23.前世の終点の先はどこへ向かう(3)
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「先輩、別れたらしいぞ」
その日の訓練が終わり、特殊部隊が所有している馬車の整備を行っていた時のことだ。
一つ上の先輩であるアランがにんまりとしながら近寄ってきて、囁いた。
「先輩って誰のことですか?」
急な話に目をしばたかせていると、アランはニヤついたまま片眉を上げる。
「カミーユ先輩に決まってんだろ。誰がおっさんの恋愛事情興味あるんだよ」
「あっ、口が悪い!」
アランの口ぶりに茶々を入れながら、内心驚いた。
「え、あの人ですよね。商会の…」
「そうそう」
今回のカミーユ先輩の恋の相手は、特殊部隊に出入りの商会のご子息だった。
いつも三揃いのスーツを着ている小柄な人だ。
「良い人そうでしたよね。なんで別れちゃったんだろ」
平静を装いながら答えると、アランはにんまりを深める。
「おうおう」
「…なんですか」
「しれっとしちゃって。ユーリス、お前、ショック受けてたじゃん。カミーユ先輩がリオネルさんと付き合った時」
思わず目を見開くと、アランはますます笑った。
「バレバレだって。婚約破棄されてから半年間、カミーユ先輩を見るたび、犬っころみたいにしっぽブンブンしやがって」
気づかれていたのか。急にものすごく恥ずかしくなり、黙って馬車を磨く。
去年の中頃、バロウワームとゴブリンの群れを倒して帰ると婚約者からの手紙が届いていた。
婚約破棄に関する内容の手紙だ。
当然あまりにも急な話で、かつ家同士のこともあるため、その後改めて会うことになって直接話した。
『ごめんなさいね、突然あんな手紙を送って』
久しぶりに会った彼女はゆったりと腰掛け、申し訳なさそうに謝罪した。
『アリエノール、あんなことを言わせてすまなかった。全ては待たせすぎた俺が悪い』
頭を下げると、アリエノールは軽やかに笑った。
『もういいのよ。待っている間はすごく辛かったけど、待つことをやめたらとっても楽になってね』
『そうだよな。相手の方も良い評判だと聞いている』
『そうね。わたしのことを大事にしてくれる、穏やかな人よ。
最初はもちろんわたしに恋人がいることを知っていたから、遠慮していたのだけれど』
ふふふ、と笑ったアリエノールは、長く知っていたはずなのに、何故か、知らない人のように見えた。
『そうか、そうだよな。縛るだけ縛って、申し訳なかった』
『いいの。彼との関係を築いていく内に、"交際という形ではなく、すぐに結婚したい。結婚についての準備期間は必要だから、まずは婚約を進めさせてもらえないか"と言ってくれたの』
そこで一度アリエノールは口をつぐんだ。手元のティーカップを持ち上げ、優雅な様子で紅茶をすする。
『嬉しかったわ。彼がわたしを選んでくれたことが。もちろん、あなたがいたから、すぐにイエスとは伝えられなかったけれど』
『俺が早くにはっきりさせていれば、悩ませることもなかったのに』
『いえ、迷わなかったわ。わたし、迷わなかったのよ』
キッパリと言って、俺をまっすぐに見つめた。
ああ、アリエノールだ、と思った。
かつて俺が好きになった、意志の強い瞳だった。
はっきりとした彼女を好きになったのに、きっと俺はその彼女から俺の好きなところを奪ってしまっていた。
俺との将来を夢見てくれていたアリエノールを不安にさせて、きっとその不安は彼女の口を塞いだ。
『ユーリス、あなたがわたしとの結婚を決めきれなかったように、わたしもあなたとの将来にずっと不安を覚えていた。それはユーリスだけの責任ではないわ』
アリエノールは寂しそうにまた微笑んだ。
『お互いに、お互いが運命の相手ではなかった、ただそれだけよ』
思わず、目線を下げる。
もう俺には、何かを言うことは許されていなかった。
元から縋るような真似はしないつもりだったが、そんな発想すら与えさせてもらえなかった。
アリエノールの中では、俺は既に明確な"元カレ"だった。
『それにユーリス、あなたも新しい"運命"、見つけたんじゃない?』
驚いて顔を上げると、アリエノールは微笑んでいた。
『なんだか、スッキリした目をしてる。もう少し、わたしのことを惜しんでくれてもよかったのだけれど』
『……この間、婚約破棄された日から、ずっと心に引っかかっている人がいる』
『あら』
アリエノールは興味深そうに、いたずらっぽい好奇心を視線に瞬かせた。
『どんな人なの?』
別れたばかりの元カノに、今気になっている人の話をするなんてどうなんだ。
内心そう思い逡巡したが、アリエノールに黙って目で促された。
『なんていうか…女神みたいな人なんだ。危ないところを救われた。もちろん、彼女は相手が俺じゃなくたって同じように助けたと思うけど。
でも……俺にとっては特別な出来事で、なんていうか……俺も、彼女にとって頼れる相手になりたいんだ』
上手く説明ができない。
これはきっと、単なる憧れの変質だということはわかっている。
そもそもこれが恋なのか、それすらもあやふやだ。
でも、今この先を問うアリエノールを前にして脳裏に浮かぶのは、あの日俺を助けてくれたカミーユだ。
竜に乗りポニーテールを靡かせて、夕陽を背中から受けて輝くカミーユ。
妖精が粉を振り撒いたかのようにきらきらとしていて、あの日から俺の目には発光しているかのように眩しい。
アリエノールは黙って目を見開き、両眉を上げた後、ちょっと笑った。
『ユーリスがそこまでいうなんてね。あなたは優しいけど、あんまり誰かに対して強い感情を抱くタイプじゃないと思ってたわ』
きっとその人だからなのね、と寂しげにまた笑った。
『誰なのか聞いてみたいけど、さすがにやめておくわ。なんだか妬けちゃいそう。上手くいくことを遠くから祈ってる』
輿入れしたら、モラント男爵領にいくことが決まっているらしい。
王都からは少し離れる形となる。
『ありがとう。でも相手は俺をどう思っているのか、全くわからないんだ。……俺も、アリエノールの幸せを祈ってる』
それだけ告げて頭を下げ、その場を去った。
元より婚約ではない、ただの交際だ。
その口約束はアリエノールに瑕疵をつけることはなく、また瑕疵が付いたとしても愛してくれるパートナーを見つけたアリエノールには、もはやただの過去だった。




