~後継 succeeded to wishes8~
まだ船酔いから立ち直りきれていなかっただけに、最初は目の錯覚を疑った。
セーニアの軍船を振り切り、ラードックの運転から解放されて間もなくして。ようやく周りの景色に目を移す余裕が戻ってきたシュイは、砂船の上で肌色の砂漠の中に波のうねりのようなものを視認し、目蓋をごしごしと擦っていた。イヴァンはシュイの定まった視点にいち早く気づき、腰に下げていた筒状の遠眼鏡を取り出して覗き込む。
「……<砂鮫人>、だな。やつらがこれほどの群をなすとは珍しい」
――へぇ、あれが<砂鮫人>か。
シュイはいつしか見た依頼完了報告書を思い出しながら呟く。生々しい泥人形という要約は多分に的確のようだ。確か備考欄には攻撃的で肉食、とも記してあった記憶がある。物珍しそうに遠くを見るシュイに、ピエールが口を開く。
「おまえは初見みたいだな、こっちは駆け出しの頃に何度かやり合ってる。間近でみると結構エグい面してるんだぜ。見た目はやわそうだけど皮膚は岩みたいに堅いから並の武器で倒すのは難儀だし、あれだけの数が集まったら充分脅威だ。一対一でも素人が手を出していい相手じゃねぇけどよ」
<砂鮫人>の依頼書の難易度は概ねC級。入ったばかりの新人が少し背伸びしようと思った時にやる任務というところだ。もちろん、数匹であれば問題視する必要もない。
砂船がルトラバーグへ進むに従って、小さかったうねりが少しずつはっきりしてくる。ざっとみて二個大隊、三千に迫ろうかという規模だ。あまり喜ばしくないことであり、認めたくないことでもあるが、どうやら魔物たちの目的地は自分たちと同じらしい。
砂船と100メードほど離れていた<砂鮫人>が足を止め、鉈のような手でこちらを指し示した。目は見えないはずなのにその素振りに意味があるのだろうかとせんなきことを考える。
その予想に反して、民族移動さながらの大行進をしていた連中が、一斉にこちらに振り返った。そして、何やら甲高い声でキィキィと鳴き喚き始めた。
人語ではないので正確な意味は計りかねるが、『僕と友達になろうよ』とか『あれはなんだろう』とかいった類の言葉ではなさそうだ。きっと『今日の晩御飯』に遠からぬ話だろう。
「連中、覚え間違いがなければ音に弱いって聞いているけど、他に弱点はないのか?」
準ランカーともなるとC級以下の任務を引き受けることは大分少なくなってくる。どちらかといえば強力な魔物に対する知識ばかりに偏り、雑魚に対する知識に疎くなる傾向がしばしば見受けられるということだ。
拡声魔石が弱点であることはわかっているものの、下手に乱用すると自分の鼓膜まで傷めかねない。場合によっては頭痛を併発することもあるしなるべくなら避けたい戦法だ。
「首から上はそれなりにやわだ。連中もそれがわかってるのか、頭部を両腕で頻繁にガートする癖がある。そんなわけだから仕掛けるなら相手が腕を振り被った時、後の先が基本になる。ま、おまえやイヴァンの実力ならなんの問題もないだろ。念のため補足しておくと、過酷な環境に適応しているせいか電撃系以外の魔法は効果が薄い」
ピエールがくせ毛をしつこく撫でつけながら説明する。日光で頭髪の水分が失われているせいでなかなか元に戻らないようだ。
「やっぱり、解せねえな、やつらは基本的に夜行性のはずだ。こんな日中から群れを作っているなんて……」
首を捻るピエールの隣でシュイが腕を組む。
「この状況、あの時と少し似てるな、覚えてるか?」
「あの時? ……ああー、キャノエの件な。あん時は確か、蜂が匂いでおびき寄せられていたんだよな」
