~転機 the turning point3~
本部からシュイの滞在しているホテル宛てに指令書が届けられたのはトートゥ支部に赴いてから二週間後のことだった。ご丁寧にも本部所属のギルド員が直接飛竜に乗って届けに来た。準ランカー以上の傭兵に対してはこういった形で重要書類が届けられることがままあるのだ。
シュイは異動通知の文面に目を通し、何かの間違いではないかと思った。面と向かってきっぱり断ったはずなのに、肩書き部分には支部長の文字がしっかり書き加えられていた。
白髪混じりの年配の女性ギルド員の話を聞いている内に、いつの間にか承諾書にサインしたことにされていると知ったシュイは、トートゥ支部に呼び出された日の事を鮮明に思い出した。ピエールに渡された羊皮紙のこと、エヴラールの引き止めがやけにあっさりとしていたこと。その他諸々の状況を鑑みて、全てが仕組まれていたのだと気付いた。
こんな理不尽がまかり通るはずないとシュイは慌ててギルド員に事情を説明したのだが、期待していたような返事は貰えなかった。
ギルド員が語ったのは既に書類上の手続きが済んでしまい、エレグス側にもその旨を通達しているという現状。三週間後にはポリー支部の建物が完成するので、それに合わせて拠点を移すように、という指示。業務に慣れるまで特例で助言士を寄越すという備考だった。
最後に、新支部で働きたいという志望者のリストを手渡すと、ギルド員は颯爽と飛竜に跨り、シュイに反論する間も与えずに曇り空へと飛び立った。
シュイはみるみる内に遠ざかっていく黄緑色の飛竜を茫然と見送り、見失ったところで渡されたばかりの書類一式に目を向けた。やって良い冗談と悪い冗談がある、と思わないではなかったが、どうしたって現状が変えられるわけでもなく、辛うじてその怒りを押し殺した。
けれども部屋に戻って書類を開いた際、指令書の推薦者欄に準ランカーの五人目として小さくエヴラール・タレイレンの名が書かれているのを見止め、持っていた書類が一人でに真ん中から裂けた。
湧いて出た憂鬱に押し潰されそうだった。ニルファナが喜んでくれるだろうという前向きな考えもこの時ばかりは発揮されなかった。どこぞの建物内で傭兵たちの諍いを必死に仲裁している黒衣の男の姿が脳内で鮮明に映像化された。
ややあって、両手で頭を抱えながら呻いているシュイの元にアマリスが顔を出した。
「やっほー、せんぱーい! あれー、あんまり元気ないね。風邪でも引いた?」
「……アマリスか。あぁ、今日はティートも一緒なんだな」
アマリスの背後からひょっこりと顔を出したのは双子の姉、ティートだった。背丈に顔形の特徴は妹のアマリスと瓜二つだが、周りに気を遣っているのか茶髪を長めに伸ばして区別出来るようにしてくれている。服装に関しても、アマリスはピンク色、ティートは水色の半袖ワンピースだ。もっとも、アマリスは微妙に釣り目、ティートは微妙に垂れ目なので、付き合いが長ければそれで判断することも可能だった。性格は二人共に明るいほうだが、活発なアマリスに対してティートは少しおっとりとしている。
この双子の姉妹は元々エレグスで活動するフリーの傭兵だったのだが、ある任務を一緒に行ったのをきっかけにして度々シュイと行動を共にするようになった。
一年と少し前にシュイが準ランカーに昇格し、傭兵の推薦権を得たのを期に、二人揃ってシルフィールに入りたいと言ってきた。シュイはその申し出を受け入れ、キャノエからトートゥに赴任したばかりのエヴラールと顔を合わせる機会を設けた。二人の傭兵としての経験はシュイよりも大分長く、魔道士としての実力も確かだということで比較的簡単な手続きを経てシルフィールへの入団が認められた。二人揃って登録時のランクはB。アマリスがシュイを先輩と呼ぶのはあくまでシルフィールの傭兵としてということであり、年齢は二人の方がかなり上だった。童顔なので一見すると十代のようにも思えるが、森族や魔族は二十歳前後から老化の進み具合が一気に遅くなるためそういったギャップはさして珍しいことでもない。
ティートはアマリスの隣に並び立つと軽く会釈した。
「よろしければ一緒にお食事でも、と思ったのですが。あ、そうでした。実は私たち、この度新支部のギルド員に選ばれましたの」
シュイが目を見開いた。
「新支部ってポリーか。そりゃまた奇遇だな。そういえば、まだリストに目を通していなかったっけ」
そう言って頭を掻くシュイに、アマリスとティートは同じ顔を見合わせた。
「奇遇って、もしかして先輩も支部で働くってこと?」
どこか期待に満ちた目を送ってくるアマリスに、シュイはきまり悪そうに破れた紙を摘んで見せた。二人は一瞬きょとんとしたが、すぐさま口元に手を当て、目を丸くした。
「新しい支部長って先輩なの! すごーい、おめでとうございますー!」
「お祝い申し上げますわ。日頃の研鑽の賜物ですわね」
二人が自分のことのように喜んでいるのを見て、シュイはどんな顔をすれば良いのかわからなかった。
