~血戦 battle against adversity~
お椀型の透過窓が砂を弾いている前で、ピエールは静かに息を吐く男二人を肩越しに眺めた。後ろではイヴァンとシュイが同じ木の長椅子の、両端に座っていた。呉越同舟。イヴァンはごく自然に腕を組み、くつろいでいるようだが、一方のシュイは自分の膝上に頬杖をついてそっぽを向いていた。単にふてくされているようにもみえたし、宙の方に向いたフードの隙間が煩雑に散らかった頭の中を整理しているのだ、と訴えているようにも感じられた。
思わぬ出会いの熱からやや冷めてきたピエールの思考が、このまま流されていいのだろうか、と自分自身に警告を発した。世界屈指の賞金首たるイヴァン・カストラと行動を共にしたことがギルドにバレたらどうなるか。肩を並べて戦いました、などと申告でもしようものなら自分の敵が倍かそれ以上になるだろう。加えて、あまり物事を深く考える性分ではない彼にとって、後ろから放たれる無言の重圧は中々に居心地が悪い環境だった。
味方への連絡を断念し、シュイは背に腹は代えられぬとイヴァンからの共闘の申し出を受け入れた。承諾の返事を得たイヴァンとヴィオレーヌはシュイとピエールを寺院の更に奥へと案内した。ゆるやかな下り坂の地下道を十分ほど進んでいくと、船ドックらしき施設に出た。環状の船だまりには水の代わりに細かな砂が積もっており、その砂の上には大きな砂船が停泊していた。
一見して、百人は軽く乗せられそうな大きさだった。ルクセン教団が保有する三隻のうちの一隻だとイヴァンが説明した。奥にある分厚い鉄でできた運搬橋を渡り、半歩ほどの隙間をぴょんと飛び越えて甲板の上に降り立った。船の船底までの長さを考えると、溜まっている砂は四階建て分くらいの高さはありそうだった。
出航するよう頼んできます、とヴィオレーヌが操舵室の中に入っていく。少しすると足元が小刻みに振動を始め、息を吸う様な音が段階的に高くなっていった。
ややあって舳先が上に傾いていくと同時にほぼ平らだった甲板がゆっくりと傾いた。動き始めたのだと思った時には巨大なトンネルに吸い込まれるところだった。慌てて後ろを見ると、先ほど乗り込んだドックが遠ざかり、闇に畳まれて見えなくなった。トンネルがカーブしているのだとわかった。
後ろからの光が失われて真っ暗になるや否や、かまぼこ型のトンネルの天井部に左右対称になるよう埋め込まれている照明石が一斉に点灯し、赤紫色の光の道を作った。周りに一切光源がないこともあって、まるで夜空へと上っていくような錯覚に囚われた。
それなりの速度が出ているのか、体に吹きつける風が何とも心地良かった。滅多に味わえない体験に心が躍っていた。
「そろそろ下にいった方がいい、船室に案内する」
「え、なんで? 熱いからってこと?」
そうと訊ねたシュイに、イヴァンはそのままそこにいれば直にわかるだろう、と言ったきり踵を返した。
――ここにいれば、って?
シュイが船の向かう進む先を見ていると再びトンネルがカーブし、舳先に外の光が点灯した。段々と光が広がっていくのを目にし、そろそろ地上へ出るのだとわかった。それなりに眩しかったが、自分が足を動かさずとも出口が近づいてくるのは何とも面白かった。だが――
――ぶっ!?
