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~障壁 be in the way6~

 胞子は藻類や菌類の散布体であり、飛散する性質を持つものも多い。傘状の茸の胞子は傘の裏のひだ部分に最も多く作られる。また、細菌などと違って固い殻に覆われており、熱や薬剤くらいではそうそう死滅することがない。

 一部の菌類では、胞子が形成される際に、成熟した胞子が打ち出されるような仕組みを持っている。そのような仕組みは射出される胞子そのものが持つ場合、胞子の入った袋に備わる場合、そして、茸本体が持つ場合がある。



 セーヌに胞子を噴出したのは、傘を膨張させて破裂させる習性を持つ稀有な茸だった。破裂によって傘に付いた無数の胞子がより遠方へ、より広範囲へ撒き散らされる。

 名前は発見者の銘を取ってチャイカ。その胞子には含まれる神経毒もさることながら、それ以上に恐るべき特性があった。生物の体内に寄生し、細い根を張り巡らせた後、宿主の養分を吸い取りながら成長、分裂を繰り返すのだ。それが毒性を帯びたまま進行するとしたらどうなるか、その結末は火を見るよりも明らかだ。

 神経組織がさほど複雑ではない、昆虫などの生物に寄生した場合は、宿主が毒にやられる前に乗っ取りが行われる。その生き物は胞子が茸に成長するまでにじわじわと身体を侵食され、ついには生きた屍となる。後は皮膚や頭を突き破って茸が出てくるのを待つばかりだ。

 個体数が少ないながら、古くから要人を病死に見せかけて殺すのに使われていたという曰くつきの毒茸。一定量増えると長い根が皮膚の奥深くまで潜り込み、神経と同化して完全に取り除くことが不可能になる。付いた忌名が<緩慢なる終局(エンド・オブ・グラジュアル)>と大仰なのも頷ける話だろう。



 ユーダは横たわるセーヌに治癒魔法を掛けながらその様子を観察し、効果が出ているかどうかを確かめていた。

 セーヌは両手の指を突っ張った状態で痙攣を繰り返していた。白目を剥いている眼が、閉じ掛けた目蓋から薄らと覗いている。しゃっくりでもするかのように息を継ぎ、周りから掛けられる声にも一向に反応しなかった。額からは汗の滴が何度となく頬を伝っていた。

「……まいった、一向に良くなる兆しがない。通常の治癒魔法じゃ効果が薄いのか、それとも相当な猛毒なのか。少なくとも俺には治せそうにない」

「後一歩のところで、くそっ」

 ラガンが悔しげに樹の幹を叩いた。目の粗い灰色の樹皮が弾け飛び、梢から剥がれた枯葉がひらひらと落ちてきた。

「引き返そうぜ。こいつ、どう見たってこのままじゃ長く持たない」

 段々と、胸の上下する頻度が早まってきたセーヌに視線を落とし、コルトが絞り出す様にそう言った。

「自分で言っていることがわかってるのか? これを失敗したら俺たちは――」

「――あの厳しい試験監督のことだ、確実に不合格になるだろうな。そうかと言って、人命と秤にかけられないだろ。半年後だってあるんだ」

 だが、とラガンが口を挟む。

「彼女自身がそれを望まないはずだ。昨日の話を忘れたわけじゃあるまい」

「それはそうかも知れないけれど、死んじまったらお家騒動どころの話じゃない」

「僕も、コルトさんに賛成です。生きてさえいれば、他に道が開ける可能性があるかも知れない」

 賛同してくれたアマリに視線を走らせ、コルトは僅かに頬を緩めた。

「でもねぇ、ブラッディオ・ルーガだって相当に消耗しているはずだよ。そんなに時間はかからないんじゃ」

 グレイスは煮え切らぬ表情だった。先ほどまで交戦していたブラッディオ・ルーガの体力はかなり削ることが出来ている。もう少しで捕らえられるという確信は全員一致するところだろう。ブラッディオ・ルーガを捕獲してからでもセーヌが助かる可能性にはさほどの変化がないようにも感じていた。

 合格したいという気持ちを完全に打ち消すことも出来なかった。一回で受かれるか否かではその後の周囲の印象や評価といった物が大きく異なるのは必然。

 しかしながら、その判断を誤って一人でも犠牲者を出せば、不合格になる確率もないとは言えない。セーヌに万が一のことがあって欲しくないという気持ちも多分にあった。気持ちが拮抗しているからこそ、判断に迷っていた。

