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~思惑 each speculation4~

 二人の近衛を伴って軍議室代わりのテントから外に出てきた女騎士を見止め、入口の辺りに張っていた兵たちが颯爽と両側に整列し、一斉に敬礼をした。

 お疲れ様。兵たちに一言、ねぎらいの言葉をかけると同時に、アデライードは伏せていた面を微かに上げ、たおやかに微笑んでみせた。幼いころより貴族としての立ち振る舞いを厳しく躾けられた彼女にとっては日常作法に過ぎぬことだったが、それだけで屈強そうな兵士がほぅと感嘆したり、頬を紅潮させて顔をそらしたりする。戦場に咲く一輪の花。そんな代名詞がこれほどにしっくりくる者もそうはいない。だが、そう簡単に手折れる花ではないことは、彼女に近しい者ならば誰でも知っている。



 兵たちに見送られ、その場から十数歩ほど離れたところで、アデライードは歩の速度を緩めずに、ちらりと後ろの天幕を見遣った。隠しきれぬ不快さを乗せたその視線に、彼女の後ろにつき従っていた男たちは一瞬、自分たちになんらかの落ち度があったか、とお互いの強張った顔を見合わせる。続いては、彼女の視線が少しずれていることにほっとするのだった。

 一体どのような人生を歩めば、あのような節操のない視線を他人様に向けられるのか。そんな度しがたさを覚えると同時に、おのれの感情の手綱も引き絞れぬような凡夫が、自分の父の後継としてもてはやされていることに苛立ちを禁じ得なかった。何を以ってして、ビシャ・リーヴルモアとコンラッド・ディアーダとを同列に語るのだ、と。

 ビシャが自分に向けている仄暗い感情は、大分以前から把握していたことだった。王城や城下町の式典では豪快ながらも節度を弁えていると思っていた男の目が、ここにきてにび色の怪しい光を放っている。しかも、この遠征に赴いてからすでに三度目だ。

 色欲に自制の利かぬあの男がナイト・マスターの後継者などと囁かれているのを耳にするたびに、アデライードは敬愛している父を侮辱されている気がしてならなかった。

 その一方で、他人の前では父の話題に対して努めて素っ気ない態度を取るように心がけてもいた。たとえそれが上辺のものであったとしても、そうと割り切る自分を心の奥深くから俯瞰することで、未だ手放せぬわだかまりと折り合いをつけられる気がしたからだ。


 ビシャ・リーヴルモアを嫌ってやまぬ彼女だったが、ただ一点、軍事面における突出した才能だけは認めていた。ガザッタでの初戦の結果がそれを物語っていた。

 通常、開戦の初戦には十二分に力が入るものだが、慎重論が先立つ中でジヴーが様子見で向かってくると自己判断し、逃亡兵を出さぬように包囲陣形を敷いた。一見相手を舐めているとも取れる戦法だが、その疑いは自らが前線に立って指揮を執ることで払拭していた。

 敵の大将が突出してくるのを見るや否や、ジヴー兵たちはビシャを討ち取らんと殺到した。数の上では彼らの方が小勢であり、経験面においてもセーニア側に一日の長があるのは否めない。指揮官をいち早く始末して打開したいという心理があるのは至極当然。それをビシャは逆手に取ったのだ。

 ジヴー側の兵たちの中には、明らかに正規兵でない者も見受けられた。セーニアを快く思わない国々からの刺客、またはジヴーに雇われた傭兵と思しき者たちが。一般兵では手に余す者たちが、自分を葬らんと次々に斬り込んでくる様を一瞥して、意外な事にビシャはまともに打ち合うようなことはせず、少しずつ陣を後退させていった。竜殺しの異名を持つ彼の技量を考えれば迎え撃つことも容易にできただろう。が、万が一のことを忖度して将としての思考と戦略を優先したのだ。より確実に勝利を得るために。


 初戦で出鼻を挫く。その言葉ほど生温い戦い方ではなかったが、彼の狙いは腕と胆力に優れた者たちを一網打尽にし、ひいては今後の戦いで優位に立つことのようだった。イワシの群れを追っているうちに横から鮫に噛みつかれるようなことを極力減らすために。

