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~試練 a trial ground~

 いつものように支部長室の椅子に座り、黒い万年筆を手に必要書類と向き合う。本日分は冊子で纏めねばならないくらいの量があったので気持ち速めに筆を走らせる。

 紙を捲る音に反応し、ちらりと隣に視線を送る。目の先には支部員の制服を着たアミナがいた。隣の応接室から持ち込んだ椅子に、気持ち浅めに座っている。大人の握り拳くらいの厚さはありそうな本を広げ、時たま目元に移動してくる銀色の前髪を手で横に払いのけている。



 アミナが真剣な表情で読み耽っているのはエレグスの法律書だ。表紙に書いてあるサブタイトルには刑法という文字が確認できる。ブックカバーも豪奢でそこいらの本屋で購入すれば軽く数万パーズはしそうな代物である。

 フォルストロームの国政に携わっている彼女としては、外国の法律でも適用できそうな物ならば取り入れたい、ということらしい。頁を捲ってはしきりに目を走らせ、納得したように何度となく頷く。先ほどからその一連の動作を延々と繰り返していた。無為な時間を作らずに一時でも学ぶ。それが彼女の指針であるようで、アドバイザーの仕事中に空いた時間を持て余している様子はついぞ見受けられなかった。



 ややあって、アミナが本にしおりを挟んだのを見計らい、シュイが机から既に書き終えていた紙を束ね、トントンと纏め上げた。

「アミナ様、これで宜しいかどうかチェックを――」

「――宜しくない。様付けはやめよと何度言わせる気だ」

 アミナがぷくっと頬を膨らませた。何気ない仕草、しかし以前には殆ど見られなかったものだ。それを意識するだけで、胸が内側から叩かれている気分だった。

 束の間その怒り顔に見惚れてから、シュイは恐縮した様子で書類を差し出した。

「も、申し訳ありません。それで、この書類なのですが」

「敬語も却下だと言っておろう! そなたは私の部下ではないのだぞ」

 一層語気を強めたアミナに、シュイは苦笑を返した。

「せ、せめてこれくらいは許してください。その、あなたは私が尊敬しているランカーの一人ですし……」

 シュイがそう言うとアミナはふむ、と相槌を入れる。だが、その後の言葉が続かなかった。ややあって――

「――ん、何だ。それだけなのか?」

 そうアミナが言った。

「と、申しますと?」

 シュイが全く意図の見えぬ問いに不思議そうな顔をすると、緩みかけたアミナの口が再び真一文字になった。

「――もういい。早く寄越せ」

 言うが早いか、アミナはシュイの持っていた書類を片手でひったくるように奪った。



 ――手の動き速っ。辛うじて見えたけれど、避けるのは一筋縄ではいかなそうだな。

 以前にも増して洗練されたアミナの動きに付いていくには、目で追ってからでは間に合わなそうだった。シュイは、自分が弛まぬ修練の末に身に付けた力には自信を持っていたにせよ、アミナと本気で遣り合った場合、おそらくは負けるだろうと読んでいた。手心を加えてしまうとかそういった理由ではなく。こちらがエレグスで力を付けている間、彼女もまた遊んでいたわけではなかったということだ。純粋な力量差は縮まっているという確信があったが、それでも肉薄しているとまでは言えない。日頃の何気ないやり取りからも、彼女が決して名声だけでランカーになったわけではない、と思い知らされることがしばしばだった。



「良く出来ている。物覚えは悪くないのだな」

 褒め言葉を口にしたアミナだったが、その表情はお世辞にも機嫌が良さそうには見えなかった。シュイはそれに気付いた様子もなく、微笑みを浮かべながら差し出された書類の束を受け取った。

「ありがとうございます、アミナ様!」

「――前言撤回」

 アミナの低い呟きに、シュイは心底申し訳なさそうに頭を下げた。



――――――



 新支部開館から一月あまりが過ぎていた。シュイはアミナの助言を受けながら日々支部長の業務に追われていた。

 彼女は、支部にやってきてから数日ほどはホテルに泊まっていたそうだが、今現在はアマリスの借家に居候している。物怖じしない性格であるアマリスはただ同居人ができるということで喜んでいたし、アミナも自分を特別扱いしないアマリスに好感を抱いているようだった。最近ではちょくちょく二人で行動している姿を目にするようになっている。



 仕事の方はと言えば、ようやく軌道に乗り始めているといった所だ。ポリー支部はトートゥ支部以外とのやり取りは殆どない。支部が密集している場所では連携を取ったり相互で助けあったり出来るメリットもあるが、その分手続きに提出する書類の数も倍増する。

