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~転機 the turning point2~

 支部長室のドアノブには<在室中>と書かれている紐付きの白いカードが掛けてあった。シュイがドアを二回ノックすると名乗りを求める低い声が返ってきた。

「シュイ・エルクンドだ。先日の呼び出しの件で来たんだが」

「ああ、もう来たのか。鍵は外してある、入ってくれ」

 シュイはスライド式のドアを横に引いた。目に入ってきたのは出窓から差し込む朝日に照らされた広い部屋だった。壁際にはきっちり整理された本棚と小さな食器棚が、部屋の真ん中には矩形のテーブルに沿うように客用の椅子が二つ並んでいる。その向かい側では森族の男、エヴラール・タレイレンが書き物をしていた。長い銀髪が垂れ落ちて邪魔にならぬよう、片側に寄せて紐で束ねている。



「割に早かったな。良い心がけだ」

 思慮深げな切れ長の目はシュイの方に向けられているものの、手の方は机の上で淀みなく踊っている。その速記にシュイは束の間目を奪われたが、ふと顔を上げて話を切り出した。

「面倒事はとっとと済ませるに限るからな。それで、どんな要件だ?」

「その前に一つだけ確認しておきたい。おまえは準ランカーに上がってどれくらいになる?」

 エヴラールは筆を置くと先ほどまで書いていた書類を直ぐ隣にある分厚い紙束の上に重ねた。ゆっくりと立ち上がり、食器棚に歩み寄るとティーセットを二つ銀のトレイの上に乗せた。

「さて、どうだったかな。……一年くらい、いやもう少し経っているか」

「報告通りか。なら何ら問題はないな」

「……何の話だ?」

 エヴラールは何も言わずにただ向かいの椅子に座るよう奨めた。シュイは首を捻りながらも促されるままに腰掛けた。



 エヴラールは両手でポットを掴み、火の魔法で温め直してから二つのカップにミルクティを注ぎ込んだ。シュイが軽く頭を下げるのを横目にゆっくりと席に着く。 

「さて、話というのは他でもない。近々エレグス領のポリーに支部が新設される件は知っているか?」

「小耳には挟んでいる。エレグスの上院から直々に要請があった、っていう程度の認識だが」



 現在、シルフィールの支部はエレグスに一箇所のみ、ここトートゥが唯一のギルド支部である。別に仕事が少ないというわけではない。エレグス領内では他の地域に比べて魔物が蔓延っていることもあって共通クエストの量が多く、ギルドに所属していないフリーの傭兵が活躍できる土壌がある。反して、力のあるギルドの誘致には二の足を踏んでいるのが現状だ。

 エレグス領においてはアースレイが四大ギルドで最多となる三つの支部を持っており、それなりに幅を利かせている。今回許可が下りたポリーはエレグス第四の大きな都市であり、そこに二つ目の支部が出来るとなればこちらとしてもシェアが見込めるようになるというわけだ。

「なら話は早い。先日に正式な許可が下りたということで建物の建設には既に取り掛かっている状態だ。だが、一つ決まっていないことがある」

「決まっていないこと? ……ははぁ、支部長か」



 通常、ギルド支部の長は準ランカー以上の者が就任する。但し、候補に挙がった傭兵を支部長にするには最低でもランカー三名、準ランカー五名分の推薦が必須になる。経験豊富な者が自ら立候補すれば何ら後腐れがないのだが、年間の内半年以上は支部にいなければならないという面倒な規定があるので立候補者は殆ど期待できないという事情があった。



「察しが早くて助かる。立候補者を募ってはみたものの例によって反応なし。つまりは他薦ってことになったんだが」

「準ランカーの署名が必要だってことだな。いいぜ、名前くらいなら貸してやる。誰を推薦するんだ?」

「……あぁ、いや、まぁ。これは少々言い難いことなんだが」

 どちらかと言えばはっきり物を口にするエヴラールだったが、それにしては歯切れが悪い。シュイは不思議そうな顔をしながら紅茶を一口飲んだ。

「何だ、珍しく口が重いじゃないか。……あ、念のため先に断っておくがニルファナさんを推薦とかってのは勘弁してくれよ。彼女に恨まれたくはないし殺されたくもないからな」

 その冗談に、シュイにとってはあながち冗談でもなかったのだが、エヴラールは小さく笑った。

「あぁ、そういうことではない。――予め断っておくが、これは俺の意向ではない。そこのところを勘違いしてくれるなよ」

 尚も渋っているエヴラールに、シュイは眉を潜めた。勿体ぶらずにとっとと喋ってくれ、と言いたげだった。

 エヴラールは意を決したように、どこか仕方なくといったふうにシュイの顔を見据えた。



「――結論から言うとシュイ・エルクンドという名前が新支部長候補に挙がってしまっている、という根も葉もない噂のような、しかし気の毒な事実がある。既に何人かの上級傭兵からも推薦書が提出されているらしい」

 シュイは何かを言おうとしたが、空気が漏れただけだった。その無駄に遠回しな言い方が癪に障ったのは言うまでもない。

「ランカーの署名は五つあるからなんら問題ない。ニルファナ・ハーベル、ディジー・マクレガー、デニス・レッドフォード、アミナ・フォルストローム、ビリー・スタンレー」

「ちょ、ちょーっと待ってくれ。話が唐突で――」

 エヴラールがシュイの制止を振り切って声を大にする。

「――続いて準ランカーの署名。アルマンド・ゼフレル、ランベルト・タルッフィ、シャン・マクシミリアン、それから、ピエールのやつも今月中に昇格がほぼ決まっているからその名前も――」

