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~血戦 battle against adversity8~

 貴族の子息に見紛う白い詰襟の服を着せられ、まだ乾き切っていない髪に鼈甲(べっこう)の櫛を入れられた。生まれてこの方手入れを怠っていたせいで枝毛だらけだった。髪をほぐすにはかなりの痛みを伴ったが、花の香りがするオイルを付けて解きほぐすと、ものの数分でさらさらになった。

 身なりが整い、レイヴが外に出ると、四頭立ての馬車が用意してあった。御者と雑談を交わしていた男に早く乗るよう促された。もちろん、そんなものに乗るのは生まれて初めてのことだった。未知の経験に心が躍ったが、馬車に乗ったその場で男に目隠しをされてしまい、がっくりきた。


 かなり長い時間馬車に揺られ、目隠しが外されると、既に日が傾きかけていた。そこは見知らぬ大きな街だった。状況が碌々呑み込めぬままに地図を渡され、そこにある交易店に布袋を届けてくるよう命じられた。

 レイヴは渋々ながら重たい布袋を背に担ぎ、汗だくになりながら運河沿いの緩やかな坂道を上っていった。運河を流れる水の音に混じって、花の香りが漂ってきた。路傍に設けられている花壇には白や桃色の秋桜(コスモス)が花弁を広げ、通行人たちの目を楽しませていた。

 交差点を通過する度に地図を広げ、横にし、行き先を確認した。道なりに擦れ違う者たちもレイヴに負けず劣らず小奇麗な格好をしていた。どうやらこの付近は高級住宅街のようだった。

 ほどなく坂を登り切ると、遠くに見える橋の手前に地図に記された目当ての建物を見つけた。近づいてみると、そこはちょうど大通りの交差路の角にあり、人の行き来も盛んで繁盛しそうな立地にあった。

 二階建ての店舗の隣にある空き地には藁が敷いてあり、様々な交易品が置かれていた。束ねられた珍しい木の実や薬草。鉱石や干し肉、干し魚などが山のように積んであった。

 目新しいその様子に気後れしそうになったが、家で待っている仲間たちのことを思い出し、意を決して入口へと進んだ。店内に足を踏み入れるなり快活な声がかけられ、続いては値段の掛け声が聞こえてきた。どうやら店の者と交渉しているようだった。カウンターの奥には天秤に貴金属類を乗っけて量っている商人が、直ぐ後ろには用心棒と思しき人族の大男が二人揃って椅子に座り、長い木剣を手にして睨みを利かせていた。


 レイヴがその活気に呆気に取られていると、突然横から袖を引っ張られた。慌てて振り向くと、そこには垂れ目の、獣族の青年がいた。背はやや低いが獰猛そうな角ばった鼻が印象的だった。商人というよりは荒事に向いていそうな面構えをしていた。

「なんでぇ、またガキじゃねえか。……まったく、モーザの旦那も酷なことをする、ありゃあ碌な死に方できねえな」

 レイヴはその言葉の意味を捉えかね、眉をひそめた。だが直ぐに気を取り直し、努めて丁寧に問いかけた。

「え、えっと、あなたが受け渡しのダガンさんですか?」

 モーザはレイヴに荷を運ぶよう命じた男の名だ。男は近くにいるレイヴにしか聞こえないくらいに声を抑えた。

「あぁ、そうだ。荷物は隅っこの方に置いてとっととここから離れろ、そいつは俺が処理する」

 処理という言葉に首を傾げながらも、男の言う通りにするようきつく言われていたレイヴはうなずくことしかできなかった。



 人垣に揉みくちゃにされながらレイヴは何とか店の外に出た。それから三十秒もしないうちに、荷物を受け渡したはずのダガンが人目を気にするようにしながら、手ぶらで店からそそくさと出てきた。

 ――あれ、あの荷物はどうしたんだ?

 まさか渡す人物を間違えていたのでは。もしくは嵌められたのでは。そんな考えが脳裏を過ぎり、背中を冷たい汗が伝った。そんなレイヴを嘲笑うかのように、遠目に見えていた店のカウンターの辺りがキラリと光った。

 首筋に悪寒が過ぎり、レイヴが屈んだのと店内から短い絶叫が上がったのがほぼ同時だった。紅の色彩が大小の窓を一気に貫き、硝子が嵌め格子ごと飛び散った。椅子の破片と思しきものが通りを横切って運河の中に落下していく。煙突からも火が吹き出て、まるで巨大な蝋燭のようだった。

 窓から、入口から煙が濛々と立ち込めてくる中で、どこからともなく覆面を付けた男たちが現れ、次々に店内に入っていく。それに釣られるようにして、レイヴが慌てて店の入口へと駆け寄った。そして直ぐに、駆け寄ってしまったことを後悔した。


