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~転機 the turning point6~

 獣族の青年が手の平で胸を突いたのをきっかけにして、魔族の青年は依頼書を手放し、腰に下げている得物の柄に手を掛ける。

「こっちが大人しくしていれば図に乗りやがって。……いいだろう、ちょうど新しい業物の切れ味を試したかったところだ」

「はん、居合い使いか。この俺と迅さで勝負しようってか? てめえが抜く前にケリを付けてやるぜ」

 獣族の青年が両の手に嵌めた皮手袋を克ち合わせると澄み切った音が鳴った。手の甲の部位に保護用の金属板を縫い付けた実戦用グローブだ。体術に秀でている者が扱えば剣に負けず劣らず危険極まりない凶器となる。



 熱くなっていく二人に対して周囲の傭兵たちの反応はどんどん冷めたものに変わっていく。一階の方では何の騒ぎだろうと頭上を見上げる依頼人が出始めていた。

 事態を収拾すべく、シュイは一触即発の雰囲気に構わず、対峙している二人へと歩み寄っていく。周りに佇んでいた傭兵たちの何人かがシュイの姿を見止め、ひそひそと囁き合った。



「――そのくらいにしておけ」

 脇から発された声に、睨み合っていた傭兵たちが鋭い眼光そのままにシュイの方を向いた。魔族の男はあまり変化を見せなかったが、獣族の男はいささかばつが悪そうな顔をした。彼はシュイのことをそれなりに知っているようだった。

 ある程度の間を取り、シュイは二人の視線を受けたまま足を止める。

「元気があるのは結構なことだが、場も弁えずにこのような騒ぎを起こすとは自制心が欠如しているようだな。それでも栄えあるシルフィールの傭兵か。俺とて若い時分はもう少し分別を弁えていたぞ」

 穏やかながらも凄味のある言葉だった。書類を書き直さねばならぬ苛々も相俟っているようだった。

「何だぁ、部外者がしゃしゃり出てくるんじゃ――な」



 魔族の男が暴言を吐きかけるや否やシュイの姿が前に揺らぎ、その場に足音のみを置き去りにした。一瞬にして姿を消したシュイに男は目をまん丸にし、次いで何かが後ろ首を触ったのに気付く。

 シュイが魔族の男の首を指の腹で左から右へ、つつと撫でた。取り巻いていた傭兵たちの大半は間近にいながら動きを捉えられなかったことが信じられぬようで、ただ瞬きを繰り返している。

 シュイは魔族の青年の首に指を当てたまま、身構えている獣族の青年の方を向いた。冷然とした視線に中てられた獣族の青年がゆっくりと二歩後ずさりした。



「一階にはまだ依頼人が大勢いる。開館早々にギルドの悪評を広めるつもりか? それは他の傭兵に対する迷惑行為、ひいては敵対行動に等しい。……わかるか、きさまらは今この瞬間、シルフィールの敵だ。そして、俺は敵を屠るのを躊躇わん」

 先ほどとは違い、明らかな怒気をこめた低い声が場に響いた。発されたのは言葉ではなく畏怖そのものだった。二人共に、喉元に鋭利な刃が添えられたかのように呼気を止めた。逆らえばわけもわからぬうちに殺される。直近の動きを見てそれだけは理解しているようだった。



 ふと、魔族の男の首から触れられていた感覚が遠ざかった。そうかと思うと視界に再びシュイの姿があった。刹那、圧迫感から解放され、二人が止めていた息を荒々しく吐き出した。

 魔族の青年はシュイに何かされたと思ったのだろう。蒼白な顔をしながら後ろ首の辺りを手で確かめている。シュイは、内心では少々脅しがすぎたと思わなくもなかったが、観衆(ギャラリー)が静まり返っていることから判断するにそれなりの効果はあったと判断した。

