~血戦 battle against adversity2~
格子模様の壁に囲まれた殺風景な部屋で男の断末魔が響き渡った。部屋の中には深い青の外套を身に纏った青い長髪の人族。エグセイユ・スキーラが真紅に染まった剣を地に向けていた。ゆらゆらと流れるような剣肌と思しき質感は、斬り伏せた者たちの夥しい血で施されたものだ。足元に目を移せば十人にのぼる者たちが屍となって横たわっていた。
「呆気ねえ、呆気なすぎて作業感覚が否めねえ。おまえら木偶人形か? それとも家畜かぁ? これじゃあ肉を加工しているのとなんら変わらねえじゃねえか。きょうび、野生の鹿やイノシシだってもうちょい歯ごたえあるぜ。おら、てめえで最後だ。せめてもうちょい人様のプライドってやつを見せやがれ」
「お、おのれ!」
ただ一人生き残っていた軽鎧の男が下に向けていたクロスボウを掲げ、エグセイユの首に狙いをつけた。エグセイユが固定されている矢に、次いで引き金にかけられている人差し指に目を細めた。
鋭利な先端がきらりと光った刹那、指が動いた。装填されていた矢が連続して射出された。空気を鋭く切る音が四回。遅れて金属の摩擦音が四回鳴った。エグレイユは真っ直ぐに向かってくる矢を見て、ブンと男の方に切先を向けた。跳ね上がった血飛沫が飛んでくる矢の先端に付着し、弾かれた。
エグセイユはほとんど腕を動かさずに柔軟な手首だけで剣を振り、放たれた四本の矢を後ろに逸らしていた。エグセイユの背後にある壁に四本の鉄矢が到達し、次々と地に横たわった。団扇でも仰ぐかのようなその扱いに男が愕然とした。まともに叩き落とすよりもずっと困難なことを、目の前の男は平然とやってのけた。
「一箇所しか狙わないたぁ、舐めてるのかぁ?」
敵の言葉に促され、慌てて弩の男が新たな矢を装填するべく腰の矢筒に伸ばした時には、体にエグセイユの剣が深々と潜り込んでいた。矢筒にまで手が届くことを許さぬ、恐るべき早業だった。鎖骨の辺りから入り、肩あての留め具と胸当ての一部を切断、脇から剣が抜けた。左肩から指先までが斜めにずれ落ち、赤黒い肉と肩甲骨の切断面が現れた。弩の男は断末魔すら上げず、一度大きくひゃっくりし、そのまま硬直した。
エグセイユはつまらなそうに溜め息を吐きながら空いている左手で男の胸を押すと、男はそのままぐらりと後ろに倒れ込んだ。床がみるみる赤い領域を広げていき、他の者らの遺体にそっと触れた。
「痛みを感じる間も与えないとは、いやはや腕を上げたものです」
唐突に背後から勝算の声がかけられ、パンパンと柏手の音が鳴った。エグセイユは動揺することなしに窘めの言葉を口にした。
「レイヴの旦那、人に近づくときは足音くらい立てるのが礼儀だぜ。じゃねえと、斬っちまうぞ」
パキリ、と鉄矢を踏み折る音がした。灰色の壁に囲まれた部屋の隅には森族の男がいた。灰青の髪を真ん中で分けてボブにし、エグセイユと同じような青い外套を纏っていた。一見すると貴族の優男と言って差し支えない面構えであるが、目には底知れぬ闇を宿していた。
片手には細身の体躯にいかにもしっくりくる釣り竿のように細い剣が握られている。こちらの剣身もエグセイユの剣同様血に染まっていたが、男が白い布を取り出して血を拭った後も、その色は深い赤を湛えたままだった。
「すみませんね、幼少からの癖でしてもうどうにも、直しようがないんですよ」
反省の言葉を口にしたが言葉だけだった。誠意のかけらも感じられなかった。
そんなレイヴを無視し、エグセイユが溜息を吐きだした。
「んで、物はあったのかよ」
「いえ、残念ながら。もう少し奥の方にいってみますか」
ああそうだな、と言いかけたエグセイユがはてと首を傾げた。次いで部屋をぐるりと見回し――
「――バクラのやつがいねえな、どこいった」そう言った。一種に来ていたはずの巨漢の傭兵の姿が消えていた。
「あぁ、彼ならさっきお腹に人が通れそうなくらいの風穴をあけられてしまいまして。女だと侮って油断するからそういうことになる」
「ハァー!? 何やってるんだあいつ使えねえ。筋肉ばっかり鍛え過ぎて頭わいてるんじゃねえのか、ってかいっぺん死ね」
「いや、だからもう死んでいますって。一応仇は討っておきましたがね」
死んだ仲間に対するものとは思えぬ台詞にレイヴは苦笑しつつ突っ込みを入れた。そうしている間に剣を鞘に収めていた。
「――本当に、女にやられたのか?」
「おや、私を疑っているんですか?」
じと目を送ったエグセイユに、レイヴは心外だというように大仰に肩をすくめた。
疑うに足る理由は充分にあった。エグセイユが知っているだけでもレイヴは過去にも言動が気に食わないという理由で同僚二人を戦のどさくさに紛れて殺害している。しかもそのうちの一人はエグセイユの目の前でのことだ。敵と鍔迫り合いをしていたミスティミストの傭兵を敵毎背中から刺し貫いた。
