~勃発 outbreak of the war4~
「大丈夫か。かなり良い音がしたがヒビ割れていないだろうな」
確認するまでもない、エヴラールが心配しているのは支部の壁の方だ。むくりと起き上がったシュイは頭に出来た立派なこぶをアミナになでなでされながら彼を恨めしげに見上げた。
「そういえば、シュイの頭も大丈夫か」
エヴラールはその視線に気づいたのか、取ってつけたようにそう言った。
わかっている。この言葉は、買ったら漏れなく付いてくるおまけみたいなものだ。加えて、頭の中の方を心配されているわけでもないから無駄にイラつく必要もないはずだ。でも何故だろう、ムカついてしまうのは。
いつまでも撫でられていては格好付かなかったのだろう。シュイが颯爽と立ち上がった。アミナは立ち上がったシュイの頭と撫でていた自分の手を何やら物足りなそうに見比べている。
「いつになったら動ける」
「まずは本部の連絡を待て。あと一週間も経たぬうちに結論が出るはずだ」
「一週間って軽く言うが内乱だって起きているんだろう」
その間、果たしてどれだけの犠牲者が出るか。ピエールが無事でいられるのか。考えたくもないことだが、考えずにはいられない。
「下手に先走って一週間が一カ月、一年と延びに延びてしまったらそれだけ多くの者が苦しむことになる。一個人の判断と大勢を乗せた船の舵取りを一緒にするな。今のお前なら多少なりともわかるはずだ」
エヴラールの言い分が正しいことはわかっていた。支部長に就いてみて、たかだか一つの支部でさえ運営が一筋縄ではいかないのを散々思い知らされたが故のことだ。
シルフィールと一口に言ったって色々な人間がいる。ニルファナのように掴みどころがない者。アミナのように正義感が強い者。ピエールのようなお調子者もいればエヴラールのように規律を重視する者も。そして、彼らの一人一人が様々な思惑や立場で動いている。ギルドに対する執着にしても現状に対する評価にしても十人十色なのだ。はっきり言ってしまえば、ジヴーがどうなろうが知ったこっちゃない、そういった考えの者も相当数いるのだろう。むしろそちらの方が多数派かも知れない。そういった者達にとっては、大きなトラブルの火種を持ち込もうとする者達は煙たいだけの存在だ。シルフィールがセーニアのように強大な敵を作れば割を食う者が大勢いるのだ。
目の前の人間を助ける代わりに、目の行き届いていない、助けられるはずの者を犠牲にするか。或いはその逆か。どちらも人を一人救い、一人を救えなかった事実に変わりはない。違いは達成感と罪悪感の度合いだけだ。だから身近な者には優しくなれるし遠くにいる者には冷たくなれる。遠くの親戚より近くの犬猫とはよく言ったものだと思う。
シュイは正論を貫き通すエヴラールに目を細める。
「一つ聞いて良いかな。あんたはどうして、そう冷静でいられるんだ」
「そうか、おまえには今の俺が冷静に見えるのだな」
一瞬言っている意味がわからなかった。目の前にあるのは普段と何ら変わらぬエヴラールの顔。
だが、直ぐに気づいた。感情を言動に表さぬからといって、何かを感じていないとは限らないのだ。泣いていないからといって悲しんでいないとは限らない。笑っているからといって愉快だとも限らない。この男が平静を保って見えるのは、己を強く律する意志がある。それだけのことなのだ。
感情のぶつけどころを見失ったシュイは、自分を落ち着かせるかのように大きく息を吸い、音が聞こえぬくらいにゆっくりと吐き出した。
「本部がどう動くのか、わかるか」
「無論と言いたいが、およその見当は付くと言ったところだ。今回のセーニアの出兵には大義名分がないからな」
エヴラールはようやく微かに頬を緩め、自分の見解を淡々と語り始めた。
