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~思惑 each speculation6~

 <黒禍渦(バリークラウド)>。昼に夜の闇をもたらすジヴーの風物詩。この時期にかけて強まる南からの季節風が無数の塵を巻き上げ、帯電して一気に広がっていく現象。単に視界を遮るだけに留まらず、運が悪ければ感電死する恐れもあり、粉塵によって吸い込んだ者の呼吸器系をも冒す(わざわい)の雲。これが襲ってきている時に外出するのは自殺行為だ。

 淀みなく、どこか得意げなピエールの説明に、シュイは頭が痛くなってくるのを感じた。それはつまり、俺たちもじきに身動き取れなくなるんじゃないか。そう切り返したらこいつは一体どんな反応を示すのだろうか。



 <黒禍渦バリークラウド)>がやってくるまでに、と古い遺跡について聞き込みを開始した二人だったが、闇雲に町を練り歩いたところで遺跡に詳しい者と巡り会えるとは思えなかった。地元の者が周辺の名所や観光スポットに必ずしも詳しいとは限らない。ましてや、今は多くの住民たちが他国へ避難しようとしている真っ只中である。訊ねる相手を間違えれば怒りを買うだけに終わる可能性も高かった。

 そういった諸々の事情もあって、シュイとピエールは二手に分かれ、ルトラバーグに点在する教会や寺院に絞って聞き込みをしていた。歴史ある建築物の管理者であれば避難も他の者より遅いだろうし、一般人よりもそういった情報に精通しているだろうと見込んだのだ。


 回っている内にわかってきたことだが、ルトラバーグの宗教施設の中でも取り分け多いのがルクセンの寺院だった。シュイも宗教にそれほど詳しいわけではなかったが、セーニア教の『神に祈りをささげれば誰もが救われる』などの首を捻りたくなる教えや、レムース教の『良いことをすれば良いことが、悪いことをすれば悪いことが返ってくる』などの善性を尊ぶ教義が、一般的なモラルに対して少なからず影響を与えていることは知っている。

 反して、三大宗教と言われるもののうち、一際印象に残るだろう『平等とは悪である』という教義。それを広めているのが他ならぬルクセン教だ。

 その宗教観を表すのに必要不可欠な言葉がある。大いなる遺志の流れ、<エスペラン>。大地、大気を問わず、ありとあらゆる物質を通り抜ける不可視の力が流れる大河。それには無数の支流が存在し、地中に張り巡らされた木の根のごとく世界の隅々へ行き渡っている。流れているのは世間一般に魔力と呼ばれているものと同義で、痩せた土地には豊饒を、豊かな土地には腐敗をもたらすのだという。

 <エスペラン>の本流は時の流れと共に世界をゆっくりと巡っているが、世界の全てに同量の恵みをもたらすわけではない。その流れは一定ではなく不確定であり、様々な事象に影響されて流れが変わっていく。故に、それは平等とはほど遠い存在だ。徹底した現実主義を受け止める心を裡に宿す。それこそがルクセンの本道である。


 ところで、そういった魔力の流れは人為的に堰き止めることはできないとされている。流れ込む魔力はさながら降り注ぐ雨のように、あらゆる場に溜まっていく。流入する量が少なければ作物の育たない不毛の地となるし、多ければ豊かな土壌となる。ただし、それも限界を超えると溜まりにたまった魔力が容器(いれもの)そのものを破壊してしまう。そして、そこから滲み出た力がその周りの土地を潤していく。

 その考え方が多分に真実を含んでいることを、優れた魔法使いたちは知っている。シュイの故郷、エスニールの族長の中にも、こういった魔力の吹き溜まりを周りへと逃がす道を作る祈歌使い(チャンター)が何人か存在した。そうすることによって容器(いれもの)が決壊するのを先延ばしにできるのだ。

 裏を返せば、それは他の土地へ豊かさを分け与える行為に他ならない。しかしながら、溜まり過ぎた魔力が溢れ出た時にはとんでもない災厄がもたらされる。豪雨、干ばつ、竜巻、火山の噴火、地震、そして霊質の顕現による英霊、悪霊の降臨。そんな天変地異クラスの災厄よりは、土地が痩せてしまった方がずっとましだろう。二十年先、三十年先を見据えれば結果的に長く恩恵を受けることができるのだから。