「――おぉ、ピエールもついに準ラン……じゃなくって!」

「……ん、なんだ。どうかしたのか」

 エヴラールは、まるで今初めてその存在に気付いたというような目でシュイを見た。

「どうした、じゃないだろ! 俺を選ぶくらいなら他にいくらだって適任者がいるはずだ! 今言ったアルマンドとか! 彼なら年齢、実績、実力、人望、全て兼ね備えているじゃないか」

「あぁ、あいつは……」

 タレイレンは何か言いかけたが思い留まるような仕草を見せた。

「ゼフレルには少々事情があってな。業務に長期間拘束されないよう特例が認められている。おまえも知っての通り、支部長は最低でも半年間業務に拘束されるんだが、やつにはそれができないんだ」

「特例だって? そんなのがあるなら俺にもそれを適用してくれ」

「余程のことがなければ不可能だと言っておく。当たり前のことだが、面倒臭いとか、自信がないとかいう消極的思考を忖度してやれるほど甘くはない」

 しっかり見透かされていたか、とシュイは呻いた。

 その上で黙考する。裏を返せば、アルマンドの事情は上も認めざるを得ないほどの事情ということだ。ピエールやデニスなら知っているかも知れないが、今まで彼らがそのような話を口にしたことは一度もなかった。ということは、あまり大っぴらには出来ぬような内容ということだろう。

 本音を隠さずに言えば少し気になったシュイだったが、無理やり聞き出そうとまでは思わなかった。自分とて公に出来ぬ事情はあるし、過去を掘り返されるのが鬱陶しいことくらいはわかる。



 だからといって、それが自分が支部長をやる理由には結び付かない。支部長の業務がどれだけ大変かくらいは仕事振りを見ているだけでも察しが付く。荒くれ傭兵共を取り纏め、任務を円滑にできる環境を整え、地域社会との関係を良好に保ちつつ、何か問題があれば謝罪に回る。

 ――考えただけでぞっとする。

 そんなシュイの心中を察しているのかいないのか、エヴラールは一人淡々と話を進める。

「後はおまえが署名してくれれば万事解決だ。実は偶然にもここにその書類一式があるんだが」

 そう言って懐から羊皮紙を何枚か取り出したエヴラールにシュイは大きく頭を振った。

「全てお膳立てしていただいて恐縮だが、謹んで力一杯お断りさせていただく。俺みたいな若輩には身に余る大仕事だし、大勢のギルド員を円滑に動かすなんて真似どうしたって出来やしない。それくらい弁えている」

 早口で捲し立てるシュイに、エヴラールはあくまで淡々と、落ち着いた声で応じた。

「そう言わないで引き受けてくれないか。何なら業務が軌道に乗るまでの間だけでも構わん。エレグスで活動している準ランカーは数少ないし、レッドボーンの件で上の方に顔が利くおまえが適任なんだ。給料面は言わずもがな、待遇はかなりいいんだぞ」

「金の問題じゃない。――要件はそれだけだな。では失礼する」

 シュイはすくっと立ち上がり、早足で扉に向かった。

「お、おいっ、待て! 人の話は最後まで――」

 語尾がドアの閉まる音に遮られ、エヴラールは溜息交じりに頭を掻いた。

「……あいつは。準ランカーになってもああいう所は変わっていないな」

 エヴラールは苦笑しながらも再び椅子に腰掛け、もう冷めかけたカップを持ち上げる。



 ややあってノックの音が響き、エヴラールが入室を許可した。部屋に姿を現したのはピエールだった。

「あれ、シュイのやつもう帰ったのか? その顔からすると、やっぱいい返事は貰えなかったみたいだな」

「残念ながらな。全く強情なやつだ。――ところで、首尾の方は?」

「まぁ一応。……でもさ、こんなやり方して本当にいいのかなぁ」

 ピエールは懐から丸めた羊皮紙を取り出し、エヴラールに手渡した。

「心配はいらん。これはあくまで通過儀礼、支部長になったやつの大半が通っている道だ。かくいう俺もマクレガー女史に嵌められた口だからな。俺にだって借りを返す権利があるはずだ」

「……悪しき慣習ってやつだな。半ば八つ当たり的な」

 ピエールの突っ込みを華麗に無視し、エヴラールは紅茶を飲み干した。

「うむ、やはり紅茶はフォルストローム産に限る。そろそろ買い足しておかねば。――シュイとて一度決まったことを覆すことがどれだけ難しいか、フォルストロームの一件で身を持って知っているはず。後は俺とおまえが良心の呵責に苦しむだけで全て丸く治まる」

 エヴラールはティーセットをテーブルの端に寄せ、筆立てから太筆を取って墨汁入れに浸すと、シュイ・エルクンドの名が書かれている以外まっさらな羊皮紙の一番上に大きく<承諾書>と書き足し、続いては細筆で適当な文章を綴っていく。





 ――説得力ねぇっすよ支部長。良心の呵責って言うならせめてそれなりの面してくれ。

 どう贔屓目に見てもしてやったりとしか取れぬエヴラールの表情に、ピエールは次にシュイと顔を合わせた時の言い訳を考えながら憂鬱を吐き出すのだった。

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