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~躍動 throb with death~

 連日降り続いていた雨が上がり、水溜りに鮮やかな青空が映し込まれていた。刀傷だらけの鎧と額当てを着込んだ兵士たちが、三日振りの陽光に目を細めている。

 そんな彼らのすぐ傍では、両肩に円錐形の角が付いた金属鎧を身に付けた年配の男が、神妙な顔付きで足元を睨んでいた。


 小国バータンの将軍ゴールは、白くなりかけた立派なあご髭を右手で揉むようにしながら、先ほどまでぬかるんでいた地面を靴の裏で何度となくなぞった。乾きかけた赤土のざらつく感触が胸に障る。強い日差しは土に含まれる湿り気を奪いつつある。予断を許さぬ状況だ。


 ルクスプテロン連邦の真南、山合いに位置するバータンは、隣国ナルゼリの侵攻に晒されていた。国境付近に点在する二つの砦は三日足らずで陥落し、首都からかなり近い位置にまで攻め入られていた。

 ナルゼリ軍の主戦力は、完全武装の重装騎士団だ。鉱山資源に恵まれ、鋼鉄の国という名でも知られている。セーニアなどの主要各国に輸出するかたわら最新鋭の装備を輸入し、国軍にもそれを導入している。

 対するバータンは農産物と民族工芸品以外に際立った特徴のない長閑な国だ。交易拠点として栄えてきた地方都市がそのまま国になったようなもので、近隣諸国に比べても軍事費用の度合いは低く、浮いた金は専ら治水や農地整備などの内政に使われていた。国から支給される装備も大半が使い古しの物だ。板金技術の粋を集めて作られた装備には及ぶべくもない。


 装備の差だけであれば、あるいは用兵と戦略次第で対抗できたかも知れない。しかし、先遣隊の報告では敵軍の規模も自軍の四倍に近いということだった。

 唯一の優位は地の利。バータンの東部は、大軍を指揮するのにはあまり向かない。少数の兵が動くのに適した入り組んだ地形が多いのだ。既に梅雨の周期に入っていることもあり、ナルゼリ軍は雨天の三日間、奇襲を警戒して平地で行軍を停止していた。重装備に身を固めた兵たちにとって足場の悪さは致命的と成り得る。重い鎧や具足のせいで足が泥に埋もれ、隊列を組むことはおろか、歩くことすらままならなくなるためだ。

 だが、それだけで大きな戦力差を埋めるのが困難なこともまた事実だった。行軍を停止した敵軍に対して、有効な策を仕掛けるようなこともできなかったのだ。


 とはいっても、ナルゼリ軍が足止めを食っている間にバータンが手をこまねいていたわけではない。首脳たちは領内に敵軍が侵攻してきた報を受けた即日に、ナルゼリのバックにいるセーニア教国と敵対関係にあるルクスプテロン連邦に援軍を要請する使者を送っていた。交渉はほぼ纏まっており、既に最終段階に差し掛かっている。後は策を巡らしてなんとか時間を稼ぎ、北の大国ルクスプテロンの保護下に入る。それが成されれば、少なくとも当面の危機は打開できるはずだった。


 残る問題は、それまで戦いを引き延ばすことができるかどうか。雨が止んでも土壌が乾いていなければそれなりの戦い方があると踏んでいた。けれども、この晴天が続いてしまうのであれば打開の可能性が著しく狭まる。

 日が中天に至る頃には敵軍が現れるだろう。そうとゴールは読んでいた。丘の上に陣取った自軍の兵には拒馬柵を設置させたり落とし穴を掘らせ、数少ない魔道兵には魔法で集めた水を撒かせるよう指示し、自陣近くの地面が乾燥するのを防いでいた。焼け石に水と思わないではない。それでもやらせたのは、兵士たちも待つ時間を持て余すよりは体を動かしている方が気が紛れるだろうと考えてのことだ。