忘れもしない、フラムハートの傭兵たちと共闘し、アミナと出会うきっかけにもなった大毒蜂の襲撃事件。レムース教の牧師による金銭目的の犯行がイヴァンたちの暗躍に絡むというなんともすっきりしない事件だった。その時は犯人が調香によって魔物を誘導するという離れ業をやってのけていたのだ。
シュイは柵に寄りかかっているイヴァンに視線を飛ばす。フォルストロームの魔物騒動は彼らの暗躍が最たる原因だったはずだ。昔のことをねちねち追及するつもりはさらさらないが、こういった異変に心当たりくらいあってもおかしくはない。
けれども、当のイヴァンはシュイの視線に気づいた素振りも見せず、これから向かう先、東側にある大きな川の方に注目していた。何が気になっているのだろうと視線を追うと、直角になっている川岸がやたらきらきらと光っているのが見えた。
「――そうか、そういう手か」
シュイはしたり顔でうなずいているイヴァンを睨む。
――念のために訊いておくけれど、あんたたちがやったわけじゃないだろうな。
シュイがピエールに聞こえぬよう囁き声で訊ねた。
――メリットがない。
イヴァンはシュイの疑惑を一言で斬って捨てる。
「連中がしでかしたことは概ね理解した。悪天候をも作戦に盛り込むとは、かなり頭の切れるやつがいるらしい」
シュイに続いてピエールもイヴァンに視線を向ける。
「電気や空気も水と同じく高きから低きへ流れるものだ、そして<黒禍渦>は低気圧、風を利用するにはうってつけの状況だ」
「テイキアツ?」
聞き慣れない言葉にシュイとピエールの目が点になる。
「雨風の集約する力場を表す古い言葉だ、深くは考えなくていい。要点だけ言えば、この辺りの空気は今現在、あの黒雲へと引っ張られやすい状態にあるということだ。シュイ、さっき川の岸辺を見たはずだな」
どうやら、視線を追っていたのにはしっかり気づかれていたようだ。シュイはイヴァンの目敏さに舌を巻きつつ素直にうなずく。
「あぁ、不自然にキラキラと光っていたけど」
「あくまで推測だが、光っていたのは多分砕け散った瓶の破片だ。<砂鮫人>が好んでいる匂いを放つ物を粉末状にして密封性の高い瓶に詰め、上流から流したのだろう。北東の国々はセーニアの勢力下にあるからな。そして、それが川岸に叩きつけられて――」
「割れて飛散した、と」
ピエールが結論を接いだ。
「粉末が風に煽られて飛散したとするなら、やつらが<黒禍渦>に向かっている謎も解ける」
シュイは船に備え付けられている白旗を見上げ、風の吹いている方角を確認する。なるほど、吹いているのは強い西風のようだ。
「夜明け前に俺たちが遭遇した敵船は、まるでジヴー軍の退路を塞ぐかのようにルトラバーグの南側を巡回していた。魔物をけしかけて町から逃げてきたところを叩くつもりだったとするなら、この状況が人為的に起こされているのは間違いなさそうだ。やつらなら目に頼らずとも耳や鼻で生き物の存在を捉える。<黒禍渦>の視界の悪さも苦にしないはず」
対して、守備側の兵士たちは視界の悪い中、狙いどころの少ない大量の魔物とやり合わなければならない。退却せずに戦うことを選択したとして損耗は避けられず、嵐が去るころにはセーニア軍と戦う余力など残されていないだろう。そして、退却を選択したとしても包囲網が張り巡らされている。
「……悪知恵もそこまで回ると感心するな」
シュイが呆れたように頭を振った。退くも地獄、留まるも地獄。こんな作戦を考えるやつは、手の施しようがないほど性格がねじ曲がっているに違いない。
「本当にそうだとしたらまずいな、巡回していた砂船のことを伝えなきゃ」
「修羅場とわかっていてもいくのか」
イヴァンがピエールに視線を向ける。ピエールは目だけで当然だ、と主張している。
「止めても無駄、か。――またラードックの操縦が必要な状況に陥っても俺は知らんぞ」
