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~後継 succeeded to wishes10~

 ルトラバーグの町の構造は四区画に分かれている。北に自然由来の山を切り崩して作った頑強な砦。東側と南に大きな住宅街。中心部に商店が立ち並び、そして西に砂船が発着する港と墓地を構える。それらの区画を高さ4mほどはあろうかという要塞が菱形に囲い込んでいた。



 町の西側の上空には雲と空の裂け目が見えた。西方から押し寄せてきた<砂鮫人シャーラギ>の大群は港の前にして行進を止め、視力がないことを考えればその言葉は正確ではないが、遠くを物欲しそうな目で眺めていた。

 彼らの前に並んでいるのはご馳走だ。ジヴー兵とルトラバーグの住人たちが混然一体となった人の列は、人間の価値観に照らし合わせれば立食パーティにも似ていた。子供の肉は弾力に溢れ、成人女性の血は甘く、成人男性の内臓は栄養過多で、老人の骨はしゃぶればしゃぶるほど味が出る。そうやって多分に食欲を掻き立てられた彼らが今もって踏み込んでいない。それはひとえに砂の湾口に立っている一人の男に起因していた。

 食糧庫の番人というにはやり過ぎた存在。珈琲色の髪に舞台男優のように整った顔。憂いを湛えた漆黒の瞳。紫色の覆面が鼻口を隠している。

 厚手の黒い綿シャツを着ているが、鍛えられた体の稜線を隠せるほどのものではない。グレーの長ズボンに武器にもなりそうな金属繊維のベルトを通し、砂漠の熱、凍土の冷気をも通さない竜皮製の白いブーツを履いている。


 肩に青い外套を纏うその男は言わずと知れたイヴァン・カストラ。平らな砂地に立つ彼こそが、数千からなるはずの<砂鮫人シャーラギ>たちがお預けを食らっている元凶だった。<砂鮫人シャーラギ>たちの視力は皆無に等しいが、だからこそ並外れた感覚器官が彼を圧倒的な存在として捉えていた。人が目蓋を瞑ったままのような、光を薄らとした感知できない彼らの視界において、その一個体から放たれる力は巨大な鬼の影のように映っていた。生存本能が捕食者と勘違いさせるほどの強者に近づくのを忌避していたのだ。


 セーニアの軍船が包囲網を展開している状況で、シュイたちがもっとも恐れていたのは避難するための移動手段、砂船を失うことだった。砂船の船体の大部分は金属板でできているが、<砂鮫人シャーラギ>の鱗や皮膚もまた、鉄に比肩するほどに固い。彼らにぶつかるとなれば無数の岩礁に体当たりするようなもの。<砂鮫人(シャーラギ)>も生きてはいまいが、それ以上に船に及ぼす影響は計り知れない。たとえ砂海から船上まで上ってくる手段がないにしても、脱出するときに<砂鮫人シャーラギ>を轢くことはなるべく避けたかった。

 仮に砂船がなくなったとして、砂漠を徒歩で踏破ためには相当な荷物がいる。それらを維持した状態でセーニアの追撃を振り切ることは絶対に不可能だ。無論、砂船で逃げるにしたところで先の追いかけっこで簡単に逃がしてもらえないのは自明の理である。逆に言うと、多数の船を航行不能にしている今しか脱出するチャンスがない。


 そんなわけで港の守りを半ば押し付けられた形になったイヴァンだったが、卓越した戦闘能力を持つリックハルドとイルナヤは不在。自身が頼み事をしたために船を降りている。

 船の中にいる船員たちも戦えないことはないのだが、あくまで自衛のために身につけた武術であり、腕の立つ者でもシルフィールでいうCランク傭兵といったところ。操船技術のある船員に死なれるのは別の意味で人的損失が大きく、なるべくなら避けたいところだ。ヴィオレーヌに結界を使わせる手もあったのだが、町で大勢怪我人が出ているだろうことを考えると、彼女の治癒術が必要となる可能性も否めない。魔力は温存してもらった方が得策だろう。

 ともあれ、船の出入り口を塞がれてはまずいということで湾口で迎撃しようと町に入る手前で船から飛び降りてみた。のはいいのだが、ただならぬ空気を察したのか<砂鮫人(シャーラギ)>たちがイヴァンと50メードほど離れたところで停止してしまった。そうなると次の一手に迷ってくる。突出して攻撃を仕掛けるのも一つの手だが、土色の人垣は視界を悠に三倍は広げないと見渡せないほどに幅広い。下手に動いて端から港への侵入を許してはまずい。時間をかければ数千もの魔物を相手にしても負けぬ自信はあった。が、全ての敵が自分に向かってこないならば、侵入を食い止められる自信はない。なんらかの匂いによってルトラバーグに<砂鮫人(シャーラギ)>たちが誘き寄せてきているのが正しいと仮定して、西だけでなく他方面からの侵入を許している可能性は極めて高く、中にいるジヴー兵たちが防備で手一杯としても不思議ではない。てんやわんやの状態で大群が雪崩れ込めば多数の死傷者が出てしまうだろう。


