~転機 the turning point4~
完成間近の建物内では威勢の良い声と金槌が釘を打ち鳴らす音が飛び交っていた。床にはロール状に巻かれた幅広の壁紙、鈍い光を放つ太い金属紐、はたまた黒い綿のような壁の緩衝材などが隅っこの方に纏めて置かれている。
「親方ぁ! こっちの資材はもう片していいんですかい?」
「おぅ、運び出してくんな! 但し耐魔補強材だけは残しておいてくれよ! 後で仕上げに使うからな!」
迷彩色のつなぎに上半身裸、腹筋が綺麗に六つに割れた親方が木材に釘を打ち込みながら声を張り上げた。あちらこちらで鳴り響いている音が邪魔をして近くにいても声が聴き取り難いのだ。親方に負けじと小気味良く応じた坊主頭の建設作業員二人は鉄骨を何本か束ねた物を前後に肩に抱え、息を合わせて階段を下りていった。
一階のエントランス部分になる場所では数人の作業員が分担して床に汚れ防止の茶色い厚紙を敷いていた。更にはその上にロール状に巻かれた壁紙を引っ張って広げ、丁寧に糊付けしてから壁材の部分に手際良く貼り付けている作業員もいた。見る見るうちに積み重なっていたロール状の壁紙が減っていき、反して壁材の剥き出しだった部分が埋まっていった。
外へ通じる勝手口では、作業員が足りなくなった材料を補充するべく引っ切り無しに行き来していた。持ってくるのは紐や木の板などの補強材、或いは錐やカンナなどの大工工具だ。外観は窓も含めてほぼ完成しているように見えるが、内装の方は一階の一部を除いて手付かずのままだった。シュイたちのいる二階部分にも未だ壁紙が貼られていなかった。
内装に付いて意見を訊きたいとのことで、シュイはティートとアマリスを伴って建設作業場を訪れていた。所々で壁紙、天井紙の色、或いは照明に使う魔法具を設置する位置などを訊ねられ、その都度要望を伝えていた。
本部から仕事を任されている大工たちの腕は超一流と言って差し支えなかった。100㎏を軽く超えそうな鉄材を難なく片手で運ぶ者もいれば、風魔法で木材を等間隔に切断する者もいた。はたまた、強度を増すために金属同士を炎魔法で溶接している者も。
手の空いた者には親方やベテランと思しき大工が的確に指示を飛ばし、直ぐに新たな仕事が割り振られていた。流れるような分担作業には隙がない。作業の合間合間で話を聞いたところによると、彼らはエレグスやケセルティガーノなど、数多くの橋梁や城等の建設にも携わっているとのことだった。
城の作りは国家機密に等しいもので、三百年前に起きたジュアナ戦役の折には敵城の設計士が拉致されるようなこともあった。城を攻略する際は、建物の構造は勿論のこと、敵の脱出ロ、作りの脆いポイントなどを詳しく知っているのといないのとでは全然違うからだ。そういった背景もあり、セーニアやルクスプテロンなど、今現在戦時中である国からの築城依頼は全て断っているとのことだった。
大手のギルド支部は万が一の戦闘状況を想定し、城にも負けぬくらい頑丈に作られている。また、敵の攻撃魔法にある程度持ち堪えられるよう耐魔処理が施されていることも珍しくはない。長い年月を経て魔力を含んだ古木や、合金と魔法を掛け合わせた高価な金属、はたまた緩衝材にも抗魔石と呼ばれる魔石の一種を砕いた物を使用するため、通常の建物に比べるとおよそ三倍から四倍程度のコストがかかるのだ。
新しい支部の建物は機能性を高めるために通路を広くし、その分部屋数を少なくしてあった。玄関は解放感が感じられるように一階部分を吹き抜けにし、受付の両側面に階段を取り付けてある。勿論、支柱部分に関してはしっかりと作られているし、梁の部分も太い物を用意して貰ったので強度に問題はない。
また、ティートの意見を聞き入れ、依頼受付日の混雑を解消するために一階と二階双方に受付を設置し、月曜日のみ一階部分では依頼人、二階部分では傭兵、というふうに分けることにした。
シュイたちが各所を回りながらその仕事振りに見惚れていると、頭に鉢巻を巻いた親方が階段を上ってきた。大工だけあって外仕事が多いのだろう、身体は満遍なく小麦色だ。上背も肩幅も相当な物で、体付きだけならランベルトやアルマンドにも劣らないように見える。
「おぅ、エルクンドさんよ! 一階の壁紙の貼り付けはあらかた終わったぜ! 他に何か注文はあるかい?」
シュイは親方が両手で広げた紙を横から覗き込んだ。細い線と太い線が混在した、支部全体の見取り図だ。一緒に確認してもらった場所には赤いチェックが入っている。他に見るべき箇所がないか探してみたものの、大方埋まっている感じだった。
「そうだな。あらかた注文は聞いてもらったみたいだし――と、何だ?」
黒いローブの裾をくいくいと引っ張られていたことに気付き、シュイは肩越しに後ろを見た。
「せんぱ……じゃなかった、しぶちょー。ギルド支部の建物ってどうも味気ないから、やっぱり二階だけでも壁紙をピンクにしたいな。あとあと、おっきぃ編みぐるみがあると雰囲気も和やかに――」
