~試練 a trial ground5~
重い岩を無理矢理持ち上げようとしているかのような声が、延々と室内に響き渡っていた。うつ伏せになっている受験者たちは必死の形相で床に手を付き、どうにか身を起こそうともがいていた。
試験は中盤に差し掛かっていた。今のところ部屋を出られた者は担当官を除いて四人いた。途中で立ち上がった者が一人。後の三人は<プレッシャー>を受けて尚立ち姿勢を維持していた者たちだ。
シュイは試験にこの方法を選んだことを少し後悔していた。暑苦しいを通り越して痛々しい呻き声の輪唱が、読み物に集中することを妨げていた。
力だけでは駄目だと忠告したのにも拘わらず、湯気沸き立つ室内では未だ筋力のみを頼りに頑張っている者たちが見受けられる。その中にはクリアできるポテンシャルを持つ者も混ざっているかも知れないが、どのみち先輩の忠告に耳を傾けない者は早死にするので落としても問題ないと思われた。単に他の資質が欠けていたというだけのことだ。
シュイは入口の手前の植木鉢に生えていた時計花に目を移した。白色の花弁が薄いピンクになるのを見計らい、折り返しの時間になったことを告げる。
「ぬ……ぬおおおぉぉ!」
「ち、ちっくしょー!」
――進歩のない。できているのは唸ることと室温を上昇させることだけか。
シュイは汗だくになって髪を振り乱している者たちを見て、こちらまで蒸し暑くなってしまうではないか、と嘆息した。
ただでさえ夏の日差しをたくさん浴びた石造りの建物内である。受験者たちの熱気と相俟って室温が上昇の一途を辿り、部屋の奥はゆらゆらと歪んでいた。汗の臭いもかなり立ち込めているがこの暑さに比べればまだましだった。この劣悪な環境下でプレッシャーを振り解く精神力を維持するのは相当に困難だ。身体の感覚が遠ざかるほどの集中力を、自分を縛り付けている鎖にのみ傾ける必要がある。
と、奥の方で一人、身を起こしかけている者がいた。おそらくは十四、五歳の、森族と魔族のハーフと思われる少年だ。特徴的なプラチナ髪の少年は着ている服が透けるくらいに汗をかきながらも、何とか四つん這いの状態に持ち込んでいた。額や髪の毛から滴る大量の汗が灰色の床に小さな水溜まりを作っている。
「……く、……うぅ」
まるで乳飲み子が立とうとするような危なっかしさがあったが、ついに片足が地面を踏みしめた。シュイはその様子を見、僅かに相好を崩した。
「どうやらもう一人、合格者が出そうだな」
口に出してから、少しばかり余計な一言だったかと反省した。発したその言葉は少年に僅かながら力を与えてしまったようだった。束の間その表情が険しさを増したものの、口元は微かに笑みを作っていた。一呼吸と共に立ち上がった瞬間、全身に絡みついていた魔力の鎖が断ち切られた。
どの道、放っておいても時間内には合格しただろう。シュイはそう判断すると再び本の方に目を走らせた。少年は息を整えるのもそこそこに、ドアに向かってゆっくりと歩きだした。疲労は隠せぬ様子だったが、それ以上に今にも歓喜の声を上げんばかりの達成感が滲み出ていた。シュイはちらりと少年の顔を確認したが、今度は何も言わずにそれを見送った。おめでとう。その一言までは未だ遠いことを知っていたからだ。
「……おいっ。これ……本当に均等にかかっているのかよっ」
少年が退室してから間もなくして、未だ地面に這い蹲っている大男から文句が出た。余程自分の実力に自信を持っていたのか、それともまだ幼い少年に先を越されたことに苛立ったのか。どちらにしても自分が立ち上がれないのに合格者が出ていることに焦りを隠せぬ様子だった。見れば、何人かの者たちが男に同調するように顔を上げ、シュイの方を睨んでいた。
シュイは手に持っていた本を降ろしつつ俯き気味だった顔を上げた。
「何だ、お前だけ特別に強くかけて欲しいのか。そうならそうと――」
「――いっ。……いや、何でも……ない」
