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~血戦 battle against adversity3~

 こつと踵を鳴らし、シュイとピエールが部屋に歩を進めた。それにつれて血の臭いが濃くなった。室内には等間隔に天井に埋め込まれた傘型の照明石が光を放ち、床を濡らした血溜まりに煌きを与えている。

 ほとんど正方形の部屋の奥には通路がひとつ。向かって左側にもひとつ。通常、この部屋に至るまでの経路は奥の通路から進んでくるのだが、シュイはイヴァンたちの案内を経て裏口から施設へと進入していた。


「……灰青髪(アッシュ・ブルー)に紅蓮の細剣、おまえがレイヴ・グラガンか」

「いかにも。その黒衣はいまやあなたの代名詞ですね、シュイ・エルクンド。それから、お隣は確かピエール・レオーネでしたか、お会いできて光栄ですよ」

 レイヴは剣を収めるとまるで親しい商談相手を歓迎するかのように両腕を横に広げてみせた。二重瞼と手入れの行き届いた細い眉が印象的だが、それらに縁取られた目は仄暗く、月の無い夜の泥溜まりのように濁っている。

 男の名はミスティミストの中においてもかなり有名だ。レイヴ・グラガン。元々は暗殺家業に精を出していた賞金首であり、シュイと同じく付与魔法の使い手でもある。

 故あってセーニアに目標を絞っているイヴァンとは違い、どこからでも無秩序に、金のためだけに仕事を請け負う殺しの職人。毎朝の走り込みの代わりに人を殺めてきたような彼だが、五年ほど前にルクスプテロンの大臣暗殺に失敗してフラムハートに目をつけられ、やむなくミスティミストへと逃亡を計ったそうだ。そんな重犯罪者をあっさりと受け入れてしまうミスティミストの懐の深さには別の意味で感心してしまう。

 技量、身体能力双方ともに優れており、しなる細剣を駆使した剣術は攻撃範囲が広く、変幻自在と聞いている。付与魔法と絡めれば尚のことたちが悪いだろう。


「多方面でのご活躍振りはかねがね伺っておりますよ。ですが、支部長自らこんな辺鄙(へんぴ)なところにおいでになるとは少々意外ですね。もしやシルフィールはセーニアに敵対する心づもりですか」

 探るような目付きで、レイヴはシュイのフードの闇を窺った。

「残念ながら、自主的参加のみを許されている状態でね。ここにいるのは成り行きと私情が半々と言ったところかな」

「ふむ、まぁそんな落とし所でしょうねぇ」

 相槌を打ちながらもレイヴの手は迅速に動いていた。唐突な居合いから生じた衝撃波がシュイとピエールに迫ったが、二人とも微動だにしなかった。風を切る音が二人の間を抜けて、その後ろ、格子模様の壁に細い亀裂を生じさせた。

「――なるほど、反応は上々」

 レイヴが納得したように呟いた。目測で避ける必要なしと一瞬で判断した二人への、ささやかな称賛だった。

「それにしても、本当によろしいんですか? ジヴーの軍に加わっているというならいざ知らず、ルクセン教に勝手に加わったりなんかして。散々動き回った挙句に私たちと揉めたことが明るみになればセーニアも黙ってはいないでしょうし、後でそちらのギルドからどんなお咎めがあるかわかりませんよ? まぁ、無用な敵を作って困るのはお互い様ですけれど」

「確かに、何らかの沙汰が下されるかも知れないな。そちらがそんな決着のつけ方で満足ならば、の話だが」

 シュイが淡々とそう言った。内心そこまで割り切っているわけではなく、はったりも多分に含まれていた。名のある傭兵が告げ口をするような真似をするのは気が進まぬだろう。そんな心理を見越して探りを入れたといったところか。

 ルクセン教の申し出にしてもセーニア軍の目的妨害にはなっているのだから、一連の騒動と関連していないわけでもない。イヴァンたちがジヴー軍に加われば戦力の増強は言うに及ばず、検討を諦めていた作戦も立案できるかも知れない。半面、弊害も未知数なところであるのは否定しない。

「安心しな、明日も一週間後も一カ月後も、もちろん来年もおまえらには来ねえ、心配することすら無意味だ。――レイヴ、あんたはその黒いのをやれ」

 目にかかった青髪を掻き上げるエグセイユに、レイヴは微かに眉をひそめた。

「黒いの……ってどっちです」

「色黒の方だ。俺はエルクンドの方に用が――」

「――ピエール、グラガンの相手は俺がするからスキーラを頼む」


 予想外の言葉にエグセイユが「ああん!?」とがなり立て、ピエールが眉を上げた。シュイに近しい者であれば、以前のシュイとエグセイユとの一悶着を知らぬ者はいない。ピエールにしても因縁の相手との決着を差し置いてレイヴと戦うと言い出したことが意外に思えたようだ。

「いいのか? あいつとおまえって昔色々あったんだろ?」

 まぁな、と肩をすくめつつシュイが言葉を続ける。

「ただ、現状気にするべきことは他にいくらでもある。最優先に考えるべきは驚異の排除。くだらん過去のいさかいなど気にしちゃいられないさ。あの騒動があればこそわかったこともあるし、色々な出会いがあったと言えなくもないからな。正直、スキーラの存在なんか今日こうして出会うまで忘れていたくらいだ」

