~後継 succeeded to wishes2~
早朝。鳥たちの囀りが聞こえ、ポリー支部へと急いでいたシャン・マクシミリアンが足を止める。路傍にある葉がほとんど残っていない楓の細枝には、喉が灰色で尾の長い、見目可愛らしい鳥がいた。小さな顔を羽毛の中にうずめてぷるぷると震えている。確かあれはセキレイだっただろうか。シャンは頼りない記憶を探るように遠くを見る。
寒風が肌に滲みる時期になると、北国ルクスプテロンから渡り鳥たちが越冬するべく南方の国へ移動する。セキレイは雌が巣作りをし、雄が巣の場所を守る鳥だ。
能動と受動。どちらが欠けても人の営みは成り立たない。その役割は必ずどちらかが担わなければならない。自分のように自由気ままにやっている傭兵がいる一方で、雑務に追われている傭兵たちもいる。今までとは対極の立ち位置。視点が変われば世界も違って見える。同じ景色を見ている者の葛藤や苦労を映し出す。それだけにシャンは彼らの有用性、必要性をありありと感じるのだった。
歩みを進めるたびに、くるぶしの高さまで降り積もった枯葉が乾いた音を鳴らす。冷たい空気が喉に心地良い。一方でそんな日常らしい日常を満喫していると、激戦区で戦っているだろうシュイたちに申し訳なくも思う。
それなりの年月をセーニアで過ごしていたこともあって、シャンも騎士団の屈強さは耳にしていた。軍学校でも選りすぐりの者しか入団できぬ狭き門。そこを潜り抜けた後も毎日のように厳しい訓練が、実地任務が待っている。そんな兵たちが四万も揃っているとなれば誰もが尻込みするだろう。勝敗はともかくとして、どうにか無事に帰ってきて欲しかった。
支部長の業務で一番やるせないのは傭兵の死亡報告、脱退報告だ。シルフィールの傭兵が任務を失敗する頻度は他ギルドと比べるとかなり少ないが、それでも全くないわけではない。たとえ顔見知りでない傭兵であっても同じギルドを選んだ仲間意識はある。死んだと聞けば落ち込むし、それが見知った者となれば長く尾を引くことだろう。先立って魔物との戦いで亡くなった者の報告書をしたためた時には幾度となく筆が止まった。
物思いから抜け出すと、枯れ木のアーチを過ぎたところだった。支部に面している通りに差しかかったところで、傍らから小さな声で名前を呼ばれた。
「――あぁ、アマリスじゃないか、おはよう」
挨拶をしながらも、シャンはおやっと小首を傾げた。アマリスの声は空でもわかるほどに聞き慣れているはずだったが、張りのないその声はいつもと様子が違う。見れば表情の方もあまり浮かないようだ。あるいは生理かとも思ったが、それを口に出しては二枚目半。思いとは裏腹に無難な言葉を選ぶ。
「どうしたんだい、珍しく元気がないじゃないか。――と、あれ、今日はアミナは一緒じゃないのか?」
きょろきょろと回りを見るシャンにアマリスは返事をせず、合わせた手の人差し指を突き合わせているばかりだ。そのくせ、眉毛をハの字にしたままちらちらと上目遣いを向けてくる。その様は後ろ足だけで立って餌をねだる小動物さながら。
言い出しにくそうにしている彼女にシャンも何かを感じたのだろう。その顔から疑問の色がすとんと落ち、不安げな表情に変化した。
「――まさか」
「その、まさかなの。ここ数日、難しい顔をしてたからボクも気になってはいたんだけど、嫌な予感が的中しちゃったみたいで。――朝起きたらテーブルの上にこんなものが」
アマリスが白い封筒を差し出し、シャンの視線が下がる。白い長方形の上隅には小さくも丁寧な字でアミナ・フォルストロームと記されていた。
シャンは、まいったなぁといわんばかりにドレッドヘアをぐしゃぐしゃと掻き乱した。内容を確認するまでもない。彼女は雌のセキレイにして匹夫の勇。どんなに勇ましい男よりも、能動的なのだ。
――――
遠くに聞こえていた砂船の駆動音に混じって呼びかける声が近くに聞こえ、シュイは薄らと目蓋を開く。まどろんだ闇には、いつもよりずっと近い、しみの形までもはっきりとわかる天井の陰影が映る。
「あれ、素で寝ちまってたか、悪ぃ」
下からはピエールの詫びる声。二段ベッドの上段で寝ていたシュイは一息つき、起こしかけていた頭を枕に埋めた。
「いや……なんだ」
「……そのさ、あいつの言うこと信じていいと思うか?」
あいつ、と訊き返すシュイに、ピエールが続ける。