 包囲完了の報告が入るや否や、ビシャは受け身から一転、反撃に打って出るよう指示した。今後の戦いにおける不安の芽、すなわち敵の精鋭たちを自陣深くに引き込んだ上で、敵の命令系統が機能しないように計らった。

 セーニア軍は拡声魔石を大量に使用することによって戦場を太鼓の音で埋め尽くし、他の音を全て消し去った。命令系統が断ち切られた敵軍に動揺が走る一方で、それが戦法に組み込まれていた、つまりはあらかじめそういった可能性があることを理解していたセーニア軍の統率は、ほとんど乱れることがなかった。

 生じた空白を見逃さず、ビシャは受け身に徹していた精鋭を率い、自らも鬱憤を晴らすかのように剣を振るった。彼に直接斃されたジヴー側の兵は、軽く百を超えるはずだ。



 西瓜を易々と掴めそうな大きな利き手で振るわれるのは幅広のブロードソード。騎兵槍(ランス)と見紛うほどのリーチとサイズ。壊れなければ構わない、と特製の合金を使用してオーダーメイドで作らせた物だという。

 騎士隊の力自慢が両手でやっと持ち上げられるかどうかといった重剣。それを彼は片手で軽々と振るってみせる。辰力と恵まれた体躯による膂力を最大限に駆使した連撃はシンプルだが、なればこそ対抗策が限られる。絶え間なく繰り出される剣撃の一つ一つが、鍛え抜かれた鋼の剣を一合で断ち切るほどの破壊力を持つのだ。刃を受け止めようとした時点で死が確定するとなれば、まともに打ち合うことなど望めない。また、後ろに退いても辰力によって生じる剣風で致命傷を負うことになるだろう。稀代の戦士にしてセーニアの不倶戴天の敵、イヴァン・カストラを退けたというのもうなずける話だった。

 加えて厄介なのが教皇アダマンティスから譲渡されたセーニア家に伝わる至宝の一つ、『誓約の盾(プレッジ・シールド)』だ。魔力を寄せつけぬ金属で作られた六角形の盾は、金属の強度もさることながら初級の魔法程度であれば跳ね返してしまうほどの強力な障壁を展開することができる。発動する際には使用者の体力を代償にする必要があるが、ビシャのスタミナの有無を心配する者などセーニア軍には皆無だ。ガザッタの戦にしても、途中で思わぬ邪魔が入らなければ、真の意味で相手を全滅に追い込めただろう。


 ――今はまだ、とても及ばないわね。

 通常10年かかると言われている中隊長への道を、アデライードは半分足らずの時間で踏破した。その彼女に明確な差を悟らせるだけの力を、ビシャ・リーヴルモアは有していた。これまでの戦いにおいて、彼はおそらく本気を見せていない。充分な余裕をもって、自分や兵たちの身の安全に配慮するのを怠らず、戦を完勝に近い状態に持っていっている。

 認めざるを得ない現実。彼は、セーニアにとっては(・・・・・・・・・)素晴らしい騎士だ。そして、それこそがコンラッド・ディアーダとの大きな違いだった。


 歩きながらも思考に耽る美しい主人に、後ろからつき従う二人の近衛の片割れが、控え目に声をかけた。

「魅力が高すぎるというのも困りものですね、リーヴルモア様にももう少し場と節度をわきまえていただければよろしいのですが」

 暗に色欲魔という語句を薄皮で優しく包み込んだその言葉に、しかしアデライードは思わぬ形で応じた。

「それは……わきまえれば私があの好色親父に視姦されても良いと、そういうことですか?」

 挙げ足を取られた近衛がしまったという顔になった。

「い、いえ、決してそういうことではなく」

「そもそも、ホリックは私のどこに魅力の高さを感じたのです? 顔? 身分? それとも、この身体?」

 などとおのれのスカートをレギンスに覆われた大腿が露になるくらいに持ち上げて見せるのだからたまったものではない。言葉の羅列に性格という文字が加わらなかったのは、おのれの性格が破綻していることをアデライードが自覚しているが故のことだったが、ホリックにそんな些細なことを気にしている余裕はなさそうだった。