――――


 地平の彼方にあったはずの<黒禍渦(バリークラウド)>はルトラバーグからそう遠くない位置にあった。既に太陽は灰色の雲で霞み、あれほど強かった日差しもなりを潜めている。

 シュイはぼやけた太陽を恨めしげに見上げつつ、茶店でピエールと少し遅い昼食をとっていた。

「……まいったな、ちょっと考えが甘かったかも」

 シュイは指についた握り飯のご飯粒を唇で啄ばむ。ここ三日間で二十近くの施設をあたってみたものの、二人は未だ手掛かりの手の字も見つけられずにいた。

「仕方ないさ、ちょいと聞いただけでわかるような遺跡だったらとっくに冒険者や盗賊たちに荒らされてるだろ」

 慰めの言葉を吐きつつ、ピエールは拳大の握り飯を二口で平らげる。まぁな、と返しながら、シュイは二つの白い空のコップに手をかざし、こぽこぽと水魔法(みず)を注ぎ入れた。湿度が一桁となれば水系の魔法も著しく効果が弱まってしまう。初級の魔法では水分補給するのが関の山だ。

 ピエールはさんきゅ、と水が7割ほど入ったコップを持ち、ぐびぐびと音を立てて喉を潤す。

「しっかしどうすっかなぁ。あの雲、明日にはこの町を覆っちまうぜ。……他の町にでもいくかぁ?」

 どしっと丸テーブルに頬杖をつくピエールに、シュイは背もたれに寄りかかって腕を組む。

「他の町っていってもなぁ。状況はここと似たり寄ったりじゃないか?」


 ピエールと再開してから今日までの間に、ルトラバーグの住人のうち、約半数が他の町や他国へ向かうべく町を脱出していた。中心街も人通りは疎らで閑散としており、今食事をしている茶店も今日中に店を畳むのだという。<黒禍渦(バリークラウド)>が収まれば直ぐにでもセーニアが攻めてくるのだから当然といえば当然なのだが。


 これといった良案も浮かばず、溜息混じりに身体を起こした時だった。周囲に展開していた感知魔法の領域内に、一際高い魔力の持ち主が侵入したのを感じた。しかも、徐々にこちらへと近づいてきているようだ。

 シュイはその気配の挙動に意識を集中させ、椅子の下に置いてあった鎌の柄を足の甲に乗せる。念話で注意を促そうとピエールの方を再び見ると、驚いたことに彼の視線は既にそちらの方に向いていた。しかも、見ているのではなく、見惚れている模様だ。

 シュイが横に視線を滑らせると、聖衣らしきゆったりとした服を着た女が、人目を気にするようにきょろきょろとしながらもこちらへと向かってきた。そして、シュイとピエールとの距離が三歩ほどになったところで

「あのぅ、この付近の遺跡がある場所を嗅ぎま……、訊ね歩いているというのはあなたたちですか」そう言った。


「あ、ああ、そうだけど」

 どこか落ち着きなく、ピエールが応じた。ふと、女は前かがみになり、椅子に座っている二人と目線の高さを合わせてきた。

 腰まで届きそうな長い黒髪と青い聖衣が見事に映えていた。清楚且つ神秘的な雰囲気を纏っている女、年の頃は人族の容姿で二十代後半といったところだが、尖った耳からすると魔族だろうからかなり年上だろう。薔薇を象った護符(アミュレット)を首から下げていることから察するに修道女(シスター)のようだ。前にかがんでいるせいで胸元の布地が無防備に垂れ下がり、胸の谷間がはっきりと見えてしまう。


 ――す、すげえ。なんて包容力のありそうな人なんだ。

 ――ば、馬鹿やろ。おまえ、どこ見て物言ってるんだ。

 味方がやられたってあれだけへこんでいたくせに。シュイは豊かな胸に釘付けのピエールにじと目を送る。後で戻ったらミルカに言いつけてやらねばなるまい。そう決意させるほどにしまりのない顔だ。