「引き際を見極めるのも、傭兵としての大事な能力じゃないですか?」

 マウリが上目遣いでそう言うと、グレイスは首の辺りを掻いた。

「んー、坊やにそう言われると弱いねぇ。たださ、彼女の意識が戻った時に納得してくれるかは別問題だよ」

「そん時はそん時だ。俺の判断でそうしたって言ってくれていい。恨みを買うのは一人で十分だし、元々あんまり好かれてないからな」

 コルトがぶっきらぼうな口調で言った。

「――うん、退くべきだね。戻ろう」

「ミッコ。皆も、それでいいのか? 自分の死ぬ可能性にすら眼を瞑ってここまで来たのだろう?」

「ちっぽけな僕のプライドと人の命、比べるまでもないさ。ましてや、傭兵になればこんな依頼を何十、何百とこなすんだ。十回こんなことがあって十度見過ごす。そんなこと、僕には出来そうにないから」

 ラガンはミッコと束の間、視線を交錯させた。ややあって、苦しそうな吐息の音が三角耳に入り、セーヌを一瞥してから諦めたように眼を瞑った。

「温いやつらだ。……仕方あるまいな」

「……ラガン」

「彼女の魔法無くしてはブラッディオ・ルーガの捕獲は不可能だった。ならば自分の未熟さを呪うべきなのだろうな」

 そう言うなりそっぽを向いたラガンに、コルトは微かに笑みを浮かべつつもぺこりと頭を下げ、セーヌの身体を担ぎ上げた。



――――



 廊下側から近づいてくる音に反応し、着席していたコルトが顔を上げた。シュイが大部屋に何かを手にして戻ってくると、待たされていた受験者達が一斉に腰を上げ、シュイの方に詰め寄ろうとした。

「手当は終わった。命に別条はない」

 先んじてシュイがそう言うと、受験者達の安堵の息が、大部屋内に響いた。それで緊張感が切れたのだろう。興奮に上書きされていた疲労が再び顔に現れていた。



「良かった、一安心だよ」

 グレイスはそう言って腰を下ろした。眠気に襲われているのか、長い瞬きを繰り返していた。

「後学のために聞いておきたい。どうやって治したんだ?」

 一番前の席にいたユーダが、立ちかけたままの姿勢で訊ねた。

「菌類は乾燥に弱い。取り分け、チャイカはその性質が特に顕著だ。風すらも届かない、深い森の中でしか生育できないほどに」

 シュイが六人の顔を見渡すようにして説明を始めた。皆それぞれに疲れた様子だったが、顔だけはシュイに向けられていた。

 消化器系についているものは薬湯を無理矢理飲ませることによって胃で分泌される消化液で分解される。気管支に入ってしまったものについては極力弱めた風魔法を口から一定時間送り込み、乾燥させて殺す。チャイカの神経毒は真っ先に呼吸器系を冒すが、その理由は呼吸をさせないようにして最適な生育環境を整えるためだ。早くにその条件を壊せば増殖する前に死滅する。



 簡潔にして要点を捉えた説明が終わると、ラガンは背もたれに寄り掛かるようにして天を仰いだ。

「ブラッディオ・ルーガを追うことで注意が散漫になっていた。焦った結果がこの有様か」

「討伐や捕獲だとどうしても目標物に目が行きがちになる。だが、初めて足を踏み入れる場所では(フィールド)の特性を把握しておかないと痛い目を見ることもある。警戒心を維持し続けることが出来るかを試す意図はあった。そこは今後の課題だな」

 シュイの言葉を聞き、マウリは目頭を抑えた。今頃になって、悔しさが込み上げてきたようだった。

「……身に沁みて、勉強になりました」

「はいお疲れ」

 マウリの涙声に対するシュイの素っ気ない言葉に、受験者たちがぐっと唇を噛んだ。温厚なミッコですらきつく目を瞑っていた。重々分かっていた上で選択したことだったが、シュイが発言したこの瞬間、自分たちの挑戦は終わってしまった。胸に込み上げてくるものをどう処理して良いのかがわからないというように、六人は各々異なる姿勢で、しかし面持ちは似通っていた。落胆の様子を隠し切れている者はいなかった。

「では、認定書はここに置いておく。セーヌ・トゥルニエの分は覚めた後で誰か、医務室に届けてやれ。――俺は今しがた、火急の件で呼び出しを受けてしまったんでね。今後の説明はペテルに任せる。じゃ、またな(・・・)