「イヴァン・カストラだよ、治療中に言っていただろ。セーニア兵から聞き出したって話だ」
あぁ、と相槌を打ち、シュイは船に乗り込んだ後の記憶を引っ張り出した。
セーニアの騎士の話と状況を総合すると、今現在セーニアは二つに割れている可能性が高いということだった。年明けに教皇アダマンティスが突然倒れ、それ以来何人かの側近たちがよからぬことを画策しているのだという。アダマンティスの妹、コンラッド・ディアーダに嫁いだ長女のカティスも若くして病で亡くなっているが、どうやらアダマンティスの病状もカティスのそれに似ているらしい。
基本的に国の要人の病状には緘口令が敷かれるものだ。病の教皇に謁見できるのはごくわずかな者たちであるはずだが、長くないという噂が騎士団の中にもしっかりと蔓延している。つまりは忠誠心の薄い何者かが話を外部に漏らしているのだろう。
そして、それを好機と捉えた、今まで主流派ではなかった側近たちが、なんとか教皇派を出し抜いてやろうと考えた。そこに接触したのがルクセンの裏切り者なのでは、とイヴァンは推測した。強力な<魔遺物>の存在を仄めかし、主導権を握ろうとする急進派を炊きつけたとすれば一応辻褄は合う。
長らく古代人たちの遺産を守ってきたルクセン教徒たちだが、ヴィオレーヌの話によると今回のような騒動になるのは決して初めてではないそうだ。過去にも相当数の信者たちが<魔遺物>を守るべく他勢力と闘い、殉死していった。
いっそのこと<魔遺物>を壊してしまえばいいのでは、と思わないでもないが、ルクセン教の者たちもそれくらいのことはとうの昔に思いついていた。実際、数百年以上前に一人のルクセン教徒が一見鉄クズのような<魔遺物>を破壊しようとしたらしい。
だが、その行いは想定を遥かに超えた悲劇を招く。そこに存在した地下施設はおろか、地上にあった町までも巻き込んで灰塵と化したという。
<魔遺物>の中には下手に扱うととんでもない大災害を引き起こす物も存在する。守らなければならない財宝であると同時に、長年ルクセン教の者たちを掴んで離さない呪い、先人たちの負の遺産でもある。
実際、その運命に嫌気が差した者は後を絶たなかったようで、何年か前にも上層部の一人が仲間を連れて行方知れずになったそうだ。その時にも幾つかの<魔遺物>が持ち出されていたことから、今回のジヴー遠征は彼らと少なからず繋がりがあるのでは、というのがイヴァンたちの見解だった。セーニアは権力争いの延長上に<魔遺物>を必要とし、裏切り者たちはルクセンに対する不満があったということで確かに手を組んでいてもおかしくない。
「確かに筋は通っているんだけど、なーんか引っ掛かるんだよな。あいつが賞金首とかそういうのは抜きにして」
ピエールの意見には同意できる部分も多々あった。何が気になるかというと、筋が通り過ぎているのだ。仮説や推論にはどこかにひとつくらいは無理や矛盾、疑問といったものが混じるものだが、イヴァンの説明は整然としている。それが返って気味悪さを助長する。
そして、シュイが引っかかっている理由は他にもあった。レイヴから聞き出した情報と一点だけ、食い違う話があったのだ。
「――口にしたことについてはとりあえず信じても大丈夫だと思う。元々あまり嘘をつかない性格だったし、言いたくないことは濁すか沈黙するタイプだ」
イヴァンは秘密主義者だが偽り人ではない。言いたくないことはぼかすか口にしない。逆に言えば、口にしたことは彼が言っても差し支えないと判断した本当のことだろう。もちろん、何かを隠している可能性については否定しきれない。
「元々、か。おまえ、一体あいつとどういう関係なんだ? 細かい性格まで把握してるくらいだ、ただの知り合いってわけでもないんだろ?」
シュイは腕を組んで考え込む。改めて問われてみると一言で表すのは難しかった。細い根っこ同士が絡み合っていて解けない雑草のようなものだろうか。
「同郷の士……、いや、もう少し近しいかな。俺の面倒を見てくれていた人の従兄なんだ。今はおまえも知っての通り、一傭兵と一賞金首、犬猿の仲さ」
「――面倒ってのは、つまりヒモってことか」
ピエールの楽しげな声が癪にさわり、自然と鼻息が荒くなる。
「アホか、普通の意味でだ。子供の頃世話になっていたんだよ」
