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~後継 succeeded to wishes11~

 家々からの明かりは絶え、空を覆う暗幕から漏れ出る陽光だけが薄い色彩をもたらしていた。

 強い風が西から東に向かって吹き抜ける。周りにいる兵士や住民たちは風に乗って飛んでくる細かい砂礫を防ぐべく、目を細めたり顔を手で庇いながら前に進む。声を上げる者はほとんどいない。迂闊に口を開こうものなら口の中が砂だらけになるためだ。


 西の港へ向かう途中でヴィレン将軍らと合流したシュイたちは、前面の防御を彼らに任し、群衆の一団を挟んで後尾を走っていた。

 ヴィレン直属の兵士たちは一般兵とは明らかに異なる雰囲気を纏っていた。揃って締まった体をしており、眼光は力強く、この混乱の中でも落ち着きを保っている。余程人数に差がつかなければ<砂鮫人(シャーラギ)>如きに後れは取らないだろう。

 時折前が止まってつっかえることがあったが、露払いをしているのだろうと自得する。その僅かな時間を利用して、シュイは随所で広域感知魔法を展開していた。地中に潜って待ち伏せしている<砂鮫人シャーラギ>がいないかを探るためだ。魔法の行使のためにはしばしば足を止める必要があったが、ジヴー兵や町人の中には怪我人もかなりいた。彼らを背負う兵たちも決して少なくなかったため、集団にそれほど遅れることもなく、たとえ離されても追いつくのに苦労することはなかった。


 柱に蛇の彫刻が施された中門をくぐり、少々きつい勾配に差しかかったところで、手の空いている兵士たちが子供や年寄りの隣に並び、手や肩を貸し始めた。見るからに辛そうな者は怪我人同様、担いだり背負ったりしていた。ピエールとアルマンドはその様子を見て、路傍に横倒しになって放置されていた荷車を引き起こし、疲労しきって歩けそうにない者たちを乗せ、二人で引き始めた。

 坂を上っていくにつれて徐々に風が弱まってくる。ふと空を見上げると、<黒禍渦バリー・クラウド>の積乱雲と透き通るような青空との境界線があった。

 左右に立ち並ぶ白石の建屋が途切れたところで暗闇が遠ざかり、代わりに肌を焼くような日差しが降り注いできた。いきなり明るいところに出たためか目が痛み、シュイは何度となく瞬きした。

 ややあって、光に順応した目が映し出したのは、港の全景だった。正面には交易品や水食料を保管するための倉庫が。向かって左側には何隻もの砂船が港の岸壁に並んでいる。右側に隣合わせになっている二つの大きな建物は造船所と停留所だ。背の高い船上に向かって手すり付きの架橋がかけられ、先に避難してきたであろう住民たちやジヴー兵が二列に並んで乗り込んでいる。

 岸辺まで50メード余りの所まで進み、ヴィレンが先導を終える。住民たちは兵士たちの指示に従い、百人ほどの集団に分かれ始めた。兵士たちを除けば数は千に届くかどうかといったところだ。ヴィレンは部下たちと二言三言言葉を交わすと、颯爽と造船所と思しき建物の中に消えていった。


 住民たちは疲弊しきっているようだった。砂で汚れた地べたに構わず腰を下ろし、荒くなった息をなんとか整えようとしている。額からは汗が絶え間なく滴り、身につけている服の背やズボンの尻はより濃い色に変わっていた。若い女性の着ている白いブラウスからは下着がはっきりと透け、目のやり場に困っている男たちもいる。

 全力疾走でないとはいえ、砂嵐の中を、しかも強い向かい風を受けて長時間移動してきたのだ。魔物に襲われる恐怖も疲労に拍車をかけたのだろう。周囲の警戒に当たっていた兵士たちも疲れた表情をしている。いつどこから現れるとも知れない敵に対して緊張感を維持し続けるのは堪えるものだ。


