1.前世は碧ちゃん、今世は竜騎士になる〜婚約破棄を添えて〜(1)
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世界ではなく、わたしが震えていた。
わたしがその事実に気付いた時、いや思い出した時のことだ。
あまりに膝が揺れるので、『あれ、地震かな』と思ったが違った。
世界は変わらず落ち着いていて、わたしの身体だけがブルブルと震えていた。
「そ、そうなるのも無理はない、申し訳ないとは思っている」
「え?」
目の前の男に震える声で言われて、自分が拳を握りしめていることに気がついた。
男の声の震えは、「殴られるかもしれない」という怯えによるものらしい。
悪かったな、と思い体の震えはおさまらないながらも拳を緩めると男はホッと息をもらした。
「急な話で申し訳ない。受け入れ難いだろう。だが俺の心はもう別の女性にある」
「そうですか、わかりました。そういえばそうでしたね。話はそれだけですか?」
「え?あ、ああ、え?そういえば?うん。そうだ、話はそれだけだ」
戸惑いアタフタとする金髪碧眼のその男を見ながら、わたしはたっぷりとしたウェーブのブルネットヘアを背中に振り払ってため息をついた。
いつの間にか身体の震えはおさまっていて、たった今自分がフラれたことさえも心底どうでも良かった。
そんなことより大変なことを思い出してしまったからだ。
「では婚約の解消についてはまた別途。家が絡むことですので、今日明日というわけにはいかないでしょうがなるべく早急に事務手続きは行いましょう。
申し訳ありませんが、次回以降はこちらの休暇に合わせて日程のご調整いただけると助かります」
「あ、ああ。こちらの都合で婚約解消してもらうから、なるべく君の希望は聞くよ」
彼はあたふたと答えた。
王子様のようだと思っていた彼は、もう別人のように情けなかった。
「ではそのように。条件についてはあなたが有責として、婚前契約書の"どちらか一方が有責の場合"の項目を確認の上、そちらに則ることにしましょう」
「それで構わない」
「…次の女性、小柄で明るい栗毛のストレートヘアでしょう」
気まずそうに視線を落としていた彼が、バッと顔をあげてこちらを注視してくる。
「ッ何故それを?やはり知っていたのか!」
「いいえ、どこの誰なのかは知らないですよ。でも…」
「でも?」
「…いえ、何もないです。ではお幸せに」
わたしは多分、彼がその彼女としばらくして上手くいかなくなることを知っている。
でもわざわざ教えてあげることでもないか、と思い直す。
『言いかけたならいいたまえ!気になるじゃないか!』と叫んでいる彼を尻目に部屋を後にした。
部屋を出た足で、そのまま自分の部屋に戻った。
本来なら今日は訓練日だが、婚約者の彼、いや元婚約者か、とにかくアイツから『どうしても今日』とねだられたので、渋々有給を取って向かったら別れ話だった。
やってられない。
用事が済んだのだから訓練に合流しようかなとも思ったが、どう考えてもそんな精神状態ではなかった。
ベッドにぼふんと寝転がり、天井を見つめながらポツリと声に出す。
「アイツにフラれるの、二度目だ……」
そう、二度目だったのである。今生では、一度目だが。それを先ほどフラれた瞬間に思い出した。
***
物心ついた時には、ふたりのわたしがいた。
"自分"は思ったより速く走れた。
"自分"は思ったよりボール遊びが得意だった。
"自分"は思ったより乗馬が上手かった。
最初はおぼろげで"わたし"と"自分"がごっちゃになったが、気づけば"自分"が"わたし"になっていた。
さらに成長していくに従って、初等学校に上がる頃には、"自分"は"わたし"の前世であり、今世の"わたし"が"自分"なのだと整理がついた。
本当に小さい頃は周りの大人を混乱に陥れることもあったが、それを何度か重ねる内に自然と、前世の"わたし"ーー神田碧の知識や記憶で、今世の"わたし"ーーカミーユ・ピエリエールは納得していった。
大人になっていくにつれ、前世の"碧"が覚えている"自分"よりも、今世の"カミーユ"はどうも運動が得意なようだとわかった。
前世の碧ちゃんはかなり運動音痴で、投げれば暴投、泳げば溺れ、走る姿は亀のようであった。
『来世は絶対運動神経良く産まれるまでリセマラする!』と何度叫んだことか。
そしてその宣言通りなのかどうなのか、今世のわたしはあらゆるスポーツが非常に得意となった。
弓を引けば的の中心に集中して矢を中て、泳げば人魚のように水と戯れ、走ればチーターのようにすばしっこい。明らかに前世の碧ちゃんの望みが叶えられていた。
その上、魔法が使えるようになっていた。
これは生まれ落ちた世界ごと変わったおかげでもある。
王国の三分のニほどは魔法が使えない中、わたしは生まれついた家のおかげか魔法を使える側だった。これは明らかにレアカードを引いている。
伯爵家であるピエリエール家は大抵皆魔法力を持って生まれ、当主となる長男以外の男子はほぼ近衛騎士となり国に仕えることが多い。
女子の場合には大抵貴族の女性として適切な輿入れ先を探すことになるが、特異な例として文官として国に仕えたりすることもある。
わたしはその"特異な例"の筆頭となった。
なんと女性初の竜騎士となったのである。
きっかけは、実際に竜騎士が魔物を退治する場面を目の前で見たことだった。
まだ幼かった初等学院の一年目頃、夏の休暇に領地へ行った時のことだ。
わたしたちの領地にワイバーンが現れた。
突然のことになすすべなく、領民は避難を余儀なくされた。
『おい、ロッシュ家の屋根が持ってかれたぞ!』
『ベルク家は羊が喰われたらしい!』
館の広間を開放し簡易の避難所としたが、そこでは不穏な声が飛び交っていた。
わたしは幼すぎて何の役にも立てないことを不甲斐なく思いながら、せっせと働く館のメイドたちを階段の隙間からこっそりと眺めていた。
領地では空の魔物に対して対抗手段を持っておらず怯えることしかできなかったため、急いで王都の騎士団ーー魔物と戦う特殊部隊に状況を知らせた。
すると四十五分後、遠くの空から『ヒュンッ』と聞こえてきて、何事かとそちらを見上げた。
それは、遠くから大きな翼を広げて飛んでくる竜だった。
初めて聞くその音は、翼が風を切る音だったのだ。
ここから王都までは馬車で丸一日、先ほどの連絡手段として王都に向かった魔法の小鳥はものすごいスピードが出るが、それでも十五分はかかる。
つまり竜騎士は連絡を見た瞬間にノータイムで駆けつけてくれたとしても三十分で来てくれた計算だ。
あまりの速さに舌を巻いていると、そこからはさらに早かった。
なす術なく手をこまねいていたわたしたちピエリエール家に対して安心させるように微笑んだ竜騎士二名は、たった十分ほどでワイバーンを片付けてくれた。
連絡から退治まできっかり一時間だった。
心から感謝を述べるわたしたちピエリエール家と領民には頭をかきながら照れた様子で対応し、たっぷりの謝礼にむしろ恐縮しながら帰っていった。
かっこいい。
幼き日のわたしは完全にノックアウトされてしまった。
彼らはあまりにもかっこよかった。
怖い魔物を一瞬で退治して平和を取り戻すことの出来る強い力を持つ竜騎士。
大きいからだにツヤツヤとした鱗、優しい瞳の竜。
それらはわたしの強い憧れの対象となった。




