~血戦 battle against adversity4~
エグセイユとピエールをその場に残し、レイヴとシュイが廊下を闊歩する。人が十人くらいは並んで歩けるだろう広い通路。床にはサッシの溝のような物が二本、平行に奥に向かって続いている。だが、それが何のために設けられたのかまではわからない。
敵の後ろを歩くというのは妙な気分だった。レイヴの頭の高さは自分と同じくらい。その後ろ姿からは敵意が感じ取れず、両脇に手を添えて静々と歩いている。いつ斬りかかってこられても応戦できるよう鎌は背から外していたが、仕掛けてくる様子はついぞ見受けられない。逆に、背後から斬りかかって相手が反応できるのかすら疑わしい。そう思えてしまうほどに無警戒感が漂う。それは不意を突かれても対処できるという自信の裏返しか、あるいは敵である自分に対する信頼なのか。
「この先にホールのように開けた場所があります。まぁいくつか死体も転がっていますが、そこなら我々の戦いの場となりうるでしょう」
互いに迅さを信条とする者同士、狭いスペースでは持ち味を活かしきることはできない。それはシュイにもわかっていたが、およそ殺し屋とは思えぬ台詞が気になった。戦いの場などと言い出すとは。巷の評価からすれば戦い、殺し合いに結果以外の何かを求めるタイプではないように感じていただけに、そのギャップには戸惑いを隠せない。
シュイが思ったことをそのまま口にすると、レイヴは苦笑を返した。
「そうですね、おっしゃる通りこれは仕事の管轄外、あなたの申し出を受けた時点でね。本当なら勝算の高いピエール・レオーネと先にやるべきだった。そして、エグセイユを倒したであろうあなたと決着をつけるべきだったのでしょう。忠実に仕事をこなすならば、の話ですが」
全てを飲み込んだ上で、シュイとの戦いに望んだとレイヴは言う。なるほど、その時点で彼の不文律からは反していることになるのだろう。
「それをあえて曲げた理由は?」
エミド・マスキュラス。シュイの問いに対しレイヴはそう即答し、振り返った。こめかみのあたりが自然と張るのがわかった。もちろん、レイヴからは見えなかっただろうが。
「彼の者の悪名はうちのギルドにも届いていましてね。いえば、彼に殺された傭兵たちも数多くいる。いずれも百戦錬磨の腕利きでしたが、それでも挑んだ者たちのほとんどが未帰還となった。けれども、あなたはこうして生還し、私の目の前に五体満足で立っている。――彼らとあなたの違いが何であるのか確かめてみたいと興味を抱いた、ただそれだけの話です」
――やっぱり、そうなるよなぁ。
「なにか?」
シュイの唇が微かに動いたのを認め、レイヴが小首を傾げた。
エミド・マスキュラスを倒してからというもの、周りの者たちのシュイを見る目は明らかに変わっていた。味方であれ、敵対する者であれ。敬意は言わずもがな、今までほとんど感じることができなかった嫉妬や畏怖、そして今回のような興味の視線が注がれるようになった。
同時に、ある種の期待感も。やつを倒せたのだからこれくらいはできるだろう、という憶測。史上稀な悪党を倒したシュイを倒せれば自分の武名が高まるだろう、という野心。エミド・マスキュラスという男の存在が、世界にどれほどの影響を与えていたのかを思い知るハメになった。
まぐれか否かに拘わらず、勝利という結果に対して、周りはそれと同じかそれ以上を要求する。美味しいと評判の店が、少し味が落ちただけで痛烈なバッシングを浴びせられてしまうように。周りからの称賛は大きな重圧となってのしかかってきた。
実際には五十人、途中で亡くなった者たちを除いても四十人余りでエミドに挑み、多くの犠牲を経て勝ち獲った勝利だった。それでも、エミドにとどめを刺したシュイに対する評価はより高いものとなった。
長々と戦っていたエミドの疲労は、見せなかったとはいえないはずもなかった。だが、シュイの言葉をそのまま受け取らずに謙遜と取る者も決して少なくなかった。
過大評価した彼らを落胆させぬように、とシュイは今まで以上に必死に修練に打ち込んだ。最低でもエミドと戦っていい勝負になるくらいの実力を身につけなければという強迫観念があった。エミドを倒した男がこんなものか。ならばエミドの実力も大したことはなかったのではないか。そんな方程式で貶されることが我慢ならなかった。それは回り回ってエミドと戦い、死んでいった戦友たちへの冒涜となるからだ。彼らの名誉を背負っている以上、真剣勝負で無様に負けることは許されない。
「いや、やつを引き合いに出されては負けられないな、とそう思っただけだ」
「それで構いませんよ、身を入れて戦ってくれなければ意味がない」
互いの力量がどれくらいのものか見当がついている以上、切り結べば手加減をする余裕などないだろう。決着がついた時にはどちらかが死んでいる可能性が極めて高い。
「――恨むなよ」
「――お互いに」
戦いに似つかわしくない笑みを交わした二人は、以降沈黙を守ったまま先へと進んだ。
