~決意 the will to win3~
――確か三年くらい前だったと思うけれど、当時、俺はセーニアの東岸にある港町、ピクサに住んでいた。町はずれの原っぱにあった、何十年も放置されていた木工所を修繕して、そこの地主さんから無料同然で間借りしていたんだ。その頃には羽振りの良い固定客が何人かついていたし、傭兵ランクもBに上がっていたからそれなりの生活はできていたよ。
弟子はまだ持てる身じゃないって自覚していたけれど、恥ずかしながら俺に憧れてくれるような酔狂なやつらもいてね。彼らを雇って、工房兼よろず屋って感じで商売をやっていた。
そんなある日、弟子の一人が騎士らしき男を連れて工房にやってきた。終始フルフェイスをつけている、妙と言うよりも怪しい客だったね。
そのフルフェイスの男は赤い布に包まれた物を両手に抱えていた。どうやらピクサにやってきたのはその日が初めてだったらしくてね。町で見回りをしていた衛兵に鍛冶場の位置を訊ねたところ、衛兵がたまたま工房へ向かっていた顔見知りの弟子を呼び止め、案内を引き継いだってわけだ。
「ここは、金属の熔解はやっているのか」
男は工房の中を物珍しそうに眺めながらそう言った。熔解については説明するまでもないね。金属製の武器や防具なんかを溶かして塊に戻す事だ。軽く言ってくれちゃったりなんかするけれど、意外と手間がかかるんだよ。柄や刀身にはまっている部品や魔石なんかはちゃんと外さなきゃいけないからね。
こんなことを言うのもなんだけれど、やり甲斐のある仕事ではないから気は進まなかった。熔かすだけならわざわざ鍛冶師に頼むまでもない。そこいらの鉄工場でだってできるだろうって。
とはいっても、客であることには変わりないし、手際の良い仕事に満足してくれれば口コミで別の依頼を貰えるかも知れない。そうと割り切っていつものように応対したんだ。
「物によりますけれど、できないこともないですよ」
「ふむ、そうか。ならばこれを金属の塊に戻せるだろうか」
男は赤い布に包まれていた、長物と思しきそれを作業台に放るように置いた。危うく反射的に手が出るところだったね。俺が我慢がまんと拳を震わせていることにも気づかず、男はそのまま乱暴に布を引っ張った。次の瞬間、俺は目を疑ったよ。見間違えるはずもない、師匠が死ぬ間際に手がけていたあの大鎌だったんだ。
姿を晒した大鎌を前にして、在りし日の師匠の姿が脳裏に蘇った。けれど、思い出に浸りかけた矢先に引っかかりを覚えた。そういえばこの客、さっきなんて言っていたっけ、って。俺が男に視線を戻すと、男はぞんざいな口調でこうのたまった。
「誰が作ったんだか知らないが、こんな大きな鎌どう考えたって機能的じゃないし置いといても邪魔になるだけだから熔かして欲しい。熔かした材料はそのまま買い取ってくれてもいいが、もしできるんだったら剣でも拵えてくれ。これだけの量があれば俺にぴったりの剛剣ができるはずだ。三日くらいしたら引き取りにくるから」
俺の目が据わったことに気づいたんだろうね。男を連れてきた弟子の顔が旬の茄子のように青くなった。男の突っ込みどころ満載な発言の数々に、こいつ何もわかってねぇとか、鍛冶仕事舐めてるのかとか、とにかく腹が立ってしょうがなかったんだ。
しかも、よくよく見れば鎌のいたるところに血糊がびっしりついているときた。手入れの一つもしていないのか。あんたまさか、これを何か犯罪に使ったんじゃないだろうな。あわよくば証拠隠滅の片棒を担がせる気じゃないだろうな。そんな感じで俺は男にずんずん詰め寄ったんだ。
あっという間に壁際まで追い込まれた男は、殺人犯のレッテルを張られてはたまらなかったんだろう。鎌を手に入れた経緯を汗だくで語り始めた。「実はレテ村で――」って冒頭から何やら嫌な予感がしたけれどね。大勢の野盗が惨殺されたって話は俺も小耳に挟んでいたから。
