~思惑 each speculation2~
――暑い。
歩いても、立ち止まっても、心頭滅却しても。白という色が光を反射するのに適するということを、シュイはその肌で感じていた。左右に立ち並ぶ住居の照り返しが太陽からの日差しに匹敵するほどに強い。迂闊に口を開けようものならあっという間に干潟が出来上がる。周りを見れば全て敵。右からも左からも、前からも後ろからも眩いばかりの光と熱が。さながら、かまどに入れられたパンの気持ちだろうか。黒衣がその熱を優しく包み込むせいで中は相当に蒸している。
そうとなれば、喉がしつこい売り子のように水を要求してくる。喉渇きませんか。ですよね、渇きますよね。そろそろ何か飲みませんか。ていうか、飲みましょうよ。
その訴えに折り合いをつけるべく、シュイは額の汗を拭い、ポケットから乾燥させた梅を取り出して口に含んだ。唾液でも水分は水分だ。
鳥獣に跨って海を越え、西進するセーニア軍の真逆、西側からジヴー入りしたシュイは、そこからの移動手段を徒歩に切り替えざるを得なくなっていた。
外に丸く膨らんだ海岸線を過ぎて、この町へ至るまでの間、空からは見渡す限り、背の高い枯れ草が茫々と生えていた。草の生えていない狭いスペースには、背の低い木がぽつぽつと点在していた。風が止んだ草原には動物の姿はついぞ見受けられない。この暑さでは昼寝でもしていた方が賢明だ、と動物達も思っているのだろう。
慣れない気候のせいだろう。陸地に辿り着いてから鳥獣がまともに飛べなくなるまでそんなに時間はかからなかった。日頃、喧しいくらいの羽ばたきは見る影もなかった。左へ右へと、酔っ払ったように蛇行しながらもやっと飛んでいるという有様だった。
もっとも、毛足の長いふかふかの羽毛に覆われているのであるからして、ある程度の予想はついていた。じりじりと照りつける日差しは服の布地を容易に貫く。殺人的ですらある。北国育ちのグリフォンが音を上げたのも無理からぬことだ。
仕方なしに、シュイは眼下にあった町から少し離れた場所に着陸し、水魔法を鳥獣にたらふく与えてから支部に帰還するよう命じた。申し訳なさそうに首を傾ぎながらも頬を擦り寄せてくるグリフォンに、首の裏を撫でてやりながら礼を述べた。毛の先が汗で濡れ、普段のしっとりとした手触りとはほど遠かった。
シュイは、鳥獣が飛び立つのを見送ってから乾ききった土道を歩き始めた。
クリーム色の、粘土でできた白壁に囲まれた町の入り口では、ジヴーの門番達が数人でたむろしていた。あらかじめ用意しておいた通行証を彼らに見せると口頭で質問を受けた。訊ねられたのはこの国にきた目的と予定している滞在期間だ。傭兵としてセーニアと戦いにきた、と言うと、彼らはおぉーと感心したように頷き合い、肩を慣れ慣れしく叩き、ろくな身体検査もせぬままに通してくれた。検査される側としても、厳戒態勢なのにこんな簡略でいいのかと不安になるくらいにあっさりとしたものだ。
ポリー支部を出てからおよそ一週間。まずは現状の把握に努めねばと、シュイは町酒場や交易所といった建物を探していた。
各国を渡り歩く者達が集う酒場や交易所、あるいは市場や宿場などは情報交換の格好の場となっている。交易所で商人同士が出会おうものなら儲け話のひとつでも交わし合うだろうし、安住の地を持たぬ流浪人や旅人が宿場を訪れれば土地の者に風土や気候、道標のことなどを訊ねる。港町であれば旅行者の行き交う波止場へいくのも一つの手だ。乗船を待つ客達から耳寄りな話が聞ける。
もっと日常的で瑣末な、おすすめの宿やレストラン、土産物屋、観光スポットの情報収集もできないことはない。下世話な内容にも話が及ぶとなれば、もしあればの話だが、色町などのことも囁かれるだろう。