 二人の声を殺したやり取りを知ってか知らずか、ヴィオレーヌは曲げていた腰をすっと伸ばし、幼子に向けるような微笑みを浮かべる。

「お初にお目にかかります。私はヴィオレーヌ、ルクセン教の伝道師(セージ)を担う者です」

 ピエールが鼻の下を伸ばす傍らで、シュイはその自己紹介に驚きを隠せなかった。修道女(シスター)ではなく伝道師(セージ)。ルクセン教には最高責任者が存在せず、三人の大司教が同じ権限を持ち、多数決で方針が決められている。大司教の下が司教、その下が伝道士にあたる。ヴィオレーヌと名乗ったこの女はかなり上の位を賜っていることになる。

「その若さで伝道師(セージ)様とは、才媛と呼んで差し支えませんね」

 シュイは警戒を解かずに相手を持ち上げた。

「さ、様づけをするほどたいしたものでもないのですけれど」

 謙遜しながらも、女は照れ臭かったのか頬に手を当ててはにかんだ。それが素のものなのか、それとも計算によるものなのか。シュイは女の表情の裏に隠れたものを見逃すまいと目を細める。


『得体の知れない美人が近づいてくるような場合には、絶対に気を抜かないようにね』

 と、これはニルファナのありがたい忠告のひとつである。実際ニルファナ自身が近づいてきた時はぼっこぼこにされたわけで。その恐怖、もとい教えは準ランカーになった今も活きている。

「あ、俺はピエールです。こっちはシュイ」

 と紹介しつつ隣にある空き椅子をすっと引くピエール君。気が利くな、と素直に感心していいものかどうか、微妙に迷うところである。

「ピエールさんに、シュイさん」

 女は忘れ物がないかを確認するように二度ゆっくりとうなずいた。

「それで、俺たちに何か用ですか。正直あまり暇な身ではないので手短にお願いしたいのですが」

「おい、その口の利き方は初対面の淑女(レディ)に失礼だろ」

 なら初対面の淑女の胸を凝視するのは失礼じゃないのか。ってかおまえのその態度は何よりミルカに失礼だ。そう念話で返すと、ピエールは隠しておいた官能本を見つけられたような、なんとも気まずそうな顔をした。

 ヴィオレーヌは気分を害した様子もなく、お構いなく、と微笑んだ。

「昨日、教団の者から遺跡を探し回っている方々がいると耳にしたのです。ひとつ心当たりがありましたので、そちらさえよろしければご案内させていただければと思いまして」


 そこまで聞いたところで、やっとこピエールも顔を引き締めた。どうにも話がうますぎる。むしろ、こんなべたべたな方法では怪しまれるだろう、と相手が考慮してくれても良さそうなくらいだ。

「それが本当なら、こちらとしても非常に助かるのですが」

 まずは相手の出方を窺うのが吉か。そう判断したシュイは前向きな言葉を口にする。

「ええ、もちろんですわ。ただ、この場所ではなんですので一旦寺院へと足をお運びいただきたいのですけれど、構いませんか?」

 申し訳なさそうに上目遣いをするヴィオレーヌに、内心で警戒のレベルを上げる。人目につかないようにと気を遣いながら、見ず知らずの相手に対して案内をするなどと申し出る者はいないはずだ。となると、ヴィオレーヌか、もしくはヴィオレーヌの仲間がこちらの所在を知っている可能性がある。


 ――まぁいいか。他に手掛かりがあるわけじゃないし。

 時間がない今、藁にもすがりたい思いには変わりない。追い詰められた時に目の前にぶら下がっている餌が往々にして危険な物だということはわかっているけれども。

 少なくとも、ヴィオレーヌから敵意らしきものは匂わなかった。これほどに高級そうな法衣には滅多にお目にかかれないから、ルクセンの伝道師(セージ)であるのもおそらくは事実だろう。最悪、嵌められていたとしても準ランカー二人を以ってすれば戦うなり逃げるなりできるはずだ。

 数瞬の黙考の末に、シュイは了承の言葉を口にした。



 ヴィオレーヌが案内したのは町の一番端の区画に位置する墓地の隣、ピエールが初日に訪れていた地下神殿だった。灌漑用水のために作られた貯水池のようにも見えるがもちろん水は入っていない。長方形の穴に神殿がすっぽりとはまってしまっている。

