~血戦 battle against adversity6~
シュイと対峙するレイヴの表情がぐっと引き締められた。先ほどまで浮かべていた笑みなど欠片もない。ベルトに括りつけられた黒い鞘が細かく律動している。鞘の力を借りているとはいえ、<怒れる霆の渦流>の制御は決して楽ではないのだろう。裏を返せば、先ほどまでとはレベルが違う攻撃が飛んでくるということを意味する。
首筋に痺れを感じながらも、シュイが差し迫る脅威を取り除かんと祈歌を紡ぎ始める。それを妨害するべくレイヴが肩を屈め、足に力を込めて前へと突出。空いている方の手で腰に下げていた鞘を微かに傾け、抜き易い形を取る。
みるみる内に視界を席巻する黒衣の男に向けて、死の顎が解き放たれた。蛇のようにくねった紅蓮の刀身が振り切られ、シュイに向かって真っ直ぐに伸びる。
未だ二十歩分ほどの距離はあったが、鞘に納められていた雷が切っ先に引っ張られるのがシュイの目に映った。瞬きする間に、シュイがおのれの勘を頼りに身を翻した。
まさしく閃光が目を焼いた。先ほどまで自分がいたその場所を、紫電で象られた竜の顎が光とともに牙を剥いて通り過ぎ、背後にあった分厚い壁をケーキに蝋燭を突き立てたかのように貫く。
息を吐く間も与えず、剣柄を握るレイヴの手が左右に動く。レイヴの手首の動きに着目し、未来に描かれる竜の軌道をいち早く読み切る。真上に高々と跳躍すると同時に外壁を貫いたままの竜の胴が横に軌道を変え、両足の下を横切った。後ろで壁が斬り裂かれる掘削音が響く。
「――上に逃げるとは少し軽率では?」
荒い息ごと言葉を発したレイヴが肘を畳み、斜め上に向かって柄を振り上げた。紫電の竜の胴体が大きくくねり、逆方向のシュイへと跳ね上がる。
間近に迫る雷に震える胸を抑え、ポケットに忍ばせていた手を取り出した。後ろ手に向けた直後、握られていた風魔石が発動。後方から発せられた衝撃波に煽られ、滞空箇所が体一つ分ずれる。遅れて雷竜が上空へと突っ切った。
シュイの体が目を見開いたレイヴに向かって加速し、水面を滑る水鳥のように低空着陸。勢いを殺すことなく軽快なステップを刻み、レイヴとの距離を縮めてゆく。
掲げられていたレイヴの腕が振り下ろされるのが見えた。空に向かって伸びていた竜が再び地上へ舞い戻る。床に映る柱のような太い影が色濃さを増した。上空からのしかかってくる竜を横っ跳びして回避。竜の頭から尾までが地面を穿ち、地に潜り込む。
更にレイヴが切り上げの動作を取る。シュイが瞬時に反転して真下からの攻撃をやり過ごす。V字に抉られた床が膝上の高さにまで浮かび上がった。
そこでシュイの詠唱が結ばれ、<魔を打ち払いし縛鎖>が発動。鎌がレイヴの雷と同じ紫色の鎖に覆われる。
即座に、レイヴの手首が返された。シュイが迫る竜に鎌を掲げようとした瞬間、その細長い体がするりと鎌から遠ざかった。
舌打ちを禁じ得ぬシュイに、レイヴが微かに腰を起こす。
「やはり。最低限それくらいは覚えていないとエミド・マスキュラス相手に勝つことなどできませんよね」
「こちらの手の内もお見通しか、まいったな」
<魔を打ち払いし縛鎖>は付与した武器で魔法に触れなければその効果は打ち崩せない。それが使えることを理解した上での選択、その特性を把握した戦術。瞬時に攻略法を組み替える柔軟さは経験豊富な傭兵ならではといったところか。
ややあって、レイヴの手の動きが激しくなる。無数の虚に実の一撃を折り混ぜるべく、紫電の竜がホール内を蹂躙する。<魔を打ち払いし縛鎖>の付与された鎌に触れず、必殺の一撃を叩きこむべく。
縦横無尽に荒れ狂う竜が壁を、床を、次々に傷つけ、瓦礫と変えていく。更には、あちらこちらにある遺体をみるみる内に雷で焦げつかせ、損壊していく。破片や肉片が飛び交うのを尻目に、シュイがレイヴに問いかける。
「それで、この雷はいつまで維持できるんだ?」
おのれの得意としている魔法だからこそわかる。<怒れる霆の渦流>の魔力の消耗は並大抵のものではない。形状変化して放電を最小限に抑えているとはいえ、持続時間には限界があるはずだ。
「そうですね、あと数時間くらい、といったところでしょうか」
思いもよらぬ返答にシュイが肩を震わせた。仮にそれが本当だとすれば、魔力の潜在量に関しては相手に絶対的なアドバンテージがある。長期戦に持ち込まれれば敗北確定だ。
「なんちゃって。……いやですねぇ、あなたほどの方がこんなあからさまな嘘信じないでくださいよ」
剣を振るう手を休めることなくレイヴが苦笑する。
「……ふん、動揺しているように見せるのも駆け引きのうちさ、覚えておけ」
――嘘です、ごめんなさい、めっちゃ信じ込んでました。
後ろめたさを噛み殺し、シュイがにやりと笑う。笑みが引きつってなかっただろうかと気を揉みつつ。と、おもむろにレイヴが雷を解除した。
――なんだ、限界が来たのか?