「……そうならないよう、頑張るさ」
イヴァンの脅し文句が多分に効いたのか、ピエールの顔色はあまり冴えなかった。
――――
荒れ狂う嵐の中、ジヴー軍は北進してきた<地縛巨霊>を相手に苦戦を強いられていた。
突如としてルトラバーグの南側の要塞を破壊し、町で暴れ回る巨大な侵入者に対し、砦にいた兵士たちが応戦するべく町の中央に集結した。そこに最初のつまづきがあった。要塞の壁の下を掘り進めてきた<砂鮫人>に気づくのに遅れたのだ。
囮となった<地縛巨霊>の方へ兵士たちが集まったことにより、町の各所に展開していた巡回兵たちが孤立した状態で大量の<砂鮫人>たちと相対することになった。視界の悪さで火の手が見えず、魔石も使えなくなっていることで町の各地の状況把握に致命的な遅れが生じた。
のっぴきならぬ状況に対し、ヴィレン将軍は仕方なく、巨人の掃討を断念。<砂鮫人>によって孤立させられた仲間と民間人を助けるべく軍を三手に分けた。
甘ったるい匂いが漂う薄闇の中。広場から無数の雷線が上空に向かって放たれた。帯状の雷が次々と、巨影の太腿辺りに命中した。攻撃が当たった場所からは大量の土砂がどっと零れ落ちる。強風下においては炎や氷の魔法を狙った場所に当てるのが非常に難しい。となれば、風にほとんど影響されず、悪天候で威力が底上げされた雷魔法が有効だ。
だが、集中攻撃を受けてなお、巨人の足は止まらない。たった今攻撃を喰らったばかりの足を一歩前に踏み出す。それだけで足場が大きく揺れ、反動で体が浮き上がる。転びそうになった兵士たちがあたふたと両手をばたつかせた。そうこうしている間に巨人の足が更に迫ってくる。
「ひ、退け! 退けー!」
砂の巨人は退却命令に反応が遅れた二人の兵士を見止め、半月型の虚ろな目を光らせた。次いで、だらりと垂らしていた腕を億劫そうに振り上げる。
太さだけでも悠に家一軒分ありそうな腕は、大灯台の倒壊にも匹敵する。兵士たちは振り上げられた腕がぴたりと止まるのを見、急ぎ路地へと逃げ込む。刹那、巨人の腕が振るわれ、地に思いきり叩きつけられた。
砂が勢いよく四方へ飛び散り、兵士たちが先ほどまでいた通路を街路樹や塀といったものも一緒に呑み込んでいく。町の地形は徐々に変わりつつあった。
<地縛巨霊>は大飢饉や干ばつなどで大勢の人が亡くなったのと前後して出現することが多いので、怨霊が寄り集まった霊体とされている。その霊体が持つ力に応じて砂や泥を集め、様々な姿形を象るのだ。
とはいっても、最近この近辺で大規模な天災は起きていない。すなわち、戦争による犠牲者ではないかという憶測が成り立つ。生きてセーニアに苦しめられ、死しても無念の思いに苦しめられているとするならばこれほど残酷なことはない。ジヴー兵たちはセーニアへの怒りをより強いものにしていた。
象られる土砂の大きさにはかなり個体差がある。小さいものなら象くらいの大きさだが、今兵士や町人たちが目にしているのは三十メード超級。確認されている中でも最大級に匹敵する。その巨体から放たれる一撃は壮絶の一言に尽きるが、他にも体を象っている鉱物の密度を巧みに変化させ、硬化や軟化を自在に行える能力を持つ。
そういった不定形の化け物にダメージを与えるには魔法や清められた武器が最も効果的なのだが、これほどの巨体となると少し勝手が違ってくる。的が大きくて攻撃を当てやすいのが唯一の救いだが、倒すまでダメージを蓄積するのにどれくらいかかるかわからない。視界が悪いことに加えて<砂鮫人>まで町に侵入しているとなれば、こんな化け物にかかずらっている暇などない。ルトラバーグ撤退の方針を打ち出したヴィレン将軍の判断は理に適ったものだった。
「シハラ様、西の港で砂船の出港準備が整ったとのことです!」