「か、からかわないでいただきたい。私はただ――」

「――しばらくあの男には近づかない方がいい、と兄貴はそう言いたいようです」

 もう一人の近衛、眠そうな目のグレンが呟くようにそう請け合うと、しどろもどろだった兄の方も救われたような顔でうなずいた。


 戦いが始まってからというもの、ビシャの態度は王城で見せるものからどんどん遠ざかっている。アデライード本人も別の意味では、足を運ぶ予定のなかった戦場に同行を願い出て良かったと思っていた。王城と戦場での、軍人の(ギャップ)を肌で感じる機会に巡り合えたからだ。

 明らかに変貌しているのはビシャだけではない。軍律が厳しいセーニア軍では長期の遠征において相当な禁欲生活を強いられることになる。そこにきて、若さと美しさ溢れる女騎士という存在は、劇薬以外のなにものでもないのだ。今回の遠征に限って言えば、彼女より腕の立つ者はビシャと他の大隊長数人くらいだろうが。

 侵略戦においては禁欲に耐えきれず、非戦闘員たちを相手に間違いを犯す者も出てくる。領土が支配下でなければそれに目を瞑るのが現セーニア軍の風潮だ。過度の抑制を強いれば兵たちに不満を抱かせることに繋がる。それを息抜きさせようと、あえて抜け道を残しているということだ。

 アデライードはそれがどうにも気に食わなかった。上層部の指針で言えば、ジヴーを侵略するのはあくまでついでであると聞かされていた。必要のない戦闘。けれどもそれによって住処を奪われ、死に至らしめられる民たちがいる。それを易々と見過ごせるほどに、彼女は達観も諦観もしていなかった。


「確かに、相対したところで一人で勝てる相手ではないですね。立ち合いの強さならばお父様をも上回るでしょうから」

「ナイト・マスターを、ですか」

 グレンの言葉には、躊躇いに近い感情が読み取れた。その事実に驚いたこともあるが、その他にも大きな理由があった。二人はアデライードに遠慮し、彼女の亡き父コンラッドの話題を極力避けるようにしていた。どうしても触れねばならないときでも、なるべくその印象が薄れるように留意して言葉を選んでいた。


「ならば尚更ですよ、先ほど将軍が襲ってきたらどうするつもりだったんですか」

「あら、あなたたちが守ってくれるのではないの?」

 それはもちろん、と生真面目な兄、ホリックが曖昧にうなずく。

「危機と判断した時には助太刀いたしますがね、相手が相手ですから過度の働きを見込まれても困りますよ」

 グレンの言葉はいかにもドライだった。が、できないことをできないと言える騎士は意外に少ない。かくいうアデライードもその点を高く評価していた。


「前提が抜け落ちているわ。あんなのに襲われたら誰だって逃げるに決まっています」

 がくり、とホリックの身体が傾いた。

「入口が一つしかないのにそんな簡単にいかないでしょう」

「布で覆われているだけの建物に入口もなにもないでしょう」

 なにを当たり前のことを、と肩をすくめるアデライードに、ホリックは目を見開き、次いで手拍子で口走ったことを恥入るように俯いた。いざとなれば退路を剣や魔法で切り開けば良いだけのことなのだ。

「相変わらずアタマが固いな」

 後ろからグレンに鼻で笑われ、今度は拗ねたように口をもごもご動かす。アデライードは同情を溜息に含めて吐き出す。

「あなたがたも大変ね。いくらブローム卿のご命令とはいえ、私のお守りなんて厄介な任務を兄弟揃って押しつけられてしまうなんて」

 自分を貶めるような物言いに、ホリックの眉がぴくりと跳ね上がった。

「父は関係ありません! アデライード様の側仕えに関しては自分なりに納得して受け入れたことです」

 ホリックにしては珍しい、語気の荒い口応え。だが、それゆえに譲れぬ思いがあることを察することができた。

「ま、そこは俺も兄貴と同意見ですね。連中の悪臭漂う呼気を吸うよりは、あなたの(ペット)をしていた方がよほどましですから」

 両の手を犬のように顔の前に掲げ、にやっと笑うグレンに、アデライードは微笑みを返す。

「ふふ、言ってくれますね。お二人の気持ちは有りがたく受け取っておきましょうか。叔父さ……いえ、教皇様もあのような状態ですしね」


 それを聞き、兄弟の表情が一段と険しくなる。

「その仰り様からすると、病に伏せっているというのはまことの話なのですね」

 周りを意識したせいか、ホリックの声のトーンが少し落とされた。

「ええ、少なくとも偽者ではなかったわ。おかげで政略ばかりを気にする輩が後を絶たないけれど」

「ならば尚更、御身を大事にしていただかないと。一体いつまでこのようなことを続けるのですか」


 騎士団に所属することは危険に身をおくことでもある。戦争の視察などもっての他だ。セーニアの皇位後継と目されているアデライードがそんなことをする必要は全くない。

 ただでさえ、彼女は様々な危険や陰謀を身に纏う立場にある。もちろんそんな道理がわからぬほど愚かでもない。ホリックはどうして彼女が今回の戦争に参列したのか不思議でならなかった。

