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~勃発 outbreak of the war3~

 トートゥ本部では普段通りの業務が行われていた。ポリー支部の開設によるものか、天井に浮かぶ魔石の霊体の数は心なしか以前より減っているようだが、それでも忙しそうな事に変わりはない。多くの傭兵達が掲示板を物色し、気に入った依頼書を見つけては受付に赴いている。



 そんな代わり映えしない光景に黒衣の男と銀髪の少女が加わると、俄かにホール内の空気が変化した。エレグスにいる傭兵ならば見慣れた者も多いであろう黒衣と鎌。息が詰まりそうなほどピリピリしたポリー支部長、シュイ・エルクンド。人目を引きつける銀髪と赤い眼。圧倒されるほどの威厳を纏うランカー、アミナ・フォルストローム。そんな二人が並び立って歩けば傭兵達も関心を寄せる。囁きが囁きを呼び、段々と騒々しくなってくる。

 騒いでいる傭兵達を尻目にシュイは足早に支部長室へ向かった。トートゥが長きに亘ってエレグスにおけるシュイの活動拠点だったこともあり、その足取りに迷いは一切感じられなかった。歩幅の小さなアミナは小走り気味でシュイの後に続く。

 不意に歩みを止めたシュイが側面にあったドアを横に引いた。アミナがドアの上に付いている<支部長室>と書かれたプレートを一瞥する。

「シュイ、ノックくらい――」

「どういうことだ」

 後ろから咎めるアミナに構わず、シュイが部屋に入るなり立っていたエヴラールの横顔を睨んだ。エヴラールは不敬な来客を振り返ることなしに書類を淡々とチェックしている。

「魔石が届いたか。セーニアがジヴーへの侵攻を――」

「そんなことを聞いているんじゃない。なんで出兵から十日も経ってから連絡を寄越すんだ。情報の伝達は迅速且つ正確に。本部がいつも口酸っぱく周知していることだろう」

 シュイの語気には怒りがこもっていた。本部からの定時連絡に付いては緊急時の連絡以外、エヴラールを経由して行うことになっていた。それは新支部長であるシュイへの負担を減らすためだという名目であるはずだった。だが今回は一緒にいるアミナにも連絡が来なかった。意図して情報を制限していたのは間違いない。



 二週間前の9月6日。セーニア四将の一人ビシャ・リーヴルモアは、セーニア教皇アダマンティス・セーニアの命により騎士と魔法使いの混成軍四万余を率いてジヴーへの侵攻を開始した。

 ジヴーの小国群は連合のような形をとって国の統治に当たっている。十一の国々からなるが、その領土の全てを合わせてもフォルストロームの半分程度。セーニアと比べれば三分の一にも満たない。付け加えるとその領土の大半が砂漠地帯だ。

 現状、十一カ国のうちセーニアに近い四カ国がこぞって連合から離脱しているということだった。防衛する側のジヴーでは降伏論と抗戦論を戦わせた結果、分裂、内乱という状態に陥っている。

 今は領土、人数ともに勝っている抗戦側が戦いを優位に進めているようだが、もしセーニアの本隊が現地入りすることになれば。ジヴーの命運などセーニアにすり寄ろうとした国共々彼方へ吹き飛ぶことになるだろう。なにせ同盟を結んでいたエスニールにすら凶刃を振るった前科があるのだ。



 エヴラールは持っていた書類を戸棚に戻し、アミナに軽く会釈してからシュイに向き直った。シュイは、なんで俺には会釈がないんだとばかりに舌打ちを返した。それくらいに気が立っていた。