 それからしばらくして、陣から少し離れた平地で警戒に当たっていたバータン軍の斥候数騎が地平の先にもうもうと砂埃が立ち上るのを見止め、急ぎ本陣へと引き返していった。



――――――



 1567年9月21日。セーニア教国、ルクスプテロン連邦に宣戦布告す。その影響は周辺各国にも波及し、レグナールの勢力図は大きく塗り替えられつつあった。


 海を渡り、ルクスプテロン連邦の南東部、ゾブル半島より攻め入ったセーニアは小国群の港町を次々に攻略、破竹の勢いで北上を続けた。水面下で軍備を整えていたこと。四大ギルドの一角、ミスティミストの支援を受けていたことなどもあり、開戦から半年ほどは連戦連勝を重ねた。その間に、ルクスプテロン連邦の四分の一に当たる所属国を支配下に治め、母国より迅速に領主たちを派遣して乱れた治安の回復に努めていた。

 当時、ルクスプテロン連邦議長を務めていたパトリック・ティラは連邦各国に緊急事態宣言を発令。各地より精兵を参集し、南東部への派兵を開始する。時を同じくして、後継者争いを制してフラムハートのマスターとなったアークス・ゼノワが、ルクスプテロンへの支援を正式に表明する。

 四大国と四大ギルド同士の争い。周辺諸国の者たちは戦火が飛び火するのを恐れに恐れていた。均衡を崩しかねない残りの四大ギルド、シルフィールやアースレイの動向も注目されていたが、双方ともに表立って動くことはなく、そして雪解けの時期が来た。


 膠着状態が崩れたのは1568年6月初旬。セーニア軍二十万、ルクスプテロン軍十四万。双方の軍に加わったギルドの傭兵を含む軍勢がヌレイフ湿原にて激しく衝突した。

 音に聞く騎士隊長、魔道隊長、上級傭兵をも交えた戦いはつとに凄まじく、周辺の地形を変えてしまうほどのものだった。希少な動植物が生息していた広大な湿地帯のおよそ七割が両軍の魔道兵たちによる攻撃魔法や召喚魔法で焦土と化した。清流と謳われたモジュ川の美しき流れも夥しい数の戦死者の血で下流まで緋色に染まったと言われている。

 戦いは三カ月余りに渡って続いたが、双方に三万あまりの犠牲を出したところでセーニア軍が撤退し、痛み分けとなった。この大激戦が国内外に大きな反発を招き、両国共に自国の統制を取るだけで手一杯となったためだ。以降、両国の戦いは国境付近の小競り合いなどを除き、小康状態を保っていた。

 しかしながら、影響は両国間のみに止まらなかった。近隣諸国で(くすぶっていた対立関係が再燃化したり、野心ある国主が周辺諸国へ戦争を仕掛けたりといった中小国間同士の競り合いが活発化していた。


 バータンは、まさにそういった憂き目に遭っている国の一つだった。二年足らずで小国二つを併合していた隣国のナルゼリは一万の軍を以って国境沿いにあった二つの山城をあっさりと制圧し、その力を存分に誇示したところでバータンの陣営に使者を送りつけた。服従の証として若き女王、スフィリアの身柄を差し出すようにとの書状を添えて。

 バータンの兵数は掻き集めたところで三千がいいところだったが、代々に亘って善政を行ってきた王家に対する民心は高く、側近、世論共に徹底抗戦の構えで纏まった。けれども著しく不利な状況を打開する術はなく、兵士たちは先の見えぬ戦いを強いられていた。人数差が大きいのに加え、鉄工業が基幹産業であるナルゼリ軍では武器防具が相当に充実していた。こと兵士たちの装備に関して、バータンはナルゼリに大きく水を空けられていたのだ。


 戦略的見地からそうした状況を鑑みれば籠城策を取るのが常道である。しかし、バータンの主城であるコリヌス城は主要街道に面した盆地に建てられており、立て篭もるには適さなかった。それはあくまで交易の利便と首都の発展を考えてのことであり――確かに平時においてはなんら問題がなかったのだが――戦時の軍事拠点として評価すると籠城に向く作りとは言い難かった。また、城下に非戦闘員が大勢住んでいることもあり、小勢ながらも平地での戦いを余儀なくされた。



――――――



 夕刻になり、正午過ぎに始まったバータン軍とナルゼリ軍の戦いは佳境を迎えていた。倒しても一向に数の減らぬ相手に対して、それでもバータン兵たちは疲労で震える腕に力を込め、何度となく気を吐いた。


