~決意 the will to win6~
そこからの戦いは、正直ボクもあまり覚えていないんだ。その、最後の光景が衝撃的すぎたせいだと思う。とにかくシュイもシャンも、全力で戦った。力を余すことなく、魔石もフルに活用して、最後まで諦めずにエミドを倒そうとしていた。
シュイの罠が明確な効果を表したのは、戦いが中盤に差し掛かったころだった。その経緯を説明するには、先にエミドの使っていた障壁の特性に触れとかなきゃいけない。
彼の展開していた障壁魔法、<紡がれし闇母の産繭>は上位感知魔法と連動して効果を発揮する防御魔法の極みとも言えるもの。球状に展開した感知魔法領域内に侵入する質量を捉えて対物理、対魔法二つの効果を併せ持つ強力無比な魔力障壁を張り巡らせるんだ。
おのれに害をもたらすものであれば攻撃魔法に及ばず<更なる威に屈せよ>などの干渉魔法をも寄せ付けない。膨大な魔力と集中力を要するコストパフォーマンスの悪さに目を瞑れば、まさしく堅牢の名にふさわしい魔法だよ。おそらくは、予め地中に埋めておいた魔石を魔力の供給源として利用することで、それを常時展開させていたんだ。
だけど、ここまでの戦いで障壁が全ての魔法を防げるわけじゃないこともわかってた。シャンの照明魔石はエミドにしっかり通じていたし、相手の<盗聴>が有効だったことからも察することができた。それらの点を踏まえた上で、シュイは害意のない魔法であれば、エミドの障壁も働かないんじゃないか。そう考えたんだ。
シュイはデニスさんとそれなりに親しかったこともあって<汝、我に共感せよ>っていうレムース教に伝わる干渉魔法を伝授してもらっていた。なんでも、助かる見込みのない者たちの痛みを半分肩代わりする回復魔法の一種で、<同調>した魔力を対象者の感覚器官に繋げる門を開き、感覚共有を行うものらしい。
本来は終末医療、死の淵にいる病人や怪我人の痛みを和らげるために使うらしい。寝たきりで死を迎えねばならない人の苦痛を、少しでも和らげるために。一瞬でも家族と温かい時間を過ごしてもらうために。美しい景色を目に焼きつけながら、穏やかな最期を迎えられるように、ってね。
でも、そんな尊い魔法も生きるか死ぬかの戦いで使えば、呪いと違わぬ魔法に早変わりする。たとえそれを考えついたとして、実行に移す人が今までにいたかどうかは怪しいけど。
相手と感覚を共有しているということは、相手を傷つけて与えた痛みが、そのまま自分に返ってくるということに他ならない。つまり、エミドの攻撃がシュイに当たったとしたら、その痛みはエミドにも伝わっちゃうわけ。綿密な準備の末にシュイがその魔法をエミドにかけたことで、明らかに劣勢だった戦いが一変したんだ。
シュイの傷が増えていくにつれて体を蝕む痛みに耐えられなくなってきたエミドは、シュイを失血にて死に至らしめる戦法に切り替えた。頭や胸部を狙うのは極力避けて、痛みによる影響を最小限に抑えられそうな部位を狙っていた。手首や足首、頸動脈なんかだね。
相手を傷つけることによって多少の痛みは伝わるだろうけれど、実際に血まで失われるわけじゃないから。その辺の判断の速さは、流石と言わざるを得ないね。
エミドの戦法は地味ながらも確実に効果が出始めていた。シュイは驚異的な反射神経で致命傷こそ避けていたけれど、四肢は傷だらけで、血だらけで。そんな状態でも、シュイはなけなしの力を振り絞ってエミドに向かっていった。
シュイの様子を見て、これ以上長引かせられないのはわかり切ってた。余力を残していたシャンはここが勝負どころだと判断した。ボクとティートを離れた場所に下ろして、一か八か、シュイとエミドの死闘に割り入った。
シャンの不意打ちでエミドに深手を負わすことはできた。でも、その代償にシャンは片足を潰されちゃったの。
苦痛と怒りの入り混じった形相でシャンに止めを刺そうとしたエミドを見て、今度はシュイが身を切った。あろうことか、自分の脇腹に刺さっていた氷柱を掴み、捻り上げたんだ。目を覆いたくなるような光景だった。果たしてどれくらいの痛みが伝わったのか、エミドは脇腹を両手で押さえて、空に向かって絶叫した。集中力を乱したせいで、皺だらけの手の平に集めていた魔力が失われたのがボクにもわかった。
エミドが苦しむその姿は、シュイが我慢していた痛みを反映していたことに他ならない。そのはずなのに、なんでシュイがあそこまで痛みに耐えられたのか、なにが彼をあそこまで突き動かしのか、ボクにもよくわからなかった。
病的に、って言っていいほど我慢強かったシュイに対して、きっとエミドは、苦痛に堪えることに慣れていなかったんだろうね。旅行に滅多に行かない人は寒暖差によってあっさり体調を崩すことが多い。逆に、毎日のように厨房を切り盛りしているコックさんなんかは、跳ねた油や熱気をほとんど気に止めないじゃない?