 ピエールはアルマンドと共に荷車から住人たちを降ろし、それから港の方へと目を移した。

「まだいるな、砂鮫人シャーラギのやつら。近寄ってくる様子はないから、あいつが頑張ってくれてるってことか」

 ピエールの言葉にシュイは一瞬首を捻ったが、すぐに「そうだな」と返す。アルマンドや他の兵士たちの手前、イヴァンの名前を伏せてくれたようだ。

「なんだぁ? おまえらの他にも協力者がいたのか」

 アルマンドが腕を組みながらピエールに横目を送る。

「あ、あぁ。後で紹介するよ」

「おぅ。いざとなったら俺たちも出るしかねぇだろうが、ま、船一隻分の道くらいならどうにか作れるだろう」

「いや、その心配はいらんぞい」


 ピエールとアルマンドの話にスザク老が割り込んでくる。

「爺さんは確か――」

「<賢律院(ルーツ>に属するスザク・シハラじゃ、よろしくの。そなた、シルフィールの傭兵、アルマンド・ゼフレルに相違ないな」

 自分を知っていることが意外だったのか、アルマンドの色濃い眉が微かに上がった。

「ヴィレン殿がよう話しておられた。まだ子供の時分、喧嘩に一度も勝てなかった友人が傭兵をやっているとな」

「――そうかい、あいつよくもまぁ、そんな昔のことを覚えてたな。んで、心配がないっていうのは?」

「なに、普段の巡回任務でも連中にはしょっちゅう巡り合うでな、軍の砂船にはある程度の拡声魔石を搭載してあるんじゃ。今回は港に立ち寄る暇がなかったから使えなかったがの」

「そっか、ならやつらは任せていいってことだな」

「うむ。と、そうそう、先に礼を言っておかねばな。ぬしらがおらねば住民たちにも多大な被害が出たであろう。ジヴーの民を代表して御礼申し上げる」

 頭を下げかけたスザクをアルマンドが大きな手で制す。

「よしてくれ、俺ぁただセーニアが気に食わねえからここにきただけだ。礼を言うなら戦いが終わった後だろ」

 アルマンドの何気なく言った言葉に、スザクは目を見開いた。

「――そなたは、この戦いに……」

 後に続く言葉を躊躇ったのだろう。スザクはそのまま口を噤んだ。だが、言わんとしたことは簡単に予想がつく。

「それでいい、上が弱気な姿勢を見せりゃ下の者たちだって不安がる。傲然と胸を張ることも時と場合によっちゃ必要だ。戦力差を鑑みれば、現場にいるあんたらはよくやってるさ」

「……そうかの。そう言ってもらえるなら、少しは救われるか」

 アルマンドの言葉に、スザクは感じ入ったように目を細めた。


 二人のやり取りに聞き耳を立てつつ、ピエールとシュイが視線を交わす。

「……今後のことはあいつらとも相談しなきゃな、状況も随分変わってきたし、どこまで協力してもらえるのか確認した方がいい」

「そうだな、船に戻ったらすぐに話し合おう」

「……察するに、お二方もシルフィールの関係者か。肌の色からするとここの出自かの。そなたの方は……黒衣というとあの御仁が思い浮かぶが、いやしかし、鎌を背負っておらぬし」


 シュイはスザクの遠慮のない視線から顔を遠ざけた。現状では、シルフィール本部がジヴー軍に手を貸しているわけではない。一支部の長である自分が彼らに認知されることが必ずしもプラスに働くとは限らない。何より、下手に期待させておいて後で落胆させるのだけは避けたい。

 ジヴーの存亡がかかっている現状、<賢律院ルーツ>は国を維持するためにありとあらゆる手段を模索しているはずだ。これ以上追い詰められるようなことになれば他勢力を巻き込むことも厭わないだろう。

 その矢面にシルフィールが立たされるとかなりまずい。支部に属しておらず、ジヴーの出自であるアルマンドやピエールなら言い訳も立つだろうが、自分はそうもいかない。友人に手を貸すため、というだけの理由で万人が納得するかは微妙なところだ。