「怯むな! ここを突破されたら後がないぞっ!」


 後方で旗を振る隊長の鼓舞に応じるようにして、鎧兜に身を固めていた敵重装兵と鍔迫り合いを続けていた歩兵が力任せに敵兵を突き飛ばした。足を踏み外した敵兵が坂道を勢いよく転げ落ちていき、後続の兵たちにぶつかった。

 尚も坂を上ってこようとする敵兵たちに向かって、今度は坂の上にいた兵たちが三人がかりで大岩を押していく。地面を擦りながら緩慢に動いていた大岩が下り傾斜に到達。丸い岩が重力に従って見る間に勢いを増していった。いかな防具が強固なナルゼリ兵たちもこれには悲鳴を上げ、一目散に退いていく 



 この調子ならば何とかいけるだろうか。ゴールが淡い期待を抱きかけた途端、無情にもそれを打ち破る叫び声が陣内に木霊した。


「左翼側から敵の大隊が接近!」


 伝令兵が叫ぶや否や、ゴール以下、陣内にいたバータン兵たちが揃って左翼の方を睨んだ。既に潰走状態に陥り、敵の大軍に追い立てられている防衛兵たちを眼下に見止め、顔が色を失った。


「馬鹿な! 第四部隊の報告はどうした!」

「そ、それが、二度目の報告以降音沙汰がありません!」


 討ち死にしたのか、それとも逃亡したのか。切羽詰まった状況に狼狽(ろうばい)するゴールを嘲笑うように、黒毛の馬に跨った敵指揮官と思しき男が指揮棒(タクト)をゆっくり掲げていく。

 矢を番えた弓が一斉に引き絞られた。張り詰められた弦が軋む。音が数秒で鳴り止み、一瞬の空白が生じた。


「放てぇっ!」


 命令と同時に指揮棒が勢いよく振り切られ、無数の矢が隊列の真ん中辺りから端から扇を開くように放たれた。生じた突型の黒い波濤が、晴天を二つに分け隔てていく。

 無数の矢を前にして、前衛にいたバータン兵たちが慌てて長方形の金属盾を掲げた。採掘道具で固い岩盤を削るような音が連続して鳴り響く。矢の雨の猛威に晒され、射撃を受け止めている兵たちの踵が少しずつ土に埋もれていく。

 軽く千を越す人数からなる一斉射撃。ろくろく時が経たぬうちに金属板の継ぎ目部分に敵の矢が刺さり、連なる衝撃によってみるみるうちに盾の形状が変わっていく。その有様を見て後方の兵士たちが狼狽し、陣形が乱れる。

 いよいよ歩兵たちの支えていた盾がただの鉄屑と化し、防具としての機能を失った。壊れた盾を放り捨て、背を向けた者から矢の雨に打たれ、まともな悲鳴を上げる間もなく針山と化していく。一人が倒れたのを皮切りに前衛の兵たちが矢継ぎ早に倒れていき、血の海がその領域を増やしていった。

 陣形の一角があっさりと切り崩されたのを眼下に見据え、ゴールはただただ唇を震わせた。


「将軍! これ以上ここに留まるのは……」


 近衛に促され、ゴールが苦しげに呻いた。

 いかに敵軍との兵力差が大きくとも二週間足らずにしてここまで敵軍の侵略を許している状況は、一国の軍を預かる将としてとても我慢できることではなかった。

 だが、そんなゴールの葛藤を打ち砕く報告が続けざまに届けられる。


「連絡が遅れて申し訳ございません! 伝令兵が消息不明ゆえ代理で参りました! 左翼を率いていた我が第四部隊が敵方の魔法に巻き込まれて壊滅。ダルコ隊長以下、部隊員の約七割が討ち死にいたしました! 敵軍に上級傭兵が加わっている模様です!」

「敵騎馬部隊の急襲により右翼側の複数部隊で死傷者が続発しております! 辛うじて決壊は防いでいますが長くは持ちません!」

「北東部から敵増援を確認! 千を超す模様です! どうかご指示を!」


 苦悶の表情を浮かべていたゴールの奥歯が噛み合わされ、ぎちりと音を立てた。


「……全軍退却する! 急いでここを離れ、本隊と合流して立て直しを図る!」


 退却命令を聞き、伝令兵たちは短く敬礼してから各部隊に命令を伝えるべく慌しく散っていった。周りに控えていた兵たちが旗指物を畳み始めるのを見止め、ゴールが怒声を上げる。