シュイが黒衣の袖を腕捲りしたのを目の当たりにし、男が慌てて言葉を改めた。シュイはやれやれと首を振り、開いていた本を片手で挟むように閉じた。
「勘違いしているやつもいるようだから誤解のないように言っておく。仮に合格する者がいれば、そいつはいずれ俺たちと共同任務に従事することになる。贔屓なんざして足手纏いを入れたら自分や仲間の命が危険に晒されるんだ。そんなのはこちらだってお断りだ」
こういった試験で試されているのが受験者だけとは限らない。選別する側も指導者として適正があるか、人を見抜く才があるかを試されている可能性があるのだ。故に手心を加える余裕など一切なかったしそのつもりもなかった。見込みのない者をいれれば自分がシルフィールの傭兵たちに非難されてしまうのもわかり切っている。
くだらぬ疑いを切って捨て、シュイがすくっと立ち上がった。
「数多あるギルドの中からわざわざここを選んだくらいだ。大方の者は判っているだろうがシルフィールは少数精鋭で名を馳せるギルド。お前たちはその中に名を連ねるつもりで遠路遥々やって来たんだろう。仮に均等にかかってなかったとして、それくらい跳ねのけてやるってくらいの気概を見せられないのか」
その叱咤に伏せていた者たちの顔付きが変わった。
「っと、もうそんなに時間はなさそうだな。ドアの前にある時計花が鮮やかなピンクに変わったら終了とする」
シュイの言葉に奮起したのか、終了も間近に二人の男がふらふらになりながらも立ち上がり、一人がプレッシャーを跳ね除けたところでシュイが片手を上げた。それが終了の合図だった。
「ハァ、ハァ。クソ、……間に合わなかった」
合格寸前で道を断たれたことが余程ショックだったのか、立ち上がった二人は力なく俯いた。シュイは腕を組みながら、小さく鼻息を出した。
「まぁ、良いだろう。今立っている二人は次の試験に進んでくれ」
「……ほ、ほんとかっ」
「ああ、受けない方が良かったと後悔するかも知れないけどな」
一瞬、ヒヤリとした表情を浮かべた二人だったが、それ以上に嬉しさを隠せぬようだった。お互いに顔を見合わせ、はにかんで見せた。
二人が部屋を出ていってから、シュイは受験者たちに掛けていた<プレッシャー>を解いた。身体こそ動くようになったものの、受験者たちは疲労と落ちたショックとで憔悴しきっているようだった。ふらふらと立ち上がった受験者たちを前にして、シュイは熱気渦巻く大部屋を一瞥した。
「どうしてもシルフィールに入りたいという者がいれば、また次回挑戦し直すといい。俺には止める権利も理由もない。ただ一つだけ、今回の試験を突破出来ないようでは、たとえ合格したとしてもまともな傭兵ライフは到底望めないことを確約しておこう。それから、シルフィール以外のギルドに入ったとしてこの試験を通過した者と相見える可能性があることも忘れるなよ。少なくとも現時点のお前らでは実力不足。それを肝に銘じておくことだ。帰りの船と民宿の案内は入口の壁に貼ってある。では、な」
二階の控室のドアが開けられると同時に、並んでいる机とセットになっている簡素な木椅子に座した七人が揃ってそちらを振り向いた。シュイは通過者たち一人一人と目を合わせ、小さく頷いた。
「待たせたな。早々にクリアしてしまった者は少し拍子抜けだったかな」
「……い、いえ。そんなことは」
通過した七名からは緊張、警戒といった感情が見え隠れしていた。初めから立っていた人族の女が、遠慮がちに次の試験について訊ねてきた。
「次の試験は筆記だ」
「……へ? ……筆記? あの、書くやつか?」
揃って予想を裏切られたのだろう。全員の目がぱちぱちと瞬いている。
「……他にどんなヒッキがあるんだ」
「えええっ! な、なんでよっ!」
試験開始から立っていた、如何にも聡明そうな森族の少女から文句が上がった。それがあまりに意外だったのか、シュイも含めた周りの者が唖然とした様子で少女を見る。少女は文句でもあるのかと言わんばかりに眉を釣り上げた。
