~後継 succeeded to wishes~
茶色い革鎧を着込み、剣を手にした騎士たちの隙間を、影がじぐざぐに通り抜けていく。影が薄まり、兵たちと背中合わせに珈琲色の髪の男が現れるや否や、剣を構えて立ち尽くしていた数人の騎士の首が赤く染まり、どっと身を横たえた。
後ろを振り返った若い騎士が声を震わせる。
「だ、駄目です隊長! 敵の動きが早過ぎてとてもついていけません!」
男との接触からそう時間は経っていなかったが、擦れ違う度に数人が倒されている。数十人近くいた騎士たちは既に十に満たない数にまで減らされていた。次に自分が倒される可能性は膨れ上がるばかりだ。
「騎士たるものが泣き言を申すな! おのれっ、たった一人相手になんというざまだ!」
怒声を上げた隊長にイヴァン・カストラがゆっくりと振り返る。
「虎穴で好き勝手に暴れた自分たちの愚かさを悔やむんだな」
「くっ、ミスティミストの連中はどうした! まだ追いついてこんのか! どこで油を売っている!」
そんなことを聞かれても部下たちには答えようもない。ただ顔を見合わせるばかりだった。
「未だに来ないなら期待しない方がいい、何も虎は一匹だけとは限らん」
そう結ぶなり、イヴァンが肩を広げて袖に仕込んでいた短剣を両手に持ち、三枚刃を開いた。かと思うとその場から再び消え失せる。
隊長の男が視界を一瞬横切った影に反応し、剣を振った。が、刀身の横腹を叩かれて体が横に泳ぐ。その直後、ずぶりと不吉な音が聞こえた。イヴァンの左手に握られていた短剣が革鎧を貫き、胸に潜り込んでいた。
「がっふっ……」
「た、隊長! ――このっ」
深々と胸部を抉られ、吐血した騎士隊長を見止め、両隣にいた二人が慌ててイヴァンに剣を振り下ろした。次の瞬間にはイヴァンの姿は消え、二つの剣が打ち合わされる。危うく同士討ちしかけて剣を引っ込めた騎士二人に、宙に身を躍らせていたイヴァンが回転蹴りを見舞った。
「がはっ!」
「ぐぇっ!」
斬りかかった騎士たちは時間差なく昏倒し、後頭部を床に打ち付けた。イヴァンは蹴った勢いのままに騎士たちの一団を飛び越えて右手に着地。直後、着地点を予測して後方から放たれた騎士の炎弾がイヴァンに迫る。
次の瞬間、魔法を放った騎士たちの方が後ずさりした。驚くべきことに炎の塊はイヴァンの体を焼くことなく、そよ風のように両脇を通り過ぎていった。高位の魔法や辰術の使い手には抗魔力も備わっている。辰力の制御を極めつつあるイヴァンに、今や生半可な魔法は通用しなかった。
「――ま……魔石を」
なす術なく固まっている騎士たちに、床に横たわっていた隊長が血を飲み込みながらも命じた。我に返った騎士たちは目配せを交わし合い、一斉に懐から何かを取り出した。
「無駄なことを、……むっ」
手の平に握り締められている赤色の燐光を帯びた魔石を見て、イヴァンの顔が一瞬険しくなった。
「連絡用魔石、だと。きさまらが使えなくしたはずではないのか」
「……残念だったな、これは魔力の含有量を多くした特別製だ。既にこの環境下で試し済みさ!」
勝ち誇った中年の騎士が手を掲げた。天井へと向かって一斉に飛び立つ赤い光を前に、イヴァンがちらりと後ろを振り返る。連絡用魔石の光は天井に吸い込まれることはなかった。窓に張り付く羽虫のように行き場を失い、右往左往していた。
唖然とする男たちの目に光の反射が映った。知らぬ間に大部屋の中は半球状の透過壁に覆われていた。
「――結界っ、まだ味方がいたのか!」
それが誰の手によるものかイヴァンにはわかったのだろう。口角を微かに持ち上げる。
「――撤退、撤退だ!」
即座に自分から遠ざかっていくセーニア騎士たちを見て、イヴァンは一瞬駆け出そうとしたが、通路の奥からの気配に気づいて足を止めた。
先頭を走っていた男が部屋から出かけた瞬間だった。影から巨大な拳がぬっと現れ、勢いよく地に振り下ろされる。