その他、周辺でなにかしらの異変が起きていれば、その情報も頭に入れておく必要がある。たとえば洪水や落雷などで橋が流されてしまった。付近にある火山の活動が活発化している。もしくは、大嵐で定期船の到着が遅れている。はたまた、山賊や海賊が頻発している地域や凶悪な魔物の出没箇所なども。避けられる危険には極力近寄らないのが、勝手の知らぬ土地を訪れた時の常套手段だ。
一方で、旅慣れた者であれば情報の見返りとして様々な国々の話をして楽しませてやることも忘れない。小さな気遣いではあるが、そういったことが後々その地に繋がりを築いていくことになる。
シュイ自身、幼い時分に旅をしていたことがあった。悪人顔の商長率いる十人編成の行商隊と様々な町を行き来し、見聞を広めたのだ。
商長も若い頃はその顔で色々と苦労したようで、一時は対人恐怖症に近い状況まで追い込まれたこともあると聞いていた。自分でそういうだけのことはあり、真面目な顔付きを作ってもなにかあくどいことを、もしくはあこぎなことを企んでいるように見えてしまうのだ。どちらかといえば類人猿に近い顔立ちだったが、その内面は気難しく、懐深い男だった。事情があって母国を離れなければならなくなったシュイを、商長は快く受け入れてくれた。初めは奴隷として売られやしないかと気が気でなかったシュイだったが、一月も経たぬうちにそんなことはすっかり忘れていた。行商隊の面々とそうそうに馴染めたのは、商長の働きかけによるところが大きかった。
町を散策していると強い西風に乗って潮気を含む土埃が舞い上がり、その都度顔を腕で庇わねばならなかった。内陸に比べれば海に近いこの近辺は植物などもそれなりに見受けられる。地面も砂ではなく土の地面だ。その程度でも、この辺りは砂漠に分類されるらしい。ここ以南は、本に出てきそうな不毛の地も見受けられるようだ。
戦時中ということもあり、革の胸当てを着込んでいる巡回兵達と何度かすれ違った。肩越しにその背を見るだけでわかる気合の入りよう、怪しい者がいないかと周囲に目を光らせている。
その人数は他の町と比べても少なめだ。警備に必要な人数を残してセーニアへの戦に駆り出されているのだろう。人数が少ない分埋め合わせようと頑張っているのか、それとも残された者に新兵が多いせいなのか。その首振りの頻度は赤ん坊がいやいやをしている姿と重なるほどに執拗なものだ。
市場の手前で、シュイは大衆酒場と思しき建物を見つけた。この辺りでは珍しい木造の家屋だ。向かい側の厩舎には客のものと思われるラクダが何頭か繋がれている。木桶には水が入っており、彼らはそれに上手そうに口を付け、喉を潤していた。
手で黒衣に纏わりついた砂を軽くぽんぽんと払ってから、シュイは店に足を踏み入れた。久方振りの日陰の涼しさに少しほっとする。ちょうど昼時ということもあり、テーブル席は飲み食いしている者達で埋まっている。シュイは入口から向かって左側のカウンター席に座った。焦げ茶色の木の棚にはたくさんの酒瓶が置かれていた。
「今座ったおっさん、悪いがフードを取ってくれるか」
傍らでそんな声が発された。口の悪い店員だと思いつつも、シュイは両隣の客が頼んでいるものをちらちらと見た。顔の向きさえ変えなければ、フードのおかげで目線に気づかれることもない。一際美味そうだったのは野菜と動物の内臓がたっぷり入った煮込み料理だ。色々な香草を入れているのか、特有の匂いが感じられない。
――凝った造りの器が多いな。ガラスの工芸品か。
「おい、無視かよおっさん。耳ついてんのかよ」