 案内される間、シュイは辺りを隈なく警戒していたが、別に怪しい人影などは見なかったし、鋭敏な殺気が放たれるようなこともなかった。少なくとも見張られてはいないようだった。

 幅広の下り階段を、意外なほどの早足で進んでいくヴィオレーヌに、シュイたちも遅れぬようついていく。日の光も届かぬ入口には両側に六本の柱が並び立っていた。

 ヴィオレーヌは柱の裏に置いてあったカンテラを手に持ち、指先から火を灯した。

「さぁどうぞ、こちらです」

 入口から覗く先を見通せぬ深い闇にヴィオレーヌが歩を進める。シュイとピエールはちらりと視線を交わしてから、ヴィオレーヌの後に続いた。


 そこは、トンネルといって差し支えない場所だった。照明になるようなものはどこにも見当たらず、光源はヴィオレーヌの手にしているカンテラだけが頼りだ。もちろん、<照明魔法フラッシュ>を使えば別であるが。

 真っ直ぐな一本道がずっと奥まで続いていた。先ほど入ってきた入口の方を振り返ると、外の光は今にも潰えようとしている。

 カンテラから漏れる橙色の光が両側の壁面や、手を伸ばせば指先で触れそうなほど低い天井を照らしていた。天井は等間隔で継ぎ目があり、壁には絵のようなものが通路の奥まで彫ってある。


 ややあって通路が途切れ、天井が一気に遠ざかった。そこはちょっとした竜でもくつろげそうなほどに広い空間だった。壁面に埋め込まれているいくつかの四角い魔石からは淡い光が放たれている。

「お二人をお連れしました」

 ヴィオレーヌの落ち着きある声が高い天井へと吸い込まれ、小さく反響する。やはり仲間がいるのか、とシュイが人の隠れていそうな場所、祭壇の付近や柱などに視線を走らせる。

 だが、戦闘を仕掛けてくる様子はない。ヴィオレーヌが二人から直ぐに遠ざからないところからみても、罠に嵌めようという気配は感じられない。シュイとピエールは戸惑いつつも、いつでも応戦できるよう武器の近くに手を添える。

「手間をかけたな、ヴィオレーヌ」


 突如、後ろから放たれたその声に只ならぬものを感じ、シュイとピエールが振り向きざまに構えを取った。視界の中央に収まった珈琲色の髪の男にシュイが目を瞠る。

「……な、……イヴァン?」

 シュイの漏らした掠れ声に、ピエールがはてと首を傾げる。

「んん? どっかで聞いたような名前――でえぇ、こいつが、あの!?」

 ピエールが声を裏返した。セーニア最大の敵にしてナイト・マスター殺害の容疑者。ランカーに比肩する特級指定犯罪者、イヴァン・カストラ。かけられている賞金の額は現時点で10億パーズにも及んでいる。自分とて彼の素性を知らなければピエールと同じような驚嘆を口にしていただろう。

 驚き、郷愁、怒り。そして自分でも気づかないくらいの仄かな喜びがシュイの心中を駆け巡った。

「フォルストロームでの一件以来か。噂はかねがね耳にしているぞ、シュイ・エルクンド。それから、隣にいる色黒の赤髪は、ピエール・レオーネだったか」

 ――驚いたな、準ランカーになったばかりのピエールを知っているのか。

 あるいはシルフィールにもイヴァンの仲間がいるのかといった考えを脳裏に過ぎらせつつ、シュイは開きっぱなしになっていた口を閉じ、佇まいを正す。昔の名ではなく今の名を呼んだのは隣にピエールがいるためか。シュイはその配慮に一瞬感謝し、続いてはその感謝を手放した。アミナを殺しかけた三年前のことだけはしっかり根に持っていた。