「――遊戯場じゃないんだぞ、アマリス。百歩譲ってやるとしてもギルド員の宿泊室くらいに――」
窘めるようなシュイの口調だったが、何故かアマリスは我が意を得たとばかりに頷いた。
「宿泊室なら良いんだね、わかった! ――あ、そこにいるお兄さんいい身体してるね! 手空いてる? 空いてるよね?」
目の前で作業していた若い大工の手を半ば無理やり引っ張っていくアマリスに、シュイは腰に手を当てて溜息を付く。
「……ティート、すまないがアマリスが変な指示を出さないように監視を――」
「――カーテンは水色の基調に白い花柄で統一していただきましょうか。清涼感と可愛らしさを保てますし。そうですわ、飛竜や鳥獣も何頭か必要ですよね。私個人と致しましては鳥獣、それもルクスプテロンのものが毛並み豊かで一押しですわ。暖かい日差しをたっぷりと浴びたふかふかの羽毛にダイブすると幸福感もひとしおで――」
滔々と力説しているティートにシュイは、やっぱりこいつら姉妹だな、と思わずにはいられなかった。彼女らの要望を全て呑んでいたらファンシーなテーマパークになりかねなかった。そして、その施設の代表者は他ならぬ自分自身だ。
結局、シュイは大工たちに付いて回りながら二人が妙な要望を提案しないように見張らねばならなかった。あんたも色々と大変みたいだな、と背中を叩いてきた親方に、シュイは強い親近感と微かな疲労感とを抱いた。
――――――
数日後、曇り空の下、シュイは街路の側から新築されたばかりの建物を見上げていた。外側はレンガのような赤褐色で統一してあった。塗りたてのペンキの匂いが少しばかり鼻に付いたが、自分があれこれと要望を出した建物の完成を目にするのは中々に感慨深いものがあった。
支部の中に入ると、一目見て高級バーのような印象を受けた。天窓が付いている高い天井には半球形の照明石が四本吊り下げられ、側面に設けられた二階への階段は外側に膨らむように緩やかな曲線を描いている。エントランスにある二本の太い円柱は、玄関側から受付のカウンターが見える程度に脇にずらしてあった。
一階の床には赤い絨毯が敷き詰められていたが二階はフローリングになっていた。完成した建物内を歩きながら何度となく感嘆の息を漏らしているシュイを横目に、親方は顎を撫でながら満足そうに頷いた。
「ここまで凝った建物はそうそう作らんからな。久々にやり甲斐のある仕事をさせてもらった。一応業務に必要と思われるカウンターや椅子なんかは最低限のものだけ設置しておいたぜ。後は新支部長の趣味次第だ」
「いや、素晴らしいものだな。一流の職人の仕事振りっていうのは」
階段の一段一段の幅や手すりの絶妙な高さ。紙の継ぎ目が全く見えない壁と天井。素人目にも細かい部分まで手を抜いていないことが分かる。下手に調度品を入れると反って美しさを損なってしまいそうだった。
「嬉しいこと言ってくれるねえ。そこまで明け透けに褒められると照れちまうじゃねえか。まぁ、働く場は違えどもこの腕一本で飯食っていることに変わりはねえ。最低でも向こう五十年は使えると思うぜ」
会話している二人の後ろではアマリスとティートがしきりに辺りを見回していた。二人が要望した部分がちゃんと反映されているか確認しているようだった。テーマパークにならない程度にはシュイも二人の意見を聞き入れていたため、それなりに満足そうな表情だった。
「やっぱり内装が入ると雰囲気変わるねー。しぶちょー、僕ここに住んでもいい?」
「あのねぇ、アマリス。ギルド支部に長期滞在することは基本的に認められていないのよ。大体あなた、もう支部近くの仮住まいの敷金、前払いしちゃったじゃない」
呆れ顔で指を振るティートにアマリスがぷくっと頬を膨らました。
「だってさー、ティートはこれを機に旦那と一緒に住むんでしょ。僕だって一人じゃ寂しいもん」
そう言って下を向くアマリスに、シュイは申し訳なさそうに口を開いた。
「悪いがそればっかりは無理だ。ここで働くギルド員は他にも何人かいるし、一人だけ特別扱いするわけにはいかない。それに、俺だってここに住むわけじゃないからな」
「あれ、何だ、そうなの」
拍子抜けした様子のアマリスに、シュイとティートは顔を見合わせて苦笑した。だが、直ぐにシュイは笑みを吹き消した。
五日後の月曜日にはいよいよ支部が開館する。いい加減、気を引き締めなければならない時期だった。新支部のギルド員は建物が小さいことも考慮し、アマリスたちを含めて十一人。果たしてそれで立ち回れるのかは未知数だ。
――依頼人、ちゃんと来てくれるのかなぁ。俺みたいな支部長がいるってわかったら逃げちゃうんじゃないだろうか。もしそうなったら黒衣を外すべきなのかな。うぅ、当日ちゃんと晴れてくれると助かるんだけど。おや、何だか胃の調子が……。
シュイは押し寄せてくる不安と仄かな期待に胸がざわつくのを感じながらも、来たるオープンの日を待つのだった。