「今回は門出の日ということで大目に見る。だがな、今一度此処でくだらん騒ぎを起こしてみろ。二度と傭兵としてやっていけぬ身体にしてやる。努々、忘れるな」

 シュイはカッと踵を鳴らして二人に背を向けると落ちていた依頼書を拾い上げ、ついていた埃を手で払った。そうして人垣の中に混じっていたアマリスに依頼書を手渡し、廊下の奥へと消えていった。



 ――ま、あれだけ釘を刺しておけば、少なくとも支部で問題を起こすやつはいなくなるだろう。

 後頭部で後ろ手を組み、機嫌良く口笛を吹きながら角を曲がる。と、支部長室の扉の前には予想外の来訪者がいた。シュイの姿を確認すると支部の制服を着た色黒の男はにこやかに拍手した。



「いやぁ、実に面白い見せ物だった。案外板に付いてるじゃねえか、支部長さんよ」

「……ピ、ピエール? ……おまえ」

 唖然とするシュイに、ピエールは支部長室の扉に背を寄り掛からせ、きざったらしく指を振った。

「しっかしあの台詞だけは聴き逃せないよなぁ。言うに事欠いて『俺とて若い時分は』だって。……ぷっ……くっ……あっはっはっはっは!」

 実に愉快そうな高笑いが人気のない廊下に響き渡った。ピエールが身体をくの字に曲げて苦しそうに腹を抱える傍ら、シュイの両拳が小刻みに震え出す。

「あは、あっはぁ、は、腹いてぇ。……ぷっくく……ち、ちっくしょー。直にタレイレンさんに聞かせてやりたかったなぁ。以前キャノエで一悶着起こしたこと忘れたの――ぐぇっ」

 シュイは最後まで聴き終えることなくつかつかとピエールに歩み寄ると両手で襟首を鷲掴んだ。

「お、お、おんまえどの面提げて! よくもこの前は騙してくれやがったな! ええっ!? お陰で俺がどんだけ――」

「――ちょ、ちょっ、待て! 落ち付けってシュイ! キャラ違うから! あれはうちの支部長たっての頼みで仕方なく――うわっ」

 壁に押し付けてくるシュイの剣幕にピエールが小さく万歳しながら背を逸らす。

「あぁ、そういえば準ランカーになったんだって? いやぁ、めでたい! ……昇進祝いにお一つ拳をくれてやる。大、重、強、選り取り見取りだ。さぁ、どれでも好きなのを選べ」

「うわぁ、どれにしようか迷っちゃう……って、選択の余地ねぇっ! それ全部痛そうじゃねえか! 大体、手本となるべき支部長がのっけから暴力沙汰を起こしていいのかよ!」

「やかましい! 誰のせいでそうなったと思ってる! あまつさえ仕事に忙殺されてる俺をここぞとばかりに笑いにきやがって、底意地悪いにもほどがあるわ!」

「……何だ、折角の晴れ舞台だというのに騒々しい」

 脇から発せられた呆れ返ったような口調に逆撫でされ、シュイが振り向きもせずに怒鳴った。

「うるさい! 外野は黙っていろ! 少なくとも二、三発は殴らせてもらわにゃあこっちの気が済まん!」

 銀髪から覗いた三角耳がぴくりと動いた。



「……久し振りの再会というのにそのぞんざいな口の利き様、少々いただけぬな。まぁ、ある意味新鮮ではあるのだが」

「の、呑気なこと言ってないで止めてくださいよ、獣姫様!」

「おいこら、てめえは助けを求められる立場じゃねえ――って」

 聞き覚えのある固有名詞に、シュイがピエールを扉に押し付けたまま肩越しに振り向こうとした。が、その前に強く肩を引かれ、強制的に振り向かされた。一瞬にして切り替わった視界に収まっていたのは、見覚えのある少女の顔だった。



「……あ、え。あ……アミナ様?」

 ピエールを手放していたことにも気付かずに、シュイが何とも間の抜けた声を出した。アミナは暴言を吐いたシュイを咎めるでもなく、つり目を縁取る睫毛をゆっくりと重ね、大きく溜息を付いた。