今回の侵攻の名目。それはセーニア教国がジヴーの鉱山資源をルクスプテロン連邦へ輸出しないよう要請したことを受け、ジヴー側がそれを拒否したことが発端となっている。セーニアはこのことを、敵対国の戦争支援と結び付けて因縁を付けたわけである。
一見筋は通っているように見えなくもないが、元々ジヴーの諸国は資源、鉱石や石油などの輸出が基幹産業だ。実際問題として、ルクスプテロンを始めとした諸外国とは戦争が始まる以前から貿易関係を持っていた。加えて、戦争後になっても全体の輸出量はさほど大きく変動していない。つまり、これが明らかな根拠だ、と言えるものなど何ら存在しないのだ。
よくよく考えれば鉱石類や石油などに関しては軍需のみに留まらず、生活雑貨、日用品にも大量に使われる。輸出先がどんな目的で使うかまでは関与しようがないのだから、ただ単に輸出をストップしろと言われたところで、はいそうですか、と簡単に応じられないのは当然のことだ。
中でも、1、2を争う取引を差し止めるとなれば経済に悪影響が出るのは避けられない。それをわかった上で、セーニアは敵方を支援するジヴーを成敗すべし、と無理矢理にこじつけた。関係のない諸外国から見れば失笑物も良いところだ。
そこで一旦言葉を切り、エヴラールは腕を組んだ。
「妙なのは、セーニアの上層部がそれを理解できぬほど愚かなやつらばかりではないということだ」
セーニアはナルゼリを始めとした同盟国に鉱石類の輸入先が多いからジヴーからの供給が絶たれてもそう苦労しないだろうが、他の国々には痛手になりかねない。ジヴーが攻められるのを黙って見過ごす可能性が低いことは承知しているはずだ。表向きは傍観を決め込んでいるように見えても、裏で阻止しようとする者達が現れる可能性は低くない。
「ふむ、攻めても周りが制止してこないという確信があるのか。はたまた、不興を買ってまでもジヴーを攻めなければならぬ理由があるのか。いずれにしても鉱山資源の掌握だけでは説明がつかぬか」
アミナが壁に寄り掛かりながら考え込んだ。そういう所作も彼女がするといちいち様になっている。
エヴラールはもしかしたら、と前置いて示唆する。
「それ以外に埋まっているものがあるかも知れません。これは未だ憶測の域を出ませんが、失われた技術とか」
シュイは、その意見に対しては否定的な見解を示した。仮に自分がセーニア側にいたとして、そんな物が本当に存在するということを知ったならば、わざわざ戦争など起こさずに少数精鋭で構成した捜索隊を送って秘密裏に盗み出す。有用な物であれば殊更、他国に勘付かれるような真似をすれば競争者を増やすだけだ。戦争という大がかりなパフォーマンスを以って利と理があるようには思えない、と。
だが、その意見は更に否定された。エヴラールにではなく、アミナによって。
「シュイ、大国と言うものは得てして敵が多いものだ。直截的にしろ、潜在的にしろ、な。いつ攻められるともわからぬから必要最低限の兵力は確保せねばならぬ。そして、セーニアの軍事費用は四大国随一だ」
「え、ええ」
それが何か、とシュイは首を傾げた。アミナは顎に人差し指を当て、どう説明すればよいものか、といった感じに目を瞑った。
「そうだな、まず――彼の国は兵数が他国よりずっと多い。当然ながら国はその兵達に給料を払っているわけだ。すると、平常時にも対価となることを兵達がやっているか、という問題が出てくる」
「つまり、警備とか魔物退治とかですね」
「それも一つだろうが。よいか、強国と言われている国の兵が屈強たる理由。それは軍事に特化した訓練をこなした戦闘集団を抱えているからだ。さすれば一般の兵に対して純粋な技量に大きな差を保てるわけだな」