シュイは軽く咳払いし、説明を続ける。
「ちゃんと理由がある。一つにはシルフィールでは書類を書く機会が他のギルドに比べてかなり多いみたいでな。依頼書関連にしろ、事後報告書にしろ」
「え。一般常識とか、そういうことじゃなくて?」
喜びを隠しきれていない少女にシュイが肩を竦めて見せた。
「それがいいならそうするが」
「あ、ううん。つ、続けてください」
見かけによらず、机の上での勉強が苦手なタイプなのだろう。か弱いお嬢様のような服装と容姿だが、どうやら偏見だったようだ。まぁニルファナの例もあるしな、とシュイは割に早く受け入れた。
「数ある職業の中からわざわざ傭兵になることを選ぶくらいだ。それなりの実力は持っているだろうし、任務をこなしていればある程度の実力は嫌でも身に付く。なら、それ以外の能力を見せてもらおうと思ってね」
「……結論から言うと、何をするのだ?」
精悍な顔付きの、獣族の青年が眉をひそめた。
「魔物関連の書類を用意してある。それを一週間、ひたすら書き写してもらう」
シュイの言葉を聞くや否や、森族の少女の顔が白から毒ガエル色に変化した。
「言っておくがただの書類じゃないぞ。お前らの先輩傭兵たちが――あぁ、まだ入れると決まったわけでもないが、任務をこなすことによって得た情報が満載の、門外不出の報告書だ」
これこそ、シュイがポリーとトートゥ支部から持ち出した物、グリフォンに載せていた箱の中身だった。魔物の生態や生息域。はたまた攻撃のパターンまで、市場の図鑑など比べ物にならないくらい事細かに書かれている。字が汚ないなどの理由で読み難い物は外したが、それでも相当数の魔物のデータがあった。中にはシュイが書いた報告書も何点か混ざっている。
「お前たちが首尾よく合格出来ればの話だが、いずれ同様の物を書くことになる。その練習もできるし、退治か、若しくは捕獲する魔物の特徴を覚えることで任務の助けにもなる。一石二鳥だろう」
口には出さなかったが、完成した写本を提出すれば幾許かの金になるので一石三鳥だ。かなり面倒な任務をやらされていることだし、せめてそれくらいの見返りがないと割に合わなかった。
「任務って……。二次試験は全員通過なのか?」
「本当は、もう少し人数が残ると思っていたから採点方式にする予定だったんだがな。これしか残らなかったからそれは止めにした。もしかしたら、最終試験で全員不合格になるかも知れないが」
「ど、どういうことですか?」
「最終試験ではシルフィールの傭兵が受けている依頼を全員でやってもらう。ここファムラヴ島に生息する魔物の討伐、或いは捕獲任務だ」
七人の表情が一気に引き締まった。ファムラヴ島に生息している魔物の手強さは外地より数段上だと言われている。試験場はかなり前から公表されていたので受験者たちがここに生息している魔物の強さを理解していたとしても不思議ではなかった。
「但し――二次試験の期間、すなわち一週間後までどの任務をやるかは教えない。お前たちが満遍なく詰め込んだ魔物の知識の中にそれが入っていれば、合格への道は著しく近い物となる。だが逆に、それをきちんと理解していない状態で臨めば、合格はおろか命の危機を迎えるだろう。わかるな、単に書き写しているだけでは後者になる可能性が高いということだ」
報告書から必要な情報を読み取り、フィールドをイメージし、敵の行動を予測した上で臨む。それも傭兵に不可欠な能力の一つだ。その能力を確かめるに当たり、容易く突破できそうな依頼を設定する気はさらさらない。
ただ、現実にはデータなどに頼らずやる依頼の方が多いし、標準的な規模の討伐依頼をやる場合にこれだけの人数を揃えることもない。そこは受験者に対するハンデであり、温情のつもりだった。
「説明は以上とする。他に聞きたいことがあれば試験官から聞け。では、一週間後に」
シュイは傭兵の卵たちにそう告げると、手をひらひらと振りながら部屋を後にした。