~障壁 be in the way5~
後一歩の所で合格をふいにされた受験者たちは、乱入してきた鳥獣を鬼の如き威容で袋叩きにし、それを腰掛け代わりにして今後の方針を話し合った。結論が出るのにさほどの時間はかからなかった。既に夕暮れだったこと、宿まで引き返した場合の移動時間のことも考え、野宿することが決まった。
奥深い森から海岸に出、白い砂浜からさほど離れていない芝生の上に平らなスペースを見つけた。その中でも幾分拓けた場所に寝る場所を確保した上で、ユーダが左手の五指に付けている乳白色の指輪を外し、祈りを捧げるように手を組み、何事かをぶつぶつと呟き始めた。
ほどなくして、両手に挟み込まれていた指輪が光を発し、砂となって指の隙間から零れ落ちていった。それとほぼ同時に、六人の周りを囲むように三角形の白い方陣が二重に出現し、外側の三角形が領域を拡大していく。一定の距離を進んだところで広がり続けていた三辺が停止、中央の方へと折り返した。六人のほぼ真上にて頂点が結ばれ、大きな三角錐が形成されたところでユーダが手を解き、皆に座るよう促した。
構築されたのは感知結界の一種だった。領域内に侵入する者が現れると結界内の空気が乱れて知らせるタイプのものだ。胡坐を掻いていたグレイスは張られた結界を物珍しそうに見ながら口を開いた。
「良いのかいユーダ。この結界魔石、結構値が張るやつじゃないか」
「問題ない。これで試験が突破出来ると思えば安い物だ」
「僕ら、本当に突破出来る、でしょうか」
マウリがそんな疑問を不安げに投げ掛けると、セーヌが眉間にしわを寄せながら手を払うかのように宙を薙いだ。
「当たり前でしょ。今日はたまたま運が悪かっただけよ。思わぬ邪魔が入らなければ捕獲出来ていたわ」
「つってもよ、マウリの気持ちもわからなくはないぜ。滝のような豪雨が降ったと思ったらお次は絶妙のタイミングでの鳥獣。するってーと、今度は隕石でも落ちてくるんじゃないか」
「アンタ、縁起でもないこと言わないでくれる? 私は絶対に受かる、受からなきゃ駄目なの!」
コルトの他愛ない冗談に、セーヌが外見からは想像もつかぬ迫力で応じた。面食らったコルトが万歳しながらスススと腰を引いた。
「並々ならぬ決意があるようだな」
どこからか、薪を集めてきたラガンが、いかにも気のなさそうな表情で呟いた。七人が<更なる威に屈せよ>を跳ね除けてここにいる以上、皆が皆、心に期するものがあるのは確かだった。彼女だけが特別な決意で試験に臨んでいるわけではないのだ。
「私は、半年後を待つなんて悠長な事は言っていられないの。家督を継げるか否か、この試験にかかってるんだから」
「家督って、その若さでかい?」
ユーダはそう言いながらも、ラガンが置いた枯れ枝に火を放った。輪になっている受験者たちの中央から炎が一瞬激しく揺らめいた。セーヌは金髪を手櫛でほぐしながら肯定した。
「エレグスのトゥルニエ家ってご存じかしら」
「かなりの名家だな。ゼノワ家に並ぶ魔道の名門。君はそこのご令嬢というわけか」
「今は分家扱いだけどね」
言葉に語弊を感じたのか、ミッコがはてと宙に目をやった。セーヌはミッコに流し目を向け、溜息交じりに瞑目する。
「困ったことに、本家がどこだったか定かじゃないのよ。系譜に近い家が三つ集まって名字を共有し、それぞれが本家だと訴えている、要は色々と面倒くさい一族なわけ。加えて、今のご当主はかなり老齢でね。三家で跡目争いに発展しそうなのよ」
「でも、何だって君が矢面に立ったんだい? 両親や兄弟は?」
ミッコの言葉に、セーヌは目を薄らと開いた。その瞳は少しだけ潤んでいた。
「お父様は、私が小さい頃街に襲ってきた飢竜と戦って酷い怪我を負ってしまったの。一命こそ取り留めたのだけど、その時のショックで魔法を一切使えなくなってしまって」
「<AF>、か」
「アイ……何だって?」
「体内に構築されている魔力、辰力の通り道を魔術用語で<祈道>といってな。それが不具合を起こす状態のことだ」
「次期当主の有力候補とまで目されていた人なのよ。なのにその一件以来、私たちの家は軽く扱われるようになった。今や一族会議での発言権も殆どないような状態なの」
「そりゃあ親父さんもさぞかし辛いだろうな。だけど、それとおまえが傭兵試験受けるのとどういった関連があるんだ?」
コルトに訊ねられたセーヌは指を咥える様な素振りを見せたが、諦めたように、どこか投げやりに溜息を吐いた。
「うちの家を、どちらかに統合しないかって話が出てるの」
「統合って、つまりはどちらかの家に組み込まれちまうってことか?」
「あろうことか、二家には年頃の男子が何人かいるから誰かの嫁になれ、なんて言うのよ。信じられる?」
