をおいて、激昂した巨体のナルゼリ兵が一人、両腕に付けられた籠手で顔と胸をガードしつつ突っ込んでくる。

 前に出ようとするゴールをクインが必要なし、と手で制した。既に矢筒から取り出し、手に持っていた二本目の矢を狙う時間もそこそこに放つ。

 驚嘆すべき早業だったが、放たれた矢にはしっかりと雷が伝わっていた。籠手に矢が突き刺さった途端、封じられていた魔力が解放された。

 全身をひた走る青白い電撃に、大男が悲鳴を上げながらのたうった。時間にして数秒にも満たなかったが、効果は十分にあったようだ。兵はその場で力無く両の膝を突き、前のめりに倒れた。


「お、おのれよくも!」


 周りにいた歩兵も一斉に槍を掲げ、クインに向かっていく。クインは足を止めぬままにナルゼリ兵の列に並行するように移動しつつ、手際よく矢筒から矢を取り出し、敵兵に向けて目測で標準を合わせ、弦を指で爪弾く。雷を纏わせた矢が俊敏な動作によって間断なく放たれ、橋に向かって雷光が何度となく乱れ飛んだ。



 本来、弓矢は重装備の兵相手には効果が薄いとされる。飛距離を引き出すための形状故に攻撃範囲が狭く、一撃で相手を仕留めるには直接急所に当てることが必要なためだ。例外としてバリスタなどの巨大弓があるが、それは運用に数人を要する。

 ある程度の腕前になると、射撃の破壊力は弓矢の性能に依存することになる。弓術の腕を上げるということは、一定の距離を取る、番える、狙う、放つの四行程を如何に洗練させるかにある。距離を取るのはいわずもがな、手数を増やすために一連の動きの速度向上も欠かせない。あとは矢の軌道予測と相手の動きとの偏差予測。狙う際の力の抜き方や入れ方。或いは連射や拡散撃ちなどの技術向上。

 金属板を穿つ威力を引き出しているクインの腕前は達人の域に近づきつつあった。しかしながら、弓矢は近接攻撃のようにおのれの筋力や武器の重さを直接伝えられるわけではない。どれほどおのれの腕力を鍛えたところで弦を切ってしまうほどに力を込めることはできないので、射撃単体における威力は、安定はするが伸び悩む。弓が腕力のないものに向いているといわれる所以である。

 とすると、威力を上げるには別の点に着目することになる。矢じりの金属を堅いものに変えるか、矢じりの形状を空気抵抗が薄いものに変えるのが一番シンプルな方法。

 そしてもうひとつの方法が外部から力を加えること、すなわち付与である。弓矢に魔力や辰力を込めることによって威力を補うのだ。



 鎧で急所を固めていれば、矢単体であればさほど恐れるものではない。しかしながら、矢に封じられた雷は手甲や具足など、着弾した箇所から全身に広がっていく。当たった場所がどこであれ、金属鎧は易々と電撃を各所に伝達してしまう。絶命に至らなかったとしても重い鎧を着たまま倒れてしまえば同じことだ。いうことを効かぬ身体で立ち上がれる道理はない。

 矢が尽きれば当然それで済むのだが、先ほどのナルゼリ弓兵の一斉射撃で弓矢はクインの目の前に腐るほどある。合間合間で矢筒に補充されてはどうしようもない。

 全く近寄れぬ状況をようやく察したのだろう。ナルゼリの兵たちの足が止まる。

 付与魔法が施された弓の威力は命中と共に放たれる電撃は十分な威力を有している。前列を形成していたナルゼリ兵たちは数十本の矢によって瓦解していた。そのことに誰より驚いていたのは、普段とはかけ離れた殺傷力を有する矢を番えるクイン本人だった。



 敵軍の攻勢が途切れたのを見計らい、この好機を活かさんとゴールが突撃命令を発した。バータン兵たちが雄叫びと共に勢いを取り戻し、剣と槍を掲げて再度突っ込んでいくのを見止め、クインは見知った指揮官へ視線を向ける。


「お久し振りです。ゴール大佐。いえ、将軍になられたのでしたっけ」

「やはりクインか! 随分と立派になったな。お前たちの一家が追い出されてから七年ほどになるか。……あの時は力になれなくてすまなかった」


 クインは頭を下げるゴールに首を横に振った。


「古い話はやめにしましょう。今はそれどころではなさそうですし。微力ながら戦列に加えていただくことをお許しください。私は今もここが故郷だと思っていますので」

「それは願ってもないことだが――ひ、姫様?」



 おもむろにゴールの脇から、おずおずとスフィリアが進み出た。


「ク、クイン……その……」

「スフィリア様も、お久し振りです」


 その言葉に、スフィリアが悲しそうに目を伏せた。


「……昔のように、スフィリアと呼び捨ててはくれないのね」


 声に媚びるような含みがあるのに気付いたのか、クインがややたじろいだ。


「み、身分が違いすぎますから。幼き日の無礼、なにとぞお許し――」


 クインの言葉は最後まで続かなかった。スフィリアは目尻に涙を溜め、体を投げ出すようにしてクインに抱きついていた。ありし日の記憶とは違うその柔らかさにクインの顔が真っ赤に染まる。

「馬鹿……馬鹿っ」

 叱咤と共に耳元にかかる吐息に、クインが何度となく仰け反っている。



 ゴールたちは口元に手をやり、咳払いしながらもう一人の神父に目を向けた。


「……ええと、あなたは」

「初めまして、デニス・レッドフォードと申します。クインとは師弟の間柄、といったところでしょうか」


 丁寧に会釈したデニスにバータン兵たちがどよめいた。デニス・レッドフォードといえば傭兵として以外に著名な治癒術師としても知られている。それほどの者が自軍に馳せ参じるとは、予想もつかなかったようだった。


「貴殿が! そうか、彼がシルフィールに入ったとは風の噂に聞いていたが、あなたほどの方に師事をしていたとは驚いた」

「他にも二人いるのですけれど、今は後陣の足止めに徹してくれています。今の内に陣形を立て直していただきたい」


 その言葉が更なるざわめきを誘発した。それを尻目にデニスは一旦陸地に戻り、負傷していたバータン兵たちを一瞥すると琥珀色に輝くカット済みの魔石を取り出した。誰もいないスペースに四つの魔石を投げ、素早く詠唱を開始する。



<癒しを象り聖獣よ 傷付き倒れし者たちに今一度 立ち上がる力を与えよ>


 ややあって、デニスに一番近いところにあった魔石が感応して光を放ち、他の魔石へと光の線を伸ばしていく。四つ目の魔石まで到達し、最後に最寄りの魔石に戻ってきて四辺が結ばれ、四角形が形成された。付近に満ちた微細な魔力が急速に魔石に吸収アブソーブされる。

 魔力が満ちたのを確認し、デニスが上位治癒術、<健やかなる聖域(アウサージュ・フィールド)>を詠唱。魔石で囲われた面から淡い光が漏れ出してくる。領域内にいる者の自然治癒速度を加速し、傷の治りを早める魔法だ。一挙には回復しないがその分体にかかる負担が少なく、薬草による治療や他の治癒魔法の重複も可能である。


「傷が深い者はこの領域内に入りなさい。手当てをする方たちもこの中でお願いします。回復した方は順次戦列に加わり、負傷した者を呼び戻すよう指示を、お願いしますね」


 静かに微笑むデニスに、バータン兵たちは途切れかけていた希望の光が再び差し込むのを感じていた。

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