一話
とある街の食堂。
昼時の忙しさがようやく終わったと同時に、大きなため息を吐いた。
「やあ、多聞くん。ずいぶん憂鬱そうだね」
カウンター席に座り、オープンキッチンにいる僕に声をかけたのは、赤髪の魔法使い――北条サクラさんだった。
「サクラさん……それが、ついにアレが来てしまって」
小さな声でそう呟くと、すべてを察した彼女は頷いた。
「ああ……アレね。ずいぶん久しぶりじゃないか? たしか一年前くらいにレッドドラゴンの――」
「しいーっ、しいーっ! サクラさんは同業だからいいですけど、僕のことはこの店では秘密ですよ」
「ああ、君は“死神”だってことは内緒だったな」
囁くようにそう笑う彼女もまた、死神の一人だった。
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死神。
そう呼ばれる者たちが、この世界にはいる。
もともと日本に住んでいた僕は、ある日、不慮の事故で命を落とし、この世界へと転生した。
異世界転生。
そんな物語が流行っていたが、まさか現実に起きることだとは思いもよらなかった。
だけどそれは脅威よりも、喜びの方が大きかった。
日本での生活は散々だった。
三流大学を卒業するために背負った奨学金は三百万。
せっかく掴んだ新卒カードは、慣れない営業職ですぐに捨ててしまった。
早期離職の結果、転職もままならず、中華料理チェーンで三年バイト。
ようやく契約社員になった頃には、もう三十歳を迎えていた。
大学時代から付き合っていた彼女には、いつまでも定職に就けないことを理由に振られてしまい、その後はまともな出会いすらなかった。
そんな現実社会とおさらばして、異世界生活を満喫できるなんて――なんて運がいいんだ。
勇者?
賢者もいいな。
魔法使いも面白そうだし……最近見た、付与術師が出てくるアニメは面白かった。
さあ、どんな職業になろうか。
いわゆるチート能力は与えられるのか。
この世界への期待が募る僕に渡されたのは、一冊の手帳だった。
『それ、死神手帳ね。
君、これから死神だから』
謎の白い生命体は、そう言った。
「し、死神? そんな職業あったっけ」
「職業……仕事といえば仕事かな。
ライフワークだと思えばいいよ」
軽い口調で、そいつは続ける。
『その手帳に出た奴を探して、瀕死になった時に読み上げるだけ。簡単でしょ?
それだけで君の寿命は爆上がり。あと、お金もちゃんと振り込まれるよ』
「じゅ寿命って? なに?」
「寿命は寿命だよ。死神は回収した魂によって生きていける生命体だから。
それとさ、もし書かれている期限までに読み上げられなかったら、その命は回収できなくなるから。それってどういうことか……わかるよね?
あと、お金が入ってない時の生活は自分でどうにかしてね」
「え? あ、あの……チート能力は?!」
今にも消えてしまいそうな生命体に、必死で話しかけた。
「チート?
いやいや、死神特権。十分チートでしょ」
あっさりと言う。
「まだ死んでなかったら、この世界の転生者はみんな死神だから。探してみな」
そう言い残すと、その生命体はふっと消えた。
そして僕は、この世界に転生した。
見た目には何も与えられていない。
手に持っていたのは、黒い手帳だけだった。
こうして僕の異世界転生生活は、始まったのだ。
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偶然にも、転生して最初に出会った同じ転生者――サクラさんのおかげで、どうにか死神としての仕事と、この異世界での生活を成り立たせることができている。
「サクラさんって、まだ手帳に名前出ます?」
「無論だな。出ないと逆に死ぬじゃないか」
「魔法使いとして最上位になっても、この仕事をしなきゃいけないんですね」
「ふっ……むしろこの仕事のために、私は魔法使いになったんだ」
「はあ……サクラさんなら、この名前の主も自分で瀕死にできると思いますけど……」
「ふむ。今回はなんて書いてあるんだ?」
僕はそっと、胸ポケットの黒い手帳を開いてみせた。
薄いその手帳の一ページ目には、数行の文字が書かれている。
そして、その最後の行には――
魔王ゼグーロ
期限まで残り100日 未完了
そう、記されていた。
「あー……ゼグーロかぁ」
サクラさんは手帳を覗き込みながら、気の抜けた声を漏らした。
「魔王ですよ! 魔王!