――――
「ったくよぉ、何が悲しくててめえみてえな雑魚とやらなきゃいけねえんだよ、くそがっ」
エグセイユの地面を蹴りつけながらの悪罵に、ピエールはとんだとばっちりだ、と唇を曲げた。ぐちぐちねちっこいのは女だけの特権だと思っていたが、どうやら認識を改めねばならぬようだった。
「いいんじゃねぇの? あんたが今のシュイに勝てるとも思えないし、分相応だと思うぜ」
「ああん!? てめえ随分と大口叩いてるじゃねえか、俺の実力知ってんのか?」
人を平気で貶すやつが自分が貶されるとこうまで怒る。我儘を地でいくエグセイユを前にして、ピエールはただただ頭痛を感じた。なんというか、親戚に用事があるからと利かん坊の面倒を見るよう押しつけられたのにも似ている。
省みればシュイを支部長にするためにエヴラールに協力したことに対して、未だ根に持たれている節があった。シュイはああ言っていたものの、あるいはエグセイユを任されたのは遠まわしな嫌がらせ、もとい仕返しなのではないか。そんな思いも否めなかった。
「まぁそこはあれだ、傭兵なら傭兵らしく剣で語り合おうじゃねえか」
ピエールが頭を掻いていた手をだらりと下げ、剣に添え、鯉口を切った。一切隙のない構えにエグセイユの笑みが消えた。
「その構えは古流剣術――オーディス流ってところか? 傭兵でそれを使うやつは珍しいな」
世界には剣の流派は数多くあるが、その中でもヴィーグ流、ナクロフト流が正統派剣術として有名だ。騎士であれば免許皆伝の師につくか剣術道場に入るのが常道であるが、傭兵はそういった機会に巡り合えないことも多い。その場合は剣術指南書を読むか、達人の動きを見よう見まねで習得し、剣術を我流で組み立てることになる。エグセイユも多分に漏れず、ヴィーグ流を主軸に我流の剣術を編み出していた。
けれども、ピエールはそれで由としなかった。ホーヴィを起点としてシュイと同時期にBランク傭兵に昇格した後、船でケセルティガーノに渡り、更に剣を磨くべく古流道場の門を叩いた。
寝る間を惜しんで任務と道場通いを梯子し、その甲斐あって多種多様な剣技を習得した。二足のわらじを履いていた故に昇格は遅れたものの、免許皆伝を経てからエレグスに渡り、一年の後に準ランカーへと昇格。
これはピエールの好敵手に対する意地でもあった。シュイがエミド・マスキュラスを打ち倒したという話はシルフィール内でも取り沙汰され、その功績を糧に彼は準ランカーとなった。これを聞いたピエールの心には嬉しさと悔しさが去来した。どちらが上、どちらが下ということではなく、あくまで憎まれ口を叩き合える対等の関係。悪友にして戦友でありたかった。
免許皆伝の後は実戦に身を置き、多対一を旨とした剣術を磨き上げた。その結果として多くの魔物や犯罪者と相見えることになったし、決して褒められたことではないのだが、二度、三度は死にかけたこともある。そんな綱渡りの戦いを経て、得たものはあった。死線を潜り抜けるためのコツというべきものが。
シュイの指摘した通り、セーニア軍との戦いで敗走を重ね、自信を失っていたのは確かだ。だが、腐っても自分は準ランカー。シュイと同格であり、あらゆるBランク傭兵の上に席を置いている。
ピエールは自問自答する。帰りを待っているミルカのために生き残るのが最優先という思いは今も変わらない。だが、これは崩れかけた自信を取り戻すための戦い。ましてや剣を生業とする者同士。流派を背負う者としても負けは許されない。ピエールは必勝の覚悟でエグセイユとの戦いに臨んでいた。
その気迫がエグセイユにも伝わったのだろうか。
「――思ったよりは楽しめそうじゃねえか。いいだろう、敵として認めてやる」
エグセイユが血煙のついた剣を抜き放ち、アルバーの構えを取った。防御無視、切っ先を斜め下に向けた、おのれの身のこなしを信条とする超攻撃重視の型だ。それを俯瞰しながら、ピエールはシュイの言葉を思い起こす。
――三対七、か。
現時点でエミドと差しで戦ったらどうかとイヴァンに問われ、シュイが口にした自己判断。彼の慎重な性格からすればそれより高いことはあっても低いことはないだろう。何気なく発されたその言葉はピエールの心を強く揺り動かしていた。一年と少し前には五十対一で戦い、それで辛くも勝利した大敵。そんな相手に三割の勝ち目を作るのがどれほど困難なことか。
そして、それを理解していたからこそ、イヴァンはシュイに本来おのれがやるべき役割を一任した。賞金首の彼としてもここで顔を晒すのはなるべく避けたかったのだろう。
――全く、追う方の身にもなって欲しいよな。どんどん先にいっちまうからついていくのも一苦労だぜ。
そんな弱音を零すのとは裏腹に、あいつにだけは負けたくない。今に追いついてやる、といった確かな気概が心中で顔を覗かせる。ピエールの眼差しが、鍔から微かに覗く白刃にも負けぬ煌きを帯びた。
空気がピンと張り詰めていく。エグセイユが口を結び、ぐっと顎を下げる。次の瞬間、短い赤髪と長い青髪が風に踊り出していた。