 何らかの工作を以ってしてシルフィールがセーニアの敵と見なされるようなことがあれば、大勢の仲間たちに迷惑をかけてしまう。下手をすれば戦乱の炎に濃厚な油を投入することにもなりかねない。セーニアはジヴーを攻めて尚、大国ルクスプテロンと戦える余力を残しているのだ。


 シュイがどう答えるべきか考えを巡らせていると、港の方から覆面を外したイヴァンが革袋の水筒を口につけながら歩いてきた。その左隣には青い衣を纏ったヴィオレーヌが。そして、右隣には見知らぬ女が並んでいた。

 イヴァンはシュイの視線に含まれているものに気づいたのか、水を飲むのを止め、片手に持っていた覆面を巻き直した。

「お疲れさん、<砂鮫人シャーラギ>たちは?」

「たっぷり脅しをかけたことが功を奏したか、今のところ近寄ってくる様子はない。流石にこの炎天下で長時間戦うのはきついんでな、小休止といったところだ。既にジヴーの兵たちも相当数集まっているようだし、対処に問題はないだろう。連中とて勝算の薄い戦いに身を晒すほど愚かではないだろうし、そろそろねぐらに帰ってくれればいいがな」

「皆さんもご無事で何よりですわ。つい先ほどから砂船への乗り込みが始まったようです。後は、ここにいる方々を乗せれば直ぐにでも出発できるはずですわ」

「それならよかった。今後の予定――の前に、そちらは?」


 シュイは麦わら帽子を被った見慣れぬ褐色肌の女に向き直る。柔らかそうなベージュの髪を垂らした女は、帽子のツバを前に傾けつつ呟いた。

「……女性に先に名乗らせるとは、一般良識として礼を失する行為かと思うのだが」

 シュイは一瞬キョトンとし、ついで恥入ったようにフード越しに頭を掻いた。

「これは、抗弁の余地もないな、失礼した。俺はシュ……ラン。シュラン……ロズベルクだ。こっちはピエール・モーレ」

 ども、とピエールが軽く頭を下げる。

「それでもってこっちが」

「アルマンド・ゼフレルだ」

 そんなシュイたちの自己紹介に、女は微かな笑みを浮かべる。その仕草に見惚れてしまうが、女の視線が真っ直ぐ自分に向いているのに気づき、姿勢を正す。

「シュラン、だったか。よもや、自分の名を忘れていたわけではあるまいな」

「あー、いや。ほら、暑いから頭がぼーっとしてしまって」

「ふむ、その割に仲間の紹介は舌滑らかだったが」

「い、いや、その」

 女はしどろもどろのシュイに小さく溜息を吐き、俯き気味にシュイを見上げる。砂漠の日焼け対策のためか、顔には白粉が満遍なく塗られており、どこか冷たい輝きを放っていた。