「うむ、報告ご苦労」
七十をとうに越していそうな人族の老人が、壊滅寸前まで追い詰められた頭のてっぺんをしわだらけの手で撫でる。暑いからか、紺色のローブのボタンを前で止めずに羽織っている。
辛うじて残っている数本のちぢれ毛が、しかし彼の「ハゲではない」という言い訳に必要不可欠なものであり、プライドそのものでもあった。うっかり軍部内で髪の話題を口にしようものなら異動を覚悟せねばならなかった。
「申し上げます、南地区の全住民退避完了致しました! 残すところは東のみです!」
「あいわかった、後は将軍の帰還待ちじゃな、それまで持ち堪えねばのう」
ヴィレン・カシリの参謀スザク・シハラは<地縛巨霊>を食い止めるべく、ヴィレンに授けられた数百の兵を指揮し、迎撃にあたっていた。任された兵たちを五つに分けて五重に陣形を敷き、前二列で攻撃を終えた者は一番後ろに下がり、極力疲労を軽減する入れ替え式の戦法だ。
砂の巨人は兵士たちの度重なる攻撃にもまったく堪えた様子を見せないが、スザクたちとしては近隣の住居や避難民に害が及ばぬよう敵の注意を引くことにこそ意味がある。また、攻撃をする時に足を止めてくれればその分だけ侵攻を遅らせることができる。少しでも時間を稼ぐことが、ここにいる者たちに与えられた責務だ。
ふと、<砂鮫人>を警戒していたジヴー兵たちが側面から急接近してくる二つの影に気づき、慌てて槍の穂先を向けた。が、そのうちの一人が軍団証をかざすのに気づき、お互いの顔を見合わせる。
「何用か! そこで止まり、所属と名前を名乗れ!」
「ああっといけね、――ええと、第五軍に所属していた」
「している」
赤髪の男が黒衣の男の突っ込みに大きくうなずく。
「そうそれ。一般兵のピエール・モーレだ、伝令兵に手隙のやつがいなかったんで直接報告にきた」
シュイがちらりとピエールを見る。
<何故偽名を使っているんだ?>
――万一俺の名前を知っているやつがいると困るから念のためだ。
シュイの念話にピエールは囁き声を返す。兵士たちは口をもごもご動かしているピエールを見て怪しんだのだろうか。
「手隙がないとは……伝令兵が仕事に追われているということか? 西側はどういう状況なのだ、避難誘導に人手が足りないのか?」
兵士が槍を下ろさずに訊ねた。
「いや、港の方に砂鮫人が大量に押し寄せてきているんだ。このままだと一時間もしないうちに砂船の出港ができなくなってしまう。というより、出港しないと船が使い物になりかねない」
シュイのその言葉に兵士たちの顔色が暗がりでもそれとわかるほど青くなる。と、その後ろから背の低い老人が歩いてくる。兵たちが槍を下ろし、さっと左右に割れる。
「シ、シハラ様」
「お若いの、申し訳ないがまだ東地区の住民確認作業が完了しておらんのじゃ。あそこにいる<地縛巨霊>がそなたらにも見えるであろう。この場所を譲ったら退却は困難になるのは必然、避難誘導に向かっている兵士たち共々、避難民から大勢の犠牲者が出るじゃろう。彼らを見捨てるわけには――」
「――おおーい!」
風が一時収まったのを見計らって野太い声が響いた。東からやってきたのは四列になった避難民たちを先導しているジヴーの兵士たちだった。
「おぉ、噂をすればよいタイミングじゃ」
スザクが顔を綻ばせた。兵士たちの目が東からきた者たちへ向き、そして、<地縛巨霊>の顔までもがそちらへと向いた。声で興味を引いてしまったのか、砂の巨人がそちらへと足を踏み出し、通りに並んでいる住居を蹴り倒す。
まずい。シュイとピエールが注意を促そうとした瞬間、一際強い風が吹いてきた。叫んだはずの声は空しく掻き消され、そうしている間にも巨人は避難民たちの列に近づいていく。
