四尺
依頼人は、三十前後の女だった。
ギルドの受付で、俺を指名した。
「家を、測ってほしいんです」
「遺跡か」
「いえ」
彼女は首を振った。
「父の家です。普通の家」
◇
俺は、断ろうと思った。
普通の家を測るのは、測量士の仕事ではない。大工の仕事だ。
そう言うと、彼女は財布を出した。
「五千レンで」
俺は、口を閉じた。
特級の日当が二千レンだ。指名でも、その倍は取らない。
「――高すぎる」
「足りませんか」
「多すぎると言った」
俺は椅子に座り直した。
「二千でいい。その代わり、一つ訊く」
「はい」
「なぜ測る」
◇
彼女は、少し黙った。
「来月、壊すんです」
「それは聞いた」
「壊す前に、記録を残したくて」
――嘘ではない。
だが、全部でもない。
二十年、俺は依頼人の顔を見てきた。
この顔は、答えを知りたくて来た人間の顔だ。壊す前に、確かめたいことがある。
俺は、それ以上訊かなかった。
訊かなくても、測れば出る。
◇
家は、町の東にあった。
小さい。部屋が四つと、土間。
石の基礎に木を組んだ、この辺でよくある造りだ。
俺は縄を張って、外周から測った。
外周、東西二十四尺。南北十八尺。
きれいな数だ。
この国の家は、六尺を一間として組む。二十四尺は四間、十八尺は三間。大工が計算しやすいように、そうなる。
◇
中に入って、部屋ごとに測った。
土間、六尺かける十八尺。
北の部屋、九尺かける十二尺。
東の部屋、九尺かける十二尺。
南の部屋、九尺かける十二尺。
西の部屋――
俺は、縄を二度張り直した。
三度目も、同じだった。
「――半端だ」
「え」
「この部屋だけ、五尺かける十二尺」
俺は野帳に書いた。
「他は九尺。ここだけ五尺だ」
◇
女は、部屋の入口に立っていた。
「狭いのは、知ってました」
彼女は言った。
「父の部屋です。物置みたいな部屋で」
「――違う」
俺は立ち上がった。
「設計が半端なんじゃない」
俺は西の壁を叩いた。
軽い音がした。
次に、東の壁を叩いた。
鈍い。
「この壁は、後から入れたものだ」
◇
俺は灯りを寝かせて、床を見た。
目地に、線がある。
石の基礎に、溝が彫ってある。壁を立てるための溝だ。
その溝が、二本あった。
一本は、今の壁の下。
もう一本は、そこから四尺ずれた場所。
俺は、その古いほうの溝に指を入れた。
埃が詰まっている。
「元の壁は、こっちだ」
俺は言った。
「四尺、向こうにあった」
◇
「それって」
女の声が、少し変わった。
「その四尺は、どこに行ったんですか」
「隣だ」
俺は、東の壁を指した。
「隣の部屋が、四尺広くなってる」
彼女は動かなかった。
「隣は、九尺かける十二尺だ。他の部屋と同じに見える」
俺は野帳を開いた。
「だが、元は五尺だったはずだ。この家は四部屋とも同じ寸法で組まれてる。西だけ狭いんじゃない。東だけ広いんだ」
◇
女は、東の部屋を見た。
俺も見た。
何もない部屋だ。荷物はもう運び出してある。
壁に、跡だけが残っていた。
小さい棚があった跡。低い位置に、寝台があった跡。
「――ここ」
彼女は言った。
「わたしの部屋でした」
俺は、何も言わなかった。
◇
「いつですか」
彼女が訊いた。
「壁を動かしたの、いつですか」
「――出せる」
俺は、溝の埃を掻き出して、指の腹で厚みを測った。
それから、新しいほうの壁の下端を見た。
木が、床から一分ほど浮いている。
乾いて縮んだ分だ。
この土地の木が一分縮むのに、どのくらいかかるか。
二十年、坑の支保を見てきた。だいたい分かる。
「二十年前だ」
俺は言った。
「前後二年は動くが、二十年だ」
◇
女は、何も言わなかった。
長い時間だった。
やがて、こう言った。
「わたし、七つでした」
「そうか」
「妹が生まれた年です」
彼女は、壁に手を当てた。
「二人部屋になるって言われて。……嫌だって言いました」
彼女は言った。
「狭くなるのが嫌で、泣いて」
◇
俺は、野帳を閉じた。
――そういうことだ。
父親は、自分の部屋を四尺削った。
削って、娘の部屋を四尺広げた。
二人入れるように。
「言われましたか」
俺は訊いた。
「え」
「父親に。『お前の部屋を広げた』と」
彼女は、首を振った。
「一度も」
◇
「じゃあ、なんで測りたかった」
俺は訊いた。
訊いてから、余計なことだと思った。
だが、彼女は答えた。
「父は、妹のほうが可愛かったんだと思ってて」
彼女は言った。
「ずっと、そう思ってて」
彼女は、壁を見ていた。
「壊す前に、なにか残ってないかと思って。……証拠みたいなものが」
彼女は、少し笑った。
「馬鹿みたいですね。家を測って何が分かるんだって」
「――分かった」
俺は言った。
「四尺、分かった」
◇
帰り道、俺は考えていた。
あの父親は、二十年、何も言わなかった。
言えば済んだ。
「お前のために削った」と、一度言えばよかった。
言わなかったから、娘は二十年、逆のことを思って生きた。
――なぜ言わなかった。
分からない。
照れくさかったのか。恩に着せたくなかったのか。
あるいは、言うほどのことではないと思ったのか。
◇
俺は、そこで足を止めた。
――俺も、同じだ。
言うべきことを、言わずに済ませる。
言わなくても伝わると思っている。
伝わらない。
二十年経って、他人が縄を張って測って、やっと出てくる。
そんなものは、伝えたうちに入らない。
◇
宿に戻って、俺は野帳を開いた。
今日の欄に、寸法を書いた。
外周二十四尺かける十八尺。
西の部屋、五尺かける十二尺。
東の部屋、九尺かける十二尺。
差、四尺。
書いて、その下に、一行足した。
〈言ワナカッタコトモ、残ル〉
書いてから、しばらくその行を見ていた。
残るが、読める者がいなければ、無いのと同じだ。
俺は、灯りを消した。