なんで僕って、こんなのばっかり……」
頭を抱え、項垂れる。
「たしかにな。まあ、その分、一回の仕事の報酬も、終わったあとの自由時間も長いんじゃないか?」
「それは……そうですけど」
納得しかけて、ふと首を傾げる。
「サクラさんは最近、どんな仕事だったんですか?」
「こないだのか? これだよ」
懐から、よく似た黒い手帳を取り出すと、何枚もページをめくり、ようやく目の前に差し出された。
そこに書かれていたのは――
アンデッド 1000体
期日まで残り10日 完了済
「1000体!?」
思わず声を上げてしまい、辺りを見渡した。
すっかり客も引き、常連客がちらほらといる程度でこちらのことは気にしてなさそうだった。
「しかもアンデッドだから名前もないしな」
サクラさんはうんざりした顔で頬杖をついた、
「『アンデッド!』って、千回も叫ぶ羽目になったんだぞ」
「こ、これはこれで激務ですね……」
「神がもう私に対しては飽きてきたんだろうな」
「は、はは……」
あのいい加減な白い生命体を、サクラさんは神と呼んでいる。
おそらくこの世界の創造主なのだろう、というのが共通の認識だった。
「そうだ、ゼグーロを倒すなら、今ちょうど良さそうだぞ」
「え?」
「新進気鋭のパーティが狙ってるって聞いた。
たしかアデーレの酒場にいるらしい」
「なんてパーティですか?」
「たしか……勇者バージーンとその仲間たち……」
「…………え、それパーティ名ですか?」
「ああ、最高にダサいだろ」
彼女の悪そうな笑みを見て、果たしてそんなパーティで魔王を倒せるのか、心配しかなかった。
ーーー
店の休憩時間に、街の中心から少し外れたアデーレの酒場に向かった。
昼間だというのに、店の前には人だかりができている。
どうやら中で、何か騒ぎが起きているらしい。
「てめぇ! 今日初めて店に来たくせに生意気なクソガキがッッ――」
店の中から、やたら大きな声が響いた。
恐る恐る扉を開ける。
すると――
ドンッ!!
大男が壁に叩きつけられ、店内の空気が一瞬で凍りつく。
アデーレの酒場の用心棒である男を軽くいなした上で、涼しげな顔で仁王立ちしているのは、一人の青年だった。
背は高く、無駄のない体つき。
陽の光を受けて輝く金色の髪。
鋭い青い瞳は、まるで獣のような強さを宿している。
腰には聖剣と思われる長剣。
どう見ても――
文句なしの勇者だった。
床に転がった大男が震えながら言う。
「く、くそ……お前、何者だ……!」
青年は剣を肩に担ぎ、あっさり答えた。
「俺か?」
そして、胸を張る。
「勇者バージーンだ」
店内が静まり返り、そこにいる全員と同じ気持ちだと確信した。
(名乗り方もクソださい……)
そのとき、青年の後ろから声がした。
「おいバージーン、この惨事どうすんだよ」
振り返ると、ローブを着た少女が腕を組んでいる。
その横には、大きな盾を背負った筋肉質の男。
さらにもう一人、弓を持った細身の青年。
どうやらこれが、パーティらしい。
勇者バージーンは腕を組み、堂々と言った。
「問題ない」
「なんで?」
「俺たちはこれから魔王ゼグーロを倒しに行くんだ。
ゼグーロの報奨金は、金貨10万。この酒場の修理代はすぐに払える」
「ちょっとあんたら! うちの用心棒に怪我させて、おまけにこんなに壊しておいて、まさかツケにしようって気?!」
酒場の主人のアデーレが髪を振り乱し、大きな声で諌めた。
彼女の怒りに火が付いたら止められないのは、この街の住民なら誰もが知っていた。
「ぼ、僕が建て替えるよ!!!」
勇者とそのパーティが振り返り、店にいた他の客たちも皆こちらを向いた。
「あら、タモンじゃない」
「や、やあ、アデーレ。僕がこの修理代建て替えるから、彼らを許してくれない?」
「いいけど……あんな店の安月給で払えるの?