突然顔に何かが振りかかり、目に激痛を感じた。慌ててまぶたを閉じたが、それが返ってまずかった。シュイは目を両手で抑えたまま呻き、次いで口の中の我慢ならぬ感触に唾を溜めた。
「うべっ、ぺっぺっ――げほっ」
「あー、やっぱりそんな予感がした。外からの風に砂が乗って地下に吹き込んできたってわけだな」
ちゃっかり後ろを向いていたピエールが納得したように手の平をポンと叩いた。シュイは目がごろごろしてそれどころではなさそうだ。
「いだぁ、くそっ、いだぁい! 目の奥にまで入っちゃっちゃっちゃっ。てか、知っていたんなら先に教えろよ! ――って、あれイヴァンは?」
ハンカチを取り出し、涙目を拭いながらシュイが周りを見た。
「もうとっくに下にいったぜ」
「――あの野郎は! 人をおちょくるのも大概にしとけよ! 以前のようにいくと思ったら大間違いだぞ!」
「お、俺に怒ってどうするんだよ! 本人に直接言え本人に!」
と、一気に明るくなってきたことに気づき、二人ともに目を細めた。巨大なトンネルを抜けて外へ出ると、砂漠の日差しが甲板を白く照らした。
闇に慣れていたせいでしばらくは目をまともに開けていられなかった。やっと目が慣れてきた頃合い、操舵室から戻ってきたヴィオレーヌが二人を呼び止め、涼しさが損なわれる前にと船尾に近い甲板の下り階段へ案内した。
階段を二階分ほど下りたところには、砂を払い落とす小部屋が設けられていた。ヴィオレーヌやピエールを真似るように、シュイは小さな竹箒でローブについた砂を払い落とした。
船内の作りは普通の客船とそう変わらなかった。円形の透過窓の下端が胸の高さほどで等間隔に横並びになっていた。外には海ならぬ砂海が、水平線の代わりに地平線が望めた。よくよく目を凝らすと三重窓になっていることに気づいた。砂漠の熱気を通さないための工夫だそうだ。
隔壁についている背の低いドアを頭を屈めて潜り抜けると天井が高くなった。そこは酒場に改造された船室だった。
天井から吊り下げられた暖色の照明石で照らされていたが、雰囲気も考えているのかそれほど光量が多いわけではなかった。カウンターの裏の酒棚には様々な形のボトルが並んでいる。船の形をしたもの。花瓶のような形のもの。イルカやドラゴンなどの動物を模したもの。その中に色彩鮮やかな酒が入れられていた。
奥の方ではイヴァンがこじんまりとしたカウンター越しに、バーテンダーと思しき獣族の男と会話していた。念のいったことに、男はきっちりとワイシャツとスラックスを着こなし、蝶ネクタイまでつけていた。
シュイたちと顔が合うと、白髪混じりの紳士は胸に手を当て、丁寧にお辞儀をした。おそらくは六十前後といったところだろう。なんとも柔和な笑みを浮かべていた。鼻梁に乗っかっているミニグラスが学者と名乗っても差し支えないような知的さを醸し出していた。
「ようこそお越しくださいました、新たな同胞よ。歓迎いたします」
紳士はゆっくりと顔を起こしてから、鼻梁に手を添えてミニグラスを持ち上げた。
「残念ながら彼らは同胞ではない。そう、期間限定の協力者といったところだな」
何か言いかけたシュイを遮って、イヴァンが合いの手を打った。年配の男は納得顔でイヴァンにうなずき、それからシュイとピエールの二人に向き直った。
「生まれはルクスプテロンの風の都ダーニィ、名はラードックでございます。期間限定でも構いません、ここを我が家と思いおくつろぎください。何かご注文があればなんなりと申しつけを」
そう言いながらもラードックは早速グラス、シェイカー、バースプーン、それにスクイーザーをカウンターの上に並べてみせた。手慣れた手つきから察するに、どうやらカクテルもお手のもののようだ。
ごくり、と喉を鳴らしたのは隣にいるピエール。戦いに次ぐ戦い、もとい敗戦に次ぐ敗戦で飲酒どころではなかったのだろう。酒好きの彼には願ってもない申し出だったに違いなかった。
イヴァンは生姜酒を人数分頼んでから適当な椅子にかけてくれ、と促した。先ほどシュイを嵌めたことなど眼中にもないのか、睨みつけているシュイに不思議そうな顔でどうした、と訊ねた。