シュイがしきりに感心していると、先ほどより近くから声が聞こえてきた。シュイが顔を横に向けると、店の従業員らしき女と目が合った。年の頃はおそらく二十にはいってないだろう。少しそばかすがあるが中々利発そうで、それでいて小生意気な顔をしている。頭には白い三角巾を付け、長い赤髪はみつ編みにして一つに纏めていた。
もしかして俺のことか。そうと言いたげにシュイが自分を指差した。
「あぁそうだ、飯を食う時は外套くらい外すのがマナーだ」
なにを藪から棒に、と首を傾げるシュイに、女は有無を言わさず指を一本立てた。
「その一、今は戦時中だから周りのお客さんを不安にさせるような行為は商売人として謹んでもらいたい。その二、その暑苦しい格好は折角涼みにきてくれたお客さんに対して目の毒だ。その三、頭の天辺に細かい砂がびっしりついてる。料理に入ったら不衛生だろ」
案の定、言い終えた時には三本立っていた。
頭、と手をやろうとするシュイに、女が待った、と素早く手の平を差し出した。次いで、店の出口をつんつんと指差す。それを見て、シュイが露骨に顔をしかめた。
「お帰りはあちらってことか」
「んなわけないだろう。先に注文聞くから、外でしっかり払ってきな。その間に飲み物出しとく」
言うが早いか、女は手早くヒップポケットからペンを挟んでいた注文票を取り出した。せっかちだな、と思いつつもシュイは素直に従った。
「いや、悪かったな。その、おっさんなんて呼んでさ」
きまり悪そうに頬を掻く女に、フードを取ったシュイは詮無きことだ、とサービスされたグラスを掲げて見せた。中には白く濁った酒が入っている。今ではそれなりに舌が慣れてきていることもあり、値段や自分の懐具合に関係なく、旅先で出されるただ酒は嬉しい物だと思えていた。
人前で黒衣を脱ぐのには未だに慣れないが、決して似ているとは言えない自分の似顔絵付きの手配書が貼り出されなくなってからは既にそれなりの時が経っていた。こう言っては少し失礼かも知れないが、このような辺境であれば顔を明かしたところで問題ないと思われた。
「あんた戦士か。国に所属しているってわけでもなさそうだけど」
「何故、そう思う」
女は両手の平を上に向けてから、顎でシュイの足元をしゃくった。白い布に巻かれた得物が横たわっているのを見て、シュイは鷹揚に頷いた。
「素晴らしい観察眼だな」
「あのな、馬鹿にもわかることで褒められて良い気になれるやつなんていやしないぞ。覚えとけ兄ちゃん」
それもそうだ、と出された酒を口に含む。女と同じく辛口ではあるが喉ごしは悪くなかった。それでいて、まるで生姜を口にした時のような、微かに舌がぴりぴりと痺れるような感覚があった。
透明だったはずの酒は、女が水差しで水を入れると白く濁った。口の悪い看板娘(本人談)の説明では、酒に含まれた色々な成分が水に溶けだしているとのことだった。
「贔屓目に見たって私とそう変わらないのに」
女が腰に手を当てて呟いた。年齢が、という意味だと解釈し、シュイは頼んでおいた砂羊の干し肉を皿から一つ摘まんだ。
「齢なんか関係ない、どんな年代だろうと自分の人生を背負う覚悟を持っていれば一人前だ。逆に、三十路を過ぎて一人前になれていないやつだって腐るほどいるしな」
「はは、そりゃ確かに」
「打ち明けると馬鹿が一人先走っちまったんで連れ戻しにきたんだ。最低限、それだけはなんとかしたい」
「へぇ、ただそれだけでこんなところにまで。見かけに寄らず友達思いなのか、自分の腕によっぽど自信があるのか、どっちかな」
大袈裟におどけてみせた女に、シュイは、両方だ、と心中で言い返した。
「ついでに戦況を小耳に挟めれば、という目論みもあってここに来たんだが、何か知っているか」
シュイがそう言うと、女は躊躇いがちに視線を逸らした。
「まぁ、な。連日知りたくない情報ばかりが入って来てるぜ」