 シュイは構えを解かずにイヴァンを睨む。

「どこへ雲隠れしたのかと思えばルクセンに身を寄せているとはな。帰順でもしたのか」

「お互いの利害が一致しただけだ、それ以上の意味合いはない」

 イヴァンが素っ気なく言うと、後ろでヴィオレーヌがどこか悲しそうに目を伏せた。

 ――ふぅん? そういう関係か。

「まさか、セーニアのジヴー侵攻にはてめえが」

 前に一歩出たピエールを目にして、ぽっと頭に浮かんだ邪推を脇に置く。

「関わっているわけではない。当初は、と付け足すべきだが」

 イヴァンが語尾を引き受ける。ということは、現在進行形で関わっているということか。それにしても、なぜこのタイミングで自分の前に姿を現したのか見当がつかない。


「なんで俺たちをここに連れてきた」

「この国がセーニアの勢力下でないとはいえ、俺に莫大な賞金がかかっていることには変わりない。セーニアの諜報員が潜入していないとも限らないから彼女に頼んだ」

 目的を訊ねたつもりのシュイに対して、イヴァンは自分が身動きできなかった事情を説明した。

「回収する物があってこの町に赴いたんだが、黒ずくめの怪しい者たちが遺跡を探し回っていると聞いたんでな。もしやと思ったら案の定おまえだったというわけだ」

 なんと失敬な、というピエールの表情。それが、俺とこいつ(シュイ)を一緒にするな、という風にも見え、シュイはイヴァンよりも先にピエールを小突きたくなった。


「イヴァン、セーニアの狙いを知っているのか」

「おまえたちとて遺跡の在り処を聞き回っていたということは薄々と勘づいているのだろう。ジヴーの遺跡に眠っている魔遺物(ヴァイーラ)を血眼になって探している」

魔遺物(ヴァイーラ)?」

 ピエールが聞き覚えのない単語に眉をひそめる。遥か昔に滅びた魔法文明が叡智の粋を尽くして作り上げた魔法具のことだ、とシュイが説明する。

「っていうか、シュイ。おまえなんで犯罪者(そんなやつ)と親しげに話してるんだよ」

「なんだ、男の嫉妬は見苦しいぞ」

「ちっげーよ馬鹿!」

 真顔でそんなことを口にするイヴァンに、シュイは相変わらず掴みどころのない人だ、と場違いな苦笑いを誘われる。

「まぁ、ちょっとした知り合いってところだ。で、結局俺に用ってことか」

 イヴァンはちらりとヴィオレーヌに視線をやり、直ぐにそれをシュイに戻す。

「おまえたちとも利害が一致しているんじゃないかと思ってな。有体にいえば共闘の申し出だ。付け加えるなら、相手が相手だからな」

 ぴくり、とシュイのフードが動いた。ピエールはちらりと隣のシュイの様子を窺う。シュイは努めて気にせぬよう留意しながらイヴァンに返答する。

「よくもまあ、そんなことを口にできたものだな。あんたの意志はそれなりに理解しているつもりだが、だからといってフォルストロームでの蛮行を許したつもりもないぞ」

 シュイが語気に怒りを滲ませる。たとえどのような思惑があったとしても大勢の者たちを傷つけ、何人かは実際に死に至らしめているのだ。そう簡単に水に流せるはずもない。

「ま、そう言われるのは承知の上だ。だが、セーニアの大軍が迫っている今も尚、おまえたちはこの地を離れようともせずに活路を見出そうとしている。となれば、過去のしがらみに目を瞑ってでも現実(いま)を打開しようとする柔軟さくらいは持ち合せていてもおかしくない。そう考えたから接触した。期待したと置き換えてもいい」

 シュイはイヴァンの表情に目を移した。が、相変わらずのポーカーフェイスでその言葉が本心からきたものかどうかわからなかった。


 思惑を計りかねているシュイに構わず、イヴァンは言葉を続ける。

「こちらとしてもこれ以上ジヴーの地を荒らされては困る。おまえたちとてそれは望んでいないだろう」

「……あんたらの目的はなんだ。それを聞きもしないで協力なんてできないぜ」

 ピエールが口を挟むと、イヴァンは束の間ヴィオレーヌと視線を交わした。ヴィオレーヌはうなずくと、シュイとピエールの間をゆっくりと通り抜け、イヴァンの隣に並んで向き直った。

「遥か昔、人は今よりもずっと高度な魔法文明を築いていました。技術の進歩は溶岩の底から空の彼方に至るまで往来を可能にし、ついには世界の最果てを突き抜け、新たなる最先(いやさき)へと、理の園(オルトバニア)へと辿り着けるほどに」

