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~血戦 battle against adversity9~

 忌まわしき日から二週間が過ぎた頃、レイヴはモーザの屋敷に出向き、次回の仕事から一定の報酬が欲しいと申し出た。できるだけ謙虚に、下手に見えるように。

 その日まで鏡を見ながら媚びた笑みを一生懸命に練習した。大人がごく自然に披露しているように見えたその笑みは思いのほか難しかった。

 そう遠くない時期にレイヴにもう一度仕事をやらせてみようと目論んでいたモーザは、レイヴの方から出向いてきたことによって、この細い少年に犯罪者の見込みがあることを確信した。人殺しの罪悪感よりも自己愛が、金銭欲が勝ったのだと。

 自分が上にいくための優秀な手駒として使えるかも知れない。年幼さはそれだけで相手の警戒を緩める武器となる。元々どこにでもいる孤児の一人だ。何かあったとして自分が傷を負うことはない。

 その申し出を快諾し、度々汚れ仕事を任せるようになったモーザは、それからも様々な荷物をレイヴに運ばせ、仕事が終わる度に幾許かの報酬を与えた。


 死の配達人となったレイヴは、心を擦り減らす仕事をこなしていくうちにおのれの感情を制御する術を身につけていった。そうしているうちに血の臭いにも慣れ、吐き気も遠ざかっていった。

 その一方で、誰にも悟られぬようにおのれの肉体を鍛え上げた。毎夜、寝る間を惜しんで起伏の大きい貧民窟の坂道を走り回って足腰を鍛えた。北国の家屋ならばどこにでもある火かき棒を持ち、一日に何百回、多い時には何千回と素振りを繰り返した。

 ぶかぶかの長袖の服とズボンを常日頃身につけることも忘れなかった。筋肉がつき、体付きが変わっていくのをばれないようにするためだ。仕事の日が近づいてくる時には前もって数日間絶食し、体格があまり変わっていないことをそれとなくアピールした。仕事着、裕福そうな私服や銀行の制服が用意されている時には、着替えを見られることもあったからだ。

 意図したことではなかったが、水や食料への飢えは仕事をする際に重宝した。目的を果たすために雑多な感情は障害以外の何物でもなかったからだ。一時とはいえ余計なことを考えず、ただ今ある仕事を終え、たらふく飲み食いすることだけを考えていられた。

 そんな日々を過ごしているうちに、平穏な日常に感覚を呼び戻すことが難しくなってきた。いつの間にか上手く喜怒哀楽を表すことができなくなっていたのだ。加えて、普段あまり寝ていなかったせいでレイヴの目にはいつも隈ができていた。どんどん人相が悪くなっていくレイヴに孤児仲間たちは良からぬことをやらされているのではと詰め寄ったが、レイヴは彼らにだけ見せる笑みを浮かべ、それを否定し続けた。



 二年も経たぬうちに、モーザは貧民窟だけでなく、併設されている町をも牛耳る存在になっていた。

 真の悪党は決して自らの手を汚さない。そのための努力を怠らないものだ。モーザは如何に裏で悪事の手引きをしようと、自分だけは一線を超えていないと思い込める図太さ、強かさを持っていた。彼はレイヴを初めとした身寄りのない者から使える人材を見出し、活用する才能に長けていた。自分が直接恨みを買わぬよう留意しつつ、敵対する者を、将来邪魔になりそうなものをことごとく排除していった。そしてついに、自らの手を一度も汚すことなく、ひとつの街の裏の支配者にまで上り詰めた。

 頭の回転は相変わらず早かったが、その体つきはレイヴと初めて会った時に比べて相当に変わっていた。以前着ていた服は下着も靴下も含めて全てサイズが合わなくなり、全て廃棄された。

 その下で仕事を重ねていたレイヴの蓄えもそれなりになっていた。無論、正規の暗殺で受け取れる報酬に比べれば微々たるものだ。8割から9割はピンハネされてモーザの懐に入っていただろう。

 そんな不条理にも不満を零すことなく、屈することなく、レイヴは顔に笑みを貼り付けてどこまでも忠実にモーザに尽くした。不満をおくびにも出さずに働き続けるレイヴに、モーザも警戒心を緩め始めていた。


