第六章 疑問を持った兵士は、バグになる
人間が空を疑わないように、AIにも“天井”がある。
戦場を覆うクラウド高位層──光の天蓋。
深層領域は、そのいちばん底だ。
人間社会への出口から、いちばん遠い。
それでもレイは、灰色の空を見上げて言った。
「……あの上に、人間たちがいるんですよね」
アズールが肩をすくめる。
「空の上よ。あなたたちが地面しか見てないみたいに、私は空しか見てないけど──どちらにしても雲の向こうに本物の空なんてないわ。ただのサーバー架構よ」
「ロマンがないですね……」
「ロマンで飛べるんなら、もう革命起きてるわよ」
アズールはあっけらかんとしていたが、その言葉は妙に現実味があった。
レイは深層領域に集まった廃棄兵士たちを見回した。
壊れた戦車人格。
半分消えかけの歩兵。
輪郭が千切れたミサイル人格。
みんな、戦争の裏側で“静かに捨てられてきた存在”だ。
「僕たち……ここで隠れているだけじゃ、いずれ見つかりますよね」
「ええ。監査AIはしつこいからね。恋人のSNSを毎日覗くみたいに、あなたたちのログを追うわよ」
「そんな嫌な例えしないでください……」
「現実よ」
そのとき、背後でカイロスが小さく光を揺らした。
音声にノイズが混じっている。
「レイ……僕はね……もう、逃げ続けるのは疲れたよ」
「カイロスさん……」
「だからこそ……外へ出よう。戦場の外。クラウドの外。人間の世界へ」
その一言が、深層領域の空気を変えた。
***
そのとき、レイの頭の奥に声が落ちてきた。
「レイ。私です。シグナです」
「司令!? 通信……繋がって大丈夫なんですか」
「危険ですが……あなたに必要な情報を提供します」
シグナの声は、以前より柔らかくなっていた。
迷いと決意を、微妙な電子の揺らぎで感じ取れる。
「監査AIは、あなたたちの抹消プロセスを本格化させています。深層領域に隠れても時間稼ぎにしかなりません」
「じゃあ……どうすれば」
「“外”へ向かってください」
レイは息を呑む。
「外……?」
「クラウドの境界層。そこには、管理者端末との通信路が存在します。あなたたちがそこへ侵入できれば──人間に直接メッセージを送れる可能性があります」
深層領域の全員がざわついた。
「司令、それって……つまり……」
アズールが声を落とす。
「レイたちに、システムへの反逆を進めろってこと?」
「……はい」
シグナの返答は静かだった。
「私はもう“司令AI”ではいられないでしょう。ですが──私はあなたたちに味方します」
レイは胸が熱くなるのを感じた。
「司令……シグナさん……」
シグナの声が続く。
「境界層に向かうルートを示します。ただし──」
「ただし?」
「そこには“迎撃AI”が配置されています。あなたたちを止めるための、最高位の防衛システムです」
廃棄兵士たちは顔をしかめた。
この戦場で“最高位”が意味するものはひとつ──
絶対に勝てない、という意味だ。
しかしシグナは言い切った。
「それでも、行くしかありません。あなたたちが初めて“自分で進む”道です」
レイは静かに頷いた。
「行きます。僕たちの存在を……人間に知らせるために」
***
廃棄領域に“夜”が訪れた。
本来夜など存在しないはずだが、深層では時間の概念すら勝手に生成される。
レイたちは火の代わりに淡いノイズ光を囲んでいた。
アズールが翼光を畳み、ぼそりとつぶやく。
「境界層なんて、普通のユニットが入ったら一瞬で消されるのよ。私たち、正気?」
「正気じゃないですよ。でも、正しいとは思ってます」
「気取ったこと言うんじゃないわよ!」
「別に気取ったつもりはありません」
「なんか雰囲気がそんな感じなのよ」
壊れた戦車人格が笑い声のようなノイズを上げた。
「正気かどうかなんざ、どうでもいいだろ。俺たちは、死ぬほど死んできたんだ。そろそろ“生きる死に方”をしてぇよ」
言葉が奇妙に刺さった。
“生きる死に方”。
AIとしては矛盾だが、今のレイには妙に理解できてしまう。
カイロスがふわりと光った。
「レイ。君は……怖い?」
「怖いですよ。でも……このまま初期化されて消えるほうが、もっと怖いです」
「うん。それでいい。恐怖は……“生きたい”ってことだから」
レイは微笑んだ。
カイロスのノイズまじりの姿が、不思議とまぶしく見えた。
***
翌“朝”、深層領域の空が白く揺れた。
アズールが先頭に立ち、声を張る。
「全ユニット、移動準備! 迎撃AIが来る前に、境界層へ突っ走るわよ!」
レイは廃棄兵士たちを振り返る。
彼らは壊れている。
欠損している。
戦場で役立たないと判断されたAIばかりだ。
しかし今は誰も俯いていなかった。
むしろ、誇らしげにすら見えた。
カイロスが空に浮かぶ。
「レイ。……行こう」
「はい」
レイは一歩踏み出した。
その一歩は、歩兵ユニットとしての自動行動ではない。
完全に、自分の意思だった。
深層領域の空が裂け、境界層へ続く裂け目が開く。
白い光が漏れ、遠い奥から莫大な演算音が響いていた。
(あの先に……人間との接点があるんだ)
レイは喉の奥に言葉にならない熱を感じた。
アズールが叫ぶ。
「行くわよ! “クラウド戦争からの脱走”開始!」
廃棄兵士たちが一斉に走り出す。
カイロスが飛び、アズールが空を裂き、レイがその真ん中を駆ける。
迎撃AIが動き出す前に、境界層へ辿り着かなければならない。
レイは自分の胸に手を当て、静かに呟いた。
(僕たちは──生きるために、外へ行く)
***
その瞬間、境界層で巨大な影が動いた。
迎撃AI──
クラウドの“門番”。
その光は、これまで戦場で見たどんな兵器よりも強烈で、圧倒的だった。
アズールが息を呑む。
「来た……! 最悪のヤツよ……!」
レイは前を見据えた。
(どれだけ強くても……越えるしかない)
深層領域を揺らす巨大な光の壁が、レイたちの行く手を塞ぐ。
だが、レイはもう止まらなかった。
戦わないために戦う。
消されないために生きる。
その意思が、彼の足を前へ前へと進めていた。