「い、いかん! こちらに注意を引けい!」
それでも近くにいたスザクには聞こえたらしい。状況を悟った彼が周りにいる兵士たちに声を裏返す。慌てて空に手を、杖を向けた彼らの前で、巨人が拳をゆっくりと引き、避難民たちに勢いよく突き出した。
油に火が点火されるのを百倍増しにしたような音が鼓膜を大きく揺さぶった。と、同時に、構えられた巨大な拳から砂の入り混じった衝撃波が発射される。避難民の列の中ほどに迫った砂弾が突風のせいで微かに直線軌道を外れる。
いくつもの悲鳴が上がった。砂弾は列への直撃を避け、手前にあった石垣に直撃。大理石の破片が爆発を起こしたかのように散乱し、砂の雨が無慈悲にばら撒かれた。
場が兵士と非戦闘員の苦鳴で埋め尽くされる中、一人列から大きく吹き飛ばされた10歳前後と思われる少女がぷるぷると首を振って体に纏わりついた砂を振るい落とし、顔を上げる。茶髪の少女の両の瞳に、巨大な黄土色の左足がはっきりと映った。
「あ……」
呆然とする少女を見下ろしたまま、砂の巨人がゆっくりと足を持ち上げた。
「――おいっ!」
「わかってらっ!」
切迫した事態をいち早く把握したシュイが魔印を切り、<韻踏み越えし歩を以って>を発動して突出。その後ろからピエールもやや遅れて続く。<集束する雷>を放って巨人の注目を引こうとしているジヴー兵たちの隙間を、二人がじぐざぐに縫うように駆け抜けていく。
だが、振り下ろされた巨大な拳は重量も手伝って想像以上に速かった。何より間合いを詰めるにはスタート地点が離れ過ぎていた。<刻穿ちし閃>を撃つ時間はない。少女は恐怖にすっかり魅了され、その場に立ち尽くすことしかできない。
――くそっ、間に合わないか!
巨人の振り下ろされる足がやたら緩慢に映った。住居を粉塵にする蹴撃。嫌でも漂ってくる死の予感。繰り広げられるだろう血と肉の惨劇が脳裏に過り、シュイがきつく片目を瞑る。瞬間、開いている片目に、屋根の上から飛び降りる人影が映った。
――ギィンッ
予想に反して、聞こえてきたのは肉を潰す音ではなかった。それはまるで金属と金属が相打つ硬質な音だ。
突として地に舞い降り、少女を庇ったその男は、身の丈以上もある長槍を手首と肩で支え、硬化された巨人の蹴り足をしかと受け止めていた。
「――ったくセーニアの糞どもが、随分と好き放題やってくれてんじゃねぇか」
白銀の鎧を身につけ、無精ひげを生やした長身の男が不敵に笑う。流石に全ての衝撃までは吸収し切れなかったのか両足が少し砂に沈み込んでいるが、二人共に怪我を負った様子はない。
唐突に、男の全身の筋肉が隆起し、巨大な足を押し上げ、宙へと突き放す。巨人は弾かれた様に仰け反り、足をもつれさせて背中から住宅街に倒れ込んだ。
馬鹿力とかいう言葉では片付かない。膨大な質量をいなしたその力は、辰力の極みに限りなく近づいた者だけが扱える類のものだ。
天井の崩落する音が風音に混じって聞こえてくる。一挙動だけで重苦しい空気をも吹き飛ばしたその男は、涙目をまん丸にしたままの少女をひょいと抱きかかえ、がっしりとした肩に乗せる。
「い、今じゃ! 急いで怪我人を運び出せぃ!」
スザクの命に肩を戦慄かせ、褐色肌の兵士たちが一斉に倒れている者たちに駆け寄っていく。
救助の邪魔にならぬよう少し離れたところで足を止めたシュイに、男が歩み寄りつつ軽く手をかざした。やや遅れて、ピエールがシュイの後ろから走ってくる。
――来て、いたのか。
知己の傭兵の、しかして予想だにせぬ登場に、口端が微かに持ち上がり、犬歯が覗く。
「少し遅いぜ、小僧ども。ちったぁ腕を上げたって聞いてるが、こんなおっさんを引っ張り出すようじゃあまだまだ甘チャンだな」
渋みのあるその声に、ピエールの顔が喜びと戸惑いに彩られた。