「……んー? なんか計算が合わねえ気が。イヴァン・カストラとおまえってそんなに年が離れているのか? あいつも人族だし、いいとこ二十代後半ってとこだろ」
「いや、それなりに離れているよ。おれ、まだ十八歳だし」
「あーそっか、そんなら別におかしく……はああああぁぁぁ!?」
素っ頓狂な声を上げたピエールにシュイが身を竦ませた。
「ば、馬鹿、夜中に大きな声出すなよ。隣で連中だって寝てるんだぞ」
「あ、あぁすまねぇ。ってか、十八だ!? ってことは俺と初めて出会った時は――十四! なんだそれ、わっけー! まだがきんちょじゃねえかよ」
そう。こういう風に過剰反応されるのが嫌だったのだ。以前から子供扱いされることが好きではなかっただけに、年齢を偽るというニルファナの案は望むところだった。
「そうか、だからハーベルさんの、ってか後見人の推薦が必要になったんだな」
「そうだけど……傭兵に年齢なんか関係ないだろ? あんなにしっかりしているアミナ様だって俺とひとつしか違わないし」
「いや、そりゃあそうだけどさー、なんか釈然としねえよなー。なんで今まで黙っていたんだよ」
不機嫌そうな口調にシュイが苦笑を漏らす。
「それについては心から謝る、訊ねられたら喋ろうとは思っていた。けれど、必要がない限りはどうしても喋りたくなかったんだ」
「それはつまり、以前は俺を信用していなかったってことだよな」
「おまえだけじゃなくて、周りの人間を頼っていいものか確証が持てなかった」
「――はっきり言ってくれるじゃねえか、理解はできなくもないけどちっとショックだわ。火傷ってのも嘘だったんだな」
「なじってくれていいよ、どんな理由があろうと偽っていたのは取り消せない。自分が一番嫌ってやまない行為を他人にやったんだから」
沈黙の後に舌打ちが鳴り響く。そりゃ怒るよな、とシュイが目を瞑る。
「拳の一発くらいは覚悟してるよ」
「馬鹿か、そんなんで足りるかよ。……けど、まぁ、応援に来てくれたってことでトントンにしてやらんでもない」
「……はは、そりゃ助かる」
「んで? 聞いたからには話してもらえるんだよな、年齢を偽っていた理由ってやつを」
わかってる、とシュイは寝そべったまま自分の左手を掲げ、手の平にある傷に視線を映す。
「――俺はセーニアに追われている重犯罪人だ。もし本人だとバレたら死刑はまず避けられないだろうな」
細かく話せば根が深い。寝れなくなりそうなので要点だけを掻いつまむ。
「セーニアに……イヴァン・カストラもそうだったよな。一緒に行動していたのか?」
「いや……、同じ目的を持った結果として、似通った立場になっただけだ。エスニールの乱って聞いたことあるか」
「あ、あぁ。大まかにしか知らないが、エスニールってセーニアに反乱を企てた国だろ。失敗したって聞いているけど」
もう聞き慣れた言葉だったが、それでも心に寒風が吹き抜けた。反乱という言葉に世間は少なからず罪を連想するだろう。一方的に殺され、犯罪人にまでされた仲間たちを思うと心が絞られるようだった。
「実際にはそれはでっち上げで、俺とイヴァンは彼の国の出身だ。村の市場で買い物をしていた時、騎士団がなだれ込んできたことを今でもはっきり覚えているよ」
逃げる住民たちを嬉々として追ってくる帝国兵たち。追いつかれて肩を切り裂かれる赤子を抱えた母親の姿。それを皮切りに、瞳に怒りを滾らせて反撃に転じる村の大人たち。胸に寒さとも熱さともつかぬ慟哭が過ぎる。視界が歪む。
「……じゃあ、汚名を着せられた上に国まで滅ぼされたってのか」
眉間の辺りをなにかが揺れ動く。シュイは混濁とした感情を鎮めるべく、努めてゆっくりと息を吸う。ほどなくして濁りが沈殿し、頭が一時澄む。何より、怒りの込められたピエールの声が、それに一役買ってくれている。
「一緒に遊んでいた友達も、買い物でいつもおまけしてくれた果物商人も、俺の親代わりだった人も殺された。頭が真っ白になって、暗転して、その闇の中に血の色をした呪言が、くっきりと浮かび上がった。それを口ずさんだ結果がこの体たらく、今の俺ってわけさ」
シュイの脳裏に一枚絵が浮かんでは遠ざかる。魔法道具を扱っていた商隊での日常。古代文字に精通していた鑑定商人。得体の知れない魔法道具の数々。好奇心旺盛な商人の子供たちとの度胸試し。虫に食われた禁書の一頁。一瞬にして紙面から消失し、頭に刻まれた文字を。