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~勃発 outbreak of the war2~

 薄暗い回廊をイヴァンが先導し、ユウヒがその後に続く。石床はきちんと掃除されているのか、塵一つ落ちていない。右手からは一定間隔で日差しが差し込み、楕円形に壁を照らしている。左手の壁には壁画らしき物が刻まれていた。三つ首の竜と巨狼、それに菱形の形をしたなにかが幾つも宙に浮いている絵だ。

「例の物はどこに?」

 前方から投げかけられた低い声に、ユウヒが視点を変えぬまま応じる。

「こっから北にいった都市、ルトラバーグにある。砂船には乗っけてこれんかったが」

「ああ、ちゃんとあるなら構わない」



 ややあって壁画が途切れ、ユウヒが視線をイヴァンに戻した。その背中の隙のなさに自然と笑みが浮かんだ。半ば呆れたような笑い方だった。

「エスニールの者らには何度となく言われているだろうが、俺からも礼を言わせてもらう。同胞を助けてくれたこと、感謝する」

 イヴァンが礼を述べるとおもむろにユウヒが歩みを止めた。足音が途絶えたことに気づいたイヴァンが肩越しに後ろを見た。

 ユウヒの顔からは先ほどまで浮かべていた笑みは消えていた。鬼神の形相。込み上げる怒りを圧し込めるかのようにきつく目を瞑っていた。歴戦の戦士であるイヴァンにすら言葉を継ぐことを躊躇わせるほどの気迫がそこにあった。

 ややあって、溜息と一緒にその表情が吹き消された。

「わいには、礼を言われる資格なんてない。もうちょい早くあの場に駆けつけていれば、連中の動向に気い張ってさえいれば。あん時の後悔は今も胸に刺さっとる」

 後悔。その言葉はイヴァンの心にもさざなみを立たせたようだった。束の間、胸を着ている服ごと鷲掴みするかのように抑え、やがて手放した。

「非戦闘員が大勢助かったのはおまえ達のおかげだ。皆も口々にそう言っていた」

「そか。会いにいったんやな」

 イヴァンは小さく頷いた。



 セーニアの軍による奇襲からなんとか逃れたエスニールの者達は亡命を余儀なくされた。住処を破壊し尽くされたこともそうだが、口封じのために再度命を狙われる可能性があったためだった。

 ユウヒとその協力者達は彼らを伴って秘密裏に国外への脱出を計った。ユウヒはセーニア側が早くに追手を放ってくる可能性も考えていたが、結果としてそれは杞憂に終わった。コンラッド・ディアーダの死という想定を超えた事態が発生し、セーニア側が追手を放つ余裕を失ったからだ。

 当然ながらその機会を逃す手はなかった。ユウヒは予め手配していた他国の商船の荷にエスニールの者達を紛れ込ませ、海路を使って何か所もの国を巡り、最終的にケセルティガーノへと運んだ。足跡を追えぬように慎重を期したが故のことだった。

「すまんな、従妹殿を守れなくて」

 そう言うユウヒにイヴァンは目を伏せ、小さく首を振った。

「言うな。ミレイは立派に戦ったのだろう」

「……あかんわ」

「……ユウヒ」

 ユウヒはゆっくりと天を仰いだ。

「ミレイは、わいとイェルドが看取った。実の親が流行り病で亡くなりよった時だって、あれほど心は乱されへんかった。能天気を自負するわいがあれほどどす黒い気持ちになれるなんて、夢にも思わんかったわ」

 言いながら、ユウヒは眼鏡が掛けられたままの両目を片手で覆った。滲んだ涙を見せまいとするかのようだった。

「わいはまだええ、それよりずっと辛かったんはイェルドの方や。多感な時期にたった一人の家族を間近で、考え得る限りの最悪な状況で失ったんやからな」



 イヴァンはユウヒから目を逸らした。ずっと見ていればその感情が伝染してしまうことがわかっているようだった。また、ユウヒが口にする言葉を選んでいることにも気づいていた。その光景を明確にイメージさせるのを避けているのかも知れなかった。イヴァンも、敢えてそれを指摘することはなかった。詳細に告げられた所で、今ある暗い感情が更に増すだけのこと。それも、今後の目的に支障をきたしかねないほどの物だということを、薄々と察していた。

「一番近くにいたあいつに看取られたなら、彼女も安らかにいけただろう」

「そう信じたいけどな。今頃二人して、わいらを見とんのやろか」

 イヴァンは頷きかけ、そのまま首を傾げた。

「二人、とは」

「ミレイとイェルドに決まっとる」

「イェルドは生きているはずだが」

 ユウヒが口を半開きにし、眼をまん丸くした。その反応に、イヴァンは僅かに相好を崩した。

「な、なんやて。それほんまか」

「そうか、本当に知らなかったか」

「ほんま、なんやな。えがった、それ聞けただけでもここに来た甲斐があったわ。きょうびめっきり手配書を見かけなくなりよったから、捕まったか殺されたかと」

 ユウヒは微かに笑みを浮かべると眼鏡をはずし、腕で涙を拭おうとした。が、直ぐに思い留まった。砂の吹き荒れる街を歩いてきたためか、砂礫に含まれる鉱物がきらきらと輝いていた。仕方なしにといった表情で、ポケットからタオルを取り出し、顔をごしごしと擦った。