シュイの反応がいまいち鈍いのに気付いたティートが恐る恐るといったふうにシュイの顔を窺った。
「もしや、エルクンドさんが落ち込んでいるのってそれが原因だったりしますの?」
「……まぁな。何せ半年以上支部の業務に拘束されるんだ。罰ゲーム以外の何物でもない」
「せんぱーい。それはちょっと聞き捨てならないですよー。僕やティートと一緒に働きたくないってことですかー。あんまりですー」
不機嫌を隠さぬアマリスの口調に、シュイは曖昧な笑いを返した。
「……そう言われてもなぁ。大体、俺に支部長なんて務まると思うのか?」
「それは――どうだろね、ティート?」
即回答を丸投げしたアマリスにシュイは眉をひそめた。
「まぁ、いきなりは無理でしょうね。よちよち歩きの赤ん坊に走ることを要求するようなものですから」
歯に衣着せぬティートの物言いだった。率直な意見を聞けて嬉しいよ、とシュイは再び俯いた。
励ましのつもりで口にした言葉が全く伝わっていないのに気づき、ティートは慌てて言葉を付け足した。
「ちょっとちょっと、拗ねないでください。本部の方々だって馬鹿じゃありません。そういったことを熟慮した上で指名してきたのですから、いきなり成果を求められているわけではない、ということを申し上げたかったんです。実際、誰かがやらなければならないとしたらあなた以上の候補者を探すのは難しいと思いますよ。セーニア、若しくはルクスプテロンと関係を持つ傭兵ではエレグス側がいい顔をするとも思えませんし、それだけで候補者が大分絞られてしまうじゃありませんか」
理路整然とした説明に、シュイがようやく顔を起こした。
ティートの言い分には一理あった。実際、エレグスはセーニアとルクスプテロンの戦争に関しては中立を貫いている。戦争中の両国の出身者は数多く、要人と密接な関わりのある者も決して少なくない。そういった者が支部長になれば何かと周りに詮索されることも多くなるだろうし、或いは支部長本人からアプローチがあるかも知れない。騒動の火種を持ち込みたくないと考えていても何ら不思議ではなかった。
これまではエレグス領に支部が一つしかないということもあり、シルフィールの傭兵たちでこの近辺を活動拠点としている者はそれほど多くなかった。依頼を依り好みできるほどに仕事の数が多くないため、ランクアップするためのギルドポイントを獲得するのが難しかったためだ。現に、シュイもBランクに上がったのは早かったが、そこからAランクに上がるまでには一年半を要した。半年毎のポイント査定において、二回連続で昇格ポイントがぎりぎり足りなかったのだ。
勿論、共通クエストでもポイントは溜まるのだが、他のギルドに所属する傭兵と連携する機会が多くなる。顔も実力も知らぬ者と組めば当たり外れがある。シュイも魔物の捕獲依頼などでは連携が上手くいかずに対象を殺してしまったりといったことが何度かあった。そういったことが面倒に感じる者は無理にエレグスで活動することはせず、気の合った者同士だけで、他の国々で任務を行うというわけだ。
シュイもシルフィールに所属しているというだけでいちいち騒がれたり疎んじられたりすることはままあった。だが、フォルストロームでの失態を考えれば、そんなことを気にしていられるほど心に余裕はなかった。ただがむしゃらに依頼の数をこなし、傭兵たちと交流を深め、少しずつ人脈を構築していった。結果として、アマリスたちを初めとして何人かの優秀な傭兵たちと知り合うことが出来ていた。エレグス国内に限定すれば、確かに顔が利くと言えなくもない。
渋々ながら納得した様子のシュイにティートが胸を張った。
「初めての経験で不安なのはわかりますが、私たちも出来得る限りフォローしますから。期限付きで助言者も寄越してくださるのでしょう?」
「何だ、知っているのか。だけど、アドバイザーってどういった人なんだろうな」
ティートが少し不安そうに首を傾げた。
「それは……支部長の業務をフォローするのですから当然傭兵でしょう。そういった組織運営の専門家に近い方ではないでしょうか」
「あ、そういえばその話、この前トートゥ支部の人から聞いた。何でも幼少の頃からそういったことに携わってた人みたいだよ」
アマリスの言葉にシュイは眉を上げた。
「それなら心強いな。それならいっそのこと、その人に丸投げしてしまえばいいと思うんだが」
「エルクンド支部長。あくまでポリー支部の最高責任者はあなたです。最低限の威厳は保たねばなりませんよ」
早速呼び名が変わっていることにシュイが口を窄めた。
「やるからには品行方正にして格調高い、地域一番の傭兵ギルドを目指したいところですわね」
「そーそー、僕たちのフォローがあれば支部運営なんてちょちょいのちょいだよ! 先輩は大船に乗ったつもりでどんと構えてて!」
意外にも乗り気な双子たちの力強さと頼もしさに、シュイはただただ苦笑いを浮かべていた。