――嫌な予感は的中した。男はこの鎌が事件に使われた凶器だと白状したんだ。それが一旦証拠品としてセーニア騎士団に回収され、しばらくの間は詰所に保管されていた。何日かして、その犯人に対する制裁が済んだという報告が届き、めでたく処分することになったわけだ。
蛇足だけれど、男は少しばかり鉱物学をかじっていたみたいでさ。この鎌に使われている金属が市場に出回っていない物だってことに気づいたらしい。小遣い稼ぎを目論んだ男は「自分が処分します」と血塗れの鎌を持ち出した。仲間にばれたらまずいから詰所のある町ではなくて、足がつかないよう見知らぬ町にやってきたってわけだ。蒸し暑い季節にフルフェイスをつけていた理由にも合点がいった。彼はおそらく常習犯だろうね。そういう話はどこにでも転がっているけどさ。
尊敬しているボーディング師匠の、文字通り命を賭して作った渾身の作が、こともあろうに大量殺戮に使われたなんて冒涜以外の何物でもない。野盗に振るったって部分で辛うじて救われたけれど、それを現場でポイ捨てするなんてとても許し難いことだ。
持ち込んだ男も色々と惜しかったね。真の価値を知っていれば安い家の一軒くらい建てられただろうし、下っ端騎士の生活ともおさらばできたのに。
もちろん、こそこそ小銭を稼ごうとする小悪党にそれを教えてやる義理はない。師匠の鎌はその場で回収し、男には駄賃代わりになんの変哲も面白味もない、俺が鼻くそほじりながら片手間に作った剣をくれてやった。ま、そんなんでも喜んでいたけれど。――って二人とも、なんで遠ざかるのかな。
確かに、思いがけぬ収穫と言えなくもなかった。鎌は処分される前に回収できたし、男もほくほく顔で帰っていったってことでお互い少しずつ幸せになれた。
ただ、この件をこのまま見逃したらボーディング師匠の名が廃る。ってことで、持ち主にいっちょヤキを入れ、もとい文句のひとつでも言ってやろうと考えたのさ。
犯人がシュイ・エルクンドという名前だってことは後日の新聞を見てわかった。珍しい名前だから探し出すのはそう難しくないだろうとも予想していた。シルフィールに所属していることまでは予想外だったけれど。
ホーヴィの支部で話を聞き、彼の足跡を辿っていった結果、フォルストロームを追放されてエレグスにいることがわかった。決して近くはないからいつ行こうか悩んでいたんだけれど、そうこうしている内に困った事態になった。セーニアとルクスプテロンの戦争が始まってしまったんだ。
開戦からほどなくして、セーニアの軍関係者を通じて戦争に使う武器を大量発注したいと申し出があった。ただ、俺は元々ルクスプテロン出身だったから、同郷の仲間を殺める武器を作るのは流石に忍びなくてね。きっぱりと断ったんだ。
そうしたらそれ以降、工房への受注がめっきり減ってしまって。大方、騎士団の誰かが面子を潰されたって勝手に憤った挙句に悪い噂を広めたんだろう。弟子たちの大半はそれでも普通に接してくれていたけれど、親しかったはずの町の人たちはどこかよそよそしくなってね。どうにも居心地が悪くなってしまった。
おまけに武器制作に使う鉱石類の仕入れ値が平常時の三倍近くに高騰していたからさ。思いきってピクサの工房を畳むことにしたんだよ。
――あぁ、アミナは知っていたんだね。俺も後でわかったんだけど、マスター・ラミエルがエスチュード社に命じ、原材料の高騰を見越して市場の鉱石類を買い占めちゃっていたんだ。そりゃあ、値段が跳ね上がるわけだよ。
そういった背景に後押しされた俺は、弟子たちに新しい職場を用意し、工房を持ち主に返した後で、工具袋と師匠の形見の鎌を手にエレグスへとやってきたってわけさ。
――――
ぬっと横から差し出された手に、シャンが大きく肩を震わせた。
「喉が渇いたであろう、飲むがいい」
アミナが湯気立つ湯呑をシャンの前に置く。
「ああ、ありがとう」
