~障壁 be in the way2~
シュイは鋼獣の鉛筆絵に入っている解説に目を通しつつ、口元に浮かんでくる笑みをしきりに噛み砕いていた。
――まさか図解付きとは恐れ入ったな。さては魔物図鑑を見たことのある者がいたか。ちょっと凝り過ぎている感もあるけれど、他の報告書よりも出来が良いくらいだ。90点ってところだな。
強いて言えば考察が少なかったが、依頼を直接やっているわけでないことを考えれば仕方のないことだ。それを抜きにすれば、上々の出来だった。
受験者たちが固唾を呑んで見守る中、教壇を前にしてシュイは提出された冊子をぺらぺらと捲る。ややあって手を止めると投げるように冊子を置いた。
「まぁまぁ、及第点には達しているな。良いだろう、二次試験も合格とする」
教室内に喜びの声が咲き、席に付いている受験者たちが思い思いにガッツポーツしているのを見て、シュイは、果たして次の試験でもそんな顔がしていられるかな、とフードの奥で意地悪い笑みを零した。
レポートを、次いで資料代わりに貸していた報告書を黒い箱に仕舞っているシュイに、受験者からおずおずと声が掛けられる。
「あの、これで次に進めるんですよね。もうどんな任務をやるかは決まっているんですか?」
シュイは箱に蓋を被せながら「そうだな」と呟いた。
「今のうちに説明しておこうか。前提として、シルフィールの依頼にはFからSS級までの8段階ある。今回チャレンジしてもらうのはB級クエストだ」
可もなく不可もなく。Dランクの傭兵であっても受けようと思えば受けられるし標準的な傭兵なら問題なくこなせる依頼だ。
「……B級クエスト」
顔を見合わせる受験者たちを尻目に、シュイは話を続ける。
「最終試験はブラッディオ・ルーガの捕獲任務。明日の朝から開始して四日後の夕方に終了とする」
隣で聞き耳を立てていた幼顔の試験官、ペテルがばっとシュイに向いたのを見て、受験者たちが不思議そうな顔をした。
「四日後……。ちょっと短くない?」
金髪の森族の少女、セーヌが口元に指を当てながら不安そうにシュイを見上げた。
「心配はいらない。やつらの住処はここからそんなに遠くないからな」
「ということは、予め居場所がわかっているのか?」
ぞんざいな口を利いたのは唯一人、プレッシャーを受けても体勢すら崩さなかった青髪の獣族の青年ラガンだった。
「おおよそな。歩いても日没までには辿りつける距離さ。この広い島の中を探し回らないで済むと思えば、四日でも多いくらいだろう。じゃあ――」
シュイの目配せに応じ、幼顔の試験官ペテルが一番近くに座っていたプラチナブロンドの少年マウリに持っていた羊皮紙を差し出した。
「あれ、この赤いバツ印って――それにこの地図は」
マウリは手渡された地図を見るなり、早速違和感に気付いたようだった。他の受験者たちもどれどれ、と席を立って近寄っていく。
「予め下見はしておいたし遭遇した箇所に印も付けてある。一つ補足すると、それはあくまでブラッディオ・ルーガを発見した場所だ」
受験者の何人かが不思議そうな顔をしたが、その一言で直ぐに気付いた者もいるようだった。そこにいるのは目標となる魔物だけではないのだ。他の魔物に捕獲の妨害をされることも考えねばならない。
「島の中央が空欄になっているのは空から地形を把握出来ないため。その理由は諸君らも知っての通りだ。山には絶対に近づくなよ、ランカーでも無傷では済まない場所だからな。では明日の朝、今日と同じ時刻にこの建物の入り口に集合しろ。ここは夕方まで自由に使って良い」
受験者たちはシュイから視線を外し、中心がぽっかり空いた地図を不安げに眺める。
「ブラッディオ・ルーガの担当者、誰だったかしら」
セーヌの問いかけにマウリが片手を挙げた。
「僕だよ。大丈夫、ちゃんと特徴は頭に入れてあるから後で紙に書き写すよ」
シュイが退室した後、受験者たちは地図を置いた机を真ん中にして、円陣を組むように顔を見合わせていた。マウリのみが椅子に座り、まっさらな紙に特徴を羅列していく。
「皆ちゃんと覚えてちょうだいよ。あの男が生優しい試験を出すわけがないからね」
「わかっているわよ。ええと、グレイス、だったかしら。あなた、あの試験監督のことを知っているの?」
短髪の黒髪の女グレイスは問いかけたセーヌに眉をひそめてみせた。
「……無知って罪ねぇ。ちょっとした酒場でシュイ・エルクンドを知らないなんて言ってごらんなさいな。大笑いされるわよ?」