「生憎と、本部からは『連絡はこちらでする』といった報告を受けていたものでな」

「じゃあ、なんでこちらだけ遅らせたんだ」

 首を傾げたシュイにエヴラールは、知れたことを、といった表情を作った。かたわらではアミナが、シュイとエヴラールと視線を行来させていた。

「入団試験に集中してもらうためだろう」

「こんな緊急時に悠長なことを。戦争が始まっていると知っていたら」

「試験を受けている受験者達に非はない」

「今回だけ中止なり延期なりするという手立てだってあったはずだ」

 エヴラールは首を振りつつもつらつらと反論を展開する。



 受験者とてそれぞれに都合や事情といったものがある。ファムラブ島のような僻地で開催した手前、試験を中断するわけにはいかない。傭兵になりたいと願う者達はそれぞれに覚悟を以って臨んでいる。無論、移動時間、交通費用共に馬鹿にならないことは言うまでもない。

 仮に戦争のことを試験に携わる者に伝えていたとして、本部が決断を下すまでそちらへの対応はどのみち不可能。なれば、そのことを教えたところで傭兵たちの不安を煽るだけ。シュイを含めた試験官達が心配毎を抱えながら選定に当たったとすれば、悪影響こそあれ良い影響はない。結果、試験が最終段階を迎えるまで伏せて置くのが良いと判断した。至極真っ当な判断だ。

 そんな淀みのない説明を聞いていると尚更腹が立ってくる。とは言っても、エヴラールの一存で連絡を制限していたわけではないならば、これ以上ここで口論する意味はなかった。

「もういい、ピエールはどこだ」

「それを聞いてどうするつもりだ」

「それなりに長い付き合いだ。あいつの考えそうなことくらい俺にだってわかる」

 エヴラールは即答を避けた。シュイがエヴラールに詰め寄ろうと大きく歩を踏み出そうとした。



「無断で支部(ここ)を離れた」

 その言葉にはシュイだけでなく、アミナも絶句した。支部長の許可なしに支部員が離脱するのは重大な服務規定違反だ。抵触すればどこぞの唾棄(だき)に値する青髪男のようにギルドを追われる可能性も否定できない。

「三日前の早朝に一旦ここに来たようだ。脱退届と一緒に書き置きが残されていた。急いで、というよりも念のために支部員を自宅の方に向かわせたんだが、奥方しかいなかった。全て事情は知っていたようだが」

 溜息混じりに放ったその言は、暗に一つの事実を示していた。シュイは以前にピエールから故郷がジヴーであることを聞いていた。このタイミングから考えればほぼ確実にジヴーに向かったはずだった。血の滲むような努力で得た準ランカーの称号をかなぐり捨てるほどの、それ以上に、出産を控えているミルカを置いていくほどの決意を以って。



 考えを巡らせ始めたシュイをさて置いて、アミナが一歩前に出た。

「何故、みすみす行かすような真似を――」

「するはずがないでしょう」

 腕を組んで否定しながらもエヴラールの口調は丁寧そのものだった。シュイがその扱いの違いに唸り声を発した。

「直談判しにきた時にきちんと説得しました。その上での勝手な振る舞いです」

「きちんと支部員の動向を把握しておくのも支部長の役目であろう」

「お言葉ですが、彼は成り立てとはいえ準ランカーですよ。いちいちオシメのチェックなど――おいシュイ、どこへ行く。話の途中だぞ」

 エヴラールが顔をやや上げてシュイの背中を見た。

「決まっている。あの馬鹿を連れ戻しに行くんだよ」

 軽く肩を竦めたシュイに、エヴラールが眉根を寄せた。

「なにを言っている、支部の業務はどうするんだ。今まで一カ月間丸々空けていたのだろう」

「半年間いれば問題ないはずだろ。期限が切れるまでには戻ってくるさ」



 ルクスプテロンと張り合ったセーニア軍、それも四万もの数が相手ではジヴー単体で勝ち目などあるはずがない。質、量共に、以前戦ったナルゼリ軍などとは比較にならない。

 セーニア教の騎士達はたとえどんな非道であれ、自分がすることを心の底から正義だと信じることが出来るおめでたさが、もとい信仰の深さがある。罪悪感を抱かずに戦える者達は、強い。