理不尽極まりないと言わんばかりに、セーヌが自分の膝を叩いた。
「アンタの年齢でそんなこと言われりゃあ、必死にならざるを得ないねぇ」
グレイスが同情したようにそう言った。
「とどのつまり、セーヌさんは結婚したくないってことなんですね」
マウリが口を挟むと、セーヌは重々しく頷いた。
「少なくとも今はね。家を継げば跡目が必要になるからそうも言っていられなくなるかもだれど、他家の連中とは顔も合わせたくない」
その口振りからは、相当に嫌悪している様子がありありと窺えた。セーヌは、万人が害虫や毒虫を目にした時に見せるような表情をしていた。
「そうよ、魔法が使えなくなったからってお父様をお荷物扱いした連中なんてどーやって好きになれって言うのよ。戦えなくなったって私たち家族に取ってお父様はお父様なのに」
「わかるよ。結論としては、他家の連中に君の力を示さなきゃいけない、というわけだね」
ミッコが火に枝を継ぎ足しながら頷いた。
「ただの向こう見ずな迷惑千万我儘娘ってわけでもなかったんだな。他人の人生も意外に深――あばばばば」
コルトが喋っている最中、セーヌが殆ど無造作に手首を掴み、そのまま<集束する雷>を唱えた。坊主に近い髪の毛がチリチリになったのを見て、マウリがプッと噴き出した。その有様は使い古した金属タワシのようだった。
「て、てんめえ何しやがる!」
「なによ! 先に悪口言ったのあんたじゃないの!」
「ちょっと、二人とも夫婦喧嘩はお止し――」
『誰がこんなやつと――』
グレイスに向かって斉唱し、そのことに肩を震わし、再びお互いを睨み合う二人を見て、マウリは二人の息の合った様子に一人感心していた。
――四日目。
早朝。一人ずつ交代で見張りをし、最終日に向けてたっぷりと睡眠を摂った一行は、地図を頼りにしながら一番近いブラッディオ・ルーガとの遭遇ポイントへと移動していた。沿岸部よりは少し奥まったところだったが、それほど奥地と言うわけでもない。中央の山よりは海岸にずっと近い場所だった。
期限は今日の夕方までとなっている。自分たちの今いる場所から試験場に戻るまでにはそれなりの時間を要することから、空が茜色に染まった頃を目途に、帰路に付かねばならなかった。
受験者たちの中には移動時、焦りを口にする者はいなかったが、挙動には微細な変化が現れていた。先行するラガンやコルトらが今までよりも早歩きになっていたため、歩幅の小さなマウリやセーヌは小走りで付いていくような感じになっていた。また、初日は藪の中に蛇がいないか等、満遍なく気を配っていたのだが、そういった警戒行動にも粗が出始めていた。締め切り最終日と言うプレッシャーからか、誰もが今までにない焦りを感じているようだった。
肌にチクチクと突き刺さるような緊張感。それぞれに一抹の不安を抱えながら、試験の期限時刻を頭に浮かべていた。だが、そんな懸念を一気に払拭する出来事が起きた。ユーダがブラッディオ・ルーガの存在を感知したのだ。
その報告を聞くや否や、受験者達が慌しく動き始めた。セーヌやマウリたちが追いつけぬほどの走行速度ではなかったが、それでも小走り程度ではとても間に合わぬ速度で接近を試みていた。セーヌとマウリは前衛が進む速度に舌を巻きつつも、見失うことはできないと、跳び跳ねるように後を追う。
「いたぞ!」
興奮気味な声が囁かれた。普段は大人しめなはずのミッコだった。彼が指で示した場所は岩の隙間から湧水がちょろちょろと流れている、苔生す湿地帯だった。一同がそこに赤い姿があるのを確認し、これで全てを終わらせる。その覚悟を決めた。
焦る心を諫めようと、ラガンたちは大きく息を付き、昨日と同じような陣形で攻撃を仕掛けた。戦闘開始から早々、ミッコがやや距離を詰め過ぎていたせいで腕に浅い切り傷を負ったが、角による再三の攻撃を潜り抜け、持っていた金槌でお返しとばかりに大きな爪を叩き潰した。
そこからの連携は素早かった。機動力を奪われたブラッディオ・ルーガにセーヌが<燃え盛る炎>を放ち続けた。何もかもが昨日と似たように進んでいた。体毛が焼き払われたところからグレイスやラガンらが手に持つ得物で切り傷、刺し傷を付けていく。怒り狂うブラッディオ・ルーガだったが、足を引き摺りながらの有効打は望むべくもなかった。
違う点と言えば、前日のブラッディオ・ルーガよりもかなり小柄だったために、セーヌの魔法が命中し難くなっていたこと。それを補正するべく、かなり厳しめな目標指示がラガンやコルトから何度となく出されていた。
それでも、彼女が外したのは僅か数発のみで他は命中させていた。驚異的と言って良い適応能力の早さだった。ユーダとマウリによる火消し作戦、禁煙作戦も功を奏し、特に妨害が入ることもなく、不利を悟ったブラッディオ・ルーガがあさっての方向へと走り始めた。