「――私はリーズナー・フェロン。世界各地を旅して回っている、しがないフリーの傭兵だ」

「フェロン、さん」

 見覚えも聞き覚えもない。もしやルクセン教の関係者だろうか。シュイが隣にいるイヴァンに視線を送る。意図したことを理解したのか、イヴァンが小さく首を振った。

「<砂鮫人シャーラギ>を食い止められたのは彼女の助太刀があったからだ。いなければ一般人への被害は免れなかった」

「え、そうなんですか?」

 眉を上げたシュイが視線を戻した。服装は戦闘向きとは言えないし、体格もスタイルが良いことを除けばごくごく標準的か。どうみても、あまり腕が立つようには思えない。

 ――ん、この違和感、どこかであったような。

 シュイは気のせいだろうかと首を傾げる。

「助太刀というほどのことはしていない、魔物共に直接手を下したわけでもないからな。……ところで、町の者たちはもう全員ここに揃っているのか」

 フェロンの質問に、黙ってやり取りを聞いていたスザクが口を出す。

「大半の者は早々に脱出しておったし、兵たちの中にも感知魔法の心があるやつが何人かおる。在宅の有無は確認したはずじゃ」

「なら、いい」

 女はぶっきらぼうに言った。シュイは、先ほどからになっていたことを口にする。

「――フェロンさん。その、俺たちどこかで会ったことありません?」

 シュイの言葉にフェロンは含み笑いを漏らす。

「……きょうび、そのような流行遅れの口説き文句を持ってくるとは驚きだな」

「い、いや! そういうことではなくて、どこか既知感が否めなくて」

「おいおい、こんなところでナンパかぁ? あんまり節操ないと誰かさんに叱られちまうぜ」

 肘で小突いてくるピエールをシュイが睨み返す。ヴィオレーヌにうつつを抜かしていたピエールにだけはそんなことを言われたくない。その気持ちを視線に乗せると、ピエールは大仰に肩をすくめた。どうやら通じていないらしい。

「なるほど、既に想い人がいるのか」

「い、いえ、別に」

「おや、おーやー、そんなこと言って良いのかなー。それとも、一丁前に照れちゃってるのかなー」

 こいつうるさい。拳と奥歯が勝手に軋む。いっそ<母の温もりに抱かれよ(スリープ)>で黙らせるか。

 と、ピエールの視線が自分の顔からずれていることに気づく。問い質そうとした矢先――

「――なんだ、あの光」

 その言葉に促され、一行が一斉に南側を向く。目を凝らせどもゆらゆらと陽炎が立ち昇っているようにしか見えない。シュイの視力とて常人に比べればかなり良い方だが、元々砂漠の住人だったピエールの視力はシュイより数段優れている。

「――砂船、だな。どうやらジヴーの船のようだが、何かの合図か?」

 リーズナーには見えたのだろう。目を細めながら呟く。

「……ちょいといいかの」

 思い当たることがあったのか、スザクが老人とは思えぬ動きで二人に割入るように進み出た。傍らの兵士がリュックから取り出した遠眼鏡を手早く受け取り、筒の中を覗き込む。


 ややあって、唾を呑む音が聞こえた。心なしか、しわだらけの手が小刻みに震えている。

「シハラさん、どうかし――」

「おまえたち、急ぎ定員に余裕のありそうな船に住民を誘導せぃ、敵襲じゃ」

「……え、で……ですが司令の命令がないと我々は」

 スザクは声を抑えながらも語気に苛立ちを含めた。

「つべこべ言わずにさっさと動かんか。何かあった場合の責任は儂が取る、それで文句はなかろう。敵の接近を許して恐慌状態になってからの乗船誘導ではあらぬ事故が起きんとも限らん。どうせこの町は捨てていくんじゃ、片付ける必要はないから補助の架橋も余すことなく利用せぃ。儂はヴィレン殿を――」

「――シハラ様、私が」

 スザクの隣に控えていた長身のジヴー兵が返事を聞くより前に造船所へと走り出す。周りにいた他の兵たちはちらちらとスザクの方を振り返りながらも住民たちの誘導を始める。


 セーニアか、と呟くイヴァンにスザクが振り返った。頭にある三本の毛がゆらゆらと揺れた。

「間違いない、連続して四回、きっちり三秒後に二回。あの煌めきは敵の接近を知らせる我が軍の鏡面信号じゃ。大方南を巡回していた砂船が敵船を発見して戻ってきたんじゃろう」