「馬鹿者がぁ、これ以上犠牲者を増やさせる気か! 命が惜しかったらそんなものは放っておけ! ――手の空いている者は早馬でエミラ隊のグレイルに連絡しろ。至急、殿軍を指揮して撤退を助けるように、と。他の者は追い付かれる前に全速力でエメイル川まで退くぞ」


 継がれた言葉に兵たちがおずおずと頷き、後方へとばらばらに散っていく。



 わずかな時間で人の気配が一気に引いた。陣内に一人残されたゴールは、迫りくる敵軍の怒号の大きさに眉をひそめた。兵力差は歴然。わかっていたつもりだが、肌に感じて初めてわかる恐ろしさもある。このままでは我が国も、制圧された他の二国と同じ運命を辿ることは避けられない。


「将軍! 馬をお持ちいたしました! お急ぎください!」

「……ああ、すまぬな」


 ゴールは不吉な二文字を想起しかけた心を諌めるように頭を振り、馬を引いてきた近衛の方へと早足で向かった。



――――――



 緩やかに流れるエメイルの大河を東に臨むリトスの村。バータン軍は村内で一番大きな老舗旅館を接収し、本陣代わりに使っていた。

 敗戦から一夜明け、軍議に使っていた大部屋には沈痛な空気が漂っていた。ナルゼリ軍の侵入を許してから二週間あまりが過ぎていたが、戦況は一向に改善されなかった。圧倒的な兵力差に戦線を維持することすらままならず、断続的な時間稼ぎをするのがやっとという有様だ。


「数が多いだけならいざ知らず上級傭兵まで、か。……まいった、これではどうにも打つ手がないぞ」


 何度目かの思わしくない戦況を報告され、重臣たちからはやはり何度目かの溜息が漏れた。悪名高いギルド、クレアレイズンの上級傭兵、ネデル・アラランタがナルゼリ軍に参画し、中隊の一つが壊滅に追い込まれて撤退を余儀なくされたということだった。

 こちらとしても同じような方策を採って対抗したいところだったが、上級傭兵を継続的に雇うのには相当な金が要る。相手は侵攻した国からその財を奪うことで雇う費用を賄えるが、防戦する側は得られる物が期待できない。つまり、報酬を国庫から捻出することになるのだ。


「それで、向こうの使者は何といってきているのだ」


 問われた伝令兵が一瞬口を噤んだが、黙っていても仕方ないと判断したのか再び口を開く。


「……前回と同じく、降伏の証として直ぐにでもスフィリア様を差し出せ、と。それから、抵抗した代償としてセーニア、ナルゼリを始めとした特定の国に対する輸入関税の撤廃、及び治外法権と――」


 全て言い終えるのを待つまでもなく、文官の一人が軍議室の机を思い切り叩いた。


「たわけが! そんな条件を呑めるわけがなかろう! 遅かれ早かれ国が滅びるわ!」


 国の最高責任者を差し出すのは言わずもがな、関税の撤廃となれば他国の商品が無税で入ってくることになる。商品が大量に流入してきても国税が増えないのは発展途上の国にとって大きな痛手だ。効率化の進んだ大規模産業による農作物、日用品の値段の安さは小国の太刀打ちできるところではなく、基幹産業に大打撃を与える愚行に他ならない。

 治外法権とはその国の法が外国人に通用しないことを意味する。それを認められた国に属する外国人が自国で犯罪を犯しても処罰することが出来なくなってしまうのだ。つまり、ナルゼリの者たちが自国で盗みや暴行などといった狼藉を働いても指を咥えて見ていることしかできなくなる。

 その三点だけでも、少なからず内政に関わっている者なら聞くに堪えない文言だった。報告した兵の口振りでは他にも色々条件を突きつけてきているようだが、それ以前の問題だ。