「残念でしたー、生憎と私未成年ですから。ふーん、へんちくりんな格好しているけど結構有名人なのね。それにしてもあの人、こんなリスキーな試験して平気なのかな。もし合格者ゼロってことになったら上司に文句言われるんじゃないかしら」
受験者たちから少し離れて書き仕事をしていたペテルは面を上げた。
「ご心配なく。合格者ゼロの年、意外と多いですよ」
「なに、そうなのか」
一際大柄な魔族の男ミッコが表情に不安を滲ませた。
「調べれば直ぐわかるような嘘は付きません。――そして、新人が多い年度は死亡者も多い傾向にある。それも紛れもない事実です」
さらりとそう言ったペテルに、ミッコが呻いた。
「私もエルクンドさんとは初見でしたからどんな方か興味はあったんですが、何気に色々と気が回る方ですね。まぁ、決して甘くはありませんけれど」
「気が回るって、どの辺がよ。大体あの人、<レテの死神>って呼ばれているんでしょう?」
呆れ顔のグレイスに、ペテルは微笑を浮かべた。
「あぁ、あなたはセーニアの出身ですね。じゃあこれも覚えておくといいですよ。字なんて風評みたいなものですから当てになりません。味方に対しても死神のような方ならとっくに淘汰されています。あれで結構な数のファンがいるんですよ。傭兵は恐れられてなんぼですから、彼にとっては不本意でしょうけれどね」
「……へー、シルフィールって際物好きが多いのね。それとも、意外とあのフードの下には美形が隠れているのかしら」
セーヌが腕を組みながら感心したように唸って見せた。
「はは、色々と謎が多いことは確かですけれど。少なくとも、僕が今まで担当してきた試験のなかでは一番好感が持てます。傭兵に覚悟を問い、実際に任務に堪えられるかの適正を見る。この試験にしたって、あなたたちの命を無駄に散らさないことを念頭に置いています。わざわざ現場を下調べまでしているんですから。伊達に支部長を任されているわけじゃなさそうです」
「……言われてみれば、そうかもね」
グレイスが頬に手を当ててそう言った。
「差し支えなければ、もう一つ余計な事を言わせてもらってもいいですか?」
「何かしら?」
「では問題です。正式な傭兵ではないあなたたちに敢えて任務をやらせる。その思いの裏返しとは何でしょうか?」
「……ええと」
「そりゃあ、ちゃんとシルフィールでやっていけるかってことだろ」
分かりきったことをと言いたげな表情で、筆を止めたマウリの後ろに立っていた坊主頭の人族、コルトが口を挟んだ。
「うーん、60点、ですかね。つまり、最低限それくらいこなしてくれないとB、Aに上がる見込みが薄いということですよ」
ペテルの言に受験者たちの顔色が変わった。
「……ふん、なるほどな。D、Cランクで終わる様な傭兵を雇うつもりはない。そういうことか」
獣族の青年、ラガンが微かに口元を引き締めた。
「そんなところでしょうね、断言までは出来ませんけれど。多分エルクンドさんがやりたいのは、Bランク以上の傭兵に最低限必要な資質を問うテストです。ですからあなたたちの目標がそれ以下なら辞退した方が――」
「――面白い」
ラガンがペテルの言葉を短く遮るや否や、受験者たちの目に決意の炎が灯った。
幼顔の試験官は一人黙考する。傭兵になる気概は一次試験で問うている。二次と三次、二つの試験は、言わば期待に応えようとする能力を試す物だ。
――今の能力ではなくのびしろを計るつもりか。なるほど、我々の意図を理解しているし考え方もそれなりに柔軟なようだ。後は、彼ら次第かな。
ペテルは受験者たちの熱から遠ざかるように、再び書きかけの書類に目を走らせ始めた。
海に夕日の下半分が沈んだ頃、受験者たちが出て行くのを門の前で見届けてからペテルは建物の脇に備え付けられた外階段を上がっていく。屋上ではシュイが手すりに身体を預け、一早く現れた星を前に佇んでいた。
「エルクンドさん」
「あぁ、終わったのか?」
特に振り返ることなく、シュイが訊ねた。
「ええ、準備万端で臨むつもりのようですよ」
「……それは結構な事だ。力み過ぎて空回りしなければいいが」
「一つ気になったので確認させてください。エルクンドさんは一体どういうつもりであのような嘘を? ブラッディオ・ルーガは討伐こそBランク任務ですが捕獲となると――」
「――勿論知っているさ、確認するまでもない」
薄ら笑いを浮かべるシュイを見て、ペテルが真顔になった。
「まさか彼らを……」
嵌めるおつもりですか。そう呟いたペテルに、シュイはゆっくりと向き直った。