 さらにそのずっと奥、砂漠の地平に連なる煌めきを確認し、ピエールとリーズナーの顔色が変わる。

「……こ、こいつは」

「ざっと三十、後方にもいるだろうから下手をすると倍はいるか。セーニアめ、さては商船なども強制徴用しているな。この強襲で全てを終わらせる腹づもりのようだ」

 シュイはしかめ面のピエールに話しかける。

「この近くには<砂鮫人シャーラギ>が大量にいるはずだったよな」

「……確か連中は初戦でも拡声魔石を大量に運用していた。あんまりあてにはならねえぞ」

「そうか。――シハラさん、船内に拡声魔石のストックはあるんでしたよね」

「うむ、我々が先頭に立って道を開ける手筈となっておる」

「――なら、俺たちは殿(しんがりに回るか。もちろん、船の持ち主がうんと言ってくれりゃあの話だが」

 ピエールが心配そうにイヴァンを見る。

「ここに留まるわけにもいかんし、乗りかかった船だ。……ただ、今回ばかりはラードックに運転を任したとして十全ではないぞ。あの時俺たちを追ってきた船が全て座礁したわけでもない。巡回していた砂船が軒並やられたという報告は敵司令部にも必ず入っているはず。だとすれば相手は本隊か、それに準ずる連中。油断は端から捨てているだろう。高位の魔法使いが大勢乗っている可能性だってある。俺が言いたいことは、わかるな」


 わかっている。これは単なる確認の言葉だ。セーニアの攻撃をどれだけ凌ぎ切れるかは未知数。ましてや、ジヴー軍は<砂鮫人(シャーラギ)>や<地縛巨霊(ルキメギア)>と戦った直後だ。炎天下の中での戦いとなれば体力勝負になり、とても勝ち目などない。場合によっては他の船を何隻か見捨てることになるかも知れない。イヴァンたちが仲間の命を最優先に行動するのは当然だ。十分に尽力してくれている彼らに「命を懸けて見知らぬ者たちを助けてくれ」などとは口が裂けても言えない。

「あの、対魔法防御であれば私もお力になれると思いますけれど」

 ヴィオレーヌがおずおずと挙手する。

「何を言い出すかと思えば、駄目に決まっているだろう」

「……私では、力不足ということですか」

「勘違いするな、おまえの結界術の腕は信頼している。だが、今回はただでさえ大勢の仲間を失っているんだぞ。今後の立て直しのためにもこれ以上仲間を失うわけにはいかない」

 ヴィオレーヌは一瞬嬉しそうな顔をしたが、おもむろに下を向き、指の先を突き合わせる。

「仲間、ですか」

「仲間として、女として、だ。今更確認するまでもないだろう」

 そう言い捨て、イヴァンはぷいとそっぽを向く。それが照れ隠しであることくらい誰にでもわかるだろう。ヴィオレーヌはそんなイヴァンを見て、微かに目を潤ませた。

「……た、たとえそうであっても、確たる言葉があるとないとでは……全然違うのですよ?」

「今は緊急時だ、そんな話をしている場合じゃない」

「え……えへへ、そうですね。なら、後で」

「あのな、ヴィオレーヌ……」

「私だって皆さんの、あなたのお力になりたいのです。それに、あなたほどの達人なら、私一人くらい守ってくださるでしょう?」

「…………」

 言葉を失ったイヴァンを尻目に、シュイがピエールにひそひそと話しかける。

「(既婚の)実績のあるピエールさん、思慕の込められたこの言葉に対し、男ならどう答えるべきでしょうか」

「――そうですね、『しょうがないな、その代わり、絶対に俺から離れるなよ』辺りでよろしいかと」

「なるほど……、凄く……無難です」

「うーん、そこは王道と呼んで欲しいですね、格調高く」


 茶化されたイヴァンが口を半開きにし、結び、白い犬歯を剥き出しにする。やや頬が紅潮しているのは熱気のせいだけではないだろう。

「そうか、今まで気づいてやれなくて本当に済まなかった。おまえたちは自殺志願者だったのか」

「おぉ怖、やはり照れ隠しに攻撃的になるというのは頻繁に起こる現象ですか」

「まさしく。まぁ、内心では返事をしない口実を与えてくれた我々に感謝しているかも知れません」

「素直じゃないですねぇ」

「……一度、力の差をはっきりわからせてやる必要がありそうだな」

 イヴァンが二人に早足で歩み寄りかけたのをアルマンドが割り込んで仲裁する。

「悪いけど漫才はそこまでにしといてくれ。ヴィレンたちが来た」

 アルマンドが顎をしゃくると同時に、建物の入り口からヴィレンが大勢の者たちを連れ立って出てくる。こちらに駆けよってくるヴィレンを尻目に、従業員と見受けられる者たちが建物内の書類や荷物などを運び出し始めた。