寸という重々しい音が響き、床にひび割れが広がってゆく。忽然と現れた巨体の男がゆっくりとその拳を持ち上げると、革鎧の中にひしゃげた血肉と骨の塊、それに砕けた床が収まっていた。頭や顔の形など跡形もない。
その脇を一人の騎士が通り抜けようとしたが、今度は巨体の後ろから金属棒が横に飛び出てくる。避ける間もなく首から突っ込んだ騎士はもんどり打って背中を床に叩きつけられた。
「……かっ……ゲホッゲホッ」
大男の後ろから黒髪を後ろで三つ網に束ねた魔族の少年が現れ、伸縮棒を引っ込めながら部屋に入ってくる。年の頃は十五、六といったところだった。
「逃がすわけにはいかないな、知っていることを洗いざらい喋ってもらうよ」
獣族の大男がその後を追うようにずいと前進する。二人はそれぞれサイズ違いの青い服を纏っていた。
「悪いな、主犯格には逃げられちまった。けど、裏切り者はあらかた片付いたぜ」
「ご苦労だったな、リック、イルナヤ」
リックハルド、そしてそれより頭三つ分は低いイルナヤが、横並びになって退路を塞ぐ。
前門の虎、後門の狼。挟まれた騎士たちは逃げ切れないと悟ったのか、再び腰に下げていた袋に手を突っ込み、鮮やかな緑色の球体を取り出した。だが、先ほどと違ってその表情は希望に満ちてはいなかった。
騎士たちの様子に何かを感じ取ったのか、イヴァンが素早く膝を屈伸させ、勢いよく走り出す。果たしてその予感は的中した。騎士たちが次々にそれを自分の口の中に放り込む。イヴァンが舌打ちしながらも一瞬躊躇した若い騎士を見止め、側面から前方に回り込んで肘打ちを食らわせる。
「……ぐっ、ふっ」
倒れた男の口から緑色の飴らしきものが零れ落ち、床に叩きつけられて割れる。その割れ目から流れ出た液がしゅうしゅうと、床の塗料を熔かしていく。時を同じくして四人の騎士たちがぐらりと傾き、横倒しになった。
「こいつら毒を! ……この、吐けよこら!」
イルナヤが一番近くにいた騎士の喉に手を突っ込んで何とか吐き出させようとする。が、イヴァンが肩に手を置いてそれを止めた。万が一、皮膚にも侵食する系統の毒であればイルナヤもただでは済まない。
「……セーニア教……国に……栄光、あれ! …………ぁ」
イルナヤに抱えられた男が目を見開いたまま硬直し、口と鼻から血の混じった泡がこぽこぽと零れ出す。喉の奥からしゅうしゅうと音が聞こえ、抹茶色の煙が立ち上った。嗅ぐに堪えない悪臭が漂い始め、イルナヤが顔をしかめる。唾液で汚れた手を男のズボンに念入りに擦り付け、ゆっくりと立ち上がった。
「……あれ、おっかしいな、あっれー?」
その隣ではリックハルドが、豪快な彼にしては珍しくばつ悪そうな顔をしていた。どうやら腹を殴って飴を吐き出させようとしたらしい。が、いささか強く殴り過ぎてそれが元で死んでしまったようだ。杭でも打ち込まれたように腹筋を陥没させられた騎士にイルナヤは、馬鹿力が、と顔をひくつかせる。
「喋っても生き残れる可能性がないと踏んだか。ま、連中がやっている行為を省みればそういった考えも生まれるのは致し方ないが」
さして同情した様子も見せず、イヴァンが屍と化した四人を冷やかに見下ろす。
「それにしたって病的な忠誠心だよね、生き残る可能性を自分で潰すなんて。何がこいつらをそんなに駆り立てるんだろう。宗教による一体感? それとも愛国心?」
「見誤るな、兵たちに毒を持たせている時点でろくな国じゃない。そんな国に命を賭ける価値があるはずもない」
「……だよね」
「がっはっは、騎士だってのにだらしねえなぁ。どうせ死ぬなら正々堂々戦って死ねばいいのによ」
リックハルドが胸を張って豪快に笑うと、イヴァンとイルナヤは顔を合わせて溜息をつく。
「リック……ハルドみたいに何も悩まずに生きられれば、人生どんなに楽なことか」
イヴァンの目線に気づき、イルナヤが慌て気味に略称を修正。イヴァンは後ろで腹を抑えて呻いている騎士を指差す。
「リック、悪いがそいつを抑えつけておいてくれ。無論、ちゃんと手加減した上でだ」
「わ、わかってるぜぇ」
