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~勃発 outbreak of the war6~

 深夜、ポリーの町にほど近い山の中に一つの人影があった。宵闇に溶け込んでいるため、輪郭がぼんやりとわかるくらいだ。その周りの茂みからは秋虫の鈴鳴りが幾重にも奏でられている。

 濃い灰色の雲の谷間から満月が横顔を覗かせ、淡い光が領域を広げていく。伸び放題の芝生や果実の生った樹木、土に半身を埋めた岩などに色彩が戻ってくる。

 それらと同じように、ゆっくりと照らし出されたのは黒衣を脱いだシュイの姿だった。時折吹く風に黒髪が靡き、束の間閉じられた目が露になる。虚心で呼気を繋ぎ、両腕もだらりと下げられていることから、全身の力を抜いているようだ。

 月明かりが再び弱まり、立ち消えるや否や、シュイが闇の中で決然と目を開き、勢いよく左手を前へとかざした。



 ――ヴァー・テ・リオル・デ・シャヴラ・ニド・オルブス

 詠唱が進むにつれ、シュイの全身から肩へと魔力の波が迸り、肩から手指へ向かって光の帯が腕を軸に螺旋を描きながら巻きついていった。

 コォコォと、窓の僅かな隙間から風が漏れるような音が段々と音量を上げるとともに高音域へ向かってピッチを上げていく。――1オクターブ、――2オクターブ、――3オクターブ。

 それこそ、周囲の空気を全て取り込んでいるのかと疑いたくなるような大音量が途中から耳鳴りに変化し、蜘蛛糸のようにほそまって消失した。

 時を同じくして、シュイの五指の先に魔力の球が現れた。なにかを掴もうとするかのように指先が向くのはシュイの視線と同じ方角。

「――創世(はじまり)を告げる諷霊ふうれいに命ず 我に撫でられし魔譜に其の訃音ふいんを連ねよ」

 指先が宝石の煌めきにも似た光を湛え始めた。空を抉じ開けるように、シュイが逆手で宙を掻く。その軌跡を追うように、光の絃で五線譜が描かれた。

 大気中の魔力が一気に五線譜に引き寄せられ、次々に<結合ユニット>を起こして階段状に和音を奏でる。五指の先に生じた魔力の、蜜柑くらいの球体が楕円状に姿を変え、五線譜に並んでいった。

 五つ並んだところで、球体の外側の魔力が<硬化コーティング>され、短時間での弾丸が<創造クリエイト>される。今にも前方に飛び出さんと小刻みに震える弾丸を、シュイは筋力と魔力の糸で強引に抑え込んでいた。

 五指が攣ったような痛みを感じつつも肘をゆっくりと後ろに引く。五線譜が消失し、魔力で象られた弾丸だけがシュイの指先に残った。



 シュイはゆっくりと顔を上げ、その視線の先、離れた場所にある二階建ての建屋ほどの岩山を見据えた。そうかと思った時には地を強かに蹴り出し、横方向に疾走しながら目標に向かって左手を突き出す。腕が伸びきる直前、弾丸を絡め取っていた魔力の糸を切断。刹那、五指に集約した魔力が<解放リリース>され、弾丸が突きの速度と相俟って二段階加速した。縦に生じた衝撃の輪が余韻を残して消えゆく。

 射出された五つの弾丸が音を飛び越す速度で光の射線を描く。大気を切り裂きつつも硬化された魔力の弾丸は威力を減衰、拡散されることなしに岩山へと吸い込まれていく。

 一際大きな、雷鳴を短く切断したような音が静寂を突き破った。虫達の鳴き声が一瞬にして収まり、代わりに砕かれた岩がカラカラと、斜面を下る音が耳に入ってきた。

 吹き返しの風が頬を撫で、黒髪を乱すのを感じながら、シュイは着弾の一部始終を認め、五本の細い白煙が立ち昇る手に視線を落とした。



――――



 翌朝、夜が明けて間もない内に、シュイはポリー支部に程近い三角屋根の民家を訪れていた。シルフィールのマスターの家系、エスチュード家の関連で安く借りることができるものだった。こういった借家は支部の近くにいくつか設けられている。

 呼び鈴の紐を引っ張り、二十秒ほどが経過した。もう一度鳴らそうかと引っ込めた手を再度伸ばそうとした途端、錠の外される音がドアの向こうから聞こえた。

 人ひとり通れるくらいの隙間が開いたが中には誰もいなかった。

「あれ、しぶちょー。こんな早くにどしたの?」

 ごく間近から、確かな声が発せられた。シュイがかくりと視線を下げると、パジャマ姿のアマリスが寝惚け眼を擦りながらシュイを見上げていた。彼女の着ているそれはピンクの素地に白い水玉模様の、いかにもしっくりくるものだった。

「朝早くにすまない。アミナ、いるかな」

「どうしたアマリス。このような時間に誰か――」

 廊下の奥の方から声が聞こえた。バスタオルを身体に巻きつけたアミナが髪の毛の水滴をタオルでわしゃわしゃと拭き取りつつひょこっと顔を出した。ちらりと覗く褐色の肩からは仄かに湯気が立ち昇っていた。シュイもアミナも、顔を見合わせ、お互いに固まった。