 ヴィレンとの距離が数歩ほどになったところでスザクが頭を下げる。

「済まぬ、そなたの兵に勝手に命令した。軍律に背いた報いは――」

「――緊急時とあれば一向に構いません、頭を上げてください。それより、乗船にはあとどれくらいかかりそうですか」

 スザクが顔を起こし、架橋を渡る住民たちの様子を窺う。

「……そんなに数は多くないし、七分から八分といったところかの」

「そうですか、了解しました。……まずは、退路を抉じ開けなければなりませんね。シハラ殿、乗船の誘導は私が引き継ぎますので先に出ていただけますか」

「あいわかった。ヴィレン殿、そなたたちも、無理はなさるなよ」

「もちろんです」

「シハラさんも十分に気をつけてください」

「うむ、ではオルドレンで会おう」


 スザクの小さくなっていく後ろ姿から目を放し、シュイはヴィレンに向き直る。

「オルドレンっていうのはジヴー連合の――」

「ええ、<賢律院(ルーツ)>の総本部がある町です。鉄工業が盛んであり、人口でも第二の都市。……ここ、ルトラバーグはそこの最終防衛線だったのですが」

 ヴィレンの表情は冴えない。撤退する以上ここが落ちるのは確定的。次はオルドレンが最前線になるということ。つまりは――

 ――あらゆる意味で後がない、か。


 ジヴー連合の首脳陣ともいえる<賢律院(ルーツ)>が手に落ちれば、連合の結束力は地に落ちたも同然だ。バラバラに戦ってセーニア軍に勝てるわけもない。次の一戦に敗北すれば、その瞬間にジヴー連合の国々はセーニアの植民地だ。

「あそこには既に他の町から大勢の難民が流入しています。もしかしたら、水食糧の余裕もそれほどはないかも知れません」

「馬鹿、今は先のことを考えている余裕なんかねえだろ」

 唐突に、ヴィレンを馬鹿呼ばわりしたアルマンドをジヴー兵たちが威嚇する。

「……訂正しろ、ヴィレン様に対しての不敬は見過ごせぬ」

「事実を言っただけだろうが、頭がかてえな」

「……貴様」

「よせ、彼の言う通り、今はこの状況を脱することが先決だ」

 殺気立った兵士たちをヴィレンが手を差し出して制止する。


 アルマンドはつまらなそうに肩をすくめてから後ろを振り返る。

「悪いけどよ、俺もおまえらの船に乗せてもらっていいか」

「えっと――」

 シュイはちらりとイヴァンに視線を起こる。イヴァンは目礼で答える。

「……わかった、そうしてもらおう」

「そうこなくっちゃな」

「できれば、私も乗せていただきたいのだが?」

 リーズナーがひょこりとシュイの脇から顔を出す。

「フェロンさんも、ですか? それはちょっと……危険な目に合うのはまず間違いないですし、他の船に乗った方がいいような気が」

「運転も荒っぽいしな」

 ピエールがひとつ大事な補足をする。

「――いや、乗ってもらおう」

 一同の視線がイヴァンに集中する。

「あくまで俺の見立てだが、彼女なら自分の身一つくらい守れるはずだ。逃走を確実に成功させるためにも腕の立つ者が多いに越したことはない」

「まぁ、あんたがそういうなら――」


 会話を遮るようにして甲高い警笛が鳴り響き、先頭の砂船がゆっくりと動き始めた。

「――話している時間が惜しいな、船に戻るぞ」

 一同はイヴァンの言葉にうなずき、停留しているルクセンの船へ向かって走り出した。

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