「オルト……バニア?」

「ええ、あらゆる世界へと通じる漆黒の空間。にわかには信じがたいでしょうが、海に島があるように空にも島があるのです。我々の踏みしめる大地もその島、夜空に浮かぶ星のひとつに過ぎぬという話ですよ」

「この広大な世界が……無数にある島々のひとつだって?」

 ピエールが疑わしげにヴィオレーヌを見る。

「古文書によれば、ですけれど。気が遠くなるほど離れた場所にあるため砂粒のように小さく見えるに過ぎず、あちらの世界から見ればこちらの世界もあのようにちっぽけな瞬きだというわけです。このような逸話がルクセンには数多く残されています。どうですか、興味が湧いたら是非ルクセン教に入信を――」


 ごほん、とイヴァンが、彼にしてはわざとらしい咳払いをした。なんですか、と不思議そうにイヴァンを見るヴィオレーヌ。やや疲れた表情に変わるイヴァン。

「一体何をどうしたらそんな話に分岐するんだ。黎明期から何から説明するつもりか。我々とて今日中にここを離れなければ身動きが取れなくなるんだぞ」

「え……、あぁ、そうでした。今月のノルマがまだ残っていたもので、つい」

 てへ、とばかりにヴィオレーヌは自分の頭をこつんと叩く。いいなぁあれ、と彼女の仕草に萌えているピエールに、シュイはフードの奥で呆れ顔を作る。

「えっと、どこまで話しましたっけ。あぁ、そうそう。それほどに偉大な先人が作りだした魔遺物(ヴァイーラ)がジヴーの地に眠っているのです。その大部分は私たちですら持ち出し不可能な場所にあるのですが」

「少なからず持ち出し可能な場所にもあるというわけか」

 シュイの言葉に、イヴァンはそういうことだ、と腰に手を当てる。

「未知の世界への行き来が可能なほどに発達した文明の利器。そんなものが世に持ち出されれば確実にまずいことになる。遺跡には侵入者を妨げる仕掛けが幾重にも施されているが、相手方にはミスティミストの上級傭兵を始めとしてかなりの猛者が混じっている。今いる戦力で侵入者を食い止めるのは心許ない。やつらを首尾よく撃退できれば俺たちも協力するのはやぶさかではない」


 厳然として、セーニアとの戦いを控えているジヴーにとっては、ビシャと拮抗する実力を持つイヴァンは喉から手が出るほどに欲しい逸材。何よりも悪名とはいえ名声は名声。ナイト・マスターを殺めたことになっている彼が加われば士気の上昇も大いに見込める。彼を懐に抱えてセーニアの敵意が更に高まる恐れはあるが、国が滅びるか否かという時に相手のご機嫌を窺う理由はない。詰まる所、強制するつもりはないと言いつつこちらの腹の内は全て読まれている。


 だが、とシュイは顔を上げる。

「人に貸し出す戦力があるのに手助けして欲しいっていうのは矛盾していないか」

「各地に散っている仲間が多くて手練に拮抗し得る頭数が足りないんだ。おまえたちとてミスティミストの上級傭兵たちを今のうちに始末できれば、戦場での大きな懸念がひとつ消えるだろう」

「本当にそれが事実ならここに戻るよう指示すれば事足りるはずだろ。何故そうしないんだ」

 相手がどれほどの規模なのかをそれとなく確認する質問。けれどもイヴァンは肩をすくめ、予想外の返事をしてきた。どうやって連絡する、と。



 ――どうやって、って。

 答のわかりきった質問をしてくるイヴァンに自然と眉根が寄った。そんなの決まっているじゃないか。そう思いつつ、腰に下げていた連絡用魔石の入っている袋の中に手を突っ込む。そして、指先が石に触れた瞬間――いつもと違う感触にぞくりと肩が震えた。


 袋に手を入れたまま固まってしまったシュイに、ピエールが困惑気味にどうしたんだ、と訊ねた。続いてイヴァンも、どこか勝ち誇った風にどうしたんだ、と訊ねた。

 シュイはイヴァンを苦々しげに一瞥してからピエールに手を差し出した。握りを解いた手の平には魔石だったはずの物が、含有されているはずの魔力がすっかり失われてしまっている黒ずんだ石ころがあった。

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