冷たい目線と共に念を押されたリックは、慎重に男の両肩を抑えた。
「さて、おまえたちの目的を聞こうか、要点を簡潔に、手短にまとめろ」
「し、知らんっ、知っていたとしても言うはずがなかろう!」
挑発的な口調の割に顔色は著しく悪い。まだイヴァンの肘打ちのダメージは残っているようだ。
「……どうやら、自分の立場があまり理解できていないようだな」
イヴァンの尖鋭的な眼光に騎士が思わず顔を逸らす。
「イルナヤ、アレを出せ。時間が惜しい」
「……え、本気ですか?」
イルナヤの顔が露骨に曇った。次には早くしろと強く催促され、急ぎ懐からガラス瓶を取り出した。蓋を開けたそれをイヴァンの方に差し出すと、イヴァンがその中に指を突っ込んだ。
「本来こういったやり方は好まないんだが、こちらも仲間を大勢殺されているんでな、意地を通すのはそちらの勝手だが、心意気を汲んでやるほど優しくはないぞ」
「な……何をする気だ」
ほどなくして、イヴァンが瓶から指を出した。指先には斑色のクリームのようなものがついている。調味料だ、とイヴァンが呟く。
「な……え、調味……料?」
その言葉に男はほっとしたようだったが、イルナヤが畳みかけるように言う。
「練ったワサビとカラシを丹念に混ぜ合わせたものさ。粗塩とショウガも入っていたっけ」
「な……」
「粉山椒が抜けている。と、それはともかく、おまえも大勢の仲間を殺されて悔しさと悲しさを味わっていることだろうと思う。だから、一生分の涙をプレゼントしてやろうと思ってな」
淡々と続けるイヴァンに、騎士の瞳が恐怖で彩られた。その細い顎ががくがくと揺れる。
「俺も半信半疑だが、これを目に塗った者はあれよあれよという間に舌が滑らかになるそうだ。黒しか見えなくなるかも知れないという欠点があるが、そうそう死ぬこともないだけに下手な毒よりも優秀だ」
「……あ、あぁ」
顔を真っ青にした男にイヴァンが「しかしだ」と助け船を出す。
「男子三日会わずんば刮目してみよ、といった名言もある。人は一日にして成長するものだ、もしかしたらおまえもさっきよりは賢くなっているかも知れない。念には念を入れて今一度、問い質そうか」
一度の部分を殊更強調して、イヴァンが片目を瞑った。その顔は男の未来を暗に示している。この船の切符を手に入れねばどうなるか容易に想像がついただろう。
「おまえたちはどうやって<魔遺物>の存在を知った、手に入れて何に使うつもりだ。――イルナヤ、数えろ」
「了解ー。――じゅー、きゅー、はーち」
イルナヤの間延びしたカウントダウンと共に、黄土色とも黄緑色ともつかぬものに彩られたイヴァンの指先が容赦なく迫ってくる。何とか逃げようともがくがリックハルドに肩を押さえられてはびくともしない。周りに転がるのは仲間たちの死体。あらゆる意味で逃げ場を失ったセーニアの若き騎士は、残り3秒にしてその恐怖に屈した。
――――
気絶させた兵士をリックハルドに担がせ、イヴァンたちはシュイたちと合流すべく通路を走る。と、通路の先に二つの人影を見止め、イルナヤが伸縮棒を伸ばした。
「――待て、イルナヤ」
「……イヴァンさん?」
戸惑ったようにイルナヤはイヴァンを見た。
「約は果たしたぞ、イヴァン」
ボロボロの黒衣を纏った男と傷だらけの革鎧を着た色黒の男が通路の奥から現れた。イヴァンは二人に、次いで二人の更に奥に目線を動かし、眉根を寄せた。
「……おまえたちだけか、他の者は」
「残念だけど、俺たちが敵と接触した時には既に全滅していた。もっとも、敵の方も残っていたのはミスティミストの傭兵だけだったが」
「……そうか」
イヴァンたちはそれぞれにやりきれなそうな表情を浮かべる。
「テクラのオバハンも逝っちまったのかぁ。――あれ、おまえの格好、あれか? シュイ・エルクンドか?」
「……そうだが、あんたは?」
シュイが目の前の大男を見上げた。抱えている騎士が子供に見えるくらいにがっしりとした体付きをしていた。
「シュイ、そいつ見覚えあるぜ。確かリックハルドって元賞金首だ」