「……私一人で、事が収まるなら」


 そう呟いたのは席の中央に座していたバータンの女王、スフィリアだった。漆黒の艶やかな髪に尖った両耳。紫色の瞳は魔族の特徴的な容貌だ。左右二本の紐で長髪を纏め上げ、ツインテールにしている。色白の丸顔に大きな目はどことなく愛嬌があり、どちらかといわれれば美人というよりは可愛らしい顔立ちだ。背丈もそれなりにあるのか、頭の高さは周りに座っている側近たちとそう変わらない。戦争中ということもあって身に付けているのはドレスではなく、長袖のシルクのシャツに活動的な黒色のハーフパンツだ。

 スフィリアの発言を聞き、隣に座っていた中年の文官から非難めいた声が上がった。


「スフィリア様! それはならぬと何度も――」

「これ以上、自領に孤児が増えていくのを見るのは耐えられません!」


 もうたくさんとばかりにスフィリアが叫んだ。既に数百人の兵が戦死していることを聞かされていた。決断を先延ばしにすればそれだけ家族を失い、悲しみに暮れる者が増えていくことになる。若くして両親を病気で失い、肉親を失う痛みを知っている彼女にとって、それは到底受け入れ難いことだった。

 興奮したスフィリアの呼気が治まるのを待って、向かいに座っていた白ひげをたくわえた重臣がスフィリアを見た。


「女王様、お気持ちはお察しします。ですが、よしんばそうしたところで領民の苦しみは殊更に厳しくなるばかりでございます。領民たちの幸せのためにと思って、ここはご辛抱ください」


 スフィリアは強い目で忠臣を睨み返した。


「私は、戦に関しては素人ですがこのまま戦闘を継続しても勝ち目がないことくらいわかります。避けられる犠牲を避けるのは道理。条件を飲めば領民が国外に逃亡する時間くらい稼げるはずです。皆殺しになるよりは――」

「――結論を急がれてはなりませぬ。既にルクスプテロンに庇護を求めるべく使者を送っております。兵力で劣るとはいえ、時間稼ぎに徹すれば間に合うかも知れませぬ」

「判断を先送りにすればそれだけ死者の数が増えていくのですよ! この場で時間稼ぎなどと言葉にするのは簡単ですが、その一言を決断するだけで果たしてどれだけの者が亡くなるとお思いですか?」

「……それは、……しかし」


 後の句を継げずに項垂れる老人に、スフィリアははっとして指を食む。


「……ご、ごめんなさい。あなたが善意で言ってくれてるのはわかっているの。ただ……」

「いえ、私たちとてあなた様と同じ気持ちです。……三日、せめてあと三日だけお待ちいただけませぬか。それまでによい返事がもらえなければ、そういった方法を取ることも検討せねばなりますまい」

「三日ね、……わかったわ」



 軍議が終わり、重臣たちがスフィリアにねぎらいの言葉をかけてから席を後にしていく。ややあって、一人部屋に残されたスフィリアは席から立つことはせず、両手で頭を挟み込むように抱えていた。

 交渉が最終段階に入っているとはいえ、ついこの間まで国内の混乱を鎮めるのに手一杯だったルクスプテロンがすぐに兵を派遣できるとは思えなかった。順調にことが運んだとして一週間以上はかかるだろう。どちらにしても間に合わないなら、無理を承知で敵に温情を求めるより他に方法はないのではないか。

 自然と胸元に手を当て、何かが指先に触ったのに気付いた。いつの頃からか、それを弄るのが癖になっていた。それは、仮にも女王と呼ばれる者が身に付けるには不釣り合いな、少し錆びた銀のネックレスだ。仲の良かった少年から、誕生日の贈り物として手渡されたものだった。お揃いだよ、と照れ臭そうに言っていたことを、スフィリアは昨日のことのように思い出した。


 ――ごめんねクイン。あなたとの約束、守れそうにない。


 唐突に幼馴染の顔が、声が頭に浮かんだことで、気丈に振舞っていたスフィリアの心が傾いだ。木の机に落ちた大粒の涙が澄んだ音を鳴らした。それから数分ほど、彼女の咽び泣く声が広い室内に響いていた。


――――


 同時刻。侵攻するナルゼリ軍のやや南側に位置するエスポの森にて、新緑生い茂る木立の中を疾走する四つの影があった。

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