首を傾げるシュイの意図したことがわかったのだろう。レイヴがふっと鼻で笑う。
「ご心配なく。硬直状態の緊張感を愉しむのも悪くはありませんが、もっと色々試してみたいこともありますからね。これだけで消耗するのはもったいない」
相手の言動にシュイの顔が仏頂面を作る。
「試してみたいこと、ね。さながら俺はまな板の上の鯉ってところか」
どのような調味料を浴びせられ、どのような形に切り揃えられるのか、調理される自分としては不安にもなる。
「並の相手にしか通用しない戦術に意味はありませんからね。あなたを倒せるくらいであれば末長く使えそうですが」
仕事外といいつつも、後々のことを考える辺り余裕のほどが窺える。一方こちらはといえば先ほどから当たれば必死、受けても無事では済まぬ攻撃に肝を冷やすばかりだ。相手のペースに乗せられていたらそう遠くない内に肉片にされることだろう。
――長期戦はこちらに不利。……仕方ない。
シュイが心中に呟きを落とし、<魔を打ち払いし縛鎖>を解除する。そこで、レイヴの顔に初めて戸惑いの色が浮かんだ。
「ふむ、直ぐに解呪するとはちょっと予想外でしたね」
「これも<怒れる霆の渦流>に負けず劣らず消耗が大きいんでね、奥の手を使わせてもらうことにするよ。もっとも、実戦で使うのは初めてだが」
「ほほぅ、エミド・マスキュラスにすら使わなかった切り札があると? 実に興味深いですね」
続いては嬉々とした眼差しを向けてくるレイヴにシュイは頭を掻いた。自分がそんなことを言われれば強がりを口にしつつ思いきり冷や汗をかいていることだろう。
「まさか、その時点では使えなかっただけさ。つい先日、完成させたばかりなんでね」
「つまりは彼を打ち果たした時にも勝る必殺技というわけですか。素晴らしい、血が沸き立ちますよ」
「本格的にやり合う前にひとつ聞いていいか。セーニアの騎士たちは一体何を求めてここにきたんだ。どこからここの情報を得た」
「これまた異なことを、連中が一介の傭兵に、ましてや信用の置けぬ傭兵集団にその胸の内を晒すとお思いですか?」
「――それもそうか」
シュイが肩をすくめた。隠蔽、秘匿。事実を捻じ曲げるのはセーニアの十八番だ。何しろ虐殺と内乱とを入れ替えて周知させてしまうくらいなのだ。もちろん、聞かれたところでそれを話す義理もあちらにはないのだが。
「ふむ、その切り札とやらにはかなり自信をお持ちのようだ。それも、私を即刻物言わぬ屍にしかねないほどの」
相手を死に追いやりかねぬ一撃を繰り出す前に話を聞いておきたいのだろう。そうとレイヴが邪推する。
「過大評価は御免被るよ。まぁ、過激な技であることに違いはないが。下手に温存して出せぬままやられても悔しいからな」
「ならば、私も最大の技で応じるとしましょうか。……先ほどの話、知っていることは限られていますが、教えてあげても構いませんよ。仮にあなたが勝ったとして、しかも私が言葉を喋れる状態であれば、の話ですが」
「……その言葉、忘れるなよ」
シュイは鎌を立て、空いている左手で魔印を切り、詠唱を紡ぎ始めた。
――ヴァー・テ・リオル・デ・シャヴラ・ニド・オルブス
シュイの全身を覆う魔力が可視化され、ゆらゆらと宙に立ち上る。肩へ向かって魔力の白波が迸り、肩から手指へ向かって光の帯が腕を軸に螺旋を描きながら巻きついていく。
不意に空気の流れが変化した。空からだけでなく、通路の奥からも風が吹いてくる。全方位からの風がシュイの指元に寄せ集まり、谷間を吹き抜けるような反響音が段々と高音域に向かっていく。
――フィー・クラン・ケラ・エブ・レトン・エステ・リーディオ
向かい合うレイヴもシュイの魔法の妨害をすることなく、おのれの詠唱を開始。紅蓮の剣が徐々に黒い靄のような魔力に覆われていく。失の魔法にして最高位の付与魔法、<響き渡りし神代の弔鐘>。高振動を起こした数多の黒刃を自在に操り、敵を滅する攻防一体の秘術。エミド・マスキュラスの使っていた絶対防御こと<紡がれし闇母の産繭>と比肩する厄介極まりない魔法だ。並の魔法使いでは刃の形成が困難であり、特に<創造>に長けている者のみが使えるとされる。今やその術式は口伝で継がれているのみ。使役できる刃の多さゆえに多面攻撃が可能であり、一度発動を許してしまえば<魔を打ち払いし縛鎖>で防ぐことも叶わない。
それでも、シュイは敵の詠唱を落ち着いて聞くことができていた。リスクと引き換えに膨大な力がもたらされる滅祈歌とは違う、長きに亘る鍛錬の日々が生み出した自分だけの魔法が、相手の魔法にも決してひけを取らぬことを知っていた。残る問題は完璧に制御をこなし、恐怖を振り払って戦うことができるか。
シュイの五指の先に煌く弾丸が形成され、一方でレイヴを囲い込むように菱形の黒刃が出現する。一斉に、二人から迸った魔力の奔流が地にあった瓦礫や屍を押し退けていく。
「――創世を告げる諷霊に命ず 我に撫でられし魔譜に其の訃音を連ねよ」
「――黎明に焦がれし闇の部族よ その衝動のままに理をも砕きし忌名を与えん」
二人の詠唱が最終段階に入る。鬩ぎ合う半球状の光と闇が体積を増し、接触。相反する魔力が領域を侵食し合い、互いの体に水禍のごとき凄まじい負荷をかける。その重圧に抗うかのように、前傾姿勢で踏み止まっていた二匹の獣が咆哮を発し、相対する敵の喉笛を食い千切らんと、その場に影を残して疾駆した。