 また、支部員を選定する際に古参の傭兵ばかりである場合、新参の支部長は得てして軽視されがちなので、新支部のメンバーは準ランカーのシュイを除いて皆Bランクで統一されていた。それらの点は新しい支部長となったシュイに対する本部の配慮であり、そうした方がトラブルは起きにくいという含蓄でもあった。



 その甲斐あってか、シュイと支部員たちとの関係は概ね良好だった。これについてはティートとアマリスの存在も大きく、意見のある者には彼女たちが仲立ち、或いは同伴して申し出てくれることが少なくなかった。落ち着きのあるティートと人当たりの良いアマリスはシュイの足りない部分を補ってくれていた。シュイはそうした機会を作ってくれる二人に感謝しつつ、あまり顔を合わせていない支部員を昼食に誘うなどして会話の機会を増やすことで信頼関係を築いていった。

 シュイが危惧していたアミナの参入についても、今のところは良い方向に働いているようだった。一国の姫君にしてランカーたる彼女が補佐に来るほどに、シルフィール内ではシュイ・エルクンドの評価が高い。そう周りの者たちが勝手に判断してくれたためだ。実際、アミナも一時的にとはいえ支部に務めるのは初めてだったようで、制服を手渡す時には何とも興味深そうな、はにかむような表情で三角耳をぴくぴくと動かしていた。

 残る懸念としては支部員同士の人間関係が上手くいくかという点だった。人が一箇所に寄り集まれば総じて相性というものが出てくるものだからだ。だが、幸いなことにポリーの支部員になった傭兵は温厚な者が多かったようで、彼らの関係が表立ってこじれる様子は見受けられなかった。



 その一方で、仕事の方は全てが順調にいっていたわけではなかった。見聞きしてある程度は知っているつもりだったシュイだが、実際やってみるとなると想像との落差に戸惑うばかりだった。

 シュイ自身はニルファナがCランクから推薦してくれたこともあり、緊急クエストは別として今まで依頼を達成できなかったことはなかった。難易度の低い任務から徐々に格上げしていったことで、任務への対応能力が知らぬ間に上がっており、自分の能力も正確に評価することが出来ていたからだ。

 けれども、支部では一日に何十件、多い時は百を超える依頼が傭兵たちに回される。依頼を引き受ける傭兵たちとて常に十全の状態で任務に臨むわけではないし、こなせる任務ばかりを選択するというわけでもない。数は少ないものの達成できないで終わる依頼も出てくる。



 背伸びして難しい任務を受けた者が失敗するのは当然として、指定された期限に間に合わなかったり、討伐対象とは違う魔物に遭遇してしまったり、天候の悪化によりやむなく断念せざるを得なかったり、とその理由は様々だ。

 そうした場合には改めて他の傭兵に回すか、そうでなければ手数料を返却することになる。依頼人たちとて藁をも縋る思いでやってくる者が多いので、達成できなかった場合でもあからさまに怒鳴り散らしたり落胆して見せたりすることはあまりない。が、裏を返せばほんの少しはある。責任者を呼べっ、と怒鳴り散らす依頼人に対しては支部長が出向く必要があるわけだ。



 謝罪するのも重要な仕事のうちだが、ここにきて責任者の威厳は重要なポイントとなる。誰もが道を譲りそうな強面、多くの修羅場を潜り抜けて醸し出される風格などは、相手の怒りを鎮めるのに役立つのだ。

 普段、道で擦れ違いそうな時に目を合わせないよう気を遣う相手が自分に向かって頭を下げていると思うと、恐縮すると同時に虚栄心が満たされて自然と溜飲が下りる、というわけである。

 シュイは、自分では容姿、佇まい共に迫力に欠けていると思っていたので、黒衣を着用したまま対応した。魔法使いの服装としてはポピュラーなのでこの点を咎める者は殆どいない。フード付きという点に関してはあまり快く思われないかも知れないが、シュイの名声、悪名を考えた場合、強気に出られる可能性は著しく低い。後は如何にそれらしく振舞うか、ということになるが、傭兵になってから三年近くが経つだけに、そういった立ち振る舞いは自然と身に付いていた。

 だがそれでも、王族であるアミナの身振り手振りは非常に参考になった。相手を立てつつ威厳を崩さぬ方法を、彼女は飾ることなく体現していた。シュイはそれを時に模倣し、時に見習ってアレンジし、自分の物にしていった。



 そうして土台が(なら)されていき、次第に歯車が噛み合い始めたある日のこと。ティートが、彼女にしては険しい顔をして支部長室を訪れた。その手には、二枚の手紙が握られていた。

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