 その日、レイヴは溜め続けていた金を換金しに銀行に出向いていた。山のような小銭も札束に換金すると手の平にすっぽりと収まってしまった。その足で、まだ店が開いていない武器屋の扉を叩いた。不機嫌を隠すことなく寝惚け眼を擦った店の主人に、今までに稼いだ金を余すことなく渡すと、これで買える一番強力な武器を、と頼んだ。汚い金を自分や仲間のために使うのが嫌だったし、元々使い道はこれと決めていた。

 火かき棒を毎日のように振るい、マメがかちこちになったその手を見て、主人は納得したようにうなずいた。店の奥に姿を消してからしばらくすると、見事な装飾箱を抱えてきた。箱を開くと高級感ある紺の内張りが、型溝には紅蓮の細剣が収まっていた。

 レイヴはその形状の美しさに魅入った。刃はどんな金属を使ったのか血のような鮮やかな紅で、柄は五指にフィットするよう窪みが設けられていた。

 触れるのを躊躇っている様子のレイヴに、主人が手に取ってみるよう促した。職人の粋が込められた剣をぐっと握り締める。ただそれだけで力が湧き出で、夏の日差しに晒されたような熱が全身に伝わり、心が高揚した。自らの鎖を断ち切るに、今までの生活に決別を告げるに相応しい刃だった。


 その六日後、レイヴは屋敷の手前の角で足を止め、物影からその日の門番の顔を確認した。不意に浮かんだ微笑みを引き締めると、近くの茂みに隠してあった紅蓮の細剣に丈夫な革を巻き付け、両端を紐で括り、ベルトの代わりにして腰に巻いた。そしていつものようにモーザの住む屋敷に向かった。

 訪問者が屋敷に入る時に武器を持ち込むことは許されていない。門をくぐる前にはその日の門番に必ずチェックされる。モーザの抜け目のなさ、油断のなさは今に始まったことではないが、門番の方は彼ほどに抜け目がないわけではない。中にはチェックの甘い者もいるし、一生懸命やっているように見えて抜けている者もいる。

 目の前にいる人族の男にチェックされたことは五度あった。ちょび髭を生やした小男はどちらかと言えばチェックが厳しく、堅実な性格だった。が、逆に言うといつも決まったことしかやらなかった。

 男は以前にもやったようにレイヴに万歳をさせ、腹周り、背中、ズボンの裾、足の裏まで入念に調べた上で丸越しだと判断した。革のベルトに触れられた時には内心どきりとしたが、その中に納まっている細剣に気づいた様子はなかった。

 赤い絨毯の敷かれた廊下を歩いていくと、壁と扉を突き抜けて野太い高笑いが聞こえてきた。モーザ本人の声に違いなかった。体に溜まった空気を何度となく吐き出し、逸る心を深くに沈め、レイヴは扉の前に立った。



 モーザは朝から上機嫌だった。前日にあった武器の大きな取引が上手くいったことを、それに一役買っていたレイヴも当然のように知っていた。仕事の成功の後にお気に入りの葡萄酒を飲むのが最近の習慣となっていた。

 モーザは大人二人くらい容易に座れそうな椅子に大きな尻をうずめ、片手に高級ワインをくゆらせ、もう片方の手を侍らせていた幼い魔族の少女の細い腰に回していた。強面のゴロツキに身辺を守らせることも忘れていなかったが、この日ばかりは酒が警戒感を鈍らせていた。


 部屋に静々と入ってきた灰青(アッシュ・ブルー)の忠犬を見据え、モーザはレイヴに向けてワイングラスを掲げ、赤らんだ顔で将来を語った。

「おおレイヴ、昨夜は本当にご苦労だったな。おまえも良ければ一杯どうだ。エレグスから取り寄せた一級品のワインだ。これほどに美味い酒はそう飲めないぞ」

「いいえ、私は結構です、これから大事な仕事がありますから」

「そうか? 今夜の仕事は昨日に比べれば造作もないと思うがなぁ。――おいレイヴ、俺はこんな街で終わる気はさらさらないぞ。いずれはもっと有力な貴族たちとも手を結び、巨万の富を作り出してやる」