「……なんて格好してるんですか」

 シュイがなんとかそう言った時には、アミナの顔が奥に引っ込んでいた。



 玄関で待つこと十分、再びドアが開き、アマリスに入るよう促された。曲がり角のある廊下の先、リビングに進む。シュイが部屋の入口近くの椅子に、奥の窓際、向かいの椅子にアミナが座る。二人の目線が絡んだが、どちらの口も貝のように動かない。ただ静かに呼吸しているだけだ。仄かな石鹸の香りがシュイの鼻腔をくすぐった。

 アミナの顔色を窺ってみたものの、風呂上がりで乾き切っていない髪がいやに艶めかしく、直ぐに視線を逸らす羽目になった。先ほどの光景が頭に蘇り、なんとも気まずい思いに囚われた。玄関に人が入るのは当然であり、そこにタオル一枚で顔を出したアミナが非常識且つ無防備なのだということはわかっている。しかしながら早朝に訪ねてきたという点に関しては自分にも非がある。

 消化できぬ感情を抱いたまま、シュイは何のためにここにきたのかを必死に思い出そうとしていた。



 ややあって、レースで縁取られた白いエプロンを付けたアマリスが三人分の湯気立つミルクセーキを運んできた。それがテーブルに並べられるとシュイはありがとうと礼を述べ、アマリスが座ったのを見計らってやっと口を開く。

「トートゥ支部でのこと、謝っておきます。生意気なことを申しました、お許しください」

 一瞬、アミナは虚をつかれたようだったが、直ぐに表れた感情を消し、カップを持ち上げてふーふーと湯気に息を吹きかける。

「どういう風の吹き回しだ」

「あなたにも本部の連絡はいきましたよね」

「……ああ、確認した」



 シルフィール本部は、セーニアへの敵対行為の一時的な解除に踏み切った。今回のジヴー侵攻に関しては不可解な点が多く、支部内のセーニア出身の多くの傭兵からも不評を買っている模様で、ルクスプテロンとの戦争とは状況が違うこともその決定を後押ししていた。

 表立ってジヴーに傭兵を派遣するわけではなく、あくまで自主的な援護に留める、といった注釈つきだったが、落とし所としては悪くなかった。内輪もめの心配がなくなっただけでもシュイにとっては恩の字だった。



「俺は本日、支部を発ちます」 

 そう言うなり、アミナの無表情が出かける約束を反故にされた子供のように不貞腐れたものとなった。シュイは少しの間返事を待ってみたが、一向に返ってこなかった。このままでは話が進まぬと仕方なしに二の句を継ぐ。

「エヴラールには最後まで渋られましたけれど、シャンに期間限定で支部長を継いでもらう旨を伝えたら納得してくれました」

 エヴラールの説得にはかなり難航したが、シュイはあらかじめ準ランカーの一人、シャン・マクシミリアンと連絡を取り合っていた。黒い髪をドレッドヘアにした、一見すると気難しそうだが内面は女好き、平たく言うとむっつり魔族だ。ポリー支部には可愛い女の子がたくさんいると注釈を付けると二つ返事で引き受けてくれた。但し、二ヶ月間という約定はしっかりと取りつけられている。

「し、しぶちょー、本当にいっちゃうの?」

 アマリスは人差し指を咥えながらじっとシュイを見た。振り切るのには罪悪感を伴う瞳だった。シュイは申し訳なさそうに、しかし声色は努めて明るくした。

「心配はいらない。アマリスだって俺の実力は知っているだろ」

 シュイはアミナに向き直ると佇まいを正し、膝の上に手を置いて深々と頭を下げた。

「今まで本当に色々、お世話になりました。あなたのことは一生忘れ――おぶっ」



 言い終える直前、目の前にあったテーブルが浮き上がった。シュイは成す術もなくひっくり返されたテーブルの餌食になり、後ろの壁とサンドイッチにされた。置かれていた三つのミルクセーキのカップが宙に舞い上がり、床に叩きつけられて割れ散っていく。間があって、ほっとするような甘い香りが室内に漂った。

「あのー、アミナさん。一応、ここ僕の家なんだけどなー」

 テーブルを蹴り飛ばしたアミナに、アマリスが指と指とをつんつんと小突き合わせた。シュイは遠ざかりかけた意識の内で、アマリスまで建物の心配が先なのか、とやるせない気持ちになった。