 ――え。

 引き戸が閉まった音に遅れること五秒、六人の目が点になった。



「……またな、って、どういうことだ」

 さっぱり要領が呑み込めていなそうなラガンを横目に、入口の前に立っていたペテルが教壇の前まで進み、息を限界まで止めていたかのように大きく溜息を吐き出した。

「説明する時間くらいはあったでしょうに、肝心な説明を端折るなんて本当に意地悪なんだから。――改めまして受験者の皆さん、合格おめでとうございます。ようこそシルフィールへ、と言ったところでしょうか」

 合格と言う言葉に、全員が一斉に眼を見開いた。ペテルは口元に微笑みを湛えていた。

「な、何でだ。俺たち任務放棄したんだぜ?」

 戸惑っているコルトにペテルは、そうですね、と軽く返した。

「仲間が命の危機に陥っている状態で任務を諦めるのはチームとして当然の判断。負傷した仲間を抱えて任務放棄を選択した時点で合格が確定したのです」



 驚きの表情を浮かべている受験者達を前にして、ペテルは全てを明かしていたわけではなかった。シュイは三日目の試験が終わった時点で試験官全員を集めて話し合いの場を持ち、彼らの合否について意見を募っていた。

 大半の者は、鳥獣の乱入に関しては滅多にない事故であると判断を下した。仮に最終日の捕獲が失敗したとしても、総合的に考えて傭兵になれる能力は十分に示しているとの見方から、彼らを合格させるべきだと訴えていた。そして、シュイもその申し出を認める言を口にした。

 その代わりに、最終日については予定通りに試験を行うこととした。受験者達が自力で合格出来るならばそれに越したことはない。下手に温情を掛けたと受け取られかねない合格よりは達成感があって良いだろう、と。

 結果としては合格を目前にしてセーヌが倒れて続行不可能になったわけだが、他の受験者達が逡巡を経て来た道を引き返して行ったのを見送り、シュイは試験終了を告げると彼らの帰途の護衛を試験官たちに任せ、先んじて試験場の建物に舞い戻った。



「何だかんだ言ってもエルクンドさん、あなた方の決断が早かったことには満足そうでしたよ」

「……その口振りからすると、あの時試験官達も傍にいたのか」

「別にあの時だけではありませんよ。あなたの感知魔法に引っかからぬよう気を配りつつ、初日から遠巻きに監視していました。いや、三日目のまさかの結末には笑いを堪えるのに苦労しました」

 なんてこった、とユーダが頭を抱えた。四日間監視されていることに気付かなかったのが、余程ショックだったようだ。続いてはブラッディオ・ルーガの捕獲依頼がA級クエストであることを伝えられ、六人全員が唖然とする。

「僕達、そんなのをやらされていたんですか」

 マウリが何とも情けない声を出した。

「そうは言いましても、七人がかりでやるような依頼ではありませんし予習だってしたはず。しかも遭遇場所を記した地図まで付いている。至れり尽くせりです。難度としてはB級のやや優しめの依頼に該当したのでは、と私はそう認識しています」

「うぅ、それはまぁ、そうでしょうけれど」

 マウリは嬉しさ半分悔しさ半分といった様子で、目をしきりに擦っている。

「万が一、受験者達が死んだところで罪に問われるわけではありませんし、その心配も殆どなかったと断言しておきましょう。こんなこと勝手に教えちゃったら後で彼に怒られてしまうかも知れませんが、実を言えば今のあなた達には手に負えそうもない魔物がそちらへ向かったことも何度かありました。その際はエルクンドさんが魔物の注意を引き付けて上手いこと遠くに誘導していたんですよ。我々試験官に対しても、窮地に陥ったと判断した時には必ず助けに入るよう命じていました。こちらもそれなりに大変だったんです。特に三日目はあなた達が野宿したおかげで徹夜する羽目になりましたからね」

 グレイスがどれどれとペテルを見ると、なるほど、確かに目の下に色濃い隈があった。ペテルはその視線に気付くとわざとらしく口に手を当て、小さく欠伸をしてみせた。

「じゃあなにかい。仮にあのままブラッディオ・ルーガの追跡を続けようとしていたら――」

「――ご本人ではないので確定的なことは言えませんが、おそらくは即刻試験を中断、全員不合格にしていたと思いますよ。そうならなくて良かったですね」

 受験者たちが各々、何とも言えぬ表情を見合わせた。

 達成できるかできないかのギリギリな状況では、得てして判断を誤りがちになる。冷静に自分達の状況を省みて、時には誘惑を振り捨て、諦める勇気(・・・・・)も必要になる。予想外(イレギュラー)の事態に陥れば尚の事だ。