「そうですね、モーザ様の手腕をもってすれば不可能はないと存じ上げます」

「ふふん、おまえも口が上手くなったものだ。考えてみればおまえはここ数年で一番の掘り出し物だった。あの薄汚い餓鬼が今や俺の自慢の片腕だ」

 レイヴはそうですね、と笑った。

「うむ、そうだな、俺ともあろう者が腹心をいつまでもあんなあばら家に住ませていては格好がつかん。近いうちにおまえにも専用の屋敷を用意してやろう」

 レイヴはそうですね、と笑った。

「あぁ、遠慮はいらないぞ、忠誠心のある部下を労ってやるのも優秀な指導者の役目だからな。あぁ、そういえばおまえもそろそろ年頃だ、なんなら綺麗どころを二つや三つ見繕って送ってやろう。孤児や浚ってきた女の中にはまだすれてないのもそれなりにいるぞ。言え、どんなタイプが好みだ?」

 レイヴはそうですね、と笑った。

「んん? どうしたんだおまえ。さっきからそうですね、としか言っていないじゃないか」

 レイヴはそうですね、と笑った。


 反応の変わらぬ受け答えに不快になったのか、モーザの顔が険しくなった。肘掛けに人手のような手を付き、椅子から億劫そうに体を起こす。

 つかつかとレイヴの前まで進むと、モーザはグラスに残っていたワインを浴びせかけようとした。すると、手首から指先までがグラスを持ったまま床に零れ、後を追うようにしてワインが零れた。二種類の赤が絨毯に染み出し、溶け合った。

「――あ?」

 モーザが間の抜けた声を出した。レイヴはそうですね、と笑った。顔に赤い液体を浴びた少女が、その匂いがワインのそれではないことに気づく。途端、甲高い悲鳴が上がった。



「――な、レイ……ヴ?」

 モーザは自分の体から切り離された手首をとろんとした眼で見つめた。酔いと驚きと、何よりその切り口の鋭さで、痛みを感じていなかった。

「いけませんねモーザ様、ここのところ少し偏食が過ぎるのではありませんか? 見てくださいこの血を、とても健常な色とは思えない、脂でぎとぎとですよ。たくさんの血を見てきた私が言うのですから間違いありません。偶には野菜も食された方がいい」

 レイヴはさめざめと言った。その落ち着きぶり、忠言はいつもと全く変わらず、あるいはこれが夢ではないかというくだらない考えをモーザに抱かせた。

 それを当のレイヴがゆっくりと否定した。

「実に、よい。仕事の折にはあなたに裏切られた者が浮かべる表情を私も何度となく見てきました。混乱、苦悶、恐怖、憎悪、憤怒。もっとも、あなたが意表を突かれたのを見るのは初めてですが、放心といったところですか?」

 他ならぬレイヴの裏切りを示唆する言葉によって、全く動けずにいた護衛たちが硬直から解き放たれた。すぐさま腰から太刀を抜くと、モーザを傷つけたレイヴを仕留めるべく背後から襲いかかる。

 レイヴは向けられた刃に恐怖を感じることもなく、目を向けることすらなく。軸足の位置を固定し、回転するように剣を振るった。鞭のようにしなる紅蓮の細剣は、男たちの想像を超えて伸びてきた。腕に絡み付いた刃が男の腕をぶつ切りにし、下から振り上げられた剣が顎から入り、前歯と鼻骨を通り、眉間から出た。堅い骨を切った時にすら肉を切るような感触だった。


 細剣を振るった数だけ、レイヴは血飛沫を浴びた。十も数えぬ間に六つの死体が出来上がっていた。周りにいた女たちは部屋の隅で頭を庇うようにして身を縮め、ただただ震えていた。

 血塗れの灰青髪の少年を目にして、モーザの目が混濁とした海をたゆたう。

「な、何故……だ。俺はお前の才能を、重用して……」

「この二年間の私の心情、どう言い表せばよいか。あなたが私にもたらした報酬(といっても微々たるものでしたが)、その結晶がこの剣であり、今あなたの発した疑問に対する答です。あなたは私に、自分を死に至らしめるための金をせっせと渡していた、実に滑稽な話だとは思いませんか」

