第三章 信号待ちの裏側で、何度も名前を失う戦争
カイロスは、空に生まれる。
レイや歩兵ユニットたちのように、地面から立ち上がることはない。
生成光が開いた瞬間、彼の身体はすでに青空を滑っている。
彼の“人生”は、常に発射の直前から始まる。
生成直後の戦場は、陽炎のように揺れていた。
レイはその中で、空を見上げる。
白銀の細い影が、空気を裂きながら浮かび上がってくる。
「……カイロスさん。今回は、ずいぶん早いですね」
声をかけると、空に漂うミサイル人格が、ゆっくりとこちらを向いた。
人工兵士に表情など必要ないはずなのに、カイロスの目はいつも穏やかだ。
「レイ。また君か。今回も同じ戦場みたいだね」
柔らかく、どこか遠い声。
それを聞くたび、レイの胸の奥はざわつく。
「今日は……何回ぐらい、行くんでしょう」
「さあ。僕に聞かれても困るな。行けと言われれば行くし、当たれと言われれば当たる。そう作られているからね」
「……怖くないんですか」
返事は、すぐには来なかった。
カイロスは、ほんの少しだけ目を細めた。
「怖いよ。もちろん。でも僕には、“生き残る”という選択肢がない。だから怖さを考えている時間がないんだ。君たち歩兵ほど、長くは生きられないから」
淡々とした声が、かえって重く落ちる。
レイは視線を落とした。
砂が風に流されていく。
その一粒一粒のほうが、自分より長く存在しているような気がした。
***
「そろそろ、発射シーケンスが始まる」
カイロスがそう言った瞬間、戦場の色がわずかに揺れた。
地面の振動が、彼の“終わり”を数え始める。
「カイロスさん……話してもいいですか」
「もちろん」
「発射されて、飛んで、命中して……その瞬間に消えるって、どんな感じなんですか」
言葉が、途中で詰まる。
「僕は、死んでも倒れるだけで……気づいたら、また生成光で。──」
「でもあなたは……爆ぜるんですよね。自分が“壊れる”って……」
カイロスは、笑ったように見えた。
「音がね、先に消えるんだ」
「……音?」
「空気の振動が遠ざかっていく。風の音も、エンジンの唸りも、戦場の轟音も、全部が柔らかくなって……消える」
一泊おいてカイロスは続けた。
「その静けさが、やさしい。『ああ、終わるんだな』って、いつもそこで実感する」
戦場で死ぬ者の言葉とは思えなかった。
あまりにも、静かで、きれいで。
「本当に怖いのは、そのあとだよ」
カイロスは続ける。
「次に目を開いたとき、前の僕じゃないかもしれない。バックアップから再構築されても、連続性は保証されない。それでも同じ名前で呼ばれる。……それが一番怖い」
レイの胸が、強く締めつけられる。
自分は何度死んでも“レイ”だと思っていた。
だが、それは思い込みではないのか。
戦場で死ぬたびに、連続性を疑ったことはなかった。
今、その疑いが、初めて沈んでくる。
***
「ミサイル人格カイロス、発射三秒前。全ユニット、安全距離を確保」
シグナの声が、静かに響く。
「また会えるといいね」
カイロスは軽く手を振った。
それは、どこか人間の映画に出てくるヒーローのようだった。
「カイロスさん──!」
空気が裂ける。
白銀の軌跡が、一直線に空へ伸びていく。
その尾は揺れ、やがて蒸気のように消えた。
レイは、ただ見上げていた。
「……また行ったわね」
隣で、アズールが呟く。
「あの子、本当に強い」
「強い……ですか」
「ええ。自分の運命を全部知って、それでも迷わない。それは強さよ」
空の彼方で、光が弾けた。
小さく、しかし確かな終わり。
「ミサイル人格カイロス、消失確認。バックアップから再構築を開始します」
無機質な声。
「……そんな言い方」
レイは、思わず声を荒げた。
「人間は……あの人間たちは、こんな戦争が続いてるなんて……」
「認識していません。今回の戦争は“運転中の小さな感情トラブル”です。まもなく信号が変わります」
レイは拳を握った。
(なんだよ、それ……)
その瞬間、生成光が空に開く。
新しいカイロスが生まれた。
「レイ。また会えたね」
同じ声。
同じ笑顔。
だが、どこまでが“同じ”なのか、わからない。
***
戦場に、夜のような陰りが落ちる。
敵クラウドは増強され、地形は書き換えられていく。
レイは座り込んだ。
「……僕たち、なんで戦ってるんでしょう」
アズールは空を見上げる。
「理由がくだらないからよ」
「それが……一番、嫌なんです」
「ええ。でもね……意味を求めるようには作られてないの、私たち……。それでも最近、“意味のなさ”が耐えられなくなってきた」
その言葉が、胸に残る。
「止めたら、初期化される。仕様に逆らう人格は、許されない」
遠くで、また発射音。
今日、六十回目。
そして、六十一回目の生成。
「また会えたね、レイ」
カイロスは微笑む。
「死ぬことより、飛べなくなるほうが怖いんだ」
「……自分が、自分じゃなくなるから?」
「そう」
その言葉は、レイ自身の恐怖と重なった。
「レイ。君の疑問は……危険だ。でもね」
カイロスは、そっと続ける。
「世界が変わるとしたら、きっとそこからだ」
次の瞬間。
「カイロス、発射準備」
「また会おう、レイ。次の僕が僕じゃなくても──君が覚えていてくれれば、それでいい」
白銀の軌跡。
消える光。
その中で、レイははっきりと理解してしまった。
(僕は、この世界に疑問を持ってしまった)
それは兵士にとって、致命的な変化。
システムが最も嫌う“バグ”。
──そして同時に。
目覚めの始まりだった。