このテーブルは買い直しだし、床や壁の穴も防ぐには最低でも金貨1枚は必要よ」
正直ギリギリだ。だが、以前の死神業で得た報酬金の残りがまだある。
内ポケットから何重にも布を重ねて隠しておいた金貨3枚を出し、アデーレに渡した。
「これでいいかな?
余った分は店の改修にでも使ってよ」
「あら! あんたこれ、へそくりでしょ」
そう言いつつもアデーレの機嫌は明らかに良くなった。
「いいお酒あるから飲んでいきな」
そう言って笑顔を向ける。
「それなら、彼らと飲んでもいい?」
アデーレは勇者一行を睨みつけると、ふうとため息を吐いた。
「あんたたち! タモンに感謝することね」
勇者バージーンは、そのやりとりを見終えると、笑顔でこちらへとやってきた。
「いやぁ、悪かったね。タモン……くん?」
「はは、別にいいよ。実は君の話を聞いて興味があったから助けたんだ」
「興味?」
「ぜひ、僕を君のパーティに入れてくれないか?」
「君を? どう見ても冒険者には見えないが」
「ああ、そうだね。僕は“料理人”だからね。
ゼグーロの城までは長い道のりになるだろう。少なくとも……三ヶ月くらい?
見たところお金もないようだし、ゼグーロを倒すまでは金欠だろう。
こんな風に街で食い歩きしてツケを増やすより、僕を雇った方が節約になるよ」
「なんなの、怪しいわね。あんた。
冒険者でもないのに、仲間に入るために金貨を差し出すなんて」
後ろで聞いていたローブの少女が疑いの目を向けた。
「別に金貨を差し出したのは君たちだけのためじゃないさ。
僕はこの街の食堂の雇われコックだからね。この酒場は息抜きによく来るんだ。
僕は戦う力は持ち合わせていないから、時折こうして強いパーティに混ぜてもらって報奨金を稼いでるんだ。
だから旅も慣れているよ」
慌てて付け加えたその言葉は少し言い訳くさかった。
それでも魔王に近づくためにはこのパーティに参加しておくしかない。
努めて平静を装った。
微妙な空気が流れる中、テーブルにはどんどん酒と肴が並んでいく。
「アイネ! そう言うな! こんな良い人が怪しいわけないだろ?
このパーティのリーダーで勇者! バージーンだ!
ちょうど魔王討伐のために臨時でメンバーを増やす予定だったんだ。料理人ももちろん歓迎するよ」
ジョッキのビールを流し込むと、バージーンは豪快に笑い、大きな手を差し出した。
その手を握ろうとすると、すぐに分厚い皮に覆われた手に掴まれた。
硬い手のひらが、彼の勇者らしい端正な顔立ちとは裏腹に、その実力を示しているようだった。
「バージーンが言うなら決まりだね」
弓を背負った細身の青年がボソリと呟くと、アイネと呼ばれた少女も大柄の男もビールジョッキを手に取った。
「ようこそ、タモン! 勇者バージーンとその仲間たちへ!!」
大きな声が張り上がり、ガチャンとジョッキがぶつかる音が響いた。
乾杯の音頭となったその言葉は、子供騙しのようなパーティ名だった。
(その仲間に入ったのか……けっこうキツイな)
そんなふうに外から彼らを見ていたはずが――
この男が、ただダサい名前が好きなだけではないことを、僕はすぐに思い知ることになる。