 窓から吹き出ているのは灰色の煙と粉塵。壁や天井には無数の棘がびっしりと生えていた。鉛筆くらいはあろうかという大きさの針が爆風で飛ばされ、店内を地獄へと変えていた。商品棚に伸ばした手が縫い止められているのは店主だろうか。少し毛の薄いつむじの辺りに針が何本か突き刺さっていた。おそらくは何が起こったのかもよくわからないまま絶命したのだろう。立ち姿勢を維持したまま固まっていた。

 入口で目を光らせていた屈強そうな用心棒も無数の針に晒されてはひとたまりもなかったようだ。全身を針で貫かれ、押し潰された肉で針の周りが醜く盛り上がっていた。即死は免れていたが、そちらの方が悲惨だったかも知れなかった。両の眼球が無残に貫かれ、鼻にも穴をもう一つ増やされて仰向けに横たわり、力なく痙攣を繰り返していた。括約筋が緩まったのか、股間の辺りが濡れていた。


 鼻腔に我先にと押し寄せてくるのは血と尿の臭い。途端に吐き気をもよおし、口を押さえつけたレイヴを尻目に、店に侵入した体格のよい男たちは店内にある交易品や客の持ち込んだ交易品を、高価そうな物から革袋に詰めて手際良く運び出していく。途切れ途切れに呻き声が聞こえてくることから生き残っている者も何人かいるようだが、彼らは傷病人に見向きすらせず、ひたすらに自分たちの仕事に没頭している。


 彼らは何をしているんだ。自分は何をやったんだ。レイヴはただただ混乱していた。かっぱらいの折に相手を転ばせてしまっただけで罪悪感に苛まれたレイヴにとって、到底受け入れ難い光景がそこにあった。店内にいた商人や客をイガ栗のように姿を変えてしまっていた。飛び散った針は皮膚を突き破り、肉を抉り、堅い頭蓋骨をも貫いていた。針の刺さった部位からは夥しい赤が流れ落ち、血ダルマになっていた。

 その一方で、自分の持ってきたはずの布袋はどこにも見当たらず、そのくせ焦げた布切れが散らばっていた。見覚えのあるベージュ色の布切れだ。


「よくやった」

 おもむろに、いつの間にか背後に回っていた魔族の男が、そんなことを言いながらレイヴの細い肩に手を乗せた。荷運びを命じたモーザだった。人の良さそうな表情は、その惨劇を前にして微塵も崩れてはいなかった。

後をつけられていたことが意外だったが、瞬時にそんな瑣末な考えは消え失せた。

「よくやったって……どういうこと――」

「――これでおまえも、ヒトゴロシだな」

 思考が凍りついた。一瞬、ほんの一瞬だけ。人の良さそうなモーザの笑みが悪鬼のそれに変わった。唇は歪な弧を象り、銀色に光る上下の前歯が剥き出しになっていた。

 だが、そんなことよりも気にするべきことがあった。モーザの言葉、ヒトゴロシという重過ぎる言葉がレイヴの耳に反響していた。

 真っ先に、自分が本当に人殺しなのかという素朴な疑問がレイヴの頭の中に沸いた。命令されてやっただけなのに? 袋の中身を見ることも許されなかったのに? 全く、何が起こるかもわからなかったのに? 何かを言い返そうとしたが喉の周りが痙攣し、声の体をなさなかった。


 モーザは再び人懐っこい笑みを顔に貼り付け、レイヴの頭の中を全て把握しているかのように、淡々と続けた。

「あぁあぁ、こいつは何とも惨い有様だ、こんな穴だらけの亡骸を見せられちゃあ家族は犯人を殺してやりたいほど憎むだろうよ。一家の大黒柱を殺されたとあっちゃ裕福な暮らしが一転、明日の食べ物を気にしなきゃいけなくなったやつも出てくるだろうなぁ。もしかしたら幼い子供を抱えている母親も、いや、このご時世だし片親だったやつもいるかもなぁ」