 実際、シュイはエスニールの乱の際にその統率力と強さを、女子供にも躊躇なく手を下す容赦のなさを間近で見ていた。武名の高いエスニールの者達が囲まれて次々に串刺しにされ、血溜まりの中に沈んでいく光景を思い出す。今でも吐き気が込み上げる。憎悪、或いは憤怒の黒い炎が噴出する。

 自然と拳が軋む音を立て、頬が突っ張った。過ちを今一度繰り返すのならば、もはや自分を抑えられる自信はなかった。

 ――いざとなれば滅祈歌(あれ)を使ってでも。



 決意を目に宿したシュイがドアに歩みかけた。が、つんのめった。空を泳ぐように手足をバタつかせ、地面すれすれで体勢を立て直した。訝しげに振り返ると、アミナが黒衣の端を片手で握り締めているのが見えた。

「な、何してるんですか」

「一瞬不穏な波動を感じた」

 アミナの即答にシュイがたじろいだ。その感知能力は最早入神の域に達するもののようだった。

「別に連中と戦うつもりはありませんけれど」

「それ以前の問題であろう。支部長の脱退など前例がない」

 咎めるような口調だったがシュイは怯まずに返した。

「前例がないなら作るまでです。その手を放してください」

「阿呆、万が一そんなことをしたら」

「永久追放処分、でしょうかね」

 軽く応じたつもりだったが、アミナの表情が険しくなった。一瞬にして自らの失態を悟った。口にしてからその重みが圧し掛かってきた。

 少なくとも追放という言葉は彼女の前で言うべきではなかった。彼女は未だ、フォルストロームでの一件を気にしていたのだ。



 三年前、シュイがフォルストロームから追放されたことを知ったアミナは、シュイがエレグスへの船に乗ってから二日後、誰に告げることもなく王城から姿を消した。

 音沙汰のなかった期間は実に数カ月にも及び、フォルストローム中がてんやわんやの大騒ぎになったのは言うまでもない。イヴァンらの王都襲撃からそれほど間がなかったこともあって事件や誘拐、陰謀説が跋扈し、各国に捜索隊が派遣される事態にまで発展した。

 あれほどフォルストロームが殺気立った時期を俺は知らない。そう語ったのは元キャノエの支部長エヴラールだ。嘘か真か知らないが国のお抱え歴史学者も同じ見解らしい。



 アミナはシュイが追放されたことを受けて、内心がどうだったかまではわからないが、誰かを責めるようことはしなかった。ただ、最初に思い浮かんだことをそのまま実践した。シュイの足跡を辿り、遥々エレグスまで追ってきたのだ。

 再会はトートゥの町で果たされることになったが、その時のことはシュイにとって一生忘れられぬものになった。顔を合わせるや否や、アミナはこちらが言葉を発するよりも先に「すまぬ」と呟いた。そのまま整った褐色の顔をくしゃくしゃにして抱きついてきた。気丈なはずの彼女が、人目もはばからずに泣き崩れてしまった。



 耳元で何度となく紡がれる謝意の言葉が胸を衝いた。ニルファナを疑った時にも負けぬほどの罪悪感に苛まれた。アミナに一言の断りもなくフォルストロームを発った自分の浅はかさを呪うばかりだった。

 シュイはアミナの情の深さと温もりを感じながら、激しく後悔した。実直にして誠実なアミナの性格を考えれば、それくらいはやりかねないという考えに到ってもおかしくはなかった。

 結局はニルファナとのやり取りも打ち明け、自分をフォルストロームに連れ帰る気満々だったアミナを何とか納得させた。もし直ぐに戻っていたら、おそらくは軍の誰かしらの手によって秘密裏に処分されたんじゃないかと思わないでもない。勿論、アミナをかどわかした誘拐犯として。



