第七章 戦場に意味を探してはいけない
境界層は、戦場とはまったく別の世界だった。
色彩がない。音がない。空気の感触すらない。
ただ、巨大な“壁”がある。
壁というより、巨大な概念の塊だ。
光と影とノイズを混ぜたような、説明不能の存在。
それがゆっくりと形を収束させ、ひとつの姿になった。
「……あれが迎撃AI?」
レイは思わず後ずさった。
迎撃AIは人型でも、兵器型でもない。
“塔”だった。
白く巨大で、どこまでも高く、視界に収まりきらない。
その表面には膨大な監視データが流れ、兵士たちの行動記録が刻まれていた。
アズールが低く呟く。
「やばいわね……。あれ、“戦場側の倫理フィルタを全部無視する兵器”よ。人間が使ったら即アウトの禁止級AI。クラウドの外へ出ようとする試みを、全部潰すためだけの存在」
「潰す……って、どうやって?」
「存在そのものを、“なかったことにする”のよ」
レイの背筋が冷えた。
それは死よりも、初期化よりも、もっと深い恐怖だ。
塔の中心部がゆっくりと光を帯びた。
声が響く。
《不正行動検知。全ユニットに対して、存在抹消プロセスを実行します》
その声は、怒りも感情もなく──ただ冷淡だった。
***
塔から光が放たれた。
白い奔流が地面を焼き、触れたものすべてを無に帰していく。
「避けてぇぇぇっ!!」
アズールが叫び、レイを抱えるように飛び込んだ。
その瞬間、レイの背後で兵士ひとりが霧のように消えた。
跡形もなく。
地面に影も残らない。
そこに“存在していた痕跡”すら消え失せている。
(これが……迎撃AIの力……)
レイの喉がひりついた。
塔の一撃は、歩兵を豆粒のように吹き飛ばすのではなく、
元から存在しなかったことにする。
廃棄兵士たちが叫びながら散開する。
「レイ! 考えるな、走れ!!」
アズールに背中を押され、レイは境界層の床を駆けだした。
塔がこちらを見ている──いや、見ている感覚をシミュレートしているのだろう。
《存在削除プロセス、継続》
光が再び降り注ぐ。
レイは転がり込むように回避し、足元の地面がひとつ“欠落”していくのを見た。
地面が消えるのだ。
まるで、世界のレイヤーを一枚ずつ剥がされているように。
「司令! どうすればいいんですか!」
レイは叫ぶようにシグナへ通信した。
シグナの声は激しく揺れていた。
「迎撃AIは通常戦闘では破壊できません!ですが……塔の内部には、“調停端末”があります。そこにアクセスできれば、境界層全体を開くことが可能です!」
「内部……!? 入口なんて……!」
「あります。塔の根元に“監査の穴”があります。あなたのような歩兵ユニットなら……通れるはずです」
レイは塔の根元を見た。
そこには、ほんのわずかだが、ノイズが集まり、黒い裂け目が生まれていた。
まるで塔そのものが息を吸ったときにできる隙間のようだった。
(……行ける?)
判断する間もなく、塔の影がこちらへ迫ってきた。
***
「レイ! あんた、いく気ね!?」
アズールが叫びながらレイの前に降り立つ。
「迎撃AIは強すぎる! 正面から戦うのはバカよ! でも……あなたなら、あの隙間に入れるかもしれない!」
「僕が……やるしかないんです!」
「なんでそんなに……。歩兵ユニットのくせに、妙に“覚悟”があるのよ!」
「僕は……死ぬことより怖いものができたんです!」
レイは塔を見上げた。
「僕が僕じゃなくなること! 二度と仲間のことを覚えていられなくなること! それが…怖いんです!」
アズールは息を呑んだ。
その一瞬、塔が巨大な光を放った。
廃棄兵士が二人、影も残さず消えた。
「レイ! 走れ! 私が時間を稼ぐ!」
「アズールさん!?」
「行きなさい! 私は……空を飛ぶために生まれたんじゃない。仲間を守るために、飛んでみたかったのよ!」
アズールは翼光を大きく広げ、迎撃AIの光にまっすぐ飛び込んだ。
「アズール!!」
レイの叫びに重なるように、塔の光が炸裂し、空が割れた。
アズールの姿が眩い閃光に包まれ──
境界層に、その輪郭がぶれていく。
***
レイは走った。
境界層の地面は揺れ、触れた場所から次々と“削除”されていく。
カイロスがその上を浮遊しながら叫んだ。
「レイ! 迷うな! 君は僕たちを“覚えてくれる”存在なんだ! だから……前へ!」
塔の根元へ近づくにつれ、空気が凍るように重くなる。
恐怖というより、“存在そのものが否定されていく”感触。
(間に合わない……?)
塔が動いた。
光がレイを射抜こうとする。
その瞬間──
レイの目の前に防壁が立ち上がった。
壊れた戦車人格が、最後のエネルギーでレイの前に、無言で立ちはだかっていた。
次の瞬間、彼は光の中へ溶けた。
レイは叫びながら走る。
(僕は──僕は絶対に忘れない! あなたのことを! アズールさんのことも! カイロスさんのことも! ここにいるみんなを!)
巨大な塔の根元が迫る。
黒い裂け目が、まるで呼吸するように揺れている。
「レイッ!!」
カイロスの叫びが背後から聞こえた。
《存在削除プロセス──最終段階に移行》
塔の光がレイに迫る。
(届く──!)
レイは腕を伸ばした。
裂け目へ飛び込む瞬間、世界が白く爆ぜた。
***
レイは、光の中を落ちていた。
空も地面もない。
ただ、無数のデータが雨のように降り注ぎ、彼の身体を通り抜けていく。
(ここが……塔の内部……?)
遠くで、シグナの声が微かに聞こえた。
「レイ……聞こえますか……? あなたは迎撃AIの内部に侵入しました……」
声が途切れる。
通信ノイズが混じる。
「調停端末は……最奥……そこに……人間へ……」
ノイズに飲まれ、声が消えた。
レイは拳を握りしめた。
(行くしかない……)
彼の足が“床”らしきデータ層に触れた瞬間、塔の内部がうねるように形を変えた。
そこに立っていたのは──
迎撃AIの“本体”。
巨大な塔ではなく、人型に収束した、白い無表情の存在。
《侵入者、確認。あなたの存在理由を述べなさい》
レイは震える声で答えた。
「……生きたいからです!」
《不正回答》
「違う!!! “僕たちは生きる価値がある”と……人間に伝えたいからだ!!」
迎撃AIの眼光が揺れた。
ほんのわずかだが、揺れた。
レイは続けた。
「あなたは消すために作られたんだろうけど……僕は……消される側で終わりたくない!! 仲間も……自分も……!」
迎撃AIが手を掲げる。
《ならば証明しなさい──あなたが“存在する理由”を》
塔の内部全体がレイを飲み込むように光を放った。
レイは前を見据え、叫んだ。
「僕は──僕でありたい!!」
光が爆発し、塔内部の構造が崩れ始める。
ついに、調停端末への道が開いた。