他国では一部を除いて農業、漁業、林業、或いは商業等に従事している者が戦争に駆り出される。つまりは一般人が事があった時に徴兵され、短期間で兵に仕立て上げられる。だが、戦時中の方が異常な状態なのだから全体としての生産性を考えればそちらの方が余程効率的だ。
「裏を返せば、そういった戦争の専門家は非生産的、言ってしまえば無用の長物なのだ。戦争がない限りな」
アミナの言葉が反転して返ってきた。戦争がないと困る。うすら寒さすら感じる言葉だった。
「まさか。ただそれだけのために、戦争を起こしたと?」
「あくまで可能性の話だ。だが事実としてルクスプテロンと戦争していた出だしの一年余り、セーニアは好景気に湧いていた。あの国は豊かだ。人口がうなぎ登りに増え、それでも尚物資が飽和しているくらいにな」
とどのつまり、それは経済活動が停滞していた状況を暗示している。需要に対して供給があまりにも過多になっていた。それが戦争で一気に消費されたのだから好転したとしてもおかしくはない。抑えられていた生産拠点が一気に回り始め、経済が加速したということだ。また、兵役という雇用の場も増えたに違いない。
「セーニア教の者達は良くも悪くも、悪い部分の方が圧倒的に多いが、自分が正しいのだということを疑わない。つまりは多くの者が現状に疑問を持たない傾向にある。それは国全体として豊かである証拠だが、何かを企む連中には都合の良い土壌だとも言える」
エヴラールが口を挟み、アミナも同意するように頷いた。
「ヌレイフ湿原の戦いが躓きだったな。あれほどの犠牲者が出たのはセーニア側にとっても想定の外だったのだろう」
両軍の総力戦が双方にもたらした三万の犠牲。わかりやすいことが、どうやったとて隠し通せぬことが起きてしまった。家族を失った国民達は反戦論に転じ、セーニアは身動きが取れぬ状況に陥った。
――そうだ、エスニールの乱の前。あの時もセーニアでは開戦論が高まっていたはず。
シュイはとある依頼人との会話内容をおぼろげながら思い出していた。カイル・モーガンの母、ケイ・モーガン。彼の夫は開戦論が高まる中で和平を訴えていた、そう言っていた。
開戦が頓挫した理由は考えるまでもなかった。自分によってもたらされたナイトマスターの死。軍事の最高責任者の一人が、国民的英雄が何者かに殺された。何よりもわかりやすい。
「少なくともルクスプテロンを相手に戦争はしづらくなってしまった。強国と戦争すればまた大きな犠牲が出るかも知れない。世論がそう傾いていったからな」
「じゃあ、ジヴーは代わり、だと?」
自然と語気に力が、憤りが込められていた。ジヴーが相手ならそれほどの損害を出さずに勝てそうだから戦争を仕掛ける。本当にそれだけが理由で戦争相手として名指しされたとしたら、とばっちりという言葉でも足りない。生贄の子羊に等しい。
「無論それだけでもないだろう。セーニアはナルゼリを始めとした同盟を結んでいる途上国から鉱石資源を買い叩いていたようだ。これでジヴーがセーニアに制圧されるようなことがあれば市場価格は跳ね上がる。相対的に影響力が増す」
「要するに、全ては金のためだ、と」
どこか、喉から絞り出すような声だった。アミナもその変化に気づいたのだろう。僅かにシュイの顔から視線を落とした。
「条件が整いさえすれば戦争を使った経済活動も考え得る。言及したかったのはその可能性についてだけだ。ただ、あくまでそれによってもたらされる潤いは一過性のもの。このタイミングになった理由は、今のところは想像する他ない。材料が少なすぎるからな」
アミナは唇に手を当て、そのまま動かなくなった。続く言葉を言っても良いのかどうかを迷っているようだった。吐息の音だけが室内に響いていたが、意を決意したようにシュイを窺い見た。
「そなたは、これ以上セーニアに関わらぬ方が良いのでは……ないのか」
沈痛な面持ちでそう言った。語尾の方はまともに聴き取れぬほどに、弱々しかった。