アマリスが湯呑みを回し、ふーふーと可愛らしく口を窄めながら冷ましている。その隣にアミナが着席し、音を立てぬよう留意しつつ茶を啜る。
ゆったりとした時間が流れていく中、アマリスはゆっくりと首を傾げる。
「でもさでもさ、なんでわざわざ鎌を持ってきたの? 説教するだけなら必要ないじゃん」
シャンは湯呑が熱くてなかなか持てないのか、手をつけたり放したりしている。
「ごもっともな意見だ。まぁその辺りは、あっつ! 俺たち鍛冶師にしかわかってもらえない感覚かもね」
「なーに、その差別意識」
仏頂面のアマリスにシャンは、まてまて、とばかりに手の平を前後に動かした。
「別に馬鹿にしてるわけじゃなくてさ。なんというか、作り手の意志や力が道具に宿るっていうのは起こり得ることなんだ。世に出回っている名剣や魔槍の中にも時たまにそういうものが混じってる。そんなはずがないって否定されるかも知れないけれど、あの鎌が持ち主のところに戻りたがっている気がしてさ。もしかしたら師匠の魂かなにかが宿っているのかも」
そう結んで茶を啜るシャンに、アミナがほぅほぅと、感心したようにうなずいた。その横で、アマリスは手の平で両耳を塞いでいる。しかもそこはかとなく涙目だ。
「武器は使い手を脅威から守ってこそ武器足り得る。断じて床の間に飾っておくべき物じゃない。万が一、持ち主が師匠の武器を持つに値するやつだったら返してやろうかって思ったんだ。別の場所にポイ捨てしたのは事実だったようだから、それについてはちょいと長めに説教させてもらったけどね。作り手が使い手のことを考えているように、使い手だって作り手の遺志を酌むべきだって」
アミナは空になった湯呑を机に置いてあったお盆に乗せる。
「あの武器にそんな由縁があったとはな。それで、シュイはお眼鏡に適ったというわけか」
「ああ、俺の目から見ても良くやっている。<レッドボーン>の件では実際にあの鎌を手にして大勢の人たちを救ってみせた。師匠も草葉の陰で喜んでくれていると思うよ」
そう笑うシャンに二人は目を細めた。
「――しぶちょー、大丈夫かな」
アマリスがぽつりと、不安を絡ませて呟いた。
「あー、あの戦いに居合わせた身としては何とも言えないね。彼の勝利に対する執念には、ちょっと危うさを感じるし」
含みのあるシャンの言い回しにアミナは引っかかりを覚えたようだった。
「昔は向こう見ずな面があったことも否定しないが、今はそうでもなかろう。裏ギルドのマスターを斃せるものなどなかなかおらぬぞ」
シャンは湯呑を口から放し、神妙な顔つきになる。
「そっか、アミナはあの場にいなかったんだっけ。シュイがエミドをどうやって破ったか――もがむが」
いつの間にか後ろに回り込んでいたアマリスがシャンの口をはしっと塞いだ。
――だ、駄目だってば。それは絶対漏らさないようにってしぶちょーから口止めされてるんだよ。
――え、あれ、そうなのか?
「――ほぅ、それはまた初耳だ」
押し殺したような声が、アミナの口から漏れ出た。
「あ、あれ、聞こえちゃった……かな、あはは」
「幸か不幸か、生まれつき耳はよいのでな」
ぴこぴこ、と三角耳を動かしてみせるアミナに、目を泳がしていたアマリスは救いを求めるようにシャンを見た。シャンは、なんで俺を見るの、と言いたそうに、それでも視線に押し負ける。
「いやー、あれは不可抗力っていうか、命懸かっていたから。うん、他に選択肢はなかったかも」
「話す気はない、か。私だけ仲間外れ、というわけだな」
悲しそうに視線を落とすアミナに、二人は気まずそうに顔を見合わせる。
――ど、どうすんの。
――うーん、演技ってわかっていても破壊力あるなぁ。ってか、声潜めても無意味ってわかったでしょ。
シャンはアミナの方に向き直り、頬を掻きながら「絶対に、怒らないであげてね?」と念を押した。アミナは「つまりは、怒るようなことなのだな?」と溜息を吐きつつ腕を組んだ。