「すまぬな、咄嗟に足が動いていた。修理代は払う」

 そう言いつつもアミナはつかつかと前進し、邪魔なテーブルを横にひょいと押しのけ、未だ意識がはっきりしていないシュイの胸倉を掴んだ。



「なんのつもりだ、シュイ。先ほどの惰弱な台詞は」

「――ア、アミナ。いきなり酷いじゃないですか」

 打ち付けて赤くなった鼻をさすりながら、涙目のシュイが傲然と立つアミナを睨んだ。フードは取れていたがアミナ、アマリスともに気にする様子は見せなかった。

「なにが一生忘れません、どうかお幸せに、だ」

 シュイは、そこまで言ってない、と思ったが口には出さなかった。記憶している限りでは、口喧嘩で勝てたことなど今まで一度たりとてなかった。

「それは、念のためと申しますか、万が一と申しますか」

「万が一もくそもない。そなたの腰の下のものは飾りか」

 途端にシュイは困ったような表情になった。 

「あの、アミナ、見目麗しい姫君がそのような台詞を使っては角が立つかと」

 アミナはつまらぬことを、と言わんばかりに肩をすくめた。

「ふん、まるで小姑のようなことを。そなたも歯の浮く世辞を口にする世俗臭に冒されたか。嘆かわしいことだ」

「いえ、至って本心ですから」

 真顔の崩れぬシュイに、アミナがやや顔を赤らめた。が、直ぐに生じた感情を振るい落とさんと首をぶんぶん振った。

「と、ともかくだ。今生の別れみたいな台詞を口にして戦地に赴くなどと縁起でもないことはするな」

 熱を伴う瞳がシュイを睨み返した。シュイは気後れした様子もなしに掴まれていた胸倉を引き解こうとして、止めた。どうやっても逃れられなかったトートゥでの出来事が脳裏を過ぎっていた。

「そりゃ、できれば必ず勝つと断言したいところですが、万が一の可能性は否定できませんからね」

 アミナはシュイの言葉を吟味しているかのように、視線を余所へとずらした。ややあって、ぐいと押し退けるようにしながら掴んでいたシュイの胸倉を手放し

「自惚れるな」そう言った。

「自惚れ、ですか」

 シュイは胸元を整えつつ首を傾げた。

「そなたはセーニアをどこか甘く見ている。おそらくは以前の印象が強いからであろう」

 シュイは言い返そうとしたが、言葉が形にならなかった。当たっている部分もあると感じたからこそだった。

「だがな、それはあくまで滅祈歌とやらの恩恵が大きかったからこそ成し得た話。今のそなたは、以前とは見違えるほどに強くなった。それは私も認めている。けれども、フォルストロームであれを使用した時と比べればさほどの差があるとも思えぬ」

「……確かに、そうかも知れませんけれど」

「重要なのはここからだ。三年前、そなたは滅祈歌を用いてイヴァン・カストラに挑んだものの完膚なきまでに叩きのめされた。そうだったな」

 苦い記憶を思い起こされたシュイは僅かに口を窄める。

「……完膚なき、と言うほどかはわかりませんけれど、敗北を喫したのは事実です。それがなにか」

「セーニアの要人がやつらによって立て続けに殺された件は話したな」

「ええ、ある程度は自分でも調べました」

「それに関連して、警護隊を率いてイヴァンの一味を退けた男がいる。名をビシャ・リーヴルモア。ナイト・マスターの後釜と目されているセーニアの将だ」

 シュイの目が驚きで見開かれた。

「イヴァンを、退けたですって」

 俄かには信じがたいことだった。拳を交えたからこそわかるイヴァンの底知れぬ実力。それはランカーにも匹敵するほどのものだ。復讐に燃える彼を退けることが可能な者などそうそういるとは思えなかった。

 アミナは物憂げに窓の外を見る。

「一対一で戦ったわけではあるまいが、イヴァンとて一人で乗り込んだわけではない。少なくとも単身でどうにかなる相手ではない。そのことは肝に銘じておけ。統率のとれた精鋭部隊とはそれほどに厄介な存在なのだ」

「……ということは、行ってもよろしいのですか」

「力無き者を守るための戦い。本心を吐露すれば私もついて行ってやりたいが、王族の体面、立場がそれを許さぬ。国民の運命を背負っている以上は個人的感情に身を委ねるのにも限度がある。口惜しいが此度(こたび)は裏方に徹することにする。王族にしかできぬこともあるからな」

 確かに、フォルストロームの王族であり、後継と見なされているアミナがセーニアに敵対したことが明るみになればただで済むはずがない。後々まで国家間の関係に禍根を残すことになるだろう。最悪、敵対したことでフォルストロームとセーニアとの戦争になるかも知れない。シュイとしてもそのような展開は望むことではなかった。

 ややあって、アミナは挑むような目付きでシュイを真っ直ぐに見据えた。

「そなたの意志は尊重する。その上で一つ、肝に銘じておけ。この戦争はあらゆる視点から鑑みてジヴーが圧倒的不利。負けたところで誰も咎める者はおらぬ。勝敗に(こだ)わらず、必ずここに戻ってこい。今のそなたであればそれができるはずだ」



 あぁ、この懐の深さなのだ。シュイは、三年前のアミナの言葉を思い出していた。

『私だけはそなたの道を肯定し続けよう』

 その言がどれほど自分を勇気づけ、支えになってくれたことだろう。そして今も変わらずに、アミナは自分にすら確信が持てぬことをできると訴えてくれているのだ。この信頼に報いずして、一体なにに報いればいいのか。

 シュイはアミナの計らいに感謝しつつも生還への決意を新たにするのだった。

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