「どうしてお父様が殺されたのか、それを突き止められるまでです。どこぞの暗殺者のせいで当時のことを知る者が大分減ってしまいましたから。今回の戦いに加わったのは王城を離れるための口実に過ぎません」

「それは、エスニールの乱を寸止めされた報復なのでは」

 アデライードは足を止め、乾いた大地に目を落とす。


「ホリック、お父様は油断などする人ではありませんでした。少なくとも気の緩みを敗北の決定的要因にするような甘さは、絶対に持っていなかった」

 アデライードの意図したいことが見えず、二人が首を捻る。続いてはある可能性に思い至ったのか、グレンの眠そうな目が見開かれた。

「それは、失礼ですが本心から言っておられるんですか」

 もちろんです、とアデライードが即答する。

「たとえ相手が知己の者であったとして、それが年幼い子供であったとして、ですよ。王城の奥深くに忍び込んでいるのを目にした時点で、相手がそれほどの手練か、相手を助ける手引きがあったと考えるのが自然でしょう。父ならば真っ先に利用されている可能性を、もしくは操られている可能性を考えて対応策を練ったはずです。それほどに慎重な性格だったからこそ、諸外国や蛮族(バンディット)との戦いを制することができたのですから」

 内部の者がナイト・マスターの死に関与している可能性への言及。半ば無意識に、グレンが周りに視線を走らせた。万が一にも、誰にも聴かれてはならぬ話題だった。

「流石にその疑い(・・・・)は、俺などでは判断致しかねますがね。犯人亡き後では確かめようもありませんが」

あのお父様・・・・・を殺した者が、そうそう誰かに殺されるわけがありません。当人に確かめられれば一番なのですけれど」

 穏やかにして確信を秘めた彼女の言葉に、ホリックとグレンは束の間視線を交わし合った。

「生きている、と?」

 その疑問に対する返答はなされなかった。けれども、彼女の表情が肯定の意を表していた。



 ――イェルド。あなたはきっと、今もどこかで生きているのでしょうね。誰より駆けっこが速くて、隠れるのが上手だったもの。

 幼い日に遊びに興じた思い出が、心をじんわりと満たしていくのを感じた。熱さと冷たさを内包して。

 彼は自分になかったものを与えてくれた。笑い合い、喧嘩する友人達を。わくわくひやひやするような外遊びを。それまで感じていた憂鬱を一掃するほどの、強い慕情を。

 そして、自分にあったものを奪い去ってしまった。貴族の子女としての優雅で退屈な生活を。敬愛していた父と軽蔑していた兄を。何よりも、自分が慕っていた、優しかった少年の存在を。

 ――あぁ、イェルド。今すぐにでもあなたに会いたい、とっても。もしその願いが叶えられたなら。



 アデライードの口元に色気をはらんだ笑みが浮かぶ。白い手袋に覆われた両の手は、神への誓いを捧げるように、胸の真ん中にあてられていた。二十に届かぬ娘とは思えぬ妖艶な笑みに、二人の近衛は生唾を飲み込む。その瞬間、砂漠の熱を上書きするほどの興奮と仄かな嫉妬、正体のわからぬ恐れとを抱きながら。

 けれども、何故に恐ろしさを覚えたのか、彼らには理解しきれていなかった。なぜならば。



 ――その四肢を根元から寸断してあげるのに。そうしたら、私がずっとあなたのお世話をしてあげられるわね。あなたには、私のお喋り相手になって欲しいの。訊きたいことが、聞いてもらいたいことが、山のようにあるのよ。

 高貴な女騎士が誰かを恋い慕うような微笑みの陰で、そのような背徳的な想いに囚われているなどとは、誰しも考えが及ばないからだ。

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