 最後の言葉だけより声を大きくしたシュイに、ピエールはまだ根に持っているんじゃないか、と疑わしげな顔をした。前を見ればエグセイユが胸の前で忌々しそうに手を合わせ、指をこきこきと鳴らしていた。

 シュイはそれを気にせぬよう装いながらも言葉を続けた。

「――腕力は負けるがスピードならおまえより自信がある。グラガンも剣速がご自慢のようだし俺の方が噛み合うだろ」

「そっか、おまえがそれでいいってんなら俺は異存ないけど」

 ふむ、とレイヴが顎に手を当てた。一方のエグセイユは思いきり不快げな表情だった。熱烈なラヴコールを袖にされて顔をひくつかせている。

「何を勝手に決めてやがるんだ! てめえ、そんなに俺が怖いのかぁ!」

 熱気を帯びた侮蔑を放つエグセイユに、シュイは冷ややかに言葉を返す。

「それは、お隣の御仁(グラガン)より自分の方が実力が上だと思っているからこその台詞だよな?」


 ぴくり、とレイヴの尖った耳が動き、エグセイユの表情があからさまに曇った。巷ではレイヴ・グラガンの腕前はミスティミストの中でもかなり上位の評価であり、シルフィールで言えばランカー級と目されている。その彼を選んだことで臆病者呼ばわりするならば、レイヴの実力を自分より少なく見積もっているのではないか。シュイは揶揄を込めてそう意趣返しする。

 上級傭兵で自分自信の実力に信を置いていないものなどいない。ましてや、無駄にプライドの高いエグセイユからすれば他者より下であると認める発言など口が裂けてもできないだろう。かといって、あまりに軽率な返答をすればレイヴの面子を潰すことになる。ミスティ・ミストは仲間殺しでも有名なギルドだ。後に禍根となるようなことを、本当にそんなものが存在するかどうかは今回の戦い如何だが、残したくはないだろう。シュイはそうと相手の心理を洞察していた。半ば、からかう心づもりもあった。


 レイヴは興味深そうにそのやり取りを見守っていた。その視線に晒されつつ、エグセイユは数瞬で一つの答えを見出した。

「――そりゃあ、相手がどちらだろうと同じ結果になるだろうさ。ただ俺は残虐なことで有名だからな、なぶり殺しにされるんじゃないかと考えたんだろう」

 完璧な切り返しだ、と満足げに顎をしゃくったエグセイユに、シュイは溜息交じりに落第点をつけた。

「そんな備考(オプション)がついていたとは知らなんだ。自らの救えない性格を赤裸々に告白するとは意外だったが、生憎と俺は神父じゃないんだ」

 レイヴが口元に手をやり、笑うのを堪えるような仕草をする。その隣でエグセイユは三年前のように顔を真っ赤に染めていた。突き放した上で、シュイは背筋を伸ばして鎌を掲げ、高らかに言い放つ。

「ミスティミストの雄レイヴ・グラガン、シルフィールのシュイ・エルクンドがお相手仕る。返答や如何(いかん)?」

「てめえっ、まだ話は――」

「控えなさい、エグセイユ。私が意志を示す前に口を挟む権利などあなたにはない」

 語気を強めたレイヴにエグセイユが唸り声を発し、未練がましくシュイを睨みつけた。

「あんまりピエールを侮っていると痛い目見るぜ。準ランカーを張っている実力は飾りじゃないからな」

 腰に手を当ててそう言ってのけたシュイに、ピエールが複雑そうな顔をした。

「っておいおーい、あんまりプレッシャーかけてくれるなよ。やつは三年前の時点でBランクだったんだぞ、流石に勝てるって断言する自信はねぇ」

「毎日の地道な積み重ねに勝るものはそうないさ。自信はなくとも構わないから、おまえを準ランカーに抜擢した傭兵たちの目を信じろ。その中にあのエヴラールが入っていることも忘れずにな」

 人を見る目に厳しいと評判のエヴラール直々の推薦昇進である。その重みはピエールにとって決して軽いものではないはずだ。ましてや、命令に反してここにきているのだからこんなところで倒れるわけにはいかないだろう。

 様々な物を言い含めたシュイに、ピエールは頬を掻いた。

「……なんだかおまえ、人を持ち上げるのが巧みになったなぁ」

「褒めて煽てて宥めて……落とす。アミナ様から賜ったありがたい教えだ」

 最後絶対間違えてねえか、というピエールのぼやきを無視し、シュイはレイヴとエグセイユを交互に見た。

「で、そちらの方針は決まったか?」

「――いいでしょう。本音を言えばどちらが相手でも構わないのですが、あなたと違って名指しで挑まれて断れるほど軽いプライドは持っていませんのでね。こんな窮屈な場所で二対二で戦うのもあれですし、我々は場所を変えましょうか」


 シュイを貶めてエグセイユの溜飲を抑えつつも了承を示唆したレイヴの見事な口上に、シュイは怒るよりも感心した。

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