劣勢か、と呟いたシュイに、女が全然わかってないといわんばかりに首を振った。
「一口に劣勢って言ったって度合いがあるだろう。既に三戦しているらしいけれど、全敗だ。殊に、ガザッタでの初戦は全滅に近い惨状だって聞いた。数時間で潰走に陥ったって」
ドスンと、胃の腑に何かがのしかかったような感覚があった。部隊の熟練度か、純粋な個の力量か。覚悟はしていたことだが、やはり戦力差は歴然たるものがあるようだ。
「実際、ユシエルって、ああ、そういう名前の、ここらではちょいと有名な町があるんだけどね。一昨日ここにきた旅人さんの話では、交戦したと思しき場所からそこへ向かうようにして骸の道ができていたそうだよ。虫達がご馳走だって腐肉にたかってたとか――あ、悪ぃ悪ぃ」
食事中にそういう類の話はないとばかりに眉をひそめたシュイに、女は悪びれた様子もなく笑った。
「一月も経たないうちにガザッタとモスアはセーニアに占領されちまった。兵の数も三分の一近く減らされている。あんたも戦いを生業にしているなら、これがどんだけヤバい状況かがわかるだろ」
シュイは小さく頷いた。女の言う全滅とは決して全員が死亡している状態ではなく、軍隊としての統制を失い、機能しなくなった状態を指す。それは理解している。
しかしながら、命からがら逃れたところでそこは砂漠だ。満足な物資を持って逃げられた者がいたかは疑わしい。戻るに戻れず、砂の海で行き倒れた者も決して少なくはないはずだった。当然、追撃戦、掃討戦で巻き込まれた者も大勢いたのだろう。女の言う骸の道にしても、敗北を悟った兵士達がなんとか逃げ延びようとしたからだ。同時に、それほどの勢いを保っていたセーニアの被害が微々たるものであることも容易に察せられる。
「いなくなった兵隊さんのほとんどは消息不明。私の叔父さん、ここのマスターの弟も、友達の兄貴も。あんたもさ、尻尾巻いて逃げ帰るなら今のうちだと思うぜ。だれも責めやしないからさ。まぁ、そのお友達ってのには気の毒だけど、今生きているかどうかもわからないだろ」
「忠言は心に留めておくよ」
女が呆れたように溜息を吐いた。
「それって遠回しにノーってことだよね。なんで男って、こう馬鹿が多いんだろうね。あんたそれなりの顔してるし、心配してくれる人くらいいるだろうに」
「遠回しな褒め言葉をどうも――」
「――おい、ミヤーニャ。いつまでも一人の客とくっちゃべってねぇできりきりと並んだ料理かたさんかい!」
カウンターの奥から怒声が飛んだ。そちらでは男が背中を向けたままフライパンを振るっていた。女の口の悪さはこの父親から伝染したらしい。
「あ、いっけね。じゃあな客人、無事を祈ってるよ」
そう言いながら、女は慌てて奥のカウンターを埋め尽くしている、湯気立つ料理に近寄った。それを丁寧に、しかし迅速に、重ねられていた白いトレイに乗せていく。
「――待ってくれ、あと一つだけ。占領された町で略奪などは起きていないのか」
「ん、ああ。市街戦に発展した場所ではそうもいかなかったみたいだけれど、制圧された後ではきっちり統制されているみたいだよ。なんせセーニアのお偉い将軍様が軍を率いているみたいだし、名を汚すようなことはできないんだろうさ」
女はぱっぱと手を動かしながら応じた。語気には強い嘲りが込められていた。
「ビシャ・リーヴルモア、か」
「そうそう、そんな大層な名前だったっけね。だからといって、認める気になるはずもない。それはあくまで人としてぎりぎりの、最低ラインのことだ。連中がそれより少ぉし上のことをやってる事実に、なんら変わりはないんだよ」
片目を瞑り、指で蟻をつまむくらいの隙間を作ってみせてから、女は料理の乗せられたトレイを片手にその場を後にした。