元、とシュイがピエールに訊き返す。
「傭兵になったばかりの時だからうる覚えだけど、あまりに強くて追っても無駄ってことで賞金を外されちまったらしい。重犯罪者の中では罪も軽かったみたいだし、割に合わなかったってことだろうな。もっとも、返り討ちにされた賞金稼ぎは数知れずって聞いてるけど」
「……イヴァンさん、協力者って傭兵なの?」
イルナヤが眉をひそめて二人を見る。汚物を見るような目付きに二人がむっとする。
「つうか、俺たちの手助けって必要あったわけ? おまえら全然ピンピンしてるじゃねえか」
ピエールが前にいる三人を見て溜息混じりに言った。言われてみれば確かに、ここにいる三人はほとんど手傷を負っていないようだ。
「おい黒いの、見た目で判断するなよ。こっちは一週間寝る以外戦いっ放しで煮過ぎた菜っ葉のようにくたくたなんだ」
「……なんだぁ、このガキわ」
肩をいからせて前に出ようとするピエールにシュイが苦言を呈する。
「おい、ピエール。恥ずかしいからおこちゃまと張り合うな」
「あ、あぁ悪い」
「浮浪者におこちゃま呼ばわりされる筋合いはねえよ、あー臭い臭い、汗臭い説教臭いついでにおっさん臭い」
――この糞ガキが、誰のせいでこんなボロボロになったと思ってやがる。
鼻をつまんでみせたイルナヤにシュイが右腕をゆっくりと引いた。ピエールが少々白けた表情で何する気だ、と腕を掴む。
「放せ、目上に対する礼儀を教えてやるのが大人の役割ってもんだろ」
「……おまえね、数秒前に言ったこともう忘れたのか。どんだけ都合の良い頭の構造してるんだよ」
そんなやり取りを交わす二人を尻目に、リックハルドがじれったそうに呟く。
「なんでぇ、そいつがそんなざまだってことはそっちが当たりくじだったのかよ」
――当たりくじだぁ?
遠まわしな誉め言葉に聞こえないこともなかったがそれより聞き捨てならぬ言葉。ミスティミスト屈指の傭兵レイヴ・グラガンとの戦いを当たり呼ばわりはないだろう。
「……あー、シュイ、あまり深く考えんでいい。そいつは戦うのが好きなだけだ」
「ってよりはもう根っからの戦闘狂だよね。三度の飯より拳を合わせるのが好き、みたいな」
溜息混じりのイヴァンの言葉をイルナヤが受け取る。
「それよりイヴァンさん、ついでにそいつらも始末しちゃった方がいいんじゃないの? 今なら楽に片付きそう――いだ!」
不穏な言葉を吐いたイルナヤをイヴァンが窘めようとした矢先、鈍い音が響く。すぐさまイルナヤが頭を押さえてしゃがみ込んだ。リックハルドの後ろに控えていたのは見覚えある黒髪美人。ピエールの顔が綻び、連鎖反応でシュイの顔が歪む。
「イルナヤ、恩ある者になんという言い草ですか。彼らはあなたの代わりに手強い傭兵たちと闘ってくれたのですよ」
イルナヤは呻きながら涙目で後ろを、分厚い聖書を手にしたヴィオレーヌを振り返る。
「ね、姉ちゃん酷い、角で殴らないでよ。そいつら四大ギルドに所属する傭兵だぜ? 言ってみればイヴァンさんの不倶戴天の敵だろ」
「真に敵だというならば、このような姿になってまで約定を果たそうとすると思うのですか」
「いや、それは……その」
「めっ、ですよ」
「……はい」
人差し指を立ててイルナヤをきつく叱るヴィオレーヌの姿にピエールが見惚れた。
「この感情なんだろう、ドキドキする」
「そんなおまえに俺は心底ムカムカする」
――心配しなくてもミルカに提供するネタはたっぷりとあるから、帰ったらいくらでも説教してもらうといい。てか一遍痛い目あった方がいいな。生きて帰れたらミルカへのお土産は鞭と縄にするか。
「くだらんお喋りはそれくらいにしろ、あまり猶予は残されていないぞ」
覆面の結び目を引っ張り、顔を露にしたイヴァンに、シュイがはてと首を傾げる。
「猶予って、どういうことだ?」
「この施設が定期的に地中を移動していることは教えただろう。なるべく早くにここを離れる必要がある。――思ったより事態は混み入っているようだ。まずは砂船まで移動するぞ」