 モーザは鋭利な刃物に等しき呪いの言葉を、レイヴの頭に、心に突き入れていく。ゆっくりと、じっくりと。

 おまえは自分の、仲間の幸せのために他人を不幸のどん底に陥れたんだ。

 ――違う。

 レイヴが認めたくない現実(じごく)を前にして涙を滲ませ、首を振りながら呟く。抗弁を許さぬというように、男が責め句を紡ぐ。

 袋の中身、本当に知らなかったのか。何かやばいものだってこと、薄々気づいていたんじゃないか。

 ――違う。こんなことになるなんて想像もしていなかった。

 おまえは大量殺人の実行犯だ。俺たちの中で一番罪が重い。決して許されない。

 ――なんでだ、何も知らなかった俺が、なんで一番罪が重いんだ。

 衛兵にしょっ引かれれば死刑は免れない。連邦の法律は子供にも容赦しない。俺たちは火事場泥棒。せいぜい牢屋に入れられるだけ。


 ――死刑。嫌だ、なんで俺が。俺はただ、皆と今まで通りの生活を――

 その先はモーザの言葉に消されて続かなかった。

 おまえは罪のない多くの者の人生を不幸にした。彼らの命を、尊厳を奪い、彼らに関わる者たちの日常を奪った、極悪非道な大罪人だ。おまえの目の前に焼き付いたこの光景が、何よりもそれを物語っているんだよ。

 最早震えは体全体に及んでいた。視界がぼやけて視界から輪郭が失われそうだった。夢を見るな。希望を抱くな。誰にも助けを求めるな。おまえにそんな資格はない。

 底知れぬ悪意をそのまま言葉に変えた烙印は、レイヴの精神を容赦なく焦がしていった。



 その場から貧民窟(スラム)の家までどうやって戻ったのか、全く覚えていなかった。半ば放心状態のまま家の中に入ると、売春宿に入れられたはずの少女たちが戻ってきていた。仲間たちはレイヴの姿を見るなり歓声を上げ、抱きついてきた。

 おまえのおかげで皆が戻ってこれた。以前の生活が取り戻せた。彼らは口々にレイヴを褒め称えた。その言葉が、レイヴをどれだけ苦しめていたかも知らず。

 食卓には見覚えがない二又の赤銅色の燭台が置かれていた。そこにセットされている蝋燭の炎が、口にしたこともないような豪勢な料理の数々を、煌々と照らしていた。

 こんがり皮を焦がしたローストチキン。色鮮やかな旬の野菜のサラダ。底にある具が見えぬほどに濃厚なシチューが。それら全てが、運び屋をやらせたモーザが部下に命じて届けさせたものだった。

 彼らはどこまでも用意周到で、狡猾だった。約束を守り、きちんと対価を与えることで、レイヴに罪悪感と現実感を擦り込ませた。おまえのやったことにこれだけの価値があったのだ、と。おまえはたったこれだけのために、多くの人をその手にかけたのだ、と。

 皆が顔を綻ばせ、節操もなくかぶりついているそれに、レイヴは最後まで手を付けることができなかった。手や肩が、酒の中毒症状のようにぶるぶると震えていた。肉から滴る汁に混じる血の色が、昼間目の当たりにした遺体のそれに重なった。胃がむかむかして堪らなくなり、皆に小便だと嘘をついて外に出た。そして、植え込みの中に五度吐いた。胃の内容物を全てぶちまけ、腹の中が空になったのに吐き気は収まらなかった。おのれの冒した罪に、真っ暗な将来への不安に駆られ、涙が溢れて止まらなかった。



 深夜、皆が寝静まった後でレイヴは石垣に腰かけ、半月を見上げていた。泣き過ぎて声は枯れていたが、先ほどよりも頭はすっきりしていた。腫れ上がった目でぼんやりと光る雲間を見ながらどうするべきかを考えた。水責めで殺された少年は、リーダーは考えるのが仕事だ、常々そう言っていた。

 ――考える、っていったって。

 学が無くたってわかる。あの男、モーザは、今回の一件に付け込んでこれからも様々なことを要求してくるだろう。身一つで自分だけ逃げることは容易いが、後に残される仲間がどうなるかは目に見えている。彼らの喜んでいる顔を見せつけられた今となっては、仲間たちをまた明日をも知れぬ生活に連れ出すなんて残酷なこともできない。どこまでも雁字搦(がんじがら)めだ。

 だが、このまま無事に済ますような生温い相手でないことは確かだ。相手は暴力を商品として扱い、それで金を得ているプロフェッショナル。今はまだ利用価値があることで生き長らえているがいつ気が変わるとも知れない。いつ、あの少年のように木桶に頭を突っ込まれ、溺死させられるかわからないのだ。

 かといって、誰かに助けを求められる状況ではなかった。モーザが指摘した通り、自分は人殺しの片棒を担がされている。汚名ではなく、れっきとした既成事実を背負わされている。仲間たちに打ち明けることなどもっての他だ。彼らにまでヒトゴロシと軽蔑されたらどうにかなってしまいそうだった。


 睡魔が襲ってくるまでに結論は出た。誰も頼ることができないならば、自分で何とかするしかない。抗うためには大きな力が必要だった。いかなる悪意をも沈黙させる、有無を言わさぬ暴力が。彼らが自分たちに対してそうしたように。

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