「存外気が利かぬな、そなたらは。外の国でまで姫扱いは勘弁してくれ。久し振りに羽を伸ばせる機会なのに気が滅入るではないか」

「あ……いや、その……」

 シュイはアミナから目を離せなかった。だが、それは彼女が突然姿を現した驚きとはまた違う理由だった。魅入っていたという表現が正しかった。



 濃い目の紺のトレンチコートの下には大きな胸ポケットが二つ付いた白いシャツ。ゆったりとしたベージュ色のチノパンを幅の広い革ベルトでややきつめに締めていた。どちらかといえばボーイッシュな服装と言って差し支えないが、くすみのない褐色肌をより際立たせる見事な着こなしだった。

 シュイはアミナの容姿の美しさについては十二分に知っていたつもりだった。実際、背丈は殆ど変わっていないし、艶めく銀色の髪も前に会った時と同じ、セミロングくらいの長さだ。敢えて違う点を挙げるなら褐色の肌に少しばかりのおしろいをしていることくらいだろう。

 ただ、以前にも何度となくあったように、爛々と輝く赤い瞳が自分へと向けられているだけだ。にもかかわらず、胸の鼓動が音量を増していき、間隔が狭まっていく。かつて感じたことのない落ち着きのなさが強制的に引きずり出されていった。



「……ん、どうしたのだ?」

 全く動かなくなってしまったシュイに、アミナが不思議そうに首を傾げた。我に返ったシュイは慌てて一歩下がり、姿勢を正した後で深々と頭を下げる。

「こ、これはお恥ずかしいところをお見せ致しまして! 私如きの就任祝いのために遠路遥々お越しくださるとは、いやはや恐縮でございます。手紙などをしたためていただければそれで十分でしたの――わっ」

 アミナが下からぐいと、一歩踏み込んできた。離した距離が先ほど以上に、お互いの吐息が顔に掛かりそうなくらいに詰まった。シュイは顔が熱を帯びてくるのを感じた。

「むず痒うなるから敬語もやめよ! なんぞ、そなたが口にすると尚のこと据わりが悪いわ。……というか、聞いておらぬのか? タレイレンは説明済みだと言っておったぞ」

「せ、説明? ……何のことでございましょう?」

 未だ敬語の抜けきらぬシュイが腹立たしかったのか、アミナは身体を起こして憤然と腕を組み、細い指先で肘の辺りを落ち着きなく叩き始めた。

「たわけ、支部の運営補佐をするという話であろう。基本的な手続きの順序を踏まえておかないと後々トラブルになるからな。国の内政に携わっている私に白羽の矢が立ったというわけだ」



「……え、それだけのためにわざわざ此処まで?」

 何気なく出たシュイの言葉だったが、アミナの指の動きがはたと止まる。刹那、その指がシュイの眉間すれすれに突き付けられた。

「こ、断っておくがな! 本部に要請されたから仕方なしに赴いたのであって、別に久し振りにそなたの顔を見たくなったとかそういう浮付いた理由ではないのだ! そこの所を勘違いしてくれるなよ!」

 声を少しだけ裏返してしまったことを恥じたのか、アミナの頬が微かに紅潮した。それを尻目に、シュイはアドバイザーを派遣するという話を今更ながら思い出した。少し考えてみれば、幼少の頃よりそういった業務に携わっていそうな人物なんてシルフィールには数えられるほどしかいなかった。むしろ、アミナの名前が頭に浮かばなかったことが不思議でならなかった。





 そして、はたと考える。今は支部長として威厳を示さなきゃいけない大切な時期だ。アミナと久し振りに会えたのは嬉しかったものの、このタイミングでの来訪を手放しで喜んでいいのだろうか。

 シュイは、カリスマ性が限界値を超えていそうな凛々しき姫君を前にして、もし彼女と比較されたらどうしよう、と大きく肩を震わせるのだった。

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