 いっそ相手が突撃してくるような事態になれば腹を括って戦うのみだが、相手に動きがない以上は不動の構えを貫いた方がいいだろう。そういった判断だ。

 けれども、所詮は問題の先延ばしに過ぎない。いずれにせよ避難するために砂船が通る退路は必須。この巨大な土色の波のどこかに風穴を穿たなければならない。しかもさほど時間をかけずにだ。<砂鮫人(シャーラギ)>と徹底交戦している中にセーニア軍が乱入してきたら目もあてられない。

 ――せめてあと一人腕の立つ者がいれば。

 そうすれば一人が守り手、一人が攻め手ということで大した被害を出さずに突破できるだろう。が、ないものねだりをしてもしょうがない。諦めの溜息を吐き出し、ひとまずはシュイたちの戻りを待つかという気分になった時、砂の波が前進を始めた。


 イヴァンが覆面の下で舌を打つ。人に個体差があるように動物や魔物にも個体差はある。きっかけはなんてこともない、空気を読めなかった者たちが数名飛び出し、群のラインを一気に押し上げていた。一度勢いがつくともう止まらない。我慢していた食欲を櫛のように鋭い歯と一緒に剥き出しにし、鉈のような手を掲げて走ってくる。

 イヴァンが素早く左右を睨む。波の両端も遅れずに動いている。的が絞れねば何割かの侵入を避けるのは不可能。

 ――目を覚まさせるには冷や水を浴びせるが吉、か。

 果たして見せしめで止まるかは何ともいえない。が、経験則からいえば成功する確率がそれなりにあるのは事実。やってみる価値はあるだろう。イヴァンはそう判断し、辰力を体に巡らせ始めた。

 それは彫像を鑢で研磨するのにも似ていた。体の細胞の一つ一つに至るまで、鍛えた体が耐えられるぎりぎりの負荷をかける。それ以上擦り減らしたら形が崩れる、そのぎりぎりまで。

 はたして、イヴァンの黒目に黄金色の縦の裂け目が生じた。


 ――我 魔耀(まよう)秘めし獣の胤裔(いんえい)なり その(たま)爪牙(そうが)と換えて 怨敵の血肉を突き貫き 臓腑を白き祭壇に捧げよう


 砂煙が立ち昇り、霧のように立ち込める。雑魚モンスターといえども数は力であり、千を超える数となれば壮観なる暴力だ。後ろの方で息を呑み込むような悲鳴が断続的に聞こえた。その暴力を迎え撃つたった一人の男の身を案じるものだ。だが、ただ一人だけ、港の船の発着場で、彼の無事を信じて疑わない目を向けている者がいた。


 <叉無奏(サムス)>。その言葉と共に、体に硬質化した辰力が纏わりつく。それはすなわち、長大な質量の武器を無重力下、空気抵抗無しで振るうのに等しい。

 イヴァンの腕がゆっくりと横に一の文字を描く。刹那、砂鮫人(シャーラギ)たちは闇の中に尚、白き闇を見た。轟音と共に砂が天に遡ってゆき、地にある砂が払われる。もたらされたのは砂鮫人(シャーラギ)たちの波を丸呑みにする砂の津波。舞い上がった砂で一時太陽の光が弱まるほどだ。まともに食らった砂鮫人たち数十匹が上空に押し飛ばされ、横一列の陣形に大穴が穿たれた。波を運良く逃れた者たちも砂が叩かれた轟音に聴覚をやられ、耳を抑えてのたうち回っている。

 間断なく放たれる蹴りの三連撃が砂のトンネルを作る。破城鎚を思わせる衝撃波が進軍してきた<砂鮫人(シャーラギ)>たちを串刺しにする。鉄のように固い鱗ごと。魔物たちの肩や胸を抉り、人よりもより黒に近い血飛沫が熱された砂に落ちた。魚肉の腐った臭いが辺りに立ち込めていく。


 そんな中、イヴァンの回りに壁があるかのように<砂鮫人シャーラギ>たちは彼の周囲を避けて港へと向かう。闇雲に突っ込んでいくよりは後ろの餌を食い逃げするべきと考えたのだろう。

 防御を考えずに攻撃できるのは嬉しい誤算だが、それにしても数が多過ぎる。音に聞こえしイヴァン・カストラとて意識は一つであり、体も一つ。一度に攻撃できる範囲に限度はあるのだ。


 焦りを感じながらも顔には出さず、港に近づく敵から最優先で始末していく。

「全く……、遠距離攻撃はあまり得意ではないのだがな……!」

 その台詞はあくまで対等の実力を持つ魔法使いと比べればの話であり、個の力量で考えれば十分な範囲攻撃を可能にしている。そんな戦士は世界に目を移しても数えるほどしかおらず、破格の実力者に違いない。イヴァンの回避能力、体力、耐久力の高さを鑑みれば、守勢に回るのは決して苦手でもない。

 ただ、守るべき対象が大勢いるとなると勝手が違ってくる。少しずつ下がりながら迎撃を繰り返すものの敵が恐れをなして近づいてきてくれないことが仇となり、思ったほどの被害を与えられていない。