 そう諭した上で、ペテルが人差し指を真上に向けた。

「Bランク以上の傭兵になるには、成功を積み重ねる以上に必要なことが一つあります。もうお分かりですよね」

「生き延びることだね」

 ミッコの即答にペテルは真顔になり、教壇に置かれている七人分の認定書を見た。

「命は一つ、やり直しは効きません。今回の試験で学べたことは多いはず。A級以上の依頼の大半は、個人の力では達成が困難なものばかり。ですが、同業者の信頼を少しずつでも良い。積み重ねていくことが出来れば、いずれあなたたちも私達が背中を任せるに足る傭兵になるでしょう」

 コルトが両腕をぶらつかせ、がっくりと頭を傾いだ。

「勘弁してくれ。絶対落ちたと思ってたのに、人が悪過ぎる」

「別に意地悪のためだけにそういうことをしたのではありません。ぎりぎりの判断を迫られて、尚正解を出せる人でなければ早死にしてしまいます。それを確認出来たことは意義があったでしょうし――」

 一呼吸置いて、ペテルが受験者達に笑顔で告げる。

「――エルクンドさんは、捕獲に失敗したら不合格だ、などとは一言も口にしていない。そうでしょう?」

 早合点したあなた方が悪い。そうと言わんばかりに、ペテルは得意気に胸を張った。



――――



 それから二日後。意識を取り戻したセーヌはベッドから半身を起こし、傍らに座っているコルトから自分が気絶した後の経緯を聴いていた。

「じゃあ、皆合格できたのね」

「納得いかねえことが多過ぎて素直には喜べないけどな。ほい、これがおまえの認定書」

 おおよその説明を終えると、コルトはセーヌ・トゥルニエの名前が綴ってある小さな茶封筒を差し出した。セーヌはそれに目を落とし、掛け布団からおずおずと、手を出して受け取った。

「皆に合わす顔がないわ。あれだけ偉そうなこと言っていた私が最後に思いっ切り足引っ張っちゃうなんて」

「その悔しさを次に活かせばいいさ。本物の依頼を失敗したわけじゃないんだから」

 セーヌが小さく溜息を付いた。コルトに慰められたことが逆に堪えたようだった。どんよりとした雰囲気に晒されたコルトは、何とかそれを払拭しようと声を高めた。

「あー、そう言えばさ。この依頼、実はA級に相当する任務だったらしいぜ?」

 えっ、とセーヌが驚きの声を漏らした。ひでえ話だよな、とコルトが踏ん反り返ると、やっとセーヌの表情から陰が取り払われた。

「ラガンとグレイス以外はDランクからのスタート。D、Cランク傭兵はB級依頼までしか受けられない。つまり、再びこの任務が出来るようになるまでには早くて一年以上、あの二人でも半年はかかるってことだ」

「そっか。昇格するまでにこなせる力を付けろ、ってことなのかな」

「かもな。おまえも、これでしばらくはお家騒動から解放されるんだろ? だからさ、一緒にBランクの昇格目指して、今度こそ自分達の力で達成しようぜ」

 一緒に。その言葉を意識したセーヌは少し頬を膨らませながらも小さく頷いた。その反応を目の当たりにして、コルトも気まずそうに、少し照れ臭そうに視線を逸らした。



「敵わないわね」

 沈黙を破ったのはセーヌの呟きだった。コルトはその一言に込められた意味を考えていたようだったが五秒ほどして口を窄めた。

「全てが手の平の上、だもんな。くそっ、散々俺達を振り回しやがって。あんな場面を雁首並べて鑑賞されていたかと思うと腸が煮えくり返りそうだ」

「あんな場面、って?」

 ミシッと握り拳を鳴らしたコルトにセーヌが首を傾げた。

「な、なんでもねえよ」

 コルトがぷいと顔を背けた。照れ隠しのつもりなのか歯を食い縛っている彼に、セーヌは後で誰かに訊いてみようか、と天井を見上げた。



「あぁ、そういえばもう一つ。試験官から言伝を預かったんだった」

 不思議そうに頭を傾いだセーヌに、コルトはシュイ・エルクンドからの言葉だと前置き、表情を引き締めてから口にする。

 『誰一人として欠かさず、俺のところまで駆け上がって来い』、その台詞を。

前半部:支部長のお仕事、これにて完結です。次話より後半部:ランカーの条件に入ります。

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[良い点] 青春ものみたいでグッときます
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