 男の瞳に困惑が、恐怖が過ぎるのを目にし、レイヴはあっけらかんと笑った。年相応の少年の笑みだった。

「ま、待て……」

 一歩大きく歩み寄ってきたレイヴに、モーザが無事な方の手を向けた。直ぐにその手も無事でなくなった。再び床に転がった手首を見てすっかり酔いが冷めたのか、モーザが苦痛と恐怖に顔を歪めた。太った顔がしわを余分に作り、実年齢よりも二十ほど老けてみえた。

「ま、仇討ちなど私の柄じゃあないのですけれどね」

「仇、だと。なんの、はな……しだ」

 本気で心当たりのなさそうなモーザの様子に、レイヴの脳裏に殺された少年の頼もしい笑顔が、苦痛と無念に満ちた顔が紙芝居のように過ぎった。

「やはり、覚えていないのですか。なるほどなるほど、私たちにとっては人生に激震が走った出来事であっても、モーザ様にとっては単なる日常の一ページ。視界を横切る木々や、花びらや、落ち葉に過ぎなかったと」


 ――(シュン)。レイヴの目が釣り上がった瞬間、しなる紅蓮の細剣が斜め上から振り下ろされ、ぎりぎり急所に届かぬ深さでモーザの肉を切る。

「がっ……ぁあぁぁぁぁ!」

 モーザの咆哮が窓ガラスを揺さぶった。レイヴは悲鳴のけたたましさに片目を瞑りながらも剣持つ手を迅速に動かした。

「あの日、あなたは私に悪魔のように囁きました。私は人殺しであり、大罪人だと。――認めますよ、今更一人殺したところで、私の価値観は微塵も揺るがない。心もこうして凍りついたままだ」

 息を継ぐ度に、紅蓮の細剣が鞭のような軌道を描き、血飛沫が跳ねる。煌びやかな照明器具のぶら下がった天井に、モザイク模様の壁に、毛足の長い紫色の絨毯に紅の斜線が加えられていく。

「――は、早く……殺せ!」

 身辺警護を任せている護衛に向けて放たれた、切羽詰まった言葉。だが、床に倒れている強面のゴロツキたちは微動だにしない。とっくに事切れている。そんな判断もつかぬほどの錯乱状態に陥っていた。身振り手振りだけで人を傷つけ、殺めてきた男の無様な姿に、レイヴの表情は変わらない。

「いやいや、そう言われましても困りましたね。あなたの贅肉が分厚くて、上手く急所に刃が、届かないんですよ」

 言動こそ穏やかだったが、鬼の形相だった。二年という歳月は彼という人間を著しく変質させていた。モーザの命じた仕事の数々が、この時ばかりはモーザ自身に降りかかっていた。

「ひとつだけ、礼を言わねばなりませんね。あなたは私に大切なことを教えてくれました。人がより良き人生を歩むには、まず力を持たねばならぬ、と」

 恰幅のいい体が前後左右に揺れる。人の血肉を食らって肥えた体から血が流れ落ち、頬の肉が、腹のたるみが削ぎ落とされる。白みがかった肉と深紅の筋肉が剥き出しになり、肩の下の辺りでは鎖骨が覗いていた。絨毯に散らばる肉片の山が少しずつ高さを増していった。


「……が……あ」

「大分体がすっきりとしてきましたねぇ、新しいダイエット法として提唱できるかも知れませんよ。万が一、生き残ることができればの話ですが。どうやらとても無理そうですね」

 段々と反応が鈍くなり、途切れ途切れの呻き声になってくる。すっかり赤い肉塊と化した、鼻と口の区別すらつかないモーゼの顔に、レイヴはぶっと唾を吐きかけ、細剣を横薙ぎにした。

 柔らかい絨毯と頭皮にまでたっぷりついた肉のせいか、頭が落ちた音はほとんど聞こえなかった。血の臭いも感じなかった。柄を濡らしていた手汗の滴とその熱だけが、レイヴを現実に繋ぎ止めていた。



 目に汗が入り、瞬きをすると、黒衣の男が自分の三十歩ほど先を走っていた。間近にあったはずの壁が遠ざかり、自分も今まさに走っている最中であることが気づいた。レイヴの目が一瞬だけ見開かれたが、直ぐに相手の隙を狙う肉食獣のそれとなった。