罵りたい気持ちを辛うじて押し殺し、シュイはイヴァンと同じ椅子に踏ん反り返った。小さいことに拘って失笑を買おうものなら更に腹立たしくなるからだ。
「この船は、一体どこに向かっている」
先に沈黙を破ったのはシュイだった。ピエールはようやく本題か、と腰を落ち着け、イヴァンは眠りに落ちていたのかうなずくようにしながら目蓋を開けた。
遺跡だ、と呟いたイヴァンに、シュイはフード越しに頭を掻いた。
「だーかーらー、そこの遺跡はどこにあるんだよ!」
「遺跡は地中にある環状のトンネルの中を動き回っているので場所は定まっていません。進行方向でしたら、船は今現在南南西の方に向かっています。到着は、あと二日といったところですね」
脇からの澄んだ声に、ピエールとシュイが同時に振り返った。
「動いているって、砂船みたいにってことか?」
ヴィオレーヌはええ、と笑い、下唇に指を当てて言葉を選ぶように、鼻にかかったような声を出した。
「簡単に言いますと、この砂船のように魔石を動力とした居住区があると思っていただければよろしいかと」
あぁ、なるほど、と納得するには途方もない話にすぎた。町が砂船のように動くと言われても想像がつかなかった。
「あぁ、なるほどね、ってそんなことあり得るのか?」
そんなシュイの心をまんまピエールが代弁した。
「私も詳しくは知らないのですが、砂漠の日差し、昼と夜の温度差を動力に変換する仕組みがなされていると訊いています」
日差しを動力に、などと言われてもピンとこなかったが、今はそれよりも気になることがあった。シュイは顎に手を当てたまま疑問を口にする。
「どうも釈然としないんだが、そもそもなんで動いている施設に侵入されているんだよ。敵が近づいてきたところで逃げればいいだけの話じゃないのか」
耳に痛い質問だったのか、ヴィオレーヌの表情がやや曇った。
「まず、あくまでその施設は周期的に動いているのであって、誰かが自由に動かせるわけではありません。とはいえ、そこに来るとわかっていなければ乗り込むのは難しいです。身内の恥を晒すことになって恐縮ですが裏切り者がいると目されています。ルクセンを脱退した者か、あるいは現在進行形で在籍している者か」
「獅子身中の虫、か。そんな状態で戦うってリスク高くないか?」
「そちらの始末はリックとイルナヤ、仲間たちに任せてある。心配は無用だ」
口を挟んできたピエールに、イヴァンが確信を込めて言葉を返した。シュイは横目でイヴァンを見た。
「随分信頼しているんだな、あんたと同じで後ろ暗い過去を持つ連中なんじゃないのか?」
「いかにもそうだ、二人とも元々は敵対していた者たちだからな」
微かに笑みをこぼすイヴァンに、シュイは酒で舌を湿らしてからグラスを置く。
「昨日の敵は今日の味方、か」
「おまえとて数年戦ってきたならわかるだろう。命がけの戦場では敵となる者に対しても妙な親近感が沸くことがある」
シュイは考えに耽り、小さくうなずいた。
「とはいうものの、一部例外はいたけどな」
シュイは青髪の男と顎髭の長い老人の顔を脳裏に浮かべた。
エミド・マスキュラス。イヴァンがそうと呟くと、シュイは意外そうな顔をし、ピエールが少し興味深げに聞き耳を立てる。
「やつのことも知っているのか。まぁ、あっちの方が俺よりずっと有名だもんな」
「強かったか」
シュイがひらひらと手を振った。そんな言葉じゃ表しようがない。そう言いたげに。
「――万全の状態ではないにしても腕利き五十人からなる討伐隊が全滅しかけたんだぜ。正直、勝てたのは運がよかっただけだよ。こちとらあっちの世界にいきかけて二週間も入院するはめになっちゃったし、できればあんなやつとは二度とやりたくないね」
「それほど、か。確か、おまえがやつと闘ったのは一年以上も前だったな。もし、今のおまえが一対一でやつと闘ったならどうだ」
シュイは即答せず、グラスに残っていた酒を氷毎飲み干し、ガリガリと噛み砕いて口を拭う。そして囁くように
「――三:七で分が悪い、かな」
自尊するでも自嘲するでもなく、口にした。答えに満足したのか、イヴァンは腕を組んで、頼もしいじゃないか、と笑みを浮かべた。