 イェルドの手配書に付いていた似顔絵は、手配書が新しく張り直される度に成長を考慮した修正が加えられていった。だが、印象を悪くさせるために手を加えたのが徒となったのだろう。時を経るにつれて、幼少時の彼の顔をよく知る者ならば、こうはならないだろう、と口を揃えるような似顔絵になっていった。二年前のヌレイフ湿原での戦い後、敵方の賞金首が増え過ぎたことも影響したのか、「イェルド?」と首を傾げたくなる似顔絵は終ぞ見かけなくなっていた。

「足跡もまともに掴めていなかったようだし、もういい加減諦めたのだろう。俺の方からも一つ訊きたい。おまえたちはあの日、一緒に行動していたのではないのか」

「残念ながら途中までや。そんで、あの坊主は今どこにおるんや」

「シルフィールで傭兵をやっている。無論素性を隠した上でな。直近の報告ではポリーの支部長になったと耳にしているが」

「ポリーやて。まさか、シュイ・エルクンドかいな! そりゃ思いつかんかったわ。あいつ頑張りよったなぁ、あの若さでよう支部長なんかに」

「心に期する物があったのだろう。もしかすると今回の件でやつも動くかも知れん。なにしろ相手がセーニアだからな」

「ん、待てよ、シルフィール? そぉか、それでか!」

 ユウヒが思い出したように手のひらをポンと叩いた。

「どうした」

「いや、そんな大したことでもないんやが、三年ほど前やったかな。前触れもなく家にシルフィールの大物がやって来た事があったんや。茶ぁ飲みに来ましたー言うてな。ほんならこっちも、と真に受けて一番高い煎茶出したらまぁたらふく飲んで、満足して帰っていきよったわ。あの姉さんほんに器が大きいわぁ」

 ふむ、とイヴァンが相槌を打つと、ユウヒはそんなわけや、と結んで再び歩き出そうとした。

「――おい、それで話は終わりなのか」

「うん? ああ、いかんいかん」

「…………」

「って、ひどっ! そんな可哀想なもんを見るような目ぇせんといてぇな。それが久々に会った親友に向ける目かいな」

 イヴァンらしからぬ侮蔑の視線にユウヒが声高らかに抗議した。

「なら話せ、簡潔且つ要点を捉えてな」

「あんさん、相も変わらず我が道を行くお人やな」

 溜息交じりにそう言うユウヒに、イヴァンは眉間の辺りを撫でた。

「おまえは相変わらず人を食ったやつだ」

「まぁわいの愛らしい性格は横に置いといて」

「自分で言うな。それから、飄々ひょうひょうとした、という言葉も辞書に書き足しておけ」

「まぁそんなわけで」

「無視か」

 流されたことにムッとするイヴァンを差し置いて、ユウヒが身振り手振りを交えて説明する。

あの・・有名なハーベルはんが顔出したんや。いや、姉さんまたえっらい美人やわ、って見惚れとったら台所の方から嫁はんの殺気がびんびん飛んできてな。めっさ怖かったわぁ。まぁ嫁はんも同じくらい可愛いけどな。ぷんぷんと膨らませた頬を見るとこっちもつんつんってしたくなるわぁ。わかるやろ」

「また脱線させる気か。それともただ単にのろけたいだけか」

「両方や」

 しまりのない顔で即答したユウヒに、イヴァンの表情は変わらなかった。が、額には薄らと青筋が浮かんでいた。

「もういい。おまえにまともな話を求めた俺が愚かだったのだろうな」

 そう言って振り返り、再び歩き出した。ユウヒが「あんさん堅いわぁ」と言いながら慌てて後に続く。

「重い話をしよる時はお茶濁すことも大切やって。話の続きやけどな、世間話しておるうちにエスニールのことについて教えて欲しいってきたんや」

「それで、話したのか」

「あんさん、立ち直りも早いわぁ」

「話したのか」

「ちょおっ、顔近いがな! そんな怒らんといて。そん表情で凄まれたら女も逃げるで」

 顔で余計なお世話だと言ったイヴァンを避けるようにして、今度はユウヒが前に出た。



「わいかて全てを知っとるわけやない。あんさんやミレイから聞いた内容をそのまんま伝えるんが関の山や。力のある族長が魔力の吹き溜まりを散らす役割を負うとかなんとか、やったな?」

 不安げに振り返ったユウヒに、イヴァンは、大体そんなところだ、と肩をすくめた。

「どうやら元からなんかしらの仮説を立てとったみたいでな。やっぱりね、とか思わせ振りなことしか言わんかった。あの姉さんも水面下でこそこそ動き回っとるようやな。それがイェルドと関連しとるとは思わんかったけど。ほんで、イヴァンはイェルドと顔合わせたんか」