見下げ果てたことに、レイヴは敵と味方二人分の賞金を手に入れ、それを賭け事につぎ込んで一週間も経たぬうちにスッてしまった。数千万パーズはくだらない金を。
「目の上のたんこぶにもなれない小物をいちいち殺す理由がありませんよ。相手があのテクラ・エモンですから致し方ないところではあります」
その名はエグセイユも知っていた。元セーニアの上級貴族であり、現在は様々な犯罪をやらかして逃走中の高額賞金首。名うての風魔道士としてそれなりに名が知れている。
「なんだよ、そっちに有名どころがいたのか、羨ましいこった。こっちは歯応えないやつばかりで面白くもなんともねぇ」
暗に強者と戦いたいというエグセイユに、レイヴは小さく笑う。
「賞金首たる彼女がいたことで、今までわからなかったルクセン教の全貌が見えてきました。蓋を開けてみればいやはや、とんだ犯罪者集団だったようですね」
「はっ、どんなやつがこようが剣の錆にしてやるさ。たとえあんたであろうとな」
「剛毅なことですね。なんなら、ひとつ試してみますか」
「もし本心で言っているってんなら、相手になってやらんこともないぜ」
エグセイユが鋭利な眼差しを突きつけ、レイヴはにやにやしながらそれを受け止めた。
「ほんの冗談ですよ、一日に二人もやったらマスターにお仕置きされちゃいそうですし」
「……やっぱりてめえがバクラをやったんじゃねえのか」
「ああ、いえ、そういうわけではなくて。ほら、私がやっていないにしても思いきり疑われちゃいそうじゃないですか。さっきのあなたみたいに」
「……こういうところに日頃の行いの差って出るよなあ」
「うわぁ、それ傷つく台詞ですねぇ。もとい、それが原因で前のギルドを追放されたあなたにだけは言われたくない台詞ですねぇ」
ははっと乾いた笑いを交わし合った瞬間、お互いの目が据わり、笑みがすっと退いた。刹那、二十歩分はあった距離を一瞬で詰めていた。刀身の長さはほぼ同じ。間合いに入るや否や、澄んだ音が大きく一度、続いて連なるように部屋に鳴り響いた。
橙色の火花が二人の間に幾度となく散乱した。ヒュッヒュッと、短い呼気の音が断続的に響き、それに倍する剣撃が交わされていた。十人分の剣を二人が一度に振るっているようだった。剣速が速過ぎて刀身の方は目で追い切れず、二人を隔てる空間に幾つもの影が交差する。驚愕すべきことに、その剣劇の全てが軸足を固定したままなされていた。
「相変わらず迅えなぁ、その居合いだけは真似できねーわ」
腕を休めることなく、エグセイユが呆れたように言った。
「そんなこと言ってると居合い以外は真似できるように聞こえてしまいますよ」
涼しい顔を保ったまま、レイヴが笑う。
「もう居合いくらいしか見習うところがねえんだ、よ!」
エグセイユの斬撃が勢いを増し、段々とテンポが速くなっていった。火花の量が更に増すとともに鋼と鋼が相打ち、擦れ合い、多種多様な音を奏でる。一方が突きをいなせば、もう一方がカウンターで繰り出された薙ぎ払いを切り払う。そうかと思うと下から股間に伸びてくるのを上から抑え付けるように剣を返して受け止める。
エグセイユの標準的な長剣に対し、レイヴの剣はまるで竹のようにしなっていた。傍から見れば三日月刀で切り結んでいるように見えただろう。剣が細身でも折れないのはひとえに金属の質と腕の質、双方が高いレベルで維持されていてこそなせる業だ。
「おいてめえ、今のは本気で殺すつもりだっただろ」
「おかしいですねぇ、きっちり縦に真っ二つにするつもりだったんですが。剣速も大分肉薄してきましたねぇ」
「肉薄だぁ? まるで今でも自分が上みたいな言い方だなぁ。あんまり調子こいてると三枚に下ろしちまうぞこら」
「口汚い後輩ですねえ、強がるのは構わないですが、あなたが三回剣を振る間に私は五回振れますよ」
「はん、なら俺は六回だ。しかも針に糸を通す正確さでな」
「ほほぅ、それなら私は――と、どうやらここまでのようですね。お客さんがお待ちのようですし」
「客だぁ? ――ちっ」
側面から殺気を感じ、鍔迫り合いを続けていた二人が横に振り向きざま飛んで来たものを切り上げ、上に弾き飛ばした。くるくると回転しながら高々と打ち上げられ、天井に突き刺さって動きを止めた。斬るための刃がついていない、刺突専用の投擲ナイフが小刻みに揺れていた。
「ふむ、なかなかの精度ですね。今度の敵は油断できないかな?」
「不意打ちなんてちゃちい真似してねえでとっとと出てこいや。俺はこそこそ遠くから攻撃するやつが嫌いなんだよ」
エグセイユが通路の暗がりを睨むと、二つの人影が薄らと現れた。
「だってよ、ピエール。よかったな、あんなやつに好かれなくて」
「……別に無理して嫌われたいとも思わねぇけどなぁ。っていうか、初っ端から修羅場とかなんのイジメだよ」
そんな言葉を交わしながら物影から出てきたのは、黒い大鎌を抱えた黒衣の男と白い剣を抱えた赤髪の男。シュイ・エルクンドとピエール・レオーネだった。