 突如、後ろから高々と悲鳴が上がった。肩越しに見れば、砂に潜っていた<砂鮫人シャーラギ>たち百匹ほどがイヴァンの後ろから地表に出、既に防波堤の先に進んでいた。一瞬戻ろうかと足が出かけたが、自分が湾口で入口を狭めているからこそ、敵の侵入が少なくて済んでいる状態だ。下手に動くよりはここで行く手を阻み続けた方が被害が少ない。ジヴー兵もそれなりの数はいるようだし、岸壁を乗り越えられるまではここで留まった方がよい気もしてくる。もちろん、駆けつけた時は何人かが殺されている可能性も否めないが。


 そんなことを思った途端、喉が痙攣した。気候のせいだけではない。かつて味わった苦い思いが脳裏に過った。自分が不在の時に滅ぼされてしまった故郷、エスニールを。おのれを心から案じ、いつも気にかけてくれた、おのれの家族に等しき白髪の少女を。物心がついてから唯一度、嗚咽を上げ、無念の涙を流した夜のことを。

 何のためか。イヴァン・カストラはおのれの心に問いかける。鬼だ悪魔だと揶揄されながらもひたすらに強さを求めたその理由を。

 復讐のため。もちろんそれもあった。私利私欲を剥き出しにしてエスニールを踏み躙ったセーニアを罰するのは、族長の一族が一人である自分でなければならない。仲間たちが味わった恐怖と屈辱、っして怒りを倍して連中に刻み付けてやらねば気が済まない、そんな思いがあった。そして、その先のことは全く考えていなかった。当時は、の話だ。


 砂鮫人が岸壁に鉈のような腕を突き立て、それを支えにして少しずつ登っていく。兵士たちが弓矢を手にして応戦しているが、数が違い過ぎる。

 もう限界だ。イヴァンが振り向きざまに駆け出し、しかし数秒でその足が止まった。岸壁を登っていた<砂鮫人(シャーラギ)>たちが軒並上を向き、硬直していた。その視線の先にあるのは一人の人間。

「砂に住まう魔物たちよ、この壁はどこまで登っても頂きなどないぞ。私は無益な殺生を好まぬが故――」

 退くがよい。その力強い言葉と共に両目に緋の光が宿った。


 ――なっ……馬鹿な。

 イヴァンがそう思ったのも無理はない。女が岸壁の突端に立ち、ひと睨みしただけで、<砂鮫人シャーラギ>たちは壁に突き立てていた手を外し、一斉に岸壁を滑り落ちたのだ。野生の獣、魔物の勘は下手な感知魔法よりよほど正確に相手の力量を察知する。少しでも遠ざかろうとしたその行動は自分に対しての反応と瓜二つ。とどのつまり、あの女は自分と同格の実力を持っていることになる。


 後ろからの朝日が白い岸壁に反射して顔立ちまではわからない。が、側頭部に耳の輪郭が見えないことからおそらくは帽子の中に納められているだろうと推測できる。十中八九獣族だ。被っている帽子から垂れている髪は肩に垂れ、胸元にまで届いている。

 目が段々と反射光に慣れてくると、髪の色は淡いベージュだとわかる。全くむらのない褐色の肌からするとこの地方の出身だろう。髪はサイドを紐で縛り、そこから邪魔にならぬよう編み込まれている。いかにも活発そうなスタイルだ。襟元の青い長袖のワイシャツは水兵が好んで身につけるものに近い。首には陽光煌めく金色のロケットを下げ、(くるぶし)まである水色のストレッチパンツを穿いている。


 一見すると旅人のようにも思える女を前にして、イヴァンの顔に浮かぶのは困惑の表情。ジヴーの民を庇ったのだからセーニアの手の者ではないだろうが、窺える力から察するにどこかのギルドに所属する傭兵ということは充分考えられる。そして、自分は歴代でも五指に入る賞金をかけられた犯罪者だ。顔を突き合わせた途端、戦闘になる可能性も否定できない。

 ――どうする、様子を見るか。

 と、そこまで考えたところで、相手の双眸から放たれる紅い光がこちらを照らしていることに気づく。一応覆面をつけているとはいえ、目元まで隠しているわけではない。これだけ離れているから詳しい人相までは悟られていないだろうが、もう少し接近して身体的特徴と合致されれば容易に自分を割り出すだろう。何しろどこのギルドにも似顔絵付きで登録されているのだ。かといって、今顔を隠すような素振りを見せれば尚怪しまれるはずだ。

 葛藤するイヴァンを物珍しそうに眺めていた女は、間近でないとわかりそうにもないほどに微かな笑みを浮かべ、興味を失ったように眼下に映る土色の魔物を見、そして肩越しに後ろを望む。

 緩やかな上り坂の大通りを小走りで駆けてくるのはヴィレン将軍率いるジヴー兵。その後ろに、やはりジヴー兵と民間人の群れ。ごった返した道端の方に目的の人物が走る姿をぴたりと見止め、麦わら帽子を被った女は鼻に通るような唸り声を上げた。

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