「ああ、三年ほど前に偶然な。その時は無名に等しかったが、たかだか数年で随分と名を上げたものだ。ディアーダ卿を屠ったのもあながちまぐれではなかったようだな」

「やっぱり、<ナイト・マスター>もイヴァンが殺したわけやなかったんやな」

 世間ではイヴァンがコンラッド・ディアーダを殺したことになっているが、当事者であるユウヒにしてみれば半信半疑だったのだろう。納得したように頷いた。

「まだ生きていればそうしようとしたさ。出来たかどうかは別としてだがな。それはそれとして、先ほどの話に戻るが、あいつに一体(・・・・・・)なにが起きた(・・・・・・)

「なにって、なんでイヴァンがその話・・・を知っているんや」

 イヴァンは口を開きかけたが、視線を逸らし、小さく首を振った。敵対したことから何から、上手く纏めて説明する自信がないようだった。

「その辺の事情を話すと長くなるしややこしくもある。ただ、なにか無くしてあのディアーダ卿が殺されるわけがないからな」

 ぼかされたことにユウヒは少し不満げな顔を作る。

「まぁええわ。詳しいところはわいにもようわかっとらんが、ミレイのことが引き金になったんは確かや。耳新しい言霊を口ずさんだかと思ったら洒落にならん力場が生じた。そないしたら、周りにあった亡骸から雪のような光がぎょうさん現れて、空に落ちて行ったんや」

「空に、落ちて、行った」

 自分の言動を確認してみろ。そうと言わんばかりにイヴァンが棒読みで繰り返した。

「なんやねん、そのけったいそうな目つき! ほんまに、なんちゅうか加速の具合がそんな感じやったんやて! ほんである程度の高さで留まって星みたいに一斉に瞬き始めた。と思っとったらそれを起点にして文字が次々と描かれてな。最後には空を覆い尽くすほどの魔法陣が出現したちゅうわけや。あないなもんは今まで見たこともない」



 魔法陣、と小さく呟いたイヴァンは、三年前のおぼろげな記憶を引っ張り出しながら口を開いた。

「それは赤い光だったか。それとも紫」

「ちゃうわ、青白い光やった。それが空からゆっくりと迫ってきたんや。イェルドを軸にして回転するようにな。なんや、引っ掛かることでもあるんかいな」

「いや、いい。続けてくれ」

 考え込んでいる様子のイヴァンにユウヒは首を傾げたが、気を取り直して続けた。

「それがやばいもんだってことくらいは一目でわかったからな。どうにかしてイェルドとの接触を阻もうとしたんやけど、あかんかった。イェルドは空から降ってきた積層型の魔法陣に取り込まれたんや」

「取り込まれただと。ただの強化魔法ではなかったのか」

「術が発動した途端に意識が定かではなくなったから、どちらかと言えば呪いの類に近いと推察しとる。辰術の秘技にもそういったもんがある。おのれに一つの命令を挿入(インプット)して自然と一体化し、一時的に膨大な力を引き出すもんや。ただ、あれはちょいと規模が違う」



 イヴァンは腑に落ちない様子だった。実際、イェルドが振るった力は一個大隊を短時間で壊滅せしめた。エスニールの乱では<ナイト・マスター>が殺されたことばかりが取り沙汰されていたが、どちらかと言えばそちらの方が問題視されるべきことのように思えた。一国の軍を屠るほどの、古竜(エンシェント・ドラゴン)に近い、人の領分を逸脱した力。それが何者かの手によってなされたという事実に。

 だが、そんな力の存在を明るみにしたところで混乱を招くだけに終わる可能性もある。開戦を前にそんな敵対者がいると知れれば、セーニアの国の者たちはこぞって戦争に反対したことだろう。

 ――隠蔽したかったのはイェルドの存在。もしや、殺すつもりではなく……。

「イェルドと別れる間際」

 その一言でイヴァンの思考が現実に立ち返った。

「すまなそうな、なんぞ堪えておるかのような表情で頼まれたんや。『皆のこと、お願い』ってな」

「皆というのは、避難させていた同胞達のことだな。その後は」

 ユウヒが鼻当てを上に押すようにして眼鏡の位置を直した。

「その後もなんもない、話はそんでおしまいや。イェルドがわいの前から光と共に姿を消して、それっきり。エスニールを襲ったセーニア軍が壊滅させられ、ディアーダ卿までも殺されていたことを知ったんは、それから三日も経ってからのことや」



 ユウヒの手は腰に下げていた刀に添えられていた。柄が浮き上がり、刃が微かに覗いていた。

「イェルドは、エスニールの者らは全てを奪われた上に大きな罪までも背負わされた。わいはあないなことをしでかした連中を、絶対に許されへん」

 そう告げたユウヒが、鍔鳴りを強く打ち響かせた。回廊の空気が軋み、その余韻が二人の鼓膜を震わせた。

 ユウヒの脳裏には雨が降っていた。冷たくなった白髪の少女が、それを抱いたイェルドの濡れた背中が、鮮明に映っていた。

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