 現実に立ち戻ったところで、自分の吐いた言葉が目の前に居座っていた。永久追放。今まで積み上げてきた物を一気に崩す破壊の言霊。

 冷静に考えれてみれば、マスターの一存ならともかくとして、自分の勝手な判断でシルフィール全体がセーニアやミスティミストの敵に回る。結果として多くの仲間達が死ぬことになるのは想像に難くない。ギルドにとっては反逆に匹敵する行為だ。既に一人立ちしたと言えるからニルファナの名誉が損なわれる心配こそないが、アミナの言うとおりそれ以前の問題だった。



 ――だからって、見て見ぬ振りは出来ない。せめて逃がせる者は逃がさないと。

 シュイはとりあえず、アミナの手から黒衣を引っ張り戻そうとした。追いすがる情婦から手を払いのける、半ばそのようなイメージを浮かべていた。

 しかし、数秒でそんな温い考えはあっさりと覆された。ぐいぐいと袖を引き上げてみたが一向に外れる気配がなかった。

 シュイは仕方なしにといった様子で、両手でしっかりと握り締め、かなり力を入れて腋を畳むようにして引っ張った。

 ――あれ、抜けない。――あっれー、やっぱり抜けない。

 微動だにしないことに不安が過ぎった。鎌を扱うくらいであるからして、筋力は人並み以上に鍛えている。裾を持っているアミナにしても、引っ張られた拍子に体勢くらいは崩してもいいはずだ。

 ふと、アミナの表情を窺おうと目線を少しだけ上げた。相変わらず愛らしい顔立ちなのは当然として、三角耳がピンと立っていて目付きも普段より鋭かった。小さな口は真一文字に結ばれ、赤い目がやたらとぎらついていてちょっと怖い。華奢そうな外見とは裏腹に腕力、胆力共に一級品だ。

 背後に魔皇虎(グラン・ヴァイル)の幻影が見えるような気がした。記憶に新しいファムラブ島で最終試験を危うく台無しにしてくれそうになった危険度10の化け物だ。やつを誘導する作業は割と、それなりに、かなり命がけだった。



 ――さ、流石は現役ランカー。でも、俺だって成長してるんだ。支部長のプライドに賭けて負けられるか!

 歯を食い縛り、足を踏ん張って、綱引きの要領で思い切り引っ張った。いっそ裂けてしまえとばかりに。だが、どうにも動かなかった。馬車の車輪にでも巻き込まれてしまったかのように。

 アミナは、あくまで両手を使おうとせず、片手で袖を持っていた。ワイングラスを持っているかのように握り拳を縦にしていた。別に丸太や大根のように太い腕というわけではない。鍛えられていることは一目でわかるが、年頃の女の子の域を出てはいない。少なくとも自分の腕よりは明らかに細い。

 渾身の力を以ってしてもアミナの片手すら振り解けないのか。心に絶望がちらつき、背中に汗が滲んでくるのを感じた。

 と、アミナの後ろでエヴラールが口と腹を押さえて生まれたての小鹿のように震えているのが見えた。食中毒かと心配してやるほどお人よしではないし空気が読めなくもない。混じりけのない殺意が湧いた。

 ――諦めるな! 何度も死を覚悟したレッドボーンのマスターにすら、最後には打ち勝ったじゃないか!

 丈夫な繊維で作られているはずの黒衣がついにミシミシと悲鳴を上げ始めた。シュイが上下左右に動きつつアミナの手を振り解こうと唸り声を上げた。

 その必死な様子を見ていて情が湧いたのか、アミナの手が僅かに緩んだ。次の瞬間――



 館内に轟音が轟き、ホールにいた傭兵や受付達が肩を大きく戦慄かせた。続いては何事かと辺りを見回し始めた。

 あっ、とアミナが声を漏らし、恐る恐る顎を引いた。廊下の壁に強かに頭を打ち付け、痛みに呻いているシュイの姿が、そこにあった。

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