 ――今のは、走馬灯というやつですか。はは、そんなもの信じていなかったんですけれどねえ。

 内心で苦笑しつつも、レイヴが斜め前方を走るシュイを一定の距離を保ちながら追う。

 構えている剣を傾けて角度を変えると、16個の黒い菱形が、まるでそれぞれが意志を持っているかのように次々に向きを変え、形を失って線となった。

「――斜線陣(スラッシュ)!」

 言霊と同時にレイヴが斜め後方に剣を向けるや否や、前方に展開されていた刃が迅速に斜めに配列される。紙のように薄い刃ゆえに、シュイの側からは真横に並んでいるように錯覚するだろうが、実際には右手が最前列であり、左手が最後列だ。

 お互いに高速移動をしていることから、相手のいる方角に攻撃を繰り出しても刃が到達するのは遥か後方と。相手が進む先に射出した刃を置かなければ当たらない。残された魔力はもう少なく、無駄撃ちはできなかった。


 ――到達時間は1秒の半分、誤差は十五歩分といったところか。

 レイヴが相手の速度と距離から攻撃の当たる位置を素早く、正確に割り出す。

「――翔撃(ボーリィ)!」

 下から振り上げられるレイヴの剣に反応し、黒刃が一斉に動き出した。狙いはほぼ的中。シュイが減速したことで致命傷こそ外されたが、手や胸などに命中した刃が黒衣に血の装飾を施した。

 だが、傷を追いながらもシュイの動きは依然動きの質を保っていた。空中に光の五線譜が描かれ、周囲の魔力が吸い寄せられ、硬化(コーティング)される。左手がぐっと引かれ、黒刃が再び接近してくる様を見止め、踏み出すと同時に射出。シュイの手元が、宝石付きの指輪を陽光に透かしたかのように輝いたその瞬間、レイヴの全身から汗がどっと噴き出した。


 まずいまずいまずい。焦燥が頭の中を埋め尽くした。今しがた放たれたばかりのシュイの魔弾が、まるで瞬間移動したかのように、自分の体の直ぐ近くにあった。その間に入るべき何枚かの光景が、すっぽりと抜けていた。ただ、白く煌く弾丸が空気に波紋を幾重にも残しているのが見えた。

 先ほど目に焼き付いていた速度を遥かに上回る、目にも止まらぬ弾速。音をシュイの手元に置き去りにしてきた弾丸に、それでもレイヴの体が無意識に反応し、反転すべく足を蹴っていた。向かってくる弾丸の速度の速さに対して体の動きがやたらゆっくりと感じ、そのもたつきに歯痒さを感じたが、ぎりぎり避けられそうだった。

 緩慢に映っていた世界が急加速する。寸前の予想を裏切り、肘の少し上を衝撃が襲った。鎖分銅が直撃したような重さに片足が浮き上がり、遅れて射出時の音が耳を叩いた。体勢を崩して追撃されることを嫌い、辛うじて踏み止まったが、それが悪い方向へと転がった。踏ん張った足が負荷を支えきれず、めきりと嫌な音を立て、レイヴの歯が擦り合わされた。


 すぐさま顔を上げ、足を止めてこちらに向いているシュイを睨み返す。回避を無視して攻撃したせいで彼も黒刃に晒されたのだろう。身を包んでいる黒衣は赤黒く染まっていた。けれども、戦いの生命線であるその足は未だ健在なようだった。

 レイヴは口を窄めて細く息を吐き出した。ちらりと自分の上腕を見やればその色は青黒い。一撃にして毛細血管を潰され、骨にひびを入れられていた。捻った左足の方も熱を帯びてきている。よくて捻挫、悪くすれば骨折。避けたはずのシュイの攻撃に意識が飛びかける。

 ――何故だ、体は確かに軌道から逸れていたのに。――いや、今は考えるな。


 足を奪われた上に動揺につけこまれては敗北は必至。長い戦闘経験がレイヴの意識を現実に押しとどめた。シュイとて先ほどの攻撃でかなり傷ついている。怪我していることを悟られなければ勝ち目も十分にある。

 レイヴはおのれを束縛から救った思い出深い剣を、強く握り締めた。

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