かたや絶対的な力によって、数十年もの長い間生傷や苦痛を遠ざけてきたエミド。かたや敵の攻撃にその身を晒し、死線を乗り越えてきたシュイ。どちらが我慢強いかは明白だった。
シュイは、たったひとつの強みを押し出す戦略を構築して、薄氷の踏み合いに持ち込もうとあらゆる手段を尽くした。その執念が、エミドをあそこまで追い詰めたんだと思う。
脇腹を抉ったことで、シュイの出血は意識を失いかけるレベルにまで達していた。残った力を振り絞ろうと、シュイはエミドの放った攻撃魔法に対して<魔を打ち払いし縛鎖>で迎え撃った。魔力の鎖が鎌の柄に蔦のように絡まっていって、紫煙に包まれた鎌が視界を埋め尽くすほどの風の刃を全部粉砕した。
エミドが目を瞠った直後、誰かの投げたナイフが腕に突き刺さった。シュイの、鎌を持っていない方の手にね。
シュイに向かってナイフを投じたのは、足を潰されたシャンだった。痛みに気を取られて盗聴を使えないと踏んだシュイが、念話でナイフを投げてもらうよう頼んだらしい。こればかりは、いくら勝つためとはいえ度を過ぎていると思うんだけど。
極限まで追い詰められて、エミドの動きは完全に硬直した。目の前にあるシュイのしてやったりっていう顔を見て、今の攻撃が互いに意志疎通を交わした上での一撃だってことに気づいたんだろうね。今思えば、あの表情は彼が初めて感じた恐怖の表情だったのかも知れない。
シュイの切り札<|ディスペル・リロード(魔を打ち砕く縛鎖)>。シャンのナイフによって生じた痛み。何より、体を蝕んでいた苦痛と疲労。いくつもの障害で思考を乱された状態では、例え魔法を使ったとしても、強度と展開速度の両面において今までの精度は保てなかった。
シュイの鎌刃がエミドの歪な障壁に引っかかって、高速再生する間も与えずに断ち切った。床に落としたグラスのように、障壁が砕け散ったのがボクの目にもわかった。
そして、ついに勝利の瞬間はやってきた。シュイが、鎌の柄を両手で押し出すようにしながら、エミドと擦れ違った。よりによって、<汝、我に共感せよ>の魔法を解かないまま、エミドの左胸を鎌刃で深々と貫いたんだ。
シュイはそのショックで気を失い、エミドはそれから間もなく息を引き取った。だから、ぐったりしているシュイを見たとき、ボクは、本気でシュイが死んじゃったのかと思った。
治癒術士の献身的な治療のおかげで辛うじて生還できたけど、意識が戻らない二日間、ボクはずっと怖くて眠れなかった。目が覚めたとき、シュイが死んじゃっているんじゃないかって。
だからね、本当のことを言うと、今でも少し怖いんだ。シュイってどこか陰があって、自分の命を省みないところがあるから。いつか取り返しのつかないことになるんじゃないかって、不安になるんだ。