今度こそ。ただその思いで、七人はブラッディオ・ルーガの追尾を始めた。
昨日に比べて魔法を放つ回数を増やすことを余儀なくされ、セーヌは少し苦しそうに息を吐き出していた。しかしながら、中々弱音を吐くことはしなかった。誇り高い彼女の性格からして、誰かに気遣われるという行為に慣れていないのも一因のようだった。
一方で、先頭を走るラガンは薄暗い道すがら見かけた、その妙に色鮮やかな物に何か引っ掛かりを覚えていた。見覚えがあると言うわけではない。おそらくは記憶の残渣に紛れ込んでいるものがあった。
だが、現状ではブラッディオ・ルーガを追うのに手一杯でそれを気にしている余裕はなかった。今は最も優先すべき目標があった。
「ちょ、ちょっとちょっと。もう少しペース、落としなさいよ!」
ずんずん先に進んでしまう仲間たちに堪えかねたのか、セーヌが大声で呼び止めた。先行していたグレイスが後方を一瞥すると、大分後ろの方に、セーヌが苦しそうな表情で膝に手を付いていた。
「そうはいっても、あんまりもたもたしてると逃しちまうよ」
「わかってるけど、私はさっき走りながら、ずっと魔法を詠唱しまくって、るのよ。少しくらい、休ませてくれたって」
グレイスに対するその反論には確かに一理があった。少なくとも、一番疲弊しているのが彼女であることは疑う余地がなかった。
「まぁ、そうだな。何なら背負ってやろうか」
かんらかんらと笑いつつ歩み寄るコルトに、セーヌがきょとんとし、次いで顔を真っ赤にしながら胸を腕で庇う。
「だ、誰が背負わせるか! このスケベ!」
また始まったか。ラガンが眉をしかめながら後ろを振り向き、目の色を変えた。
セーヌの脇にある樹の幹に妙な色合いの、傘のような物が横向きに付いていた。それが唐突に膨らんだように見えた。先ほどの違和感の正体が何なのかが浮き彫りになり、それが全てを台無しにしてしまうかも知れない、そんな確信にも似た予感が脳裏を過ぎった。
「いかん! セーヌ、それから離れろ!」
呼び掛けられたセーヌがラガンの方を向き、それとは一体何なのかを訊ねようとした。その瞬間、セーヌの横顔に粉塵とも霧吹きの水ともつかぬものが過ぎった。
「なっ、えっ……」
セーヌが反射的に息を呑んだ。小さく開けられた口に向かう空気の流れが生じ、顔に纏わりつくように浮いていた粉末の一部が吸い込まれた。
それによる異変は直ぐに表れ始めた。細い膝ががくがくと笑い、次いで酷い風邪でも引いたかのように全身を振るわせ始めた。薄桃色の唇が真っ青になり、段々と白目を剥き始める。そうと思った時には、身体が斜めになっていた。
どさっというよりも、どすんという音に近かった。側頭部から地面に向かって扇を描き、卒倒した。滑らかで美しい金色の髪が、ぬかるんだ土の上に広がった。
「セ、セーヌさん!」
「どうしたんだこいつ、いきなり倒れたぞ!」
「駄目だ、そこに立ち止まるな二人共! なるだけ息を吸わないように、彼女をこっちに運んできてくれ」
険しい表情のラガンに、マウリとコルトは束の間顔を見合わせ、その判断がおそらくは正しいと悟ったのだろう。口を真一文字に結びながらも直ぐに行動に取りかかった。小刻みに痙攣しているセーヌの膝と脇に手を入れ、急ぎラガンたちの方へと駆け出した。
「何だ、何が起きた。感知魔法は展開していたが、魔物の気配なんてどこにも感じなかったぞ」
「俺としたことがぬかった。こんな物が生えていたとは。報告書だけに、魔物ばかりに気を取られ過ぎていた」
額を抑えるラガンに、ユーダがミッコらに抱えられたセーヌとブラッディオ・ルーガの逃げていた方角を交互に見た。既に赤い獣の姿はどこにもなかった。
「魔物、ではない?」
マウリとコルトがセーヌを慎重に横たえる傍ら、ラガンは彼女を昏睡に陥れた元凶となるものを指し示した。
「ん、何だいあれ。妙な形をしているけど」
グレイスはラガンが指差しているものに目を細めた。太い樹の幹に、太めの芯に傘の骨組みを継ぎ合わせたような形のものが付着していた。芯の色合いは濃い紫の素地に赤くて大きな斑点といったもの。毒々しいという表現にうってつけの組み合わせだった。
「ユーダが気配を察知できないのも当然だ。破裂するようにして神経毒を含む胞子を遠くまで噴出する質の悪い、しかし分類学上はただの茸だ。かつての傭兵仲間から、そういう厄介な物があるという話を聞いたことがあったが、気付くのが遅かった」
「って、おい。じゃあこいつ、どうなっちまうんだ? まさかこのままってことは……」
顔を蒼白にしたコルトに、ラガンは厳しい視線を向けた。
「今ならまだ間に合うはずだ。が、一